第903話
夜の闇の中、貴族街を歩く集団がいた。
先頭に立つのは、槍を手にし、金属鎧を身に纏ったキープ。
槍も重いのだが、自分の安全の為と見栄の為に身に纏った金属鎧の重さに、既にキープの息は切れ始めていた。
そんなキープの後ろには、どこか不安そうな表情を浮かべた三人の騎士が続く。
本当にこの集団の目的……シスネ男爵家を襲撃し、そこにいる全ての生きている者達を殺すということをしてもいいのか? と少しだけ不安に思ってはいるが、それでも自分達の主君が一緒なのだから、何があってもエリエル伯爵家が自分達を守ってくれるだろうという思いが強い。
また、キープも何かあったらエリエル伯爵家の力で何とかして見せると言い張っているので、これから行われる略奪と暴力、凌辱に期待をしているというのも否定は出来なかった。
そして、騎士達の後ろに続くのはフルトスが集めた者達。
フルトスの言葉を信じれば精鋭ということになっているのだが、傍から見た限りではとてもそうは思えなかった。
事実、集めた者の殆どはスラム街から連れて来た者達や犯罪組織の者達であり、確かにある程度腕は立つのだろうが、それでもレイと決闘を行ったランクB冒険者のゼロスとは比べものになる筈がない。
だが、キープは完全にその者達をゼロスに匹敵する技量の持ち主だと信じ込んでいた。
フルトスに対する信頼があった為だ。
騎士達の方はフルトスとキープの話を聞いていた訳ではないので、単なる数あわせの者達だろうという認識だったが。
キープの護衛兼側近として付き従っている三人の騎士は、その性格こそ下劣ではあるが、腕はそれなりに立つ。
……もっとも、あくまでそれなりであって、ランクD冒険者と何とか互角に戦える程度なのだが。
そんな騎士達の目から見ても、自分達の後ろについてくる者達は何人かの例外を除いて腕が立つ者がいるとは思えなかった。
「へっへっへ。お貴族様の屋敷を襲えるんだとよ。俺たちゃ運がいいな。こんな仕事に参加出来るんだからよ」
「ははっ、確かにそうだ。俺達から金を巻き上げて贅沢をしているような奴等だ。思う存分後悔させてやろうぜ」
「なぁ、なぁ、どういう女がいると思う? 貴族ってくらいなんだから、普段俺達が買うような娼婦とは大違いなんだろ?」
「そりゃそうだろ。何てったって貴族だ。肌も髪も一級品で、抱けばいい匂いがするんだろうよ」
「俺は女よりも金だな」
「金なんかどうでもいいから、貴族の血を見せろよ。貴族ってのは青い血を引いてるとかほざいてる奴もいるんだろ? それが本当かどうか、この目で確かめる絶好の好機だぜ」
「ばっか、お前。青い血な訳ねえだろ。俺が以前戦場でぶっ殺した貴族の血は赤くて、俺達と変わらなかったぞ」
「うへへへへ。なんでえ、結局貴族ったって俺達と変わらねえんじゃねえか」
「……け、けどよう。貴族の屋敷を襲うなんて、捕まったら死刑になるんじゃねえのか?」
「ばっか。そりゃ捕まったら死刑になるかもしれねえが、それはつまり捕まらなきゃ問題ねえってことだろ?」
「お、おお。なるほど。さすが兄貴、頭がいいな」
フルトスの用意した者達は、それぞれに好き勝手に喋りながらキープの後に続く。
この者達にとっては、それこそキープも貴族ではあるのだが……キープ本人は全くそれに気がついていない。
そして、このような集団が貴族街を堂々と歩いていれば警備として雇われている冒険者達に見つからない筈もなく……
「おいっ、お前達! そんなに集まってどこに行こうとしている!」
運悪く……あるいは運良くか、シスネ男爵家までそう遠くない場所で、前方から進んできた警備の冒険者にそう声を掛けられる。
キープの後ろにいる者達は、一瞬このままでは危険なのでは? と思ったが、キープ本人は全くそんな背後の様子に気が付かないまま、不機嫌そうに視線を向ける。
ただでさえ昼の決闘で冒険者に対する憎悪を抱いているというのに、命令するように声を掛けられて面白い筈がない。
「何だ貴様等は。俺はエリエル伯爵家の次期当主、キープだ。冒険者如きがそう気安く声を掛けていい相手じゃないぞ」
不愉快そうに答えながら、キープは声を掛けてきた冒険者の方へと視線を向ける。
そこにいたのは、三人の冒険者。
年齢はまだ若く、二十歳になったかどうかという男が三人。
その先頭にいる、長剣の収まった鞘を腰にぶらさげた男がキープの言葉に答える。
「次期伯爵家当主様でしたか、申し訳ありません。ですが、自分達もこの貴族街の平穏を守る為に警備として雇われている身ですのでご容赦下さい。……それで、これだけの人数を引き連れ、しかも見たところではキープ様までもが武器を持っている様子。一体どのような理由でこのような真似をしているのか、教えて貰えるでしょうか?」
「あん? そうか、聞きたいのか。……特にこの槍を見たいって?」
キープの口から出て来たのは、答えになっているようでなっていない言葉。
言葉が通じているようで通じていないその様子に、三人の冒険者は微かに嫌な予感を胸に覚え、相手に分からないようにだが、いつ何が起こっても対処出来るように態勢を整える。
「ほら、見てみろ」
無遠慮に突き出された槍へと視線を向け……次の瞬間には話していた男の身体へと穂先が更に突き出される。
「おわぁっ!」
態勢を整えていたからこそ反応出来た男だったが、それでも槍の穂先が突き出されたのと呼吸を合わせるように接近してきた騎士の攻撃を防ぐことは出来なかった。
鞘から長剣を抜く前に殴られ、吹き飛ばされ、仲間へとぶつかる。
それで身動きが出来なくなった男の仲間達は、ふと気が付けば大勢に囲まれていた。
そして始まるのは袋叩き。
男達にとって幸運だったのは、キープ率いる集団は暴力よりも略奪や女の方に興味があったことだろう。
ここで三人の冒険者をいたぶり続けるより、シスネ男爵家という、より大きな獲物に飛びつきたいと判断し、気を失った冒険者をその場に放置して先へと進む。
時折雪が散らつく気温なのだから、そのまま放って置かれていれば凍死したかもしれないが……幸い、キープ達がいなくなってから暫くすると別の冒険者が通り掛かり、治療を受けることになる。
「はっ、見ろ。結局冒険者だ何だと言っても、所詮あの程度のものだ。俺達は強い。冒険者なんぞ楽に相手に出来るくらいにはな」
集団の先頭を進みながら、キープは槍を振るって告げる。
数の暴力を使っての勝利ではあったが、それでも勝利は勝利。
キープだけではなく、騎士やその背後に続いている男達も、その言葉に同意するように歓声を上げる。
貴族街という場所で、夜にはなっているがまだ深夜という訳ではない。
まだ起きている者が多い中でこれだけ騒ぎながら道を進んでいるのだから、当然キープ達に気が付く者もいる。
特に門番をしている貴族の私兵は、そんな集団を見るとすぐに上司へと知らせていた。
もっとも、キープの中には自分にこれ以上ない程の屈辱を与えてくれたシスネ男爵家への恨みしかなかった為、他の貴族の家を襲う気は一切なかったが。
キープと行動を共にしている者達も、自分達が襲うべき場所がきちんと用意されている以上、ここで無駄に騒ぎを起こすようなことはなかった。
そうして、自らを奮い立たせるようにしながらキープ達は夜の貴族街を歩き続け……
「見えた」
見覚えのある屋敷に、キープが笑みを浮かべる。
もっともその屋敷は決して大きな訳ではない。キープや騎士達はともかく、その背後にいる男達にしてみれば些か拍子抜けしたのだが。
それでも貴族の屋敷である以上、自分達の欲望を満たしてくれるのは間違いないと思い……
「さて、夜にこんな大勢で押し掛けてくるとは……客が来るとは聞いてなかったんだけどな」
突然聞こえてきたその声が耳に入ってくる。
その声を聞いて最初に足を止めたのは、キープ。何度もその声の持ち主が喋っているのを見たことがあった為だろう。
同時に、キープの近くにいた三人の騎士もまた足を止める。
先頭を進んでいた四人が足を止めれば、当然その背後から進んできた者達も足を止めざるを得ない。
そうして全員が足を止めたところで、その人物はキープの前へと進み出る。
夜空に輝く月には雲が掛かっていたのだが、その人物がキープの前に出て来たのと時を同じくして雲が風に流され、月明かりで地上を照らし出す。
そこにいたのは、ローブに身を包んだ小柄な人物。
声だけではなく、その姿からでも目の前にいる人物が誰なのかを悟ってしまったキープは、数分前までの興奮が完全に消え去ってしまったのだろう。掠れるような声でその名を呟く。
「レイ」
「誰だてめえっ!」
キープが口を開くのと同時に、背後の男の一人が叫ぶ。
男の声は大きく、キープの声は小さい。
その為キープの声は完全に掻き消され、キープと三人の騎士以外は自分達の前にいるのが誰なのかを理解出来ないままに険悪な表情で睨み付ける。
当然だろう。これから貴族の屋敷を襲って欲望の限りを尽くそうとしていたというのに、それを邪魔するかのように自分達の前に立ち塞がったのだから。
また、ここに来る途中までに貴族街の警備をしていた冒険者三人を倒していたのも、男達を強気にさせていた理由なのだろう。
何より、レイが自分の象徴でもある巨大な鎌のデスサイズや、相棒のセトを連れていないというのも男達がレイに気が付かず、外見で侮る理由になっていた。
フードを下ろしていれば、せめて顔だけは見ることが出来たのだろうが、今はそのフードも被っていて殆ど顔を確認することは出来ない。
つまり、キープ達の前に立ち塞がっているのはただの小柄な少年、あるいは少女という風に男達は認識していた。
「誰? と聞かれてもな。そうだな、シスネ男爵家の護衛と言えば分かりやすいか?」
「……何?」
レイの口から出た護衛という言葉に、一瞬意表を突かれた表情を浮かべる男。
だが、次の瞬間には我慢出来ないと言いたげに噴き出し、笑い声を上げる。
それは男だけではない。周囲にいる他の男達も同様に笑い声が広がっていく。
当然だろう。男達にしてみれば、子供としか思えないような相手が自分達を止める為の護衛だと言い張っているのだから。
キープの身体が震えているのも、笑いを堪えているからだと思い込む。
実際には、昼に見た光景……レイが可視化出来る程に圧縮された赤い魔力を身に纏う、炎帝の紅鎧を発動した時のことや、その熱気を思い出し、恐怖で震えていたのだが。
間近で見たその光景は、キープの心に深い爪痕を刻んでいた。
また、震えているのはキープだけではない。三人の騎士達も同様だ。
そんな四人を尻目に、レイと男の会話は続く。
「あのなぁ、坊主。悪いことは言わないから、とっとと自分の家に帰ってベッドに入って寝てな。これから起こることは、お前さんには刺激が強過ぎる」
「おいおい、ちょっと待てよ。そいつがシスネ男爵家の護衛だってんなら、当然俺達と敵対するんだろ? そんな奴を簡単に逃がして堪るかよ。こういう生意気なガキが泣き喚く姿ってのは、最高の快楽なんだぜ?」
「はっ、いい趣味をしてるな。けど、こんなガキに時間を取られている間に本命が逃げ出してしまったりしたらどうするんだ? 幾らキープの旦那が今回の襲撃をどうにか誤魔化すってったって、本命が逃げ出して警備兵の詰め所に行かれでもしたら洒落にならねえんだぞ」
「……ふんっ、分かったよ。けど、このガキは俺がやらせて貰うからな! 文句はねえなっ!」
レイをいたぶろうとしていた男も、貴族の屋敷の襲撃が出来なくなるのは不本意だったのだろう。そう言って手にした棍棒を構えながらレイの方へと近づく。
その様子を黙って見ていたレイは、自分の前に立った男にどこか呆れたような視線を向ける。
だが、その視線が男には許せなかったのだろう。男が見たかったのは、自分に対して許しを請うような、そんな視線だったのだから。
「おいこら、クソガキ! てめえ、自分がまだ安全だと思ってるのか!? おらぁっ!」
威圧的に棍棒を振り上げる男だったが、当然レイはそんな男へと怯えた目を向ける筈もなく……
「はぁ。……馬鹿ってのはどうしてこうも……」
小さく呟き、その声が男の怒りを更に買い、振り上げた棍棒をレイへと向かって振り下ろす。
それでも頭部を狙わなかったのは、慈悲……という訳ではなく、純粋にレイの苦痛に塗れた表情を見たかった為だ。
それだけに、振り下ろされた棍棒を片手であっさりと止められるとは思わなかった。
「なっ!」
「ほら、驚いてていいのか……よ!」
棍棒を左手で受け止めたまま、軽く右足で男を蹴りつける。
そのまま数m程地面を転がりながら吹き飛び、ようやく動きが止まると、男は痛みを堪えて起き上がりながら何が起きたのかとレイの方へと視線を向ける。
「さて、俺をどうするって? それをもう一度聞かせて欲しいな」
左手で握っていた棍棒を脇に捨て、ミスティリングから巨大な鎌、レイの象徴でもあるデスサイズを手に尋ねる。
更に男達を囲むようにして、フロン、ブラッソ、セルジオ、ヨハンナ、ディーツ、それ以外にフロンが集めた冒険者や、元遊撃隊の面々が姿を現すのだった。
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