第915話

 うどんを食べ終わったレイとイスケルド、セトの二人と一匹は、腹ごしらえはもう十分と大通りを進む。

 そうしてやがて見えてきたのは、グラシアールの中心付近にある大きな建物。

 その建物の周囲には幾つもの建物が建っており、広大な敷地が用意されていた。

 目の前にあるのがどのような建物なのかは、レイが何をしにこのグラシアールにやって来たのかを考えれば、すぐに分かった。


「ここが士官学校か」

「そうだ。……本当ならクエント公爵……ロナルド様もレイと会うのを楽しみにしてたんだが、今は忙しくてな。ちょっとそれどころじゃないんだよ」


 イスケルドの言葉から、ロナルドというのがクエント公爵の名前……つまり、ロナルド・クエントというのがマルカの父親の名前だと理解したレイは、何が理由でロナルドが忙しいのかが何となく理解出来た。


「あー……それは、綱紀粛正の件で?」

「ああ。色々と問題のある奴が多く、ロナルド様も色々と難儀している。その関係で、恐らく会うことになるのは明日の夜くらいになる筈だ」


 クエント公爵の名前を呼ぶイスケルドの口調には、親しみがある。

 目の前にいる精悍な男が、自分の仕える相手に対してどのような思いを抱いているのかというのは、その様子から容易に想像出来た。


(もっとも、マルカの父親だ。それにこのグラシアールの発展ぶりを見ても、クエント公爵が有能な人物だってのは間違いないな。ギルムよりも大きなこの都市を過不足なく運営してるんだから、普通に凄いし)


 普通、権力者というのは多かれ少なかれ下の者には嫌われるものだ。

 だが、グラシアールに入ってからレイがここに来るまでの間に、クエント公爵の悪口を言っている者の数は驚く程少なかった。

 勿論それだけでクエント公爵が全面的に支持されていると考えるのは早計だろう。

 それでもレイが見た限り、クエント公爵に感謝の気持ちを持っている者の方が多いというのも事実だった。


(国王派の印象は悪かったんだけどな)


 レイの中で国王派というのは、やはり直近の問題でもあったキープの存在が大きい。

 また、去年の春に行われたベスティア帝国との戦争で見せた国王派の醜態も色濃く記憶に残っている。

 その辺の事情から、レイの中では国王派に対するイメージは極端に悪いものだったのは間違いない。

 もっとも、マルカのような存在がいたことを思えば、決してそれだけではないというのは理解していたのだが。


「ま、いい。クエント公爵と会うのが明日になるのは分かったし、俺がここで教官をやるってのも理解した。けど、今ここに来たのは何でだ?」

「うん? それは当然お前が教官をやる間はここに住むことになるからだが?」

「……俺が住むのか? ここに?」

「ああ。職員用の寮があるから、そこで過ごして貰うつもりだ。本来なら屋敷を用意しようと思ったが、マルカ様からレイはそのようなものを好まないと聞かされてな」

「ちなみに、どんな屋敷を用意するつもりだったか聞いてもいいか?」

「そうだな、最初に案が出たのはかなり大きい屋敷だった。何しろ、国王派のゴタゴタに巻き込んだ形だからな。この意見を出した者も、少しでも不自由がないようにという思いで提案したのだろうが……マルカ様が、それだとレイは寧ろ不自由に感じると言ってな」


 イスケルドの言葉に、レイは内心でマルカへと感謝する。


(よく言ってくれた。本当にそんな屋敷だったら、帰ってた……とまではいかないけど、別に宿を取る必要があっただろうな)


 そもそも、レイ自身はメイドや執事のような者達に傅かれる生活というのは望んでいない。

 興味がないと言えば嘘になるのだが、それでも四六時中見知らぬ他人が近くにいるというのは精神的に休まらないと思われた。

 これが、レイが気を許しているような相手であれば話は別なのだが、全くの見知らぬ他人に世話をされるというのは、レイにとってはあまり嬉しいことではない。

 だが寮に住むとなれば、それはそれで不安なことも幾つかある。

 その最たるものが……


「そんな屋敷を用意されるよりは、寮の方がいいのは事実だな。……けど、その場合セトはどうするんだ? まさか、寮にセトを住まわせる訳にもいかないだろ?」

「グルルゥ?」


 自分のことが話されているのが分かったのだろう。セトは喉を鳴らしながら不安そうな瞳をイスケルドの方へと向ける。

 そのイスケルドは、既にセトの存在に慣れたのだろう。自分の方へと視線を向けているセトに笑みを浮かべて手を伸ばし、頭を撫でる。


「心配するな。この士官学校には従魔や自分の馬を連れて来ている者も多い。テイマーや召喚魔法の使い手もいるしな」

「それは嬉しいけど、テイマーに召喚魔法? ……士官学校だよな? てっきり騎士だけを育ててるんだとばかり思ってたけど」

「それも間違ってはいない。騎士志望の者も多いし、実際にこの学校を卒業してからクエント公爵騎士団に入る者も多い。だが、この学校を卒業した者のうち何割かは、毎年冒険者になる」

「……士官学校?」


 自分が引き受けるのは士官学校の教官ではなかったのか。

 そう尋ねるレイに、イスケルドは特に何かを感じた様子もなく頷く。


「名前こそ士官学校となっているが、内実はそんなものだ」

「よく貴族とかが不満を言わないな。俺が知ってる貴族なら、平民と一緒に勉強をしていられるか! とか、騎士になる目的で学校に通っているのに、何故冒険者を目指している下賤の者と共に学ばなければならないのだ! とか、普通に言いそうだけど」

「……お前、今までどんな貴族と関わってきた? そんな貴族がいるというのは否定しないが」


 寧ろ、そのような貴族を一掃する為にこそ今回の綱紀粛正が行われるのだから。

 もっとも、今回排除されるのはキープのように度を超していた者に限られる。

 そのような者達が排除されたのを見れば、これまで傲慢な態度をしてきた者達も心を入れ替えるかもしれないという狙いがあった。

 レイとしては、貴族がそう簡単に態度を入れ替えるとは思っていなかったが。


「色んな貴族がいたな。当然中には好意を感じる相手もいた。けど、中には今回の件の原因となったキープのような奴もいる。もっとも……」

「もっとも?」

「ああ、いや。何でもない」


 そういう貴族がいるのは、別に国王派だけという訳ではない。寧ろ貴族派の方が多いのだが、と言いたいのを途中で止める。

 貴族派の貴族にそのような貴族がいるというのは、当然イスケルドも理解しているだろう。

 だがそれでも、ここでわざわざ貴族派が不利になるようなことを言おうとは思わなかった為だ。

 マルカのおかげで国王派に対して過剰なまでの敵対意識が向けられることはなかったが、それでもやはりキープという存在を知ったことの意味は大きい。

 エレーナのいる貴族派に対しての義理というのもあるが、今のレイの中ではやはり国王派と貴族派では貴族派の方が比重が重いのだ。

 ……もっとも、そこに中立派が入ってくれば、また話は別だったかもしれないが。


「ま、とにかく中に入るぞ。今は授業中だから騒がしくないが、授業が終わって俺が見つかれば色々と面倒なことになる」

「面倒なこと?」

「こう見えて、俺はグラシアールでは色々と有名人だ。それに、俺だけじゃない。お前だってグリフォンを連れてるんだから、十分に目立つ。そうなれば、確実にお前も面倒に巻き込まれるぞ。俺とは別の意味での面倒だと思うが」


 レイは何となくイスケルドの言いたいことを理解する。

 自分だけを見られた場合には、深紅の異名を持っている冒険者だと判断される可能性は少ないだろう。

 今はデスサイズを持っている訳でもないし、隠蔽の効果を持つドラゴンローブに身を包んでいるというだけでは、いつものように冒険者に成り立ての魔法使いと認識されるが精々といったところだ。

 だが……レイの隣にセトがいれば、レイの正体はすぐに理解出来てしまう。

 グリフォンを従魔にしている者など、レイ以外にはいないのだから。


(まぁ、表に出て来ていないだけで、実はグリフォンを従魔にしている奴がいるという可能性は否定出来ないんだけどな。いや、寧ろ納得する。この世界の裏には色々と潜んでいそうだし)


 ふと、レイの脳裏にエグジルで遭遇した聖光教のことが思い出される。

 あれ以来遭遇はしていないが、それは偶然聖光教の活動している場所とレイの活動している場所が重ならなかっただけだろう。

 もっとも、聖光教自体ミレアーナ王国ではエグジルでの件も伝わっており、厳しい目で見られている場所も多くなっている。

 それでも完全に排斥されていないのは、それだけ聖光教という存在から利益を得られるからか。


(まぁ、俺がベスティア帝国にいたってのが大きかったんだろうな。それが終わってからは真っ直ぐ辺境のギルムに戻ったし。……となると、聖光教が行動しているのはミレアーナ王国だけ? 周辺の小さい国とかでも普通に活動してそうではあるけど)


 微かに嫌な予感を抱いているレイだったが、不意に手に暖かいものを感じ、そちらへと視線を向ける。

 そこでは、セトがそっとレイの手に頭を擦りつけていた。

 元気を出して、と態度で表すかのように。


「悪いな、セト。そうだな、俺が悩んでもしょうがないか」

「うん? どうした?」


 レイとセトのやり取りを見ていたイスケルドが、何が起きたのか理解出来ないといった表情で尋ねる。


「いや、何でもない。それより中に入るんだったな。ここでじっとしていれば騒ぎになるってんなら、さっさと中に入ろう」


 今こうしている状態でも、士官学校の近くを通る者達がレイ達へと視線を向けている。

 最初にセトの姿を見て驚愕に目を見開き、次にイスケルドが一緒にいるのを見て安堵の表情を浮かべ、最後にレイを見て納得したような表情を浮かべる者や、何でこんな子供がイスケルド様と一緒にいるんだ? といった疑問を浮かべる者が半分ずつ。

 レイを見て納得の表情を浮かべるのは、レイのことを噂で知っている者達だろう。

 疑問を浮かべているのは、レイのことを全く知らない者達か、知っていてもレイをグリフォンではなくイスケルドの方の関係者と思っている者か。

 ともあれ、周囲にいる者達から色々な視線を浴びせられながら、レイとイスケルド、セトは士官学校の中へと入っていく。


(貴族とかが通ってるなら、門番とかいても良さそうだけど……全く誰の姿もないな。公爵の領地なんだから金がなくて門番を雇えないってことはない筈だから、意図的なものか?)


 疑問に思いつつも、イスケルドの後を追う。

 そのまま十分程歩くと、やがて四階建ての建物が見えてきた。

 建てられてから結構な年月が経っているのは分かるが、それでも古臭いのではなく歴史を感じさせるというのは、それだけ大事にされてきたからなのだろう。


「ここがレイが住むことになる職員寮だ」

「……なぁ、イスケルド。ここが職員寮なのはいいんだけど、セトの厩舎はどうなってるんだ? まず最初にそっちを見たいんだけど」


 そんな言葉が返ってくるとは思わなかったのか、イスケルドは一瞬虚を突かれた表情を浮かべて口を開く。


「勿論そっちもきちんと案内をする。ただ、この職員寮が近かったから、最初にこっちを案内しただけだ」

「そうか。じゃあ、厩舎の方もよろしく。……一応聞いておくけど、話は通してあるんだよな?」


 セトを見ながら尋ねるレイ。

 グリフォン程のモンスターを連れてくるのだから、その辺の話を通しておかなければ世話をする者が絶対に驚くだろうという思いからだ。

 もっとも、大抵の人はセトとある程度の時間を過ごせば仲良くなれるというのが、レイの主張なのだが。


(ミレイヌとヨハンナの二人は色々と行き過ぎだけど)


 過剰な愛をセトへと注いでいる二人の姿を頭の中から追い出し、イスケルドと共に道を進んでいく。

 そうして到着したのは、職員寮から歩いて更に十分程の場所にある厩舎。


「……随分と小さいな」


 厩舎を見て、レイが最初に口にした言葉がそれだった。

 事実、視線の先にある厩舎というのは決して大きい訳ではない。

 夕暮れの小麦亭にある物に比べても小さい。

 大勢の貴族や平民が集まる士官学校の厩舎と考えれば、明らかにその厩舎には疑問を抱かざるを得なかった。


「ああ。士官学校の生徒用じゃなくて、ここにあるのは教官を含めた職員が使う為の厩舎だからな。この大きさで十分だ」

「……わざわざ分けてあるのか?」

「そうなる。それより行くぞ。俺もそう時間がある訳じゃない。こことお前の部屋に案内したら、士官学校の職員に案内を代わって貰う」


 そう告げ、厩舎へと入っていくイスケルド。

 レイとセトはそれを追い……当然の如く厩舎の担当の人間がイスケルドを見て驚いたり、セトを見て驚いたり、レイを見て疑問に思ったりといった小さな騒ぎが起きるのだが、それでも大きな騒ぎになるようなことがなかったのは、この厩舎の周囲には他の建物の類が存在しなかったからだろう。

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