第913話

 突然馬車から降りてきた男の言葉に、レイはデスサイズをミスティリングに収納しながら頷きを返す。

 見るからに豪華な服を着ているのだから、恐らく貴族だろうというのは容易に想像出来た。

 それでもレイの態度は変わらない。

 そもそも普段会っている貴族が強面のダスカーなのだから、どうしても目の前にいるような貴族を見て恐縮するといったことにはならない。

 また、最近キープと揉めたというのも影響しているだろう。

 ……もっとも、マルカのような貴族とも会っているので、決して全ての貴族を嫌っている訳ではないのだが。

 それでも、やはりレイの中では貴族というのはあまり良い印象がないというのはどうしようもない事実だった。


「ああ、ちょっと依頼があってクエント公爵領のグラシアールに向かってる」

「……そうか。いや、突然済まない。実は私も現在グラシアールに向かっているところなのだ。お互い、この時期に外を旅することになるとは不運だな」


 笑みを浮かべて告げてくる男に、レイは少し意外な思いを抱く。

 てっきりまた何かトラブルが起きるのかと思っていたのだが、こうして言葉を交わした限り友好的な存在に思えた為だ。


(これは予想外。いや、勿論貴族が全員キープみたいな奴だとは思ってないけど。というか、貴族が全員キープみたいな奴だったらミレアーナ王国終わってるだろうし)


 脳裏に全ての貴族がキープである国が過ぎり、慌てて首を振る。

 そんなレイの姿に、男は不思議そうな表情を浮かべて口を開く。


「うん? どうかしたのか?」

「いや、何でもない。それよりグラシアールに向かってるってことは、やっぱりこの道はグラシアールに続いているってことでいいんだよな?」

「うむ。もっとも、まだ暫く掛かるだろうが。間違いなくこの街道はグラシアールへと続いている」


 男の言葉にレイは安堵の息を吐く。

 恐らく間違っていないだろうという思いはあったのだが、それでもレイにとっては初めて通る街道だ。多少の不安はあって当然だろう。


「どうしたのだ? 道に迷ったという訳ではなさそうだが」

「あー、いや。勿論道はある程度知ってる」


 正確には地図を持っているのだが、稀少さを考えればそう簡単に人へと話すことは出来ず、そう誤魔化す。


「ただ、見ての通り俺はセトに……グリフォンに乗って空を飛んで移動してるからな。どうしても地上を移動するのとは勝手が違うんだよ」


 その言葉で、男もレイから少し離れた場所で寝転がっているセトに気が付いたのだろう。納得の表情を浮かべ……だが、次の瞬間には訝しげな表情で口を開く。


「その、私の目には雪に寝転がっているように見えるのだが……」

「そうだな、俺の目にもそう思える」

「……いいのか?」


 確認するように尋ねる男に、レイは首を傾げて口を開く。


「何がだ?」

「いや、雪に寝転がるような真似をしてだ。グリフォンが風邪を引くのではないか?」

「……雪くらいで風邪を引いてるようじゃ、ランクAモンスターなんて言えないだろ」

「なるほど、そういうものなのか」


 レイの説明に納得した表情を浮かべた男に、どこか調子を狂わされているように感じるレイ。

 ともあれ、この街道がクエント公爵領に続いているというのであれば、もうここにいる用事はなかった。


「この街道が正解だと聞かせて貰って助かった。グラシアールに向かってるんなら、もしかして向こうで会うこともあるかもしれないな」

「ふむ、それはどうだろうな。残念ながら、私は向こうでそれ程自由に動けるという訳ではないのでな。ただ、そうだな。それでも運が良ければ会えるかもしれない……と思っておこう」


 その言葉だけで、訳ありだと察するのは難しくはない。

 もっとも、だからといってレイはこれ以上深入りするつもりもないのだが。

 目の前にいる男は、貴族として善良な部類に入るだろう。少なくてもレイの目から見た限りでは、そのように感じられる。

 しかし、言ってみればそれだけだ。

 もしここでモンスターか何かに襲撃されるようなことになれば、喜んで力を貸すだろう。

 だが、ずっと行動を共にしてその身を守りたいかと言われれば、レイは否と答える。

 そもそも、今のレイはマルカから依頼を受けた身でもある。

 その依頼を放っておいて、グラシアールまで共に移動するというのは意味がない。

 レイが自分と行動を共にすれば、それだけ移動に時間が掛かると、マルカはレイを先行させたのだから。……雪が降っているのにも関わらず。

 それを考えると、レイは目の前の貴族に積極的に関わろうとは思わなかった。


(それに……)


 視線を馬車の周辺へと向ける。

 そこにいるのは、最初にレイと話していた男達。

 気楽にしているように見えて、自分へと神経を集中させているのが分かる。

 もしレイが何か妙な真似をするのであれば、例え身体を張ってでもこの貴族を守ろうとしているのだろう。

 レイの強さがどれ程のものかを知っているにも関わらず、そこまでして守りたいと思っている存在がいる。

 そこまで忠誠を誓っている護衛がいるのであれば、レイの出番はないだろうと。


「じゃ、馬車の方もいいだろうし、俺はそろそろ行くけど……縁があったらまた会おう」

「うむ、そうだな。……縁、か。正直に言わせて貰えば、これ程理不尽なものはないと思える」


 このまま話を聞けば、否応なく目の前の男の問題に巻き込まれると判断したレイは、男に軽く手を挙げて雪原に寝そべっているセトへと近づいて行く。


「グルルゥ?」


 もういいの? と視線を向けてくるセトにレイは頷き、それを見たセトはそのまま立ち上がってレイへと背中を向ける。

 セトの背中に跨がったレイは、改めて男の方へと視線を向け、口を開く。


「じゃあ、グラシアールに無事到着することを祈ってる」

「うむ。お前もこの雪の中だ。空を飛ぶのは危険だと思うが、頑張れ」


 そう短く言葉を交わし、セトは数歩の助走の後で翼を羽ばたかせながら空へと駆け上がって行く。

 雪が散らつく中を飛ぶグリフォンは、地上からそれを見ていた者達にどこか幻想的な思いを抱かせる。

 だが、それも当然だろう。ギルムでは既にセトがいるのが日常になっているが、本来はランクAモンスターで、高ランク冒険者でも一生に一度会えるかどうかといったモンスターなのだから。

 絶対に安全という意味では、今回セトに会った者達は幸運と呼ぶしかなかった。


「深紅のレイにセト、か。……グラシアールでまた会えるといいのだがな」


 セトとレイを見送った男は小さく呟く。


「坊ちゃん。そろそろ行きましょう。今までは深紅がいたから安心でしたが、いつ追っ手が来るか分かりません。出来れば、今のうちに距離を稼いでおきたいんで」

「……そうだな。では行くか。くれぐれも油断はせぬように。叔父上の手の者は相応に腕が立つ」

「はい、安心して下さい。坊ちゃんは俺達が命に替えてもグラシアールまでお届けしますので」

「馬鹿者。お前達の命はそう簡単に投げ捨てていいものではない。私の許可なく死ぬことは許さんから、そのつもりでいろ」


 男の言葉に、周囲で話を聞いていた他の者達が笑みを浮かべる。

 その笑みは暖かく、自分達がこの人物を守るのだという決意に満ちた笑み。


「ふ、ふん。ほら、行くぞ。……幸い、馬の方もセトを相手にした緊張や恐怖は抜けて、何とか歩けるようになったようだ」


 照れ隠しのように告げると、男は馬車の中へ入っていく。

 いや、照れ隠しのようにではなく、実際に照れ隠しなのだろう。

 事実、馬車に乗り込む男の頬は薄らと赤く染まっていたのだから。

 馬車に乗り込む主を見送り、出発の準備を整えている中で一人の男が呟く。


「なぁ、やっぱりどうにかして深紅をこっちに引き入れた方が良かったんじゃないか?」

「そう出来れば良かったんだが……あの様子だとグラシアールまで急いでたみたいだからな。俺達に手を貸すような余裕はなかったんだろ」

「……けど、深紅程の冒険者が急ぐって、グラシアールで何かあったのか? だとすれば、このままグラシアールに行ってもいいのか? 向こうの手が回っているかもしれないだろ?」

「その辺はもう何度も話しただろう。グラシアールが今は安全性が高い場所だ。向こうもすぐにこっちを見つけられるとは思えない。……春までだ。とにかく春まで時間を稼いで坊ちゃんを守り切れば、こっちの勝ちは決まる。何とか踏ん張るぞ」

「はぁ。つい数ヶ月前まではベスティア帝国で内乱があったってのに、もしかして次はミレアーナ王国で内乱になったりしないだろうな」

「内乱まではいかないだろ。精々貴族同士の紛争ってところで終わると思う。……上手くいけば、お家騒動ってところでどうにかなるかもしれないが、そっちは期待薄だ」

「ったく、国王派だなんだって言っても結局この有様とか。貴族様が聞いて呆れるね」

「おい馬鹿。坊ちゃんに聞こえたら……」

「おい!」


 まるで話を聞いていたかのようなタイミングで、馬車の方から声が聞こえてくる。

 男達の守護すべき対象であり、主である男から。

 そのタイミングの良さに男達の動きが止まる。

 もしかして、今の話が聞こえていたのでは? と思った為だ。

 だが、幸い自分達へと向けられる声は、厳しいものではない。


「おい、どうした? そろそろ出発するのだろう? この雪で出来るだけ距離を稼ぐと言っていた筈だが?」

「あ、はい。すぐに行きます!」


 自分達の話が聞こえていなかったことに安堵しながら、男達は出発の準備を整える。






 ギルムを出てから数日、幸いなことに天気がそれ程荒れることもなく、そして冬である為に盗賊の類と遭遇することもなく、レイはセトに乗ってグラシアールへと向かっている。

 ……いや、向かっていたと言うべきか。

 今、レイの目にはギルムを上回る規模の街……より正確には都市が見えていたのだから。


「あれが、グラシアール。……だよな?」

「グルゥ?」


 ここ数日の天気とは打って変わって晴れた空を見ながら、レイは呟く。

 恐らく間違いないと思いながら、それでも視線の先に見える都市がグラシアールだと断言出来ないのは、レイが時々とんでもない方向音痴っぷりを披露することがあるからだろう。

 それでもギルムを旅立ってからここに到着するまでの数日、最初にあった馬車の一行や、途中で寄った村、街といった場所で聞いてきた限りでは間違いないという思いもある。

 ……その途中で多少の騒動が起こったりもしたのだが、特に誰かが大きな被害を受けた訳でもなかったので、取りあえず良しとしたレイだった。


「にしても……随分と凄いな」


 呟くレイの視線の先にあるのは、グラシアールと思われる都市を囲んでいる壁。

 辺境にあるギルム程ではないにしろ、レイの目の前にある光景はかなりの高さを持つ壁であり、その壁の厚さもどれ程のものなのかは容易に想像出来る。


「辺境のように凶悪なモンスターがいる訳でもないのに、こんな城壁があるってことは……多分、想定している相手は人なんだろうな」


 盗賊の類を想定しているのか、敵対する貴族か……それともミレアーナ王国が攻められた時のことを考えてか。

 そのどれが理由なのかはレイにも分からなかったが、それでもグラシアールという都市の防御力が非常に高いというのだけは理解出来た。


「……これでグラシアールじゃなかったら、それはそれで面白いけどな。ともあれ、行くか。セト」

「グルルルルゥ!」


 レイの呼び掛けにセトは喉を鳴らし、グラシアールと思われる方へと向かって降下していく。

 それを見て驚いたのは、グラシアールへと入る手続きを行おうとしていた者達だ。

 冬という季節故に、グラシアールに入る手続きをしている者は少ない。

 だが、少ないというのは誰もいないという訳ではなく、これだけの人数が住んでいる都市であれば当然冬でも人の出入りがある。

 辺境にあるギルムとは違い、凶悪なモンスターが出にくいというのもあるだろう。

 そのような者達が寒さに震えながら手続きを済ませるべく並んでいると、突然空からモンスターが降りてきたのだから騒ぎにならない筈がない。


「うっ、うわあぁあぁぁっ! モンスターだ、モンスターの襲撃だ!」

「警備兵、いや、騎士に連絡をしろ!」

「避難、避難させてくれ!」

「来る、来る、来るぞぉっ!」


 並んでいた者達が混乱を起こし始め、パニックになりかけた、その時。


「静まれ!」


 周囲に大きな声が響き渡る。

 それは、不思議と混乱していた者達の中へと染みこんでいき、やがて騒いでいた者達が落ち着いていく。


「あれは、モンスターではない。正確には従魔だ。ギルム所属の、深紅の異名を持つランクB冒険者、レイ。マルカ様直々の依頼で来た者だ」


 そう告げる男は、身長二mを優に超え、身体は筋肉で出来ていると表現してもいいような、そんな男だった。

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