第914話
「イスケルド様……イスケルド様だ!」
「な、何でこんな所にクエント公爵領の騎士団長がいるんだ!?」
「知るか。それこそ、あのモンスターを倒しにきたんじゃないか?」
「いや、依頼でどうこうって言ってなかった?」
「ああ。確かに言ってた。俺は聞いたぞ」
「じゃあ、やっぱりあのモンスター……グリフォンは敵じゃないってこと?」
「だろうな。それにもし敵であっても、イスケルド様がいればどうとでもなるような気がしないか?」
「それは否定しない。国王派の中でも最強に近い存在だし」
「寧ろ、イスケルド様とやり合えるだけの力を持った人物が複数いる辺り、国王派って強いよな」
聞こえてくる周囲の声に、イスケルドは内心で安堵の息を吐く。
自分が噂されるのはあまり好まないのだが、それでも住人が混乱から脱したというのは僥倖と言ってもよかった。
二mを優に越えるその巨体は、人によっては巨人のように見える者もいるだろう。
身長が高いだけではなく、身体に密度の濃い筋肉が詰まっており、その顔も精悍と呼ぶに相応しい顔立ちだ。
三十代半ば程の年齢ではあるが、これまでに潜り抜けてきた戦場の数々は軽く百を超えると言われてもすぐに納得してしまうだろう雰囲気。
クエント公爵騎士団の団長を務めるそんな男が門に姿を現したのだから、皆が驚くのも無理はない。
その存在感は、セトと共に門へと近づいてきたレイにも容易に感じ取ることが出来た。
(へぇ。……強い、な。それこそランクAくらいの力は持ってそうだ)
ランクA相当の相手を見ても平静を保っていられるのは、やはりそれ以上の……ランクSのノイズと戦ったという経験があるからこそか。
実質的には見逃されたという思いも強かったが、それでもノイズと渡り合ったのは事実。
だからこそ、イスケルドという存在を目の前にしても特に動揺することなく話し掛けることが出来る。
「レイだ。依頼を受けてやって来たんだが……」
「うむ。その話は聞いている。だからこそ騒ぎにならないようにこうして出迎えに来たのだからな。付いてこい」
レイを一瞥し、セトの存在を間近にしてもイスケルドは動揺した様子もなく告げる。
お互いが相手は強いというのは理解し、それでもお互いが普段とは変わりない様子で言葉を交わす。
「……中に入る手続きの方は?」
「こっちでやっておく。ああ、一応ギルドカードを見せてくれ」
「分かった」
ミスティリングの中から取りだしたギルドカードをイスケルドへと手渡すと、あっさりと手続きは終わる。
ギルドカードと共に渡された従魔の首飾りをセトへ掛け、二人と一匹はグラシアールの中へと入っていく。
「すまんな。ここまで皆が注目するとは思わなかった」
「別にいいさ。セトと一緒にいれば、こんな視線は付きものだし」
「グルルゥ?」
自分の名前を呼ばれたセトが、どうしたの? とレイとイスケルドの方へと視線を向ける。
円らな瞳で真っ直ぐに自分を見てくるセトは、グリフォンであると知っていても敵対心を抱くことが出来ない。
見ただけでその愛らしさを理解してしまうと、イスケルドはその精悍な顔に小さく笑みを浮かべて口を開く。
「深紅とその従魔のグリフォンというから、どれ程の化け物がくるかと思っていたのだが……まさかこのような愛らしい存在が来るとは思わなかった」
「基本的にセトは人懐っこいからな。敵対する相手に対しては別だけど、そういうところは俺と似ているのかもしれないな」
「……それが分かっているのであれば、もう少し加減をすればいいものを。今回の件は確かに国王派……と言いたくはないが、一応その国王派の貴族の横暴が原因だ。だが、それをここまで大きくしてしまった理由の一つはお前にもあるのではないか?」
「さて、どうだろうな。ただ、俺が手を出さないと国王派の貴族の悪名がギルムで広まったのは確実だと思うぞ。元々、俺と揉める前にも色々と騒ぎを起こしていたらしいし」
お互いに言葉を交わしながら進んでいくと、やがて門を潜り抜けてようやくグラシアールの中へと到着する。
「へぇ。……随分と発展してるな」
「当然だろう。クエント公爵の本拠地なのだから」
そう答えながらも、やはり自分の住んでいる場所を褒められて悪い気はしないのだろう。イスケルドは自慢げな笑みを浮かべる。
グラシアールという都市は、純粋な規模で言えばギルムよりも明らかに上だった。
まず何より、人の数が違う。
ギルムも辺境にある唯一の街として十分以上に栄えてはいたが、レイの目の前に広がっているのはギルムの数倍は人の数がいるのではないかと思える程だ。
(辺境伯と公爵の違い、辺境と平穏な場所にある違いと言えばそこまでだけど、これは正直凄いな)
感心しながらグラシアールの様子を見ていたレイだったが、ふとギルムを出る前にマルカから貰った手紙のことを思い出す。
「そう言えば、マルカから門番の警備兵に渡すように手紙を預かったんだけど、お前のような大物が来たってことは必要なかったな。えっと……イスケルド、だったか?」
「……ああ、紹介がまだだったか。俺はイスケルド。クエント公爵騎士団の騎士団長を勤めている」
「レイだ。ギルムでランクB冒険者をやっている」
続いて自己紹介をするレイだったが、イスケルドはそんなレイに向かって苦笑を浮かべる。
普段は精悍な顔つきなのだが、苦笑を浮かべると不思議な程に若く見えた。
「知ってるよ。寧ろ、今のミレアーナ王国の中でレイを知らないなんて奴がいたら、それはモグリと言ってもいいだろ」
数秒前までの言葉遣いとは違う、堅苦しさの抜けた言葉遣いに一瞬驚いたレイだったが、それには特に言及せずに言葉を返す。
「……その割りには、国王派に所属しているキープは知らなかったようだが?」
嫌なところを突かれた、とイスケルドは微かに眉を顰めて口を開く。
「奴は色んな意味で例外だ。そもそも、あのような慮外者を楔としてギルムに送り込むなどというのは、陰謀としても下の下。……寧ろ、国王派に損害を与えるという意味の陰謀だったら有能な者だと思ってもいいのだがな」
しみじみと告げるイスケルドだったが、通りを歩いていると多くの者がイスケルドの正体に気が付き、兵士と思しき者は背筋を伸ばして敬礼し、冒険者は驚きの表情を浮かべ、市民は憧れの表情を向ける。
それらに頷き、軽く手を挙げ、笑みを返しと行動をしながらもレイとイスケルドは言葉を交わす。
……もっとも、目立つというのはイスケルドだけではなくレイやセトがいるというのも大きかった。
ギルムならまだしも、このグラシアールという都市はレイやセトが初めて来る場所だ。
当然グリフォンを見る者はほぼ全員が初めてであり、本来であれば混乱が起きてもおかしくはない。
それでも殆ど騒ぎが起きずに済んでいるのは、イスケルドが共にいるからだろう。
「そんな奴がいたら、色々と厄介そうではあるけどな。……一応今回はそんなことにならなくても済んだけど」
「ああ。もっともそんな奴がいれば、クエント公爵に召し抱えるように進言するんだが」
自分に挨拶してくる者達に言葉を掛けながらもレイと会話を交わすのは、この手の作業に慣れている証だろう。
そしてグラシアールの住民にとって、自分達の誇る騎士団長と共にいるレイやセトは、当然他の者達からの注目を浴びるのにも十分だった。
「なぁ、あのグリフォンを連れてるのって……」
「間違いない、深紅だ」
情報に鋭い冒険者や商人といった者達は素早くその正体を見て取り……
「男? 女? どっちだと思う?」
「フードを被ってるからどっちか分からないけど、あの体格なら女でもおかしくないんじゃない?」
「……グリフォンを従えている女か? 物凄い悪女に見えるな」
「そう? 私は神秘的な女の人って感じがするけど」
「女!? 美少女!? 美女!?」
「うわ、本音ダダ漏れね。正直ああいう人には近づきたくないわ」
「そもそも、深紅って男だって噂じゃなかったか?」
色々と話題の種を撒きながら進んでいくレイとイスケルド、そしてセトだったが、不意にレイの視線がとある屋台で止まる。
そこにあったのは、初めて見るようでいながら、自分の知っていた料理の屋台だった為だ。
使っているのは、うどん。
ただし、ギルムで一般的に出されているようなスープを掛けたうどんではない。
肉味噌のようなものを茹でたうどんに掛けたその料理は、ギルムには存在していない……あるいは存在していてもレイが見たことのない料理。
(ジャージャー麺とか、汁なし担々麺みたいな感じか?)
もちろん、レイが知っているような肉味噌ではないだろう。そもそも、調味料が違うのだから。
だが、見た目はそれらに似ており……瞬間、レイの脳裏を鋭い何かが過ぎる。
(違う。ジャージャー麺でも、汁なし担々麺でもない。確か、TVで……そう、じゃじゃ麺とかいう、盛岡の料理。あれに近い。……TVで見ただけで、俺は食べたことがないけど)
その料理は、盛岡でわんこそば、冷麺と共に三大盛岡麺と呼ばれている料理。
もっとも、レイの知識はあくまでもTVで見たものだけであり、実際にどうなのかは知らないのだが。
それだけに、今レイの視線の先にある屋台の料理を食べてみたいという思いは強くなった。
視線をイスケルドの方へと向けるが、その本人は特に気にした様子もなく大通りを歩いている。
「グルゥ……」
レイの隣を歩いているセトも、その料理は気になっていたのだろう。
セトもうどんはかなり好んでおり、ギルムでもよく屋台で食べている。
特に、冬で雪が散らつく中に食べる温かいうどんというのは、何にも勝る幸福の一つだ。
食べないの? ねえ、食べないの? 食べたいよ、と円らな瞳で訴えてくるセトの視線に、元々自分もその料理を食べてみたいと思っていたレイが抗えるはずもなく……
「イスケルド、ちょっといいか?」
「うん? どうした?」
「少し寄り道をしたいんだけど」
そう告げたレイの視線が向けられているのは、屋台。
レイの言葉に少し驚いたイスケルドだったが、ふと何かを思い出したのか笑みを浮かべながら口を開く。
「そうだな。あの料理はマルカ様が去年ギルムに行った際に考えたものだ。ギルムから来たレイにその味を聞いてみるのも悪くないか」
「考えたというか、ギルムの名物になりつつあるうどんだよな」
「そうらしい。もっとも、ギルムにあるものとは大分違うという話だが」
「それは否定しない」
ギルムのことを思えば否定した方がいいような気がしたレイだったが、それでも食べてみたいという好奇心には敵わなかった。
他にも色々といい匂いをさせている屋台が多くあるというのが、より一層その思いを強くする。
(もっとも、この世界に著作権とかそういうのがある訳じゃないし……そもそも料理なんだから、アレンジされて別の料理になるなんて日本でも珍しい話じゃなかったしな)
自分の中で納得する……させると、イスケルドに案内されるように屋台へと向かう。
この時驚いたのは、屋台の店主だろう。
このグラシアールで有名人のイスケルドが、自分の屋台へと向かってきているのだから。
それも、レイやグリフォンを連れて。
「親父、三杯頼む」
「へ、へい」
それでも商売人だけあり、すぐ我に返って調理を始める。
もっとも、調理そのものは全く難しくはない。
うどんを茹でて湯切りをし、そこに肉味噌に見える調味料を乗せるだけなのだから。
(箸が欲しい……)
フォークでうどんを食べながら、レイはしみじみと思う。
普通にスープを掛けて食べるうどんであれば、フォークでも特に問題はないのだが、このうどんのように肉味噌のようなものをうどんに和えて食べるようなタイプでは、フォークは箸に比べると掻き混ぜにくいのだ。
もっとも、セトの場合は箸がどうとかではなく皿にクチバシを突っ込んで食べているのだが。
「グルルルゥ」
嬉しそうに喉を鳴らしながらうどんを食べているセトだったが、そのクチバシは調味料の肉味噌のようなもので汚れている。
(食い終わったら拭かないとな)
ミスティリングから布を取り出さないと……と考えつつ、フォークで掻き混ぜ終えたうどんを口へと運ぶ。
まるでミートソースのパスタを食べているような感じがするが、そのうどんの味は随分と違っていた。
肉味噌のように見えたものは、どちらかといえばソースを煮詰めて作ったものだったらしく、濃いデミグラスソースといった感じだ。
それが、湯切りをしてもまだうどんに残っているお湯と混ざり合い、うどんに絡まりやすくなっている。
濃厚なソースの味と肉の旨味が合わさったその味は、ジャージャー麺や汁なし担々麺といったものとは一味違った濃厚な味が口の中に広まっていく。
うどんの方も太めに切ってあるせいか、決して調味料の味に負けてはいない。
その美味さはいつまででも食べていたいと思わせる程であり、うどんが次々に口の中に入っていく。
(ただ……同じ味がずっと続けば飽きるだろうし、出来れば薬味の類があった方がいいかもしれないな)
うどんを啜りながらそんな風に考えつつも、レイはそのうどんを食い終わるのだった。
「……美味かった」
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