第921話
「なぁ、知ってるか? 今日から俺達の模擬戦の為に特別な教官が呼ばれたんだってよ」
「ああ、聞いた。けど、どんな奴だろうな? わざわざ呼ぶってことは、相当に腕に自信のある奴だろうし」
「ふんっ、私から見ればどのような相手でも変わらんさ。ただ、希望出来るのであれば下賤の者でなければいいのだが」
「ちっ、またインスラだぜ」
「放っておけよ。実際、あいつは言うだけの実力がある。学校を卒業したら騎士団に入るのは決定してるんだからな。……どうせなら、今から取り入ったらどうだ?」
「ごめんだね。何だって俺があんな腐れ貴族に。そもそも、俺は学校を卒業したら冒険者になるんだから騎士団なんかに興味はねえよ」
「ちょっと、声が大きいわよ! ほら、インスラが睨んでるじゃない」
「話題を変えようか。……で、結局模擬戦の相手ってのはどんな人なんだろうな」
「話題、変わってないぞ。寧ろ戻ってる」
そんな風に話しているのは、士官学校の敷地内にある建物の中の一つ。
冬や雨の時に運動をする、いわば体育館だった。
公爵家の騎士団へと続く士官学校だけに、体育館の中はマジックアイテムの力で暖められ、外が冬だとは思えない程に快適な空間となっている。
そこにいる生徒達は殆どが十代後半で、中には二十代の生徒の姿もある。
入学した年齢がそれぞれ違う為、こういう事態になっていた。
Sクラスということで、この士官学校の中でも能力の高い生徒が揃っているのだが、それ故に自分達の力を過信しているところもある。
勿論それはこの学校の中だけであり、学校を卒業して騎士なり冒険者なりになれば挫折を味わうことも多いのだが。
「来たっ!」
騒いでいた生徒達の内、一人が鋭く叫ぶ。
同時に、体育館の出入り口へと視線が集中する。
やって来たのは、二人の人物。
片方は模擬戦の教官の一人でもあるグリンク。
スキンヘッドに筋骨隆々の姿は、一目見れば強い印象を残す。
そしてもう一人は……とその場にいた全員の視線がグリンクと一緒に来た人物の方へと向けられると、あからさまに失望の声が上がる。
いや、中には嘲笑を浮かべている者すらいた。
あんな小柄な人物が模擬戦で自分達を相手に何か教えることが出来るのかと。
レイを見た時の、典型的な反応だった。
ある程度以上腕の立つ者がいれば、レイの物腰からその強さを測ることも出来ただろう。
だが、この場にいるのは腕利きではあっても、所詮一つの学校の中だけでの話でしかない。
レイとの力の差は圧倒的だと、それを理解出来る者は誰もいなかった。
「おいおい、本当にあいつが新しい教官なのか? 模擬戦の?」
「……何だってあんな奴を?」
「まぁ、ローブを着てるって事は、多分冒険者か何かなんだろうけど……ちょっと強そうには見えないな」
自分達の周囲にいる者だけに聞こえるような、小声で言葉を交わす生徒達。
それはレイに配慮したものではなく、グリンクに配慮したものだ。
侮り、疑問、優越感。様々な視線をレイへ向けられているのを知りつつ、それでもグリンクは何も言わずにレイを引き連れて生徒達の前に立つ。
グリンクとしては、ここで何を言っても殆ど無意味であるというのは理解していた。
ならば自分がここで何かを言うより、実際にその目で実力を理解させるのがグリンクにとっても手っ取り早くレイの実力を証明出来るだろうと。
並んでいる生徒達を一瞥し、そこに欠席者がいないことを確認して口を開く。
「さて、Sクラスの生徒全員いるようですね。今日は授業の前にこの方を紹介しましょう」
グリンクの口から出た『この方』という呼び名を聞いた生徒達全員が驚きの表情を浮かべる。
当然だろう。この場にいるのはSクラスの生徒のみではあっても、全員が未だにグリンクに勝ったことがないのだから。
そのグリンクがこのように丁寧に紹介するということは、これまでになかった為だ。
その外見に似合わず紳士的な性格をしているグリンクだが、それでもこうして紹介をするということはまずなかった。
「これから数ヶ月……具体的には春までの短い間ですが、模擬戦の授業を私と共に担当することになった、レイさんです」
そう聞かされても、その場で反応出来る者はいない。
ただ視線の先にいるのが誰なのかというのを、疑問に思っているだけだ。
「レイさん、お願いします」
「分かった」
グリンクに促され、レイはフードを降ろしながら一歩前に出る。
その顔を見た瞬間、生徒達の殆どがどう反応すればいいのか迷う。
当然だろう。視線の先にいたのは、自分達と同年代……いや、明らかに年下だったのだから。
戸惑いの視線を一身に向けられたレイだったが、自分の外見でそのような態度を取る相手はこれまでに何度もいたので、特に気にした様子はなかった。
もっとも、中にはレイを見て好みの相手だと思う女もいたのだが、その感情を表には出したりはしていない。
……一部の特権意識を剥き出しにした貴族の生徒はそんなレイの姿に苛立ちを覚えていたのだが、レイはそんなのは知ったことではないと口を開く。
「レイだ。……そうだな、これだけだと俺がどんな人物なのか分かりにくいか。ランクB冒険者、深紅のレイ。こう言えば俺が誰なのかは分かって貰えると思う」
深紅という言葉がレイの口から出た瞬間、その話を聞いていた生徒達がざわめく。
教官のグリンクがいるというのに、それを忘れたかのようなざわめき。
目の前にいるのが、生きた伝説とも呼べる存在なのだと知ったのだから当然だろう。
「おい、深紅って……本当か?」
「知らないわよ、そんなの。でも聞いた話だと深紅ってグリフォンを従えてるんじゃなかった? どこにもいないけど」
「それを言うなら、大鎌を持ってるって話だっただろ? それも持ってないぞ? ってことは、出鱈目?」
「それこそまさかでしょ。グリンク先生が名前を騙ってるような人を相手にすると思う? それに、こうして先生として私達の前にいるってことは、学園長も会ってる筈でしょうし。あの学園長を騙すなんて……そんなことが出来ると思ってないわよね?」
「だから先生じゃなくて、教官……いやまぁ、いいけど。学園長に見つからないように誤魔化してきたとか?」
「……本気で言ってる? 大体、もしそんな真似をしても、学園長の使い魔にあっさり見つけられるだけよ」
学園長が小鳥を使い魔として学園内を飛び回っているというのは、有名な話だった。
本人は学園の中を見回っているだけだと言っているのだが、それを信用している者がどれだけいるのか。
理由はともあれ、実際に学園長の使い魔の小鳥が学校の敷地内を飛び回っているのは事実。
その目を盗んで怪しげな人物が学園の敷地内に堂々と入ってこられるかと言えば、学園長という人物を知っている者であれば殆どが否と答えるだろう。
事実、年に何度か学校の敷地内に入ろうとした不審人物が捕らえられているという実績もある。
その辺りを考えれば、目の前にいるのは本人が口にした通り深紅の異名を持つ冒険者であると考えざるを得なかった。
中には学園長の前では別の名前を名乗り、ここで深紅の名前を名乗っているのでは? と思った者もいたが、そんな真似をしても何の意味もないだろうとすぐに否定する。
そんな風に半ば混乱していると表現してもいい生徒達を一瞥し、レイは再び口を開く。
「さて、こうして見ても俺が本物だと信じられない者が多いらしい。……実際、それはしょうがないことだとも思っている。そこでだ。手っ取り早く俺が本物だと信じさせる為、模擬戦を行いたい。俺が模擬戦の教官をする以上、生徒であるお前達の実力をきちんと知っておきたいというのもあるしな」
レイの口から出て来た言葉に、生徒達は一瞬黙り込むもののすぐに反感を露わにする。
明確に言葉に出さない者でも、浮かべている表情はとてもではないが友好的なものではない。
予想以上の鼻っ柱の強さに、寧ろレイの方が驚きの表情を浮かべていた。
もっとも、それは相手の実力を測れない生徒達に対する驚きも大分含まれていたのだが。
「いいだろう、ならばまず最初に俺が相手をして貰おうか。お前が本当に深紅だと言うのであれば、それこそ俺にとっても願ってもないことだ。だが……もし口程にも実力がないのであれば、謝るだけでは済まさんぞ!」
叫んだのは、見るからに貴族だろうと想像出来る男。レイは知らないが、生徒達からインスラと呼ばれていた男だった。
何故なら、身につけている金属鎧はどう考えても学生が身につけるような代物ではないからだ。
ランクC冒険者が装備していてもおかしくないだろう装備。
(技量がそれに見合ってなければ、意味はないけどな)
この場にいる中でも、腕に自信はあるのだろう。それは、数秒前の口上を聞けば明らかだ。
だが……それでも腕が絶望的に足りない。
「いいだろう、なら相手をして貰おうか。グリンク、模擬戦の武器は?」
「向こうに……君達、悪いけど持ってきて下さい」
グリンクが生徒に告げると、その生徒は周りにいる生徒達数人と共に、体育館の壁際に置かれていた籠を持ってくる。
そこには長剣や槍、バトルアックス、ハルバードといったような武器が幾つも入っていた。
ただ、当然模擬戦用の武器ということで刃は潰されている。
……もっとも刃が潰されていも、金属で出来た武器は重く、それだけで鈍器となる。
もしレイがその腕力でこれを振るえば、それは必殺の凶器になるだろう。
そんな武器を構え……先程レイに向かって模擬戦を挑んできた男の様子を見て、ふと気が付く。
「うん? どうした? お前達全員に模擬戦を挑んだつもりだったんだが?」
『なっ!?』
何気なく呟かれたレイの言葉に、生徒達全員が驚愕の声を上げる。
当然だろう。自分達は四年のSクラス。
つまり、この士官学校の中で最も腕の立つ存在だ。
それこそ、クラス全員で掛かってもいいということになれば、グリンクですら倒すことは出来るだろうという思いがある。
また、それは事実でもあった。
だというのに、今目の前にいる男は自分達に纏めて掛かってこいと言ったのだ。
それは、生徒達にとっては信じられないことだった。
もっともそう思っているのは生徒達だけであり、グリンクは無言でレイに同意していたのだが。
ここに本当の意味での実戦を経験したことのない者の弱みがあった。
今まで実戦は経験していても、それは自分達が圧倒的に有利な状況での戦いが多い。
そもそも辺境でもないのでモンスターの数は多くないし、グラシアールのように栄えている場所の付近にいる盗賊は狡猾で、そうそう尻尾を出さない。
そうなれば、どうしても戦うべき相手には不足することになってしまう。
「ふざけるなよ、幾ら何でもこの人数を相手に……」
「問題ない」
生徒が持ってきた籠の中から、レイが手に取ったのは槍。
レイが最も得意としている武器は、言わずと知れた大鎌のデスサイズだ。
だが、そんなマイナーな武器が模擬戦用に用意されている訳がなく、大鎌の次に良く使う槍を手に取る。
もっとも、レイの槍の使い方というのは投擲が主であり、槍を普通に使った戦い方というのはそれ程経験がない。
それでも目の前で模擬戦用の長剣を手にしている男程度であればどうとでもなると判断し、手に持った槍を構える。
「来い。単独で俺と戦っても意味はないってのを、実力で教えてやるよ」
「ふざけるなぁっ!」
レイの言葉に、我慢も限界だったのだろう。インスラは長剣を大きく振りかぶってレイへと振り下ろ……す前に、ふと気が付けばレイの持っている槍の穂先の先端が顔へと突きつけられていた。
「あ?」
何が起きたのか分からなかったのだろう。インスラは間の抜けた声を口から発する。
本人は全く何が起きたのか理解出来なかったが、それは周囲で今の一連の動きを見ている者達にしても同様だった。
ちょっと何かが素早く動いたかと思った次の瞬間には、いつの間にかレイの手に握られていた槍の穂先がインスラの顔に突きつけられていたのだから。
「どうした? もう終わりか?」
「っ!? 違う! 今のは俺が油断しただけだ!」
「そうか。ならもう一度やってみるか」
突きつけていた槍を手元へと戻し、レイはインスラから数歩離れる。
それが、仕切り直しの合図だと気が付いたのだろう。インスラは再び手に持っていた長剣を構える。
ただし、その表情に浮かんでいるのは先程までのような怒りではない。
目の前にいるのが本当に深紅と呼ばれている男なのかどうかは分からないが、それでもかなりの腕の持ち主であるというのは理解した為だ。
そうである以上、変に侮っても自分が不利になるだけ……と、インスラは意識を切り替える。
「はあああぁぁぁぁっっ!」
気合いの声と共に足を踏み出し、レイへと向かって長剣を振り下ろす。
「遅い」
だがインスラにとっての渾身の一振りは、レイにとって欠伸が出る程……というのは多少言い過ぎだが、とてもではないが強力な一撃という訳ではなかった。
振り下ろされた長剣の刃を槍の穂先でそっと受け止め、衝撃を殺すようにして絡め取り……インスラが気が付いた時には自分の手の中に長剣の柄はなく、槍に絡め取られた長剣は空中を舞っていた。
そのままの返す動きで槍の穂先を目の前に突きつけられ……インスラは完全な敗北を体験することになる。
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