第922話

 体育館の中に立っているのは、レイとグリンクの二人のみ。

 他の全員は男女関係なく床に座り込み、または倒れ込んでいる。

 その顔に浮かんでいる汗は、身体を動かしたことによる汗というよりも自分達が一方的に負けたというのが信じられないといった思いから出る汗だった。

 疲れというより、目の前の現実が信じられずに床に座り込んでいるというのが正しいだろう。

 最初にレイと戦ったインスラから始まり、レイは四十人の生徒全員と戦い、その全てを倒した。

 それも、全力を出していなかったというのは、戦いぶりを見れば明らかだった。

 生徒達が武器を振るっても、その攻撃がレイに当たるどころか、レイが手に持っている槍に当たることすら珍しかったのだから。

 たまに生徒の振るう武器が槍に当たっても、気が付けばその武器は槍に絡め取られて自分の手の中から消えているという有様。

 そうなっても当然なくなっているのは自分の武器のみで、レイの手には槍が持たれたままな訳で……気が付けば目の前に穂先が突きつけられているのだ。

 いともたやすくそんな真似をされるのだから、四年Sクラス、最高学年で最も成績の高い生徒が集められており、自分達がこの士官学校の中でも最精鋭だという自覚のある者達にとっては悪夢でしかない。

 生徒達の中には、何度己の武器を振るって目の前にある槍の穂先を弾いても、次の瞬間には再びその穂先が自分に突きつけられていたことにより、激しいショックを受けた者も多い。

 槍がどう動けばそんな真似が出来るのか、全く理解出来なかった為だ。

 自分の実力に自信のある者は多かった。

 だがそんな自信はあくまでも士官学校の中だけのものであり、士官学校から一歩外に出れば決して自分達が思っていた程のものではないというのを思い知った者も多い。


「さすがですね、レイさん。この人数を相手にこれだけの戦いを見せるとは。正直、これ程までとは思っていませんでした」


 グリンクの口から出る丁寧な称賛の言葉に、レイが返したのは首を横に振るというものだった。


「そこまで言われる程のものじゃないさ。世の中にはまだ強い奴は沢山いる。そんな奴を相手にするには、まだ強さが足りない。……まぁ、それよりもだ」


 グリンクとの話を一旦止め、レイの視線は床に座り込んで呆然としている生徒達へと向けられる。

 そんな生徒達へと向けられるのは、どこか呆れたような視線。


「お前達、もしかして本当に俺に勝てるとでも思っていたのか? いやまぁ、セトがいないし、俺の得意武器のデスサイズも持ってないんだから、そう考えてしまってもおかしくはないが……これでも俺はランクB冒険者だぞ? その辺のひよっ子に苦戦する訳にはいかないだろ」


 レイの口から出た言葉に、それを聞いていた生徒達は全員が歯噛みする。

 それは倒れていた者も、床に座り込んでいた者も変わらない。

 降ってきた雪が積もるのは当たり前であるかのように、自分が勝つのはまるで大自然の摂理だとでも言いたげな言葉。

 悔しさが心に宿り、中にはレイに対して憎悪に近い感情を抱く者すらいた。

 そんな生徒達を見て、レイは内心で感心する。


(へぇ。あれだけ一方的にやられて、心が折れてる奴は一人もいないか。抱いてる感情の差はあれど、それでもここで誰も脱落しないってのはここのエリートだと言うだけはあるな)


 負けず嫌いというのもあるだろう。もしくはプライドといったものや、それ以外にも多数。それらの感情によって、四十人全員が自らの心が屈服することなくその場に佇んでいた。


(これなら、結構強くなれるかもしれないな。ほんの暇潰しという意味に近かった今回の依頼だけど、こうしてやってみると結構面白いのかもしれないな)


 勝負で負けても心だけは絶対に負けないと視線で告げてくる生徒達に対し、レイは笑みを浮かべる。

 本人としては生徒達に対する面白そうな笑みと考えていたのだが、その笑みを向けられた生徒達にとっては獰猛な笑みと表現すべき笑みだった。

 もしかして、自分達は何か間違ったのでは? 一瞬そう考えてしまうような笑顔。

 その感想が間違ってはいなかったことは、次の瞬間に証明された。


「よし、興が乗った。今やったのは全員と一対一での戦いだったし、次は少し趣向を変えて……」


 レイの口から次にどんな言葉が出る?

 そんな思いが生徒達の中にある中で、その視線を向けられているレイは笑みを浮かべてこう告げる。


「俺一人とお前達全員。一対四十だ」


 一瞬、生徒達はおろか、グリンクまでレイが何を言ったのか理解出来なかった。

 最初にレイがそれを臭わせるようなことを言っていたが、まさか本気でやるとは思っていなかったのだろう。

 そんな中で、当然のように最初に我に返ったのは教官のグリンクだった。


「レイさん、本気ですか? 言うまでもないですが、相手の数が四十人になればその厄介さは格段に上がりますが」

「問題ない。これから模擬戦を行っていく上で、一対一だけじゃなくて多数対多数、一対多数、多数対一といったこともやっていくつもりだから、その予習みたいなものだと思ってくれればいいさ」

「……分かりました。そうですね、レイさんはこれまでにも多くの修羅場を潜ってきたのです。こんなことは私が言うまでもありませんでした」


 小さく頭を下げるグリンクに、レイは気にするなと首を横に振る。

 そうしてグリンクから生徒達の方へと視線を戻すと、そこではつい先程の自信の喪失から立ち直る四年Sクラスの生徒達の姿があった。


「ふざけるな……俺達全員を相手にするだって!?」

「確かに一人ずつでは負けたけど……だからって、この人数を相手にどうにか出来ると本気で思ってるの?」

「俺より年下だが、情けなんて言葉は既に捨てた」

「落ち着け、お前等。そもそも深紅は去年の春の戦争において、たった一人で大勢のベスティア帝国軍を討ち取ったという話だ。つまり、元より大勢を相手にする戦いが得意なんだろう」

「けどそれは!」

「ああ。外の広い場所でなら大きな魔法を使うことも出来るだろう。それに、噂にあるグリフォンや大鎌を持っていない。つまり今の深紅は十分な状態じゃない訳だ」

「……でも、さっきの戦い見たでしょ? 経験したでしょ? 味わったでしょ? 向こうが万全じゃないにしても、こっちは純粋に実力不足なのよ?」

「それでもやるんだよ! あそこまで舐められて、そのままにしておけるか!? 俺達が……この士官学校の最精鋭の俺達がだ!」

「そうだ。実際、深紅の実力は今の状況でも俺達を上回っているのは間違いない。けど、だからって勝ち目がない訳じゃない。深紅だなんだと言っても、結局奴が一人の人間だというのは変わらない。つまり、目は一つしか存在しない」

「そうか! なら後ろとかの死角から攻撃すれば!」

「ああ。多分こっちの攻撃も十分に効果はある筈だ」


 そんな風に話している内容は当然レイにも聞こえていた。

 普通の人間よりも五感の鋭いレイにとって、それは難しいことではない。

 だが、グリンクと会話を交わしつつも、生徒達に何も言わずに自由に話をさせる。

 そうして十分程が経ち……


「さて、そろそろ準備は整ったか?」


 模擬戦用の槍を手に、生徒達へとレイは語りかける。

 その視線には挑発的な色が多分に浮かんでおり、それが更に生徒達のやる気を漲らせる。

 四十人の生徒全員が、手に模擬戦用の武器を持つ。

 生徒達の顔に浮かんでいるのは、敵意、対抗心、追い詰められた表情、闘争心、自嘲、笑み……と、様々な感情。

 ただし、そこに諦めの色は一片たりとも存在していない。

 レイに勝って自分達を認めさせる。

 それだけの思いを胸に、レイの前へと立つ。

 準備万端と態度で示した生徒達に、手にした槍を構える。


「さぁ、始めるか。お前達の足掻きを俺に見せてくれ。どうしようもない強大な敵に会ってしまった時、どうするのか。それはこれから騎士や冒険者になるだろうお前達にとって、必要なものの筈だ」

『……』


 レイの言葉に返ってきたのは、無言。

 だが、生徒達から放たれている雰囲気は、諦めとは無縁のものだ。

 それを確認し、満足そうに頷いてからレイはグリンクへと視線を向ける。


「グリンク、頼む」

「分かりました。双方、相手に対する致命傷は与えないようにお願いします」


 双方と言ってはいるものの、グリンクの視線が向けられているのはレイだ。

 当然今の注意も、生徒ではなくレイに向けられているのだろう。

 生徒達の方もそれを不満には思うが、先程の模擬戦で格の差を思い知らされた為に口答えはしない。

 それよりも、今は少しでもレイの隙を窺って何とか勝機を見出す方が先立った。


「始め」


 グリンクの口からその言葉が漏れた瞬間、その場にいた生徒達は一斉に動き出す。

 無意味にレイの方へと向かうのではなく、前もって行われた打ち合わせ通りに皆それぞれが動く。

 ある者は真っ直ぐにレイへと向かって囮になる為に、またある者はそれを援護するために弓を構えて矢を――鏃が丸まっている模擬戦用の物だが――放ち、またある者はレイを包囲するような位置へと向かう。


「多人数での戦い方は中々堂に入ってるな」


 そう告げるレイだったが、基本的にレイの戦闘というのは誰かと協力して行うということが殆どない。

 セトと協力することは多いが、魔獣術で生み出されたセトと他の冒険者を一緒には出来ないだろう。

 普通の冒険者であればレイとの実力差が大きく、冒険者が足手纏いとなり、レイも又そちらに意識を割かなければならない。

 かといって、レイと共に行動出来るだけの実力を持っている冒険者となると、その数は少ない。

 結果的にレイが他の冒険者と共に行動するのは、それなりに珍しいことだった。


「もっとも、所詮は学生。まだまだ甘いけどな」


 囮役の生徒が、真っ正面から自分目掛けて振り下ろす長剣の一撃を槍の穂先で受け止め、同時に受け流す。

 槍の柄に沿って攻撃を受け流したところで、そのまま長剣の刀身を絡め取り、右斜め後ろから長剣を振るおうとしていた男へと絡め取った長剣を投げ飛ばす。

 そのまま槍を引き、背後から襲い掛かって来た女の槍の一撃を石突きで弾き、手首の動きだけで強引に槍の動きを変えて女の足下を掬って地面に転ばせる。

 ただ地面に転ばせただけではなく、レイへと向かってきていた男の進路上にその身体が転がった為、レイの隙を突こうとしていた男は女を踏む訳にもいかず、無理に着地地点を変更し……一瞬の行動の遅れがレイの行動を見逃した。

 横薙ぎに振るわれた槍の柄により男は真横に吹き飛ばされ、吹き飛ばされた先にいた男を巻き込みながら地面へと崩れ落ちる。


「どうした? もっと本気で掛かってこい!」


 その言葉に生徒達の攻撃はより一層激しくなるのだが、レイへとその攻撃が当たることは一切ない。

 いや、それどころかレイが手に持っている槍で攻撃を防ぐという行為すら滅多に行われず、殆どの攻撃が回避されてしまう。

 そして少しでも攻撃の手を緩めると、レイの放つ槍の一撃により吹き飛ばされて意識を失い、そこまでいかなくてもダメージが大きくて立ち上がることが出来ない。

 それでいながら、致命的な一撃を放っていないのはレイにまだ大きく余裕があるという証なのだろう。


「くそっ、全員もっとしっかりと奴を攻撃しろ! 完全に遊ばれているぞ!」


 叫ぶのは、最初にレイと模擬戦をしたインスラ。

 Sクラスの中でも上位の実力を持っているのだが、それでもレイにとっては誤差の範囲内でしかない。

 インスラが叫びながら振るう長剣の刃は、当然のようにレイへと触れることなく空気を斬り裂くのみで終わる。

 長剣の一撃を潜り抜けるようにして回避しながら、インスラの横を通り過ぎつつ、手に持っていた槍を振るう。

 石突きの部分がインスラの背後から襲い掛かって右肩に後ろから当たり、そのまま前方へと吹き飛ぶ。


「残りは……六人か」


 気が付けば、既にまだ立っていて意識を残しているのは六人のみ。

 これまでの戦いでレイの戦いぶりを見て、圧倒的な実力差を改めて理解したのだろう。今、レイに向ける視線には模擬戦が始まった当初の闘争心に満ちた視線は既にない。

 それでも諦め切れず、ただではやられてなるものかと全員が示し合わせて一気に襲い掛かり……そのままレイの振るう槍により地面に転がされ、意識を失い、または打撲の痛みで立てなくなる。


「ま、こんなものか。……ただ、予想していたよりも随分と健闘したな。この学校の最精鋭と言われるだけはある。……けど、所詮は学生の中での最精鋭。実際の戦いと比べると大きく違うというのは、今の戦いで理解出来たと思う。明日からはもう少し厳しく行くから、今日どこが駄目だったのか、それをどうすれば直せるのかというのをきちんと考えるように。気を失っている奴にもその辺は言っておけ」


 そう告げ、レイの初日の四年Sクラスの授業は終わるのだった。

 ……この後、レイが担当するもう一つのクラス、三年Sクラスでも同じような授業を行い、力の差を示すことになる。

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