第923話

「なるほど、Sクラスの授業を……それは大変だったのではないですか? Sクラスというのは実力は勿論ありますが、同時にプライドも高いですからね。僕も授業の時には少し緊張しますし。出来れば魔法の研究の方に集中したいんですが」


 残念ながらそうもいきませんと口にし、サマルーンは手に持っていたパンを口へと運ぶ。

 レイの教官生活一日目の夜。

 その日、寮の食堂でレイはサマルーンと共に会話をしながら夕食を食べていた。

 いや、このテーブルでレイと共に食事をしているのはサマルーンだけではない。


「うーん、そうですか? Sクラスの生徒達も結構こっちの言うことを聞いてくれますよ?」


 二十代の、おっとりとした女の教師が具がたっぷりと入っているシチューへとスプーンを伸ばしながら告げる。

 最初はこの職員寮に住んでいる教官や職員といった者達も、レイに対してどのような態度を取ればいいのか迷っていた。

 だがサマルーンとのやり取りで困っているところに何人かが助けを出し、その結果、ある程度他の者達もレイと話せるようになっていた。

 もっとも、話せるとは言ってもそこまで仲良く会話が出来る訳ではない。

 元々人付き合いはそれ程得意ではないレイだけに、話す内容は授業についてのことが主であり、個人的なことは殆ど口にしてはいない。

 だが、教官や職員もレイがまだ子供……とは呼べないが、決して大人と呼べる年齢ではないことは理解しているのだろう。

 レイがあまり息が詰まらないように話題を選んで言葉を交わす。

 その結果、話の内容の大半が授業のことになるのは、ここが士官学校である以上は仕方がないのかもしれないが。


「それはあいつらがお前を狙ってるからだろ。……とにかくだ。Sクラスに限らず生徒達に何かを教えるというのは、教官の方にも色々と教えられることもある。レイ君もその辺をしっかりと勉強していってくれると、こちらとしては嬉しいな」


 レイの近くで食事をしていた教官の一人が、しみじみと呟く。


(元ランクB冒険者……だったか?)


 サマルーンと話している時に何度か出て来た人物だったので、レイもその男のことは知っていた。

 既に冒険者を引退してはいても、元はレイと同じランクB冒険者。

 サマルーンが自分は冒険者としての行動はよく知らないから、そっち方面で何か困ったことがあったら相談してみたらいいのでは? と言われていたのだ。


「それに……これからは士官学校の中にも冒険者がそれなりに多く姿を見せる。そう考えれば、レイがいるのはこれからそんなに目立たないから、気にしすぎる必要はないと思うけど」


 いつの間にか話が、レイの外見についてのものへと変わっており、生徒達よりも年下のレイが教官だと非常に目立つという話題で、元ランクB冒険者の男がそう話していた。


「冒険者が?」


 何故そんなに多くの冒険者が来るのかが分からないレイは、串焼きに手を伸ばしながら尋ねる。

 尚、まだレイがこの寮で暮らすようになってから一日しか経っていないのだが、その一日で寮の食堂は大きく変わっていた。

 具体的には、食事の量と質の両方が上がったのだ。

 理由としては、異名持ちの冒険者が国王派の揉めごとに巻き込まれてグラシアールへとやってきているのに、食事で満足させられないのはクエント公爵家の恥になる、ということらしい。

 レイが食堂での食事についてサマルーンへと告げたところ、そこから学園長へと話が流れ、結果的に食事は大きく改善されていた。

 生きている以上、当然食事というのは美味ければ美味い程にいい。

 その辺の改善も、この寮に住んでいる者達がレイに対して好意的になった理由の一つであることは間違いないだろう。

 食えればいいという、食事について拘らない者もいるが、そちらはあくまでも少数派なのだから。

 現在職員寮に住んでいる者達の最大の不安は、春になってレイが士官学校から出て行った時に食事の質が落ちるのではないかということだったりする。


「ああ。レイがいるギルムも同じだろうけど、基本的に冒険者ってのは冬は依頼を受けない。ただ、それは冬越えの資金を貯めることが出来た奴だけだ。何らかの理由で金を貯めるのを失敗した者は、当然冬の間も金を稼がないといけない」


 男の言葉にレイの脳裏を過ぎったのは、セトを愛でるあまりに金を浪費した二人の女冒険者。

 片方は正真正銘貯めていた金がなくなって依頼をこなすことになり、もう片方はベスティア帝国から来る時に持ってきた金に手を付けようとして仲間に止められ、依頼をこなすことになったという二人。

 勿論他にも冬に依頼をこなす者というのはいるのだが、レイにとって強い印象に残っているのはやはりその二人だった。


「だろうな。俺の知り合いにもそんな奴がいるよ」

「……異名持ちの知り合いでもそんなのがいるのか。それはともあれ、そういう奴が受ける依頼の中でも、士官学校から出されている依頼ってのはそこそこ美味しい訳だ。グラシアールの外に出る必要はないし、一応身体を動かせるから鈍るってこともない」

「随分と美味しい話なんだな」

「ああ。もっとも、それが出来るのはこのクエント公爵が治めるグラシアールに士官学校があるからこそだろうな。他の街や……ましてや村で似たようなことはまず出来ない」


 その男の言葉は事実だった。

 ここまで裕福なのは、ここがクエント公爵のお膝元だからこそであり、それだけ士官学校に資金を投じていることの証だろう。

 男の言葉に、ギルムでも似たようなことが出来ればいいんだけど……と思っていたレイが無理だろうと悟る。

 そんな思いと共に掴んでいた串焼きを食い終わり、串を皿に戻そうとしたところで、不意に正面に座っていたサマルーンが大きな声で叫ぶ。


「ああっ! 今の話で思い出した! すいません、レイさん。あの脳筋から伝言されてたのを忘れてました」


 脳筋という言葉に、食堂にいるうちの何人かが微かに眉を顰める。

 この士官学校に長くいれば、当然サマルーンとイスケルドが友人――本人達は認めないだろうが――だというのは周知の事実に近い。

 そして、サマルーンが脳筋と言えばイスケルドを意味しているというのも、当然知っている者が殆どだ。

 二人が幾ら仲が良くても、やはりグラシアールに住む者としてイスケルドというのは英雄の一人という扱いだ。

 そうであるが故に、その英雄を脳筋と言われれば面白くない者も少なからずいる。

 そんな者達が咎めるような視線をサマルーンへと向けるが、本人は全く気にしていない様子でレイに向かって言葉を続ける。


「あの脳筋からの伝言ですが、本来なら今夜クエント公爵と会う予定になっていたと思うんですけど、急な用件でそれが難しくなったので、暫く延ばして欲しいそうです」

「そうなのか? ……まぁ、俺も堅苦しいのはあまり好きじゃないから、面会が延びるのは歓迎するけど。寧ろ、面会はないままでもいいし」

「それはちょっと難しいでしょう。自分達の不都合でレイさんに迷惑を掛けているのですから、クエント公爵なら一度は会っておくべきだと思いますよ」

「……そんなものか?」

「ええ、間違いなく」


 自信満々に頷くサマルーンの言葉を聞いたレイは、周囲を見回す。

 すると話の成り行きを見守っていた人々の殆どがサマルーンに同感だと頷きを返してきた。


(正直、本当に堅苦しいのとかは苦手なんだけどな)


 普通であれば、公爵との面会というのは望んでもそうそう叶えることは出来ない。

 クエント公爵との繋がりを作りたいと思っている者にとっては、絶好の好機と言ってもいいだろう。

 そんな者が、もし今のレイの言葉を聞いたりすれば、間違いなく怒り狂う。

 もしくは、代わりに自分がクエント公爵に会いに行くと言うか……


「ま、今日の夜の予定がなくなったんなら、それはそれでいい。何か暇潰しを考える必要はあるだろうけど」

「暇潰しですか? では、僕と魔法について話すというのはどうでしょう?」

「あー……悪いけど、それはちょっと。何回か言ったと思うけど、俺の場合は感覚的に魔法を使ってるんだよ。だから、細かい魔法理論とかを話されても困る」

「ですが、レイさんには魔法の師匠がいるんですよね? その方から色々と魔法理論を教わったのでは?」

「どうだろうな。教わったような、教わってないような……とにかく、そういうのは俺に向いてないってのは事実なんだ。悪いけど遠慮させて欲しい」

「……そうですか。残念ですが仕方ないですね」


 サマルーンも、これ以上無理にレイを誘っても迷惑になるだけだと思ったのだろう。大人しく引き下がる。

 それを見ていた他の教官や職員達は、また始まった……といった表情を浮かべていた。

 それを見ただけで、サマルーンがどれだけ魔法に傾倒しているのか、その会話をしたいのかは明らかだ。


(出来ればそういう会話は俺以外の者として欲しいんだけど)


 レイはそんなことを考えながら、食事を済ませていく。

 そして煮込まれた肉の最後の一口を食べ終わると、その場から立ち上がる。

 それを見た、近くに座っていた男がレイへと声を掛ける。


「うん? もういいのか?」

「ああ。それなりに満足したから、そろそろ部屋に戻るよ。一応教官らしく、どんな風に模擬戦を教えればいいのかを考えておく必要があるだろうし」


 臨時でも何でも、教官として……人に教えるという役目を任されたのだ。

 これまでにも何度か同じようなことをしてきたレイだったが、バスレロに対するものとは教え方が違うし、元遊撃隊の面々に教えたような訓練をするのも難しい。

 特に元遊撃隊の面々にやったような、覇王の鎧や炎帝の紅鎧のようなスキルを使って訓練をしようものなら、鍛えるどころか戦闘意欲そのものがなくなってしまいかねない。

 それも、一時的なものではなく完全な意味での自信喪失……下手をすれば、巨大すぎるトラウマをその身に与えてしまいかねず、そうなれば最悪Sクラスの生徒全員が士官学校を自主退学するということにもなりかねない。


(まぁ、国王派の勢力を弱めるって意味だとそうすればいいのかもしれないけど……俺はダスカー様に協力してはいるけど、別に中立派って訳でもないしな。それに、クエント公爵の一派は綱紀粛正を行う側、即ちまだ腐っていない貴族……の筈だ)


 クエント公爵本人とはまだ会っていないので断言は出来ないが、そもそもクエント公爵が典型的な腐敗貴族であればマルカのような子供がああも自由に育ってはいないだろうという思いもある。


(もっとも、今日の模擬戦でクラス全員が纏めて俺に掛かってきて、傷一つ付けることが出来ずに終わったんだ。その辺を考えれば、十分トラウマを与えた可能性はあるかもしれないが)


 レイの脳裏を過ぎったのは、最高学年の四年Sクラスの面々……ではなく、その後に模擬戦を行った三年Sクラスの面々。

 例によって例の如く、レイを一目見ただけでは教官だとは見抜けず――ある意味では当然なのだが――侮ったまま数人が戦いを挑み、何も出来ないままに地面に沈んだ。

 それからはレイがただ者ではないと悟って真面目に模擬戦に挑んできたが、それでも結局は同じく地面に沈む。

 最終的にはクラス全員で挑み、それでも結局は同じ目に遭う。

 四年の方は最高学年ということで何とか立て直すことに成功したようだったが、三年の中には意思が折れそうになっている者がいるようにレイの目には見えた。


「その辺は明日次第だろうな」

「うん? どうした?」


 レイの口から出た言葉に、近くにいた男が視線を向ける。

 それに何でもないと首を横に振り、レイは食堂を出て行く。

 そのまま二階へと上がり、自分に用意された部屋へと戻ると、そのままベッドで横になる。


「それにしても……鍛えるってのはどうやればいいんだろうな。やっぱりバスレロにやってたように弱点になる場所を指摘していくのが最善か? けど、あの人数全員に毎回弱点を指摘していくとなると、色々と面倒過ぎるだろ」


 バスレロとの模擬戦では、バスレロが一人だからこそあのような手段を使えたのだ。

 だが、今回の場合は四年Sクラス、三年Sクラスで、両クラスともが四十人の定員がしっかりと揃っている。

 その人数全て指摘していくというのはレイにとっても非常に面倒臭いことだった。


「しかも、バスレロと違って生半可に自分の実力に自信を持ってるからな。一応今日の模擬戦でこっちを認めさせはしたけど。それでこっちの言うことをきちんと聞くかと言われれば……どうだろうな」


 そんな風に明日からの授業が結構大変になりそうだと感じつつ……レイは夜を過ごすのだった。






「この男が……大敵」


 暗闇に包まれている中、男はその手紙を読んで驚きの声を上げる。

 だが、すぐにそのまま目を瞑り、心からの思いを込めて呟く。


「全ては聖なる光の女神の名の下に」

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