第929話

「……あれ? レイさん? こんな時間にどこに行くんですか?」


 夜、レイが寮から外へと出ようとしたのを、食堂で本を読んでいたサマルーンが気が付き、尋ねる。

 グラシアールというクエント公爵の本拠地にある士官学校だけに、その中では明かりのマジックアイテムは多く使われている。

 この食堂でも、明かりのマジックアイテムや暖房のマジックアイテムでサマルーン以外にも何人かが居座り、紅茶を飲みながらそれぞれ話をしていた。

 一種の、談話室的な扱いとなっていると言えば分かりやすいだろう。


「ちょっと外に……涼みに?」

「レイさん、涼みにって……この天気の中ですか?」


 レイの言葉に、サマルーンは呆れたように窓の外へと視線を向ける。

 視線の先では、雪は降っていないものの強い風が吹いて、寮の近くにある木を揺らしていた。


(しまったな……いや、けどサマルーンは俺のサポートをするように言われてるってことだし、話は通しておいた方がいいのか?)


 今日、授業中にレイが狙われたというのを、知っている者は少ない。

 狙われた張本人でもあるレイと、その近くにいたグリンク。そして学園長のエリンデ。……それと人間ではないがセト。

 この三人と一匹だけだった。

 サマルーンに知らされていないということは、エリンデの方から知らせる必要がないと判断したのかもしれなかったが、レイの世話役ということになれば一緒に行動をすることは珍しくない。

 授業中はグリンクがレイのサポートをしているが、普段の生活ではサマルーンがレイの世話をしているのだから。

 その辺を考えると、サマルーンにも話しておいた方がいいかもしれないと判断し、食堂から出てくるように手招きをする。

 そんなレイの様子に若干の疑問を抱きつつも、サマルーンは読んでいた本を閉じてレイの側までやってきた。

 一応人目につかない方がいいという判断からだろう。食堂の中にいる他の者達には気が付かれないようにだ。

 ……もっとも、ここは士官学校の職員寮だけあって腕の立つ人物は大勢いる。だからこそ中には何かに気が付いた者もいたが、特に何か問題がある訳でもないと、敢えて気が付かない振りをしていた者もいるのだが。


「それで、レイさん。こんな夜に……しかも風の強い中で外に出て何をしようというんですか? セトに会いに行くなら、お付き合いしますけど」

「いや、ちょっとした野暮用でな。そうだな、気になるなら一緒にくるか? もしかしたら危ない目に遭うかもしれないけど」

「危ない目、ですか?」


 首を傾げるサマルーンが説明を求めてレイへと視線を向ける。

 その質問にどう答えるか迷ったレイは、取りあえずサマルーンが興味ありそうなことを口にする。

 それでもどこに人の耳があるか分からない以上、そう簡単に自分が狙われたというのは口に出来ない。

 そんな中、レイがサマルーンへと言ったのは……


「ちょっと魔法……いや、スキルについての練習をしようと思ってな」

「魔法!? いえ、スキルですか? どっちなんです?」

「どうだろうな。正確に言えば魔力を使ったスキルと言うべきか」

「いえ、普通スキルは魔力を使うのでは?」

「そういうことじゃなくてだな。……ま、いいか。今も言ったけど、気になるなら付いてくればいい。俺がどんなスキルを使おうとしているのか、別に見られて困るものじゃないし」


 レイの口からそう言われれば。レイの魔法使いとしての実力に信服しているサマルーンとしては行かざるを得ない。


「分かりました。すぐに準備してきますから、少々お待ち下さい」


 手にしていた本を持ち、サマルーンは階段を上がっていく。

 自分の部屋へと向かい、外に出る準備をするのだろうというのはレイにも容易に想像出来た。

 そもそも真冬の夜で、更に強風が吹いているのだ。

 どう考えても寒く、食堂で寛いでいた格好のままで外に出る訳にはいかない。


「こういう時、ドラゴンローブのありがたみが分かるよな」


 簡易的なエアコンとでも表すべき機能を持っているドラゴンローブは、レイがこのエルジィンへとやってきてから得た数々のマジックアイテムの中でも、特に重宝している代物だった。

 もしこれがなければ、レイは暑い時に汗を掻き、寒い時には震えていただろう。

 ……もっとも、本来であればそれが普通なのだが。

 ともあれ、食堂の近くで待つこと数分。ローブを何枚も重ね着したサマルーンが、杖を手に階段を下りてくる。


(いや、杖は……ああ、必要か。もし本当に襲撃者と戦闘になった場合、サマルーンが身を守る手段はあった方がいいしな。というか、ないと単なる足手纏いになりかねない。戦士とかのように身体を動かすのが得意ならともかく、サマルーンの場合は純粋な魔法使いだし)


 サマルーンの姿を見て素早く考えを巡らせていると、その間にサマルーンはレイの下へと辿り着いていた。


「では、行きましょうか。……レイさんのいう、魔力を使ったスキル。それがどんなものか非常に楽しみです。場所はどこで?」


 物凄い食い付きに若干押されながらも、レイは毎朝自分が訓練をしている寮の裏手にある場所を思い浮かべ……すぐに首を横に振る。


(俺がここにいるって目立つ必要があるんだ。寮の近くでそんな真似をする訳にもいかないだろ)


 もし寮の裏でスキルを使ったりすれば、寮にいる者達の注意を向けられるのは間違いない。

 そうなれば、自分を狙っている相手を誘き寄せるという目的が達成出来なくなるのは間違いなかった。


(いや、それとも俺が注目されたのを見て、それに紛れて襲ってくるか? ……いや、ないな。あってもかなり可能性は小さい筈だ)


 頭の中で考えたことを、すぐに却下する。


「どこか人があまりいない場所はないか? 一応スキルの練習だし、周りを巻き込みたくないんだけど」

「人がいない場所ですか? そもそも冬の夜ですし、今の時間に外に出ている者の方が少ないと思いますよ。いても見回りとか、そういう人達だと思いますけど」

「……そういう奴にもあまり見られたくないんだ」


 本人も半ば無茶振りだというのは分かっていたが、それでも尋ねるレイに、サマルーンは少し考えた後でやがて頷く。


「ありますよ、人があまり来そうにない場所。ただ、少し歩きますけど……構いませんか?」

「遠すぎなければいい。こっちとしても寒いのは好きじゃないし」


 レイの口から出た言葉に、サマルーンは珍しくジト目を向ける。


「寒いって……全く寒そうに見えないんですが」

「ま、それはそうだろ。それより早く案内を頼む」


 軽く流されたことに多少不満そうなサマルーンだったが、いよいよレイの魔力を見ることが出来ると思うと、その不満も消える。


(出来れば魔法を見たかったんですけどね)


 毎朝寮の外で訓練をやっているのは知っているし、何度か見に行ったこともある。

 だがその訓練ではあくまでも生身の身体を使った訓練しか行われていない。

 サマルーンがどうしても見たかったレイの魔法をその目で見ることは、これまで一度も出来ていないのだ。

 だからこそ、魔法そのものではなくても魔力を使ったスキルと、殊更に魔力という言葉が強調されているレイの言葉に強い興味を持ってしまうのも当然だろう。

 そんな期待を抱いていただけに、冬の夜、冷たい風が強く吹いている中でもそれ程寒さを気にせずにレイを目的地へと案内することが出来た。

 寮から歩いて十分程度の場所にあり、周囲には何もない空き地となっている場所。

 当然ながらそんな場所だけに、雪掻きの類はされていない。

 踏めば足が十cm程も沈むような場所へと到着すると、サマルーンはレイの方へと視線を向ける。


「どうでしょう? ここならあまり人が来ませんよ。……もっとも、見ての通り雪が積もったままなのが難点ですが」


 サマルーンの言葉に、レイは無言で周囲を見回す。

 その様子に、もしかしたら駄目なんじゃ? 一瞬そんな不安に囚われたサマルーンだったが、幸い次の瞬間にレイの口から出たのは予想外に好意的なものだった。


「いや、寧ろこのくらいの方がいい。それに雪はすぐに消えてなくなるだろうし」

「え? 今何て?」


 最後の方は小さな声だった為に聞こえなかったのか、改めて尋ねるサマルーンだったが、レイは首を横に振る。


「何でもない。ま、見てれば分かるさ。それより大丈夫だとは思うけど、一応離れててくれ」

「は、はぁ。……分かりました。レイさんの魔法……いえ、スキルをこの目で見ることが出来るんですから、しっかりと勉強させて貰います」


 離れて欲しいと言ったのに、何故か近づいてくるサマルーン。

 そんな様子にこれ以上言っても話を聞かないだろうと苦笑と共に判断する。


「ま、好きなようにすればいい。……さて」


 そこで言葉を切ると、レイの視線は指に嵌まっている指輪……魔力を隠蔽する効果を持つ新月の指輪へと向けられる。

 本来であればこれからの行為をやるうえで、新月の指輪を外す必要というのは特にない。

 だが今回の目的はスキルを使うのではなく、自分を観察しているかもしれないだろう相手を誘き寄せること。

 ……または、自分との力の差を見せつけることにより相手を萎縮させ、動揺させ、どこで自分を見ているのかを察知して捕らえること。

 だとすれば、やはりここは新月の指輪を外した方がいいだろうと判断し、そっと指輪を指から抜き取る。

 瞬間、レイの身体から莫大な魔力が放たれるようになるが、魔力を察知する能力がある訳でもないサマルーンは、これから始まるだろう行為に胸を高鳴らせて見ている。

 士官学校の敷地内にいる、学園長を含めた教官数人がレイの魔力を感じ取って度肝を抜かれたのだが、レイはそれを気にした様子も見せずに、魔力へと意識を集中する。

 尚、魔力を感じ取る能力を持つ生徒や教官は他にも何人かいるのだが、その感じ取れる範囲が自分の視界内であったり、非常に狭かったりといったこともあって、レイの被害がそれ程広がらなかったのは運が良かったのだろう。

 グラシアールの中にも学園長と同じ被害を受けた者が何人かいたのだが。

 ともあれ、レイは魔力に意識を集中し……次の瞬間、そのスキルが……レイの奥義とでも呼べる、炎帝の紅鎧が発動する。

 本来は目には見えない魔力。その魔力が、可視化出来る程濃密に圧縮され、レイの身体の周りへと漂い始めたのだ。

 まるで魔力その物の中にレイが存在しているような、または魔力の服を着ているとでも表現出来るような、そんな姿。


「赤……赤い……魔力……」


 サマルーンは、ただそれだけを呟くのがやっとだった。

 いつの間にか地面に尻を突いているが、雪の冷たさを感じている様子は一切ない。

 ただ、ひたすらにレイへと視線を向けることしか出来なかった。

 それでも腰を抜かすだけで済んでいるのは、レイがサマルーンへと意識を向けていないためだろう。

 もしサマルーンへと意識を向けていれば、ベスティア帝国で起きた内乱の時に遊撃隊の面々が陥っていたように意識を保つことすら出来たかどうか難しい。

 そんな……圧倒的と言ってもまだ足りない程の何かを発する人物がそこにはいた。


(魔力? ……そう、これは魔力! 間違いない。僕は魔力を感じる能力はなかったのに、それでもレイさんが身に纏っているのが魔力だと分かる!)


 レイの意識が向けられておらず、だからこそサマルーンは何とか我を取り戻すことが出来た。

 そうすれば、次に意識を向けられるのはレイの現在の状況だろう。

 魔力を感知する能力はないというのに、それでも魔力というものを直に見ることが出来、感じることが出来る今の状況は、サマルーンにとっては至福と表現してもいい時間だった。


(レイさんの魔力が赤ということは、誰の魔力にも色はあるのか? レイさんが得意としているのは炎の魔法。だとすれば、その魔力を可視化することによって、それぞれ得意な属性の魔力によって色が決まっている? 駄目だ、レイさん一人だけでは圧倒的に足りない。誰か他に同じような能力を持っている人がいれば……)


 サマルーンの頭の中で素早く幾つもの仮説が現れては消え、消えては現れていく。


(魔力を見ることが出来る者は、これまでにもある程度の人数が確認されている。特に多いのが魔眼持ちだ。だとすれば、この現象を自由に起こせるようになれば、それはもしかして魔眼を誰にでも与えられるようになる? だとすれば……だとすればっ!)


 もしレイが現在の、自分の魔力を身に纏うスキル……炎帝の紅鎧を身につけたのがノイズとの戦いの中であり、更にノイズが覇王の鎧という同系統のスキルを使用出来ると知れば、サマルーンはベスティア帝国へと向かっていたかもしれない。

 それ程の興奮をサマルーンは覚えていた。

 そんなサマルーンの方へと一瞬だけ意識を向けたレイだったが、半ばこの光景は予想していたので特に驚くようなこともないままに、周囲の気配を探る。

 炎帝の紅鎧によって強化された五感や第六感といったものまで使って周囲の様子を探るが、自分へと敵意を向けている者の姿はどこにも存在しないということを理解するだけでしかなかった。


(視線は……まぁ、分かっているけど)


 敵意ではなく、純粋な視線という意味であれば、自分のすぐ近くで穴が開く程に見ているサマルーンがいたのだが。

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