第927話

 自分に向けられた殺気。

 同時に聞こえてきた風切り音に、レイの身体は反射的に動いていた。

 そして一瞬前まで自分の身体があった場所を通り過ぎ、地面に突き刺さっている一本の棒。

 棒の背に矢羽根がついているのを見て矢だと判断したレイは、これが自分を狙った攻撃であると……暗殺を狙ったものであると理解する。

 矢の飛んできた方角へと視線を向けるが、そこには士官学校の校舎が幾つか存在している。

 同時に校舎の近くには林もあり、どこから狙ってきたのかは一瞬では判断が出来ない。

 ミスティリングからデスサイズを取り出し、鋭く叫ぶ。


「セトッ!」

「グルルルルルルゥッ!」


 レイの呼び掛けに応え、矢が地面に突き刺さった瞬間には既に寝転がっている状態から瞬時に臨戦態勢に入っていたセトは、すぐさま飛び出す。

 真っ直ぐに校舎の方へと向かったセトに、周囲にいた生徒達は皆一様に驚きの表情を浮かべていた。

 もっとも、驚きの表情を浮かべているのは生徒達だけだ。

 レイと共に模擬戦の授業を受け持っているグリンクは、レイが突然動いたかと思うと次の瞬間には地面に矢が突き刺さったのをその目で見た。


「レイさん、怪我はありませんか?」

「ああ。幸い矢を射ったのが殺気を剥き出しにした存在だったから察知出来たが……まさか、士官学校の中で命を狙われることになるとは思いも寄らなかったな」

「すいません、すぐにこの件は学園長に報告します」

「そうしてくれ。……それと、今俺の側に生徒達はいない方がいい。幸い、生徒は何で俺がいきなりデスサイズを取り出したのかを理解してない。いや、もしかしたら雪合戦のお仕置きで、と判断したかもしれないが……それは今の場合、寧ろ丁度いい」


 矢の前にレイの姿があるおかげで、生徒達から地面に突き刺さった矢の姿は見えていない。

 そうなれば、何の脈絡もなくレイがデスサイズを取り出したようにしか見えないというのは事実だった。


「お、おい。あの大鎌……もしかして、あれが……」

「ああ。深紅の代名詞と呼ばれてるマジックアイテム」

「でも何だっていきなりあんな武器を? ……まさか」

「うわ、Cチーム死んだなこれ」

「いや、まだ最下位は決まってないのに、何でだ?」

「嘘だろ? ……おい、本気であのレイと戦わないといけないのか? あの、見るからに凶悪な大鎌を持った?」

「うん? あれ? グリフォンがいないけど、どこに行ったんだ?」

「見てなかったの? 校舎の方に向かって走って行ったわよ?」

「……何で?」

「さぁ? グリフォンの考えることなんか私に分かる訳ないじゃない」

「おいおい、もしかしてグリフォンが生徒を襲っているとかなんとか……そんなことにはならないだろうな?」


 生徒達がそれぞれ近くにいる相手と話しているのを聞きながら、レイはグリンクへと視線を向ける。


「雪合戦に集中していたおかげで、矢はまだ気が付かれていない。頼めるか?」

「はい、すぐに。……それで、レイさんはどうしますか?」

「取りあえず矢はこっちで回収しておいた方がいいだろ。後で学園長室のエリンデに証拠として持っていく必要があるだろうし。その矢から何らかの情報を引き出せるかもしれない」


 レイの目ではただの矢にしか見えないが、矢の作りや鏃、矢羽根といったものから何らかの情報を得られるかもしれないといった目論見があった。

 もっとも、エルフだから弓矢に詳しいだろうという単純な思い込みに近いものからの予想ではあるのだが。


(それに俺は自覚がそれ程ないけど、一応今の俺は国王派の厄介事に巻き込まれて、保護されているという立場の筈。つまり、その保護されている先で俺は襲撃を受けたわけで……やっぱり国王派か? 俺のせいでこれ以上ない程に面子を潰されたし、その結果綱紀粛正の嵐が吹き荒れている訳だし)


 生徒達に注目されている中、レイの代わりにグリンクが口を開く。


「皆さん、今日の授業はご苦労様でした。本来であれば最下位のチームには罰を与える予定でしたが、私もレイさんもこの後に少し用事が出来てしまったので、今日はこのまま授業を終了してしまって下さい」

『わぁぁぁっ!』


 グリンクの言葉に歓喜の叫びを上げたのは、当然ながら今回の雪合戦で最下位になる可能性のあったBチームとCチーム。

 他の生徒達は、そんな二チームに対して複雑な表情を浮かべていた。

 羨ましい、ずるい、良かったな、といった感じの表情は、もしかしたら自分達が受けていたかもしれない過酷な罰を理解しているからこそだろう。

 BチームCチームを始めとして、他の生徒達にも安堵の雰囲気が広がり……だが、それを破るかのようにレイは口を開く。


「罰に関しては、一時保留ってだけだぞ。次の授業にはきちんとどっちか……または両方に相応の罰を与えるので、覚悟しておくように。じゃあ、解散」

 

 まさに、天国から地獄という気分を理解してしまったBチームとCチームの生徒達は、暗い表情を浮かべながら校舎へと戻っていく。

 何人かの生徒達はレイやグリンクといった面々の様子に微かな疑問を感じていたようだったが、それでも特に何も言わずに校舎へと向かう。

 特にセトの様子を気にしている者もいたようだが、結局それは言葉に出されない。

 ここで何か言えば、レイにより酷い目に……それこそBチームやCチームと同じように厳しい訓練を受けさせられるのではないかという思いもあったし、雪が降って寒いのでなるべく早く暖まりたかったというのもあるだろう。

 士官学校で日常的に鍛えていても、寒いものは寒いのだから。


「……行ったな」

「はい」


 レイとグリンクは生徒が全員校舎に戻ったのを確認してから、改めて地面に突き刺さった矢へと視線を向ける。

 積もった雪を貫通し、地面へと突き刺さっているその矢の周辺は紫色へと変色している。

 刺さったのがただの矢ではなく、何らかの毒が塗られていたのは明らかだろう。


「生徒達に見られなくて良かったですが……レイさん、よくご無事で」

「ああ。咄嗟のことだったしな。それに、こうまで紫色が強烈になっているのは、雪だからってのもあるんだろうな。雪だけに毒とかは染みこみやすいし」

「でしょうね。ですが、それにしてもここまで強力そうな毒を使っているということは……」


 心配そうにレイの方へと視線を向けるグリンク。

 強面の顔付きなのだが、不思議とレイの心配をするその様子はどこか真摯な表情に見えた。


(いや、強面だから本気でこっちを心配しないってことはないんだろうが)


 内心で呟くレイだったが、毒矢で狙われているのにそこまで深刻な表情を浮かべていないというのは、やはり自分の身体の毒に対する耐性を信用しているからだろう。


「とにかく、このままここにいてもしょうがない。セトが刺客を捕らえることが出来ていればいいんだろうけど……それも駄目だったみたいだな」

 

 レイの視線の先には、肩を落とすとでも表現するのが相応しくトボトボと自分の方へと向かってくるセトの姿があった。

 地面に突き刺さっている矢をミスティリングに収納すると、セトを励ますべく頭を撫でる。


「気にするなって。こんな場所で俺に攻撃を仕掛けてくる奴だ。当然何らかの逃走手段は前もって用意してたんだろ。セトの鼻でも後を追えないように」

「……グリフォンですし、五感が鋭いだろうというのは大抵は予想出来ますからね」


 グリンクもセトを励ますように告げる。

 もっとも、グリンクはレイの様にセトを撫でるといった行為はしていないが。

 怖がっているという訳ではなく、元々そういう行為を好まないのだろう。


「学園長に会いに行くから……セト、お前はどうする?」

「グルゥ?」


 どうする? と首を傾げるセト。


「お前も学園長室がある校舎にくるか、厩舎に戻るかってことだよ。……まだセトが十分に周知されていないここで、自由に行動させることは出来ないからな。悪いと思ってるんだけど」

「グルルルゥ……」


 気にしないで、と首を横に振ると、そのままセトはレイへと顔を擦りつける。


「悪いな。……で、どうする? 学園長室のある校舎に来るってことになれば、他の人から見えない場所で待ってて貰うことになるんだろうけど」

「グルゥ!」


 そうする! と告げるセト。

 セトにとっては、大好きなレイを誰かが狙ったのだ。

 それを理解しているだけに、セトとしては出来るだけレイの近くにいたかった。

 いつ、何があってもレイを守れるように。

 レイが強いというのはセトも十分に……それこそ、この世の誰よりも知っているつもりだったが、それでも自分の相棒で主人で友達で兄弟で……そんな、色々な意味で大好きなレイを守りたいと思うのは、セトとしては当然の行動だった。

 その気持ちをレイに知らせるべく、再びレイへと顔を擦りつける。

 そんなセトの気持ちを理解したのだろう。レイも嬉しそうに笑みを浮かべて、セトの頭を何度も撫でる。


「では、行きますか」


 そんな一人と一匹を見ていたグリンクの言葉に、レイは頷く。


「そうだな、ここで時間を潰しても向こうに……敵に猶予を与えるだけだろうし」


 今回行われた襲撃は、幸いにも矢を放ったのが本職ではない……もしくはそれ程腕が立つような相手ではなかった為、ある程度余裕をもって矢を回避することが出来た。

 ただ、その代償という訳ではないだろうが、今回の襲撃者を確保することは出来なかった。

 これがどのような未来へと繋がるのか。それを多少不安に思いながらも、レイとグリンク、セトは学園長室のある校舎へと向かう。


(それに、学園長が小鳥を使って学園内を見回っているというのを考えると、もしかしたら何らかの手掛かりがあるかもしれないし)


 そんな僅かな希望を抱きつつ。






「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 男は荒い息を吐く。

 周囲に誰もいない場所の為に他人の注意を引くことはなかったが、もしここに誰かがいれば、その息の荒さに何が起きたのかと疑問に思わざるを得なかっただろう。

 それでも荒い息を吐き続けて数分もすれば、ようやくものを考える余裕も出てくる。


「くそっ、こっちに意識は集中していなかった筈だ。なのに、何であの状況で俺の矢を回避出来る!? くそっ、くそっ、くそっ、天の涙まで使ったってのに……あの化け物が!」


 床に書かれている魔法陣を苛立ち紛れに思い切り踏み躙る。

 もしあのまま矢を射った場所に潜んでいれば、間違いなく自分は捕まっていたと思う。

 それは、真っ直ぐ自分のいる場所へと向かってきたグリフォンの姿を見れば、一目瞭然だった。

 少しでも転移石を使うのが遅れていれば、今頃はレイの前に引きずり出されていたのは間違いない。


「何とか奴の首を取らなければならないってのに、グリフォンが護衛についているとか、どうしろってんだよ……やっぱりあの方々が来るのを待つしかないのか?」


 苛立ちを何とか落ち着かせ、深く息を吸う。

 そのまま吸って、吐いて、吸って、吐いて……と繰り返していると、やがて苛立ちも収まり、ようやく次のことを考えられるようになる。


「そうだな、今回大敵のレイを殺せなかったのは残念だったけど、それでも俺はこうして生き延びた。奴の情報をこっちに流してくれた奴の厚意に応える為にも、ここでそう簡単に諦める訳にはいかない。……そうだな、そうだ。きっとそうだ。俺は出来る。確実に出来る。聖なる光の女神の加護があるんだから」


 手にした弓へ改めて視線を向け、同時に懐から小さな瓶を取り出す。

 鏃に塗られていた毒は天の涙と呼ばれている非常に強力な毒であり、かすり傷でも負わせれば自分の勝ちは決まると確信していた。

 光の女神の力により生み出された毒であり、本来であれば気軽に使えるものではないと男は聞かされている。

 今回、自分達の信仰の敵……それも大敵と評されるような者に対して使うからという理由で司祭から下賜された代物だった。


「なのに……それで大敵に対する神罰を与えることに失敗するとは……俺の信仰が足りなかったせいか。くそっ! ……けど、これで終わりじゃない。この地に潜んでいる聖光教の信者は少なくない。去年の秋頃から受けてきた弾圧で地下に潜ることになったのが、こんなところで役に立つとは思わなかったな」


 次、まだ次がある、と男は自分に言い聞かせる。

 その声は暗い部屋の中に響き渡り、男の意識をより集中させていく。


「大敵は殺す。必ず殺す。この手で殺す。俺の信仰の力があれば、異名持ちの冒険者であろうとも決して処分出来ない筈はない。女神からの天罰……いや、神罰。深紅よ、お前は後悔の中で大いなる光の女神の慈悲を知るだろう」


 そっと瓶を握る。

 男にとって、その瓶は毒であって毒ではない。

 神からの恩恵であり、自分が光の女神に見守られているということの証なのだから。


「全ては聖なる光の女神の慈悲の下に」

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