第925話

 レイが士官学校で模擬戦の教官を始めてから数日、その日も四年Sクラスの生徒達は体育館へと向かっていた。


「あー……嫌だな。今日もレイとの模擬戦か。一発当てれば模擬戦の授業は最高評価にして貰えるって話だけど、どうやったって当てられる気がしねえ」

「そうよね。今まで何度となく攻撃を仕掛けたのに、かすった人さえいないんだし。本当にあの人って人間なのかしら? どう考えても、人間以外の何かでしょ」

「だよな。大体、後ろから飛んできた矢を、何も見ずに槍で叩き落とすんだぜ? 死角から攻撃しても駄目って、どうしろってんだよ」

「分かる分かる。でもそれって遠距離攻撃の矢だからまだいいのよ? 私なんか短剣で攻撃したら即座にカウンターをくらうもの」

「それを言うなら、魔法を使おうとした僕はどうなるんだよ。詠唱しているとすぐに突っ込んで来るんだぞ。前衛が守ってくれれば、まだ魔法を使って何とか出来るかもしれないのに」


 ローブを着て杖を持つという、典型的な魔法使いの格好をした生徒が愚痴るように言うと、それを聞いていた他の生徒達――主に前衛系――が不満そうに口を開く。


「それこそ無茶いうなよ。ただでさえ背が小さいせいで攻撃が当たりにくいのに、馬鹿みたいに素早く動けるんだぞ? 何とか止めようとしても、あっという間にすり抜けていかれるんだからな」

「そうそう。あの素早さは羨ましいよね。同じ戦士としては見習いたい」

「いや、確かただの戦士じゃなくて魔法戦士だろ? 模擬戦では魔法を使ってないけど」

「魔法か。そうなんだよな。深紅で有名なのって戦士としての腕じゃなくて、魔法なんだよな。それとグリフォン」

「グリフォンかぁ……ランクAモンスターってどんなんだろうな。一度見てみたいとは思う」

「うげぇ。ランクAモンスターだろ? どう考えても厄介ごとの臭いしかしないだろ」

「私もごめんよ。大体ランクAモンスターとか、本職でも厄介でしょ」


 そんな風に言い合いながら体育館に入った四年Sクラスの生徒達を待っていたのは……


「グルルルルルルルルゥッ!」


 久しぶりに厩舎の外で自由に身体を動かせると喜んでいる、セトの姿だった。

 この二年程でセトもそれなりに成長しており、以前は体長二m程だったその身体も、今では体長二m半ば程にまでなっている。

 それだけの大きさのグリフォンをいきなりその目で見てしまったのだから、四十人の生徒達の動きが固まるのも無理はなかった。


「グルゥ?」


 あれ? どうしたの? と首を傾げるセト。

 セトの性格や愛らしさを知っている者にとっては可愛らしい仕草だが、グリフォンという存在を初めてその目で見る生徒達にとっては、まるで睨み付けられているようにしか思えなかった。

 驚愕、恐怖、畏怖といった感情で動きを止めた四年Sクラスの生徒達へ向かい、最初に口を開いたのは当然のようにセトの横に立っているレイ。


「良く来たな。今日の模擬戦は見ての通りセトに手伝って貰う。グリフォンということで色々と恐怖心があるかもしれないが、その辺は安心しろ。セトは基本的に人懐っこい奴で、本格的に敵対しなければ本当の意味で攻撃されることはないからな」

『……』


 レイが説明をしているが、生徒達はそれを聞くどころではない。

 下手をすればその場でパニックになりかねない程に動揺していた。

 それでも本格的にパニックに陥って騒ぎ出さなかったのは、レイがいつもと変わらぬ様子で全く動じていないということや、セトがそんなレイに頭を擦りつけて懐いている様子を見せていること、そして本来の自分達の教官でもあるグリンクが特に動じた様子を見せていないことが大きいだろう。

 グリンクも最初にレイがセトを連れて来たのを見た時は、珍しく大きな驚きの表情を浮かべていたのだが。

 エリンデからしっかりと許可を貰っているというのを聞かされては納得するしかなかった。


(それに……)


 生徒達の一人が視線を体育館の端へと向ける。

 そこにいたのはサマルーン。

 興奮した面持ちでセトの様子をじっと観察していた。

 魔法に興味のあるサマルーンだったが、レイの従魔ということもあってセトに対しても強い興味を抱いている。

 そんな教官達の姿のおかげで、生徒達はパニックになることはなかった。

 もっともサマルーンが体育館の隅にいるというのは、気が付いてもない者も多数いたが。


「さて、本来ならいつものように五人一組でセトと模擬戦をやって貰うつもりだったんだが……」


 ビクリ、と。

 レイの言葉を聞いた生徒達が反射的に竦む。 

 当然だろう。四年のSクラスの生徒というのは、大体がランクE冒険者相当の実力の持ち主だ。

 つまり、今レイが言ったのは、ランクE冒険者五人でランクAモンスターのグリフォンに勝負を挑めというのに等しい。

 とてもではないが、士官学校の生徒に出来ることを越えていた。

 もっともそれを言うのであれば、曲がりなりにもランクS冒険者とやり合えるだけの実力を持つレイとの模擬戦も相当なものなのだが……それでもレイは見た目が人間であるというのが大きかったのだろう。


「ちょっ……」


 生徒の一人が思わずといった様子で叫びそうになるが、それを遮るようにレイは再び言葉を放つ。


「ただ、それだとあんまりだという意見がグリンクから挙がった」


 レイの口から出た言葉に、生徒達は感謝の視線をグリンクへと向ける。

 もっともそんな視線を向けられた本人はどこか複雑な思いを表情に浮かべている。

 だがそんな生徒達の安堵の入り交じった視線も、次にレイの口から出た言葉に再び凍り付く。


「それに、俺がこのクラスで最初の授業で行ったのも一人ずつの模擬戦だったし……」


 もしかして、一人でグリフォンと戦えと言われるのか? 生徒達は全員がそんな思いを浮かべ、顔色が青や白へと変化していく。

 それは、貴族としてのプライドが高く、レイに対しても決して自分より上位の存在だと認めない、認めたくない貴族出身の生徒達……特に最初にレイと戦ったインスラも同様だ。


「ただ、それもグリンクに止められた。それで話し合った結果、最終的には四年Sクラス全員とセトの戦いを行うことになった」


 そんなレイの言葉を聞いた生徒達は安堵の息を吐く。


「ぜ、全員……五人でも、ましてや一人でもなくて、全員。それなら何とか……」

「そ、そうだな。この人数でなら何とかなりそうだ」


 生徒達の言葉に、レイは唇の端だけを曲げるような小さな笑みを浮かべる。

 最初に大きすぎる要求を出し、それに驚いたところで若干譲歩したように見せ掛けて本来の要望を通す。 

 使い古された、陳腐と言ってもいいような手法だが、それでも最初にグリフォンというランクAモンスターを持ってきたことにより強い衝撃を受け、レイの思い通りの展開になってしまった。

 そして、更に生徒達が我に返るよりも前にレイは口を開く。


「知ってる奴がいるかどうかは分からないが、セトはただのグリフォンじゃなくて希少種だ。本来なら幾つものスキルを使えるんだが、今回は特別にスキルの使用をなしにしてやる」

『……』


 レイの言葉に、生徒達は何を言うことも出来ない。

 通常のグリフォンですら、一生に一度見ることが出来るかどうかといったランクAモンスターなのだ。

 そのランクAモンスターで更に希少種ということになれば、扱い的にはランクSということになってしまう。

 その辺を考えれば、とてもではないがまともに自分達が戦えるとは思わなかった。

 だが、レイはそんな生徒達を余所に、口を開く。


「よし、じゃあやるぞ。準備はいいな?」


 レイが視線を向けて尋ねたのは、レイにとっても色々な意味で縁があり、指名しやすい生徒でもあるインスラ。

 いきなり視線を向けられたインスラが驚愕の表情を浮かべているのをよそに、口を開く。


「ほら、他の奴等もすぐに模擬戦の準備をしろ。……どうした、準備しなくてもいいのか?」


 未だにインスラが唖然としているのを見たレイが、視線を体育館の隅に置かれている模擬戦用の武器の入った籠へと向ける。

 それに気が付いたのだろう。生徒達はこれ以上何を言っても模擬戦を止めることは出来ないと判断し、慌てて武器を取りに行く。 

 そして全員が自分の武器を手にしたのを見たレイは、久しぶりに身体を動かせると嬉しそうにしているセトの身体を軽く叩く。


「よし、では模擬戦始め!」

「グルルルルゥッ!」


 レイの言葉と共に、セトは床を蹴って一番近くにいた武器を構えている生徒達の方へと向かう。

 だが、武器を構えはしたものの、体長二m半ばのグリフォンが真っ直ぐに自分達の方へと向かって突っ込んで来るのだ。

 その迫力は相当なものと言ってもいい。

 これが、突っ込んで来るのがレイであれば自分達と同じ人型だということで幾らか対応は出来ただろう。

 しかし向かってくるのがグリフォンともなれば、どうしても動揺してしまう。


「うっ、うわあああああぁぁぁぁっ!」


 最初に我慢出来なくなったのが、長剣を手にした前衛の一人。

 前衛だからこそセトと真っ先にぶつからなければならず、その緊張感に耐えきれなかったのだろう。

 セトへと向かって模擬戦用の長剣を振り下ろす。


「グルルルゥ!」


 その一撃を、床を蹴って回避したセトは、そのまま男から距離を取る。

 本来であれば前足の一撃を食らわせればそれで男は気絶していたのだろうが、今回の場合はレイからあっさり相手を倒さないようにと言われていた為、様子見をしている形だ。


「いける? いけるぞ、向こうは本気を出していない。今のうちなら何とかなる!」


 インスラが叫び、その言葉を皆が信じて……信じ込むようにして、セトへと向かって攻撃を仕掛ける。

 長剣、槍、ハルバード、弓、その他諸々。

 それぞれが必死にセトへと向かって攻撃を仕掛ける。

 それはまるで、少しでも相手に攻撃する隙を与えれば自分達は一気に倒されてしまうという、強迫観念でもあるかのような攻撃だった。


(もっとも、それは間違っていないんだけどな)


 ハルバードの横殴りの一撃を、前足であっさりと床に押しつけて止めたセトを見ながら、レイは内心で呟く。

 今のやり取りを見れば分かる通り、この士官学校に通っている生徒の攻撃でセトに対して有効なダメージを与えるというのはまず不可能だ。

 それでもこうしてセトを生徒達と戦わせているのは、セトと自分の触れ合う時間が少なくなっているという思いや、セトの運動不足を少しでも解消してやりたいという思いもあるが、何より生徒達が自分達よりも明らかに格上の敵と遭遇した時に混乱しないように、というのが大きい。

 それを理解しているからこそ、グリンクもレイがセトを模擬戦の相手にするといっても反対せず、こうして大人しく受け入れていた。


「……酷いですね」


 小さく呟くグリンクの声に、レイは首を横に振る。


「そうでもないだろ。寧ろ、俺から見ればセトを相手にして勝負を挑むだけの気概があったことに驚いたけどな。てっきり怖じ気づいて逃げ出す奴もいるかと思ったし」

「それを言うのであれば、褒めるべきはハズスルでしょうね。……ああ、最初にセトに斬り掛かった生徒です」

「ああ、インスラの近くにいた。……あの男が破れかぶれでもセトに攻撃して、そのおかげで緊張が解消されたってのは事実だったな」


 レイの脳裏を、破れかぶれという感じにセトへと斬り掛かった生徒の姿が過ぎる。

 ……もっとも、その生徒は現在長剣を振るおうとしてセトの尻尾で足を掬われて転んでいたが。

 その上に後ろ足の一撃を食らって吹っ飛んでいく。

 幾ら手加減しているとしても、セトの……それもマジックアイテムで膂力が強化された状態の一撃だ。

 ある程度の技量を持っている者ならともかく、一介の生徒がその攻撃を食らって受け流したり出来る筈がなかった。

 結局長剣を持っていた生徒は、そのまま床を数度バウンドしながら端に退避している生徒の方へと吹き飛んでいき、気を失う。

 既にセトの一撃を食らっている者もおり、立っているのは半分近くまで減っている。


「グルゥ?」


 行くよ? と喉を鳴らすセト。

 もっとも、そのセトがどういう意図で喉を鳴らしているのかを知ることが出来るのは、ここにはレイ一人。

 ここがギルムであれば、セトは皆に可愛がられている為、多くの者が何となくセトの意思を理解出来るのだが。

 特にセト好きとしては他と一線を画す女二人は言うまでもない。


「こっ、来い! 貴族たる者、敵に背を向けたりはしない!」


 インスラが長剣を手にセトへと告げるが……それを合図だと判断したのだろう。セトは一気に床を蹴って真っ先にインスラ……ではなく、その背後の弓を持つ女へと向かって前足の一撃で意識を失わせ、続いて後ろ足の一撃で槍を持つ男の意識を失わせ、最後に尻尾を振ってインスラの手から長剣を弾く。

 手に武器のなくなったインスラは、それでも何とか抗おうとしたが……結局はセトの一撃により意識を失う。

 そして……このあまりに一方的な展開は、他の生徒達全員がその身で味わうことになる。

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