第924話

 レイの教官生活二日目、今日も昨日同様にレイは体育館の中にグリンクと共に立っていた。

 そんなレイ達の前には四十人の生徒達。

 三年Sクラスの生徒達だ。

 前日のレイとの模擬戦で、決定的なまでに自分達との差を見せつけられてしまったことで激しいショックを受けていた生徒達だったが、それでもまだ若いこともあって一晩経てばある程度精神的に持ち直していた。


(まぁ、若いとか俺が言っても説得力がないんだけど)


 昨日も使った模擬戦用の槍を手にし、レイは三年Sクラスの生徒達を一瞥する。


「さて、今日も早速模擬戦となる訳だが……」


 ざわり、とレイの言葉を聞いた瞬間に生徒達がざわめく。

 当然だろう。昨日行われた模擬戦で、これでもかと言わんばかりに力の差を見せつけられたのだ。

 そんな、それこそ化け物と表現してもいいような強さを持つレイを相手に、また戦えと言われて笑っていられるような者はいなかった。

 だが……そんな生徒達を前に口を開いたのは、レイではなくグリンク。


「皆さん、落ち着いて下さい。昨日の今日でレイさんと戦えと言われて怖じ気づくのは分かります」


 怖じ気づくという単語をグリンクが口にした瞬間、生徒達の内の何人かが不愉快そうに眉を顰める。

 生徒達の中でも負けん気の強い者だろう。

 それでも口を開かなかったのは、もしそんなことを口にすれば再びのレイとの模擬戦は避けられないと思ってしまった為か。

 そんな生徒達を前に、グリンクの言葉は続く。


「ですが、よく考えてみて下さい。騎士になる人、冒険者になる人、ここにいるのは、将来的にそのどちらかの道を選ぶ人が多いと思います。そして騎士にしろ、冒険者にしろ、戦うべき相手は必ずしも自分より弱い相手だとは限りません」


 グリンクの言葉は事実だった。

 騎士として派遣された先の戦いで、異名持ちの冒険者や自分達よりも明らかに格上の相手と戦うというのは有り得ない話ではない。

 また、冒険者に限って言えば、それは更に顕著だろう。

 冒険者としての依頼を受けても、目的としていたのとは違うモンスターが姿を現すというのは決して珍しい話ではないのだから。往々にして、そのようなモンスターは強いモンスターであることが多い。

 生徒達がそれをしみじみと聞いているのを確認すると、グリンクの言葉は続く。


「そんな相手を前にした時、君達はどうしますか? 絶対的な強者との遭遇というのは、身体の動きそのものを止めてしまいます。それこそ、逃げる暇すらないまま圧倒的に蹂躙されてしまうくらいに。……ですが」


 言葉を一旦止め、視線をレイの方へと向けるグリンク。


「こちらにいるレイさんは、昨日皆もその実力を体験した通り、圧倒的な強者です。そのレイさんを相手に死なずに済む戦いが出来るのですから、これは幸運だと思いませんか? もし実戦でレイさんのような存在と遭遇したらどうなるのか。……それは昨日の模擬戦で十分理解していますね?」


 グリンクの言葉に、大人しくしていた生徒達がそれぞれ何かに気が付いたように目を見開く。


「そ、そうだよな。あんな化け物と戦って無事で済むってのは、その時点でこの士官学校に入学した甲斐があったってもんだ」

「無事? ……命に関わらないという意味では無事だけど、私の場合打撲とか結構あるんだけど」

「女にも容赦せずにその力を振るうとか、ちょっと酷くない?」

「馬鹿かお前。モンスターだろうがなんだろうが、敵が男だ女だと判断してくれると思うか?」

「寧ろ、オークとかは女を優先的に狙うしな」

「他にもそんな判断をしそうな奴はいるけどな」

「……ああ、そう言えば……あの人はちょっとなぁ……」

「でも、あの人の実力は間違いなく本物だ。あの人と戦うくらいなら、俺は間違いなくレイと戦う方を選ぶ」

「いや、普通ならランクS冒険者と戦うなんて判断をする奴はいないって」


 そんな風に言葉を交わす生徒達。

 数分の間は黙ってそれを見ていたグリンクだったが、やがて話が纏まったのだと判断すると再び口を開く。


「さて、では話は纏まったと考えても良さそうですね。最後にもう一度聞きます。レイさんとの模擬戦を希望する人は武器を構えなさい。希望せずに逃げ出すというのであれば、無理にとは言いません。どうしますか?」


 その質問を聞きながら、レイは言葉遣いとは裏腹なグリンクの意地の悪さを知る。

 ここにいるのは、三年Sクラス。

 つまり、士官学校の三年の中では最精鋭の生徒達ばかりだ。

 そんな生徒達が、相手が怖いからといって皆が見ている前で逃げるような真似が出来るかと言われれば、難しいだろう。

 自分達が精鋭であるという自負がある為、そんな真似が易々と出来る筈もない。

 もしそんな真似をすれば今日は戦わなくてもいいかもしれないが、他の生徒達に侮られることになるのは間違いない。

 また、他のクラスにこの件が広がればSクラスそのものが侮られることにもなりかねず、それが我慢出来るような者はここにはいなかった。

 いや、それだけであればまだ逃げ出す者もいたかもしれないが、ここにはグリンクが……士官学校の教官がいるのだ。

 その見ている前でそんな真似をすれば、成績に悪影響が出るのは間違いない。

 折角Sクラスという最高の実力を認められたクラスにいるというのに、強い相手と対面した時に逃げる……などという評価になっては、目も当てられない。

 そうならない為には、やはりここでレイに立ち向かうしかなかった。

 そんな生徒達を一瞥し、レイはフードの下で小さく笑みを浮かべる。

 だがフードを被っているが故に生徒達からはレイの表情はよく見えず、まるで獲物を前にして舌舐めずりをしている肉食獣のような印象すら生徒達へと与えていた。

 ……本人はこの状況で誰も逃げ出さないということに感心して笑みを浮かべていたのだが。


「お、おい。もしかして思う存分叩きのめされるんじゃないのか?」

「まさか……まさか。うん、多分きっとそんなことはない。多分……多分」

「お前、動揺してるの丸分かりだぞ」


 小声でやり取りをする生徒達の言葉を聞きながら、レイは内心疑問に思う。

 何故こんなに恐れられているのかと。

 少し考え、それでも結局答えは見つからず、分からないことは後回しでいいだろうと判断してフードを降ろす。


「さて、それじゃあ今日も模擬戦の時間だ。……ただ、一人ずつやるには少し時間が掛かりすぎるし、かといって全員を一度に相手にしては忙しすぎる。そういう訳で、五人ずつだ。それを八組で丁度一クラス分になる。それで授業終了の時間まで延々と俺との模擬戦で繰り返していく」


 それは、普通であれば救いの言葉だっただろう。

 自分一人ではどうしようもない相手でも、五人もいれば大抵は何とかなるのだから。

 だが、模擬戦の相手がレイとなると話は違う。


「おい、どうする五人だってよ」

「どう考えても五人じゃ足りないだろ。そもそも、俺達全員で戦っても駄目だったんだぜ?」


 そう、一クラス四十人総掛かりで戦いを挑んでも、あっさりとあしらわれた相手だ。

 そんな相手に五人で戦いを挑んでも、とてもではないが勝てるとは思えなかった。


「早く五人ずつに分かれろ。……あと百秒やる。それで余ってる奴は、こっちで適当に組ませるからな」


 レイの口から出た言葉に、生徒達は慌ててそれぞれ自分の組む相手を探していく。

 Sクラスという括りではあっても、生徒達全員が同じ実力という訳ではない。

 Sクラス内部でも明確に実力順に別れているのは事実であり、その辺の関係もあって全員がすんなりとは決まらず……


「お前と、そっちのお前と、向こうのと、そこにいるのと、お前だ」


 結局レイが適当に五人組を決めていく。

 本来、持っている武器の相性というのもあるのだが、全く気にした様子はない。

 だがグリンクがそれを止める様子はなく、ただじっと見ていた。

 当然だろう。騎士だからといっていつでも後方から弓で援護射撃をしたりといった風に、武器を万全に持っている状態で組めるとは限らない。

 ましてや、冒険者ともなれば尚更と言ってもいい。

 そうである以上、多少厄介な状況ではあってもお互いにフォローしあって戦うというのは重要なことだった。


「よし、そっちから順番に一班、二班、三班……といった具合だな。まずは一班からだ。模擬戦の時間は五分。その間に俺に一撃を当てられれば合格だ。成績は……」


 レイが一旦言葉を止め、グリンクの方へと視線を向ける。

 その視線を受けたグリンクは、レイの言いたいことを理解して小さく頷きを返す。


「グリンクの許可も貰ったし、俺に一撃でも与えることが出来た者は模擬戦の成績は最高得点をやろう」


 レイの言葉を聞いた瞬間、皆がざわめく。

 当然だろう。ここは士官学校であり、将来的には騎士か冒険者になる者が殆どだ。

 そこで重要視されるのは、頭の良さといったものもそうだが、やはり実戦での強さが最も評価される。

 つまり、模擬戦というのはこの士官学校に通っている生徒達にとって、最重要に近い授業なのだ。

 その模擬戦の成績で最高得点を貰えるとなれば、生徒達は張り切らない訳にはいかなかった。

 相手がレイであるというのも、ここでレイ程の強者と死ぬ危険もなしに戦えるという風に改めて考えが変わる。


(自分で言っておいてなんだけど、随分と現金な奴等だよな)


 つい先程までは自分と戦うのは絶対にごめんだと言いたげだった生徒達は、目の前に成績という餌をぶら下げられた瞬間にやる気に満ちていた。

 レイを倒せというのではなく、レイに一撃を与えるだけでいいというのも心理的な抵抗を少なくしているのだろう。

 そのあまりの変わりように、レイは苦笑を浮かべつつも槍を手にする。


「さて、始めるか。じゃあ一班……来い!」


 レイがそう告げると同時に、一班に分類された生徒達が行動を起こす。

 それぞれ模擬戦用の武器を手に、長剣を手にしてレイへと向かってくるのが二人、その背後からレイの隙を突こうとして槍を手にしているのが一人、そして最後尾……これがレイへと一撃を与えるという意味では本命なのだろう弓を構えているのが二人。

 この一班は遠距離攻撃が可能な弓術士を二人自分達のグループに入れることが出来たのだから、幸運だと言えるだろう。

 もっとも、放たれた矢がレイに当たるかどうかというのは別問題なのだが。

 実際、牽制の意味を込めて射られた矢は、レイの振るう槍によりあっさりと叩き落とされる。

 先端の鏃が丸められてはいても、矢の速度は普通の矢と殆ど変わらない。

 いや、寧ろ体育館という場所で戦っており、弓を持った者との距離が近い分、速度に関しては上と言ってもいいだろう。


「嘘っ!」


 昨日の戦いでも同じような光景は幾度となく見ていたが、それでもこうして改めて見るとどうしても驚いてしまう。

 その動揺は容易く矢の精度に現れ、仲間の動きが乱れたのを見たもう一人の弓術士もその動きが鈍る。

 そうして援護射撃が弱くなれば、長剣を持っている者達の攻撃もレイは楽に対処出来るようになり、攻撃を回避しながら放った横薙ぎの槍の一撃により、長剣を持っている男の片方があっさりと胴体に攻撃を食らって地面に崩れ落ちる。

 気絶をしている訳ではない。

 着ている鎧の上から槍の柄で殴られただけだったが、衝撃が鎧を貫通してきたのだ。

 骨折まではいっていないが、間違いなく痣は出来ているだろう一撃。

 もう一人の長剣を持っている男も、槍によって刀身を絡め取られてあっさりと上空へと武器を飛ばされる。

 一瞬上を見たその男の胴体を、力を加減しつつ蹴って吹き飛ばす。

 そうして前線を担う長剣持ち二人が脱落したのを見て、慌てて我に返ったのだろう。弓術士の二人が何本もの矢を連続して放つ。

 だが、その全ての矢が呆気なく槍によって叩き落とされる。

 その隙を突こうとして槍を持っていた男が全速の突きを放つが、レイの体捌きによりあっさりと回避され、それどころか突き出された槍の柄を片手で握られ、そのまま持ち上げられるという荒技まで披露された。

 レイもこれが模擬戦だというのを理解している為、本来であればそのまま床に槍を持っていた生徒を叩きつけるところだったのを、速度を緩めて降ろす。

 勿論その時点でその生徒は戦闘不能の扱いとなっていたが。

 そんな風に前衛の三人がやられてしまえば、弓術士が既にどうにか出来る筈もなく、そのまま一撃を受けて脱落する。

 そうして一方的なと表現出来る戦いを展開したレイは、弓術士の……特に最初に動きが鈍った方へと視線を向け、口を開く。


「後方から援護している奴が簡単に動揺するな。前衛で戦っている奴にとって援護の精度というのは文字通り命を分ける。精神的に強くなれ。そしてお前も、仲間が乱れたからといってそれに引きずられるな。長剣の方は二人とも踏み込みが甘い。槍のお前は、突きを出すのはいいが、それを引き戻すのが一歩遅れている。だからこそ俺に柄を捕まれたんだ。また、自分の身体が持ち上げられそうになった時点でさっさと手を離せ」


 目に付くところから欠点を挙げていき……それを聞いた生徒達が沈んだ表情になったのをそのままに、再びレイは口を開く。


「次」


 その短い言葉に、自分達もボコボコに言われるのかと思いながら、次の五人がレイへと向かって進み出るのだった。

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