第904話
その姿を見た瞬間、男達の内の殆どは息を呑む。
自分達を逃がさないように現れた他の冒険者にも脅威を覚えるが、今はそれよりももっと脅威を覚える存在が目の前にいた。
一見すると冒険者に成り立ての子供にしか思えなかったレイだったが、今やその印象は完全に変わっている。
大の男が振るった棍棒の一撃を片手で受け止め、軽く蹴ったようにしか見えなかったのに男を数mも地面を転がす。
そんな常識外れの身体能力を見せ、何よりもどこからともなく姿を現した大鎌。
その大鎌を見た時点で、目の前にいる人物の正体を殆どの者が理解していた。
そして何よりも……
「グルルルゥ」
レイの背後から姿を現したのは、グリフォン。
不愉快そうに喉を鳴らし、男達の方へと視線を向けている。
普段は円らな瞳と表現するのが正しい目だが、今男達へと向けている視線は鋭く、獲物を見る目と言ってもいい。
大鎌を使うような人物は、男達が知っている限りではギルムに一人しか存在しない。
その一人は、ギルムの中で……いや、恐らくこの世界で唯一グリフォンを従魔にしている人物。
そんな相手の正体を、ギルムの裏の世界で生きている男達が知らない訳がない。
敵対すれば慈悲を持たず、徹底的にその力を振るう人物。
デスサイズを肩に担ぎ、セトを横に従えた人物の名前を男達の中の一人が口にする。
「深紅の……レイ」
ざわり、と。その言葉が声にされた瞬間男達がざわめく。
目の前にいるのがレイだと、それは既に現在の状況から分かっていた。
だがそれでも、こうして改めて口に出されると自分達の前に立ちはだかっているのが、どうしようもない相手だと理解してしまったからだ。
それを理解したうちの何人かが、素早く周囲を見回す。
レイという存在が姿を現したのだから、既にこの襲撃は失敗したも同然だった。そうである以上は出来るだけ早く……それこそ怪我をしないうちにこの場を離脱するべきだと判断した為だ。
だが、キープを初めとした男達を囲むように存在しているレイの仲間が、手にした武器をこれ見よがしに見せつけて牽制する。
「さて……随分とまぁ、予想通りに動いてくれたな。決闘の結果をなかったことにする為にはこうするのが手っ取り早かったってのは分かるが……それにしても短絡的過ぎだろ。こうして襲撃をしにきた以上、お前はもう終わりだけどな」
これ見よがしにデスサイズを振るうレイ。
冬の夜の空気を斬り裂く音が、それを聞いた者達に自分の最期を連想させた。
「どうする? このまま大人しく捕まってくれれば、こっちとしても手間が省けて楽なんだが」
絶対に従わないだろうと思いつつも、レイは告げる。
それは男達に向けたものであり、同時にキープへと向けたものでもあった。
レイとセトがいて、フロンとブラッソがいて、セルジオ、ヨハンナ、ディーツといった元遊撃隊の面々まで揃っているのだ。
どう考えてもここで無事に逃げのびられる筈がない。
逃げ場がない以上はここで戦うという選択肢もあるのだが、それはここに揃っている戦力を考えれば自殺行為以外のなにものでもないだろう。
そうである以上、大人しく投降すれば怪我をせずに済む……と、理屈で考えればそれが最善の選択なのは事実だ。
だが、男達にとって戦いもせずに大人しく投降するというのは、プライドを傷つけることになる。……それが間違った意味でのプライドであっても。
キープの方はもっと簡単であり、ただの冒険者風情に投降するような真似は決して出来ない。
それはプライドの問題もあるが、何よりも保身を考えてのことだ。
今日行われた決闘により、キープの貴族としての地位は地に落ち、泥に塗れ、それどころか糞尿にすらも塗れてしまっている。
今のままでも実家から何らかの処罰は確実にあるというのに、ここでシスネ男爵家を襲おうとして捕まったとなれば、廃嫡程度では済まないだろう。
寧ろ、最も軽い処罰で廃嫡だろうというのがキープの予想だった。
騎士達もキープの部下である以上、その処罰はキープと同様……いや、今回の事態を防げなかったという意味では、より厳しい処罰になる可能性がある。
つまり、この場にいる者達はレイの言葉に従うという真似は絶対に出来ない。
「……ける……な」
レイの言葉に静まり返った中、不意にそんな声が周囲に響く。
その声を発したのは、キープ。
レイはそんなキープに向かい、いつでもデスサイズを振るえるようにしながら口を開く。
「どうしたって? もっとしっかり言葉にしてくれないか?」
「ふざけるなと言ったんだぁっ! そもそも、全ての原因はお前だろう! お前があの時に邪魔をしなければ、俺はこんなことにはなっていなかった! お前さえ……お前さえいなければぁっ!」
喋っているうちに興奮してきたのか、キープは手に持つ槍を何度も振るう。
「何だってお前みたいな奴がいるんだ、くそっ、いいかお前等! ここでこいつらをどうにかしなければ、俺だけじゃなくてお前達も最悪の結末を迎える事になるぞ! 覚悟を決めろ! ここでこいつらをぶっ殺すんだ!」
キープの怨念すら篭もった叫びに、騎士達はそれぞれ長剣を構える。
それ以外の男達も、キープの言葉に乗せられるようにしてそれぞれに武器を構えた。
そんな一団を見回し、レイは溜息を吐く。
「おい、レイ! こいつらは俺達と戦うことを選んだんだから、もういいだろ! さっさと戦わせろよ!」
レイに向かって苛立ちも露わに叫ぶのは、早く相手をぶちのめしたいといった表情を浮かべているフロン。
元々フロンは言葉遣いは男のようだが、面倒見はいい。
それこそ、人との付き合いがそれ程得意ではないレイと初めて会った時に色々と世話を焼いたのを見れば、それは明らかだろう。
だが今のフロンは、そんな人の良さなど忘れ去ったかのように苛立ちを露わにしている。
当然だろう。女を一人手に入れるのに地位と権力を振りかざし、それが失敗すると決闘へと持ち込み、更にレイの正体を知った為かシスネ男爵家を何度となく襲撃し、それも不調に終わって決闘に負けると、その日のうちにこうして大勢を率いて襲ってきているのだから。
フロンが毛嫌いするのも当然だった。
「はぁ。……レイ、フロンの言うことは乱暴じゃが、ここに至ってはこのような者共が大人しく捕まるとは思えん。ここで無駄に時間を掛ければ、それこそこやつ等が他に何か仕掛けてこないとも限らん。ここは、一挙に捕らえてしまった方がよいぞ?」
地揺れの槌を手に持ち告げるブラッソに、レイは小さく溜息を吐いて頷く。
正直なところを言えば、強い相手もいないキープ達とは戦うのも面倒なので大人しく捕まってくれるのが最善だったのだが……と。
「しょうがない。全員行動開始だ。捕らえろ。ただし、キープと騎士は殺すな。それ以外は最悪殺しても構わない。ただ、貴族の屋敷を襲撃しようとした者達だ。捕らえれば奴隷落ちは間違いないから、報酬は多少なりとも増えるぞ」
レイの口から出た言葉が合図となり、戦闘が開始される。
真っ先に動き出したのは、当然のようにフロン。
長剣を手に持ち、一番近くにいた男へと向かって斬り掛かる。
その男が手にしていたのは槍だったが、フロンの一撃を防ぐべく差し出した槍はあっさりと柄を切断され、同時に男の身体も斬り裂く。
一目で致命傷と分かる傷だったが、フロンはそんな男に構わず次の相手へと向かう。
フロンにとって、奴隷として売り払った金を得るよりも目の前の男達が気にくわないといった気持ちの方が強かった。
また、他の場所でも戦闘が始まっている。
相手を殺してもいいと思っているのはフロンだけだったが、元遊撃隊の中でも女はやはり今回の件に色々と思うところがあるのだろう。殺すとまではいかないが、容赦なく叩きのめしていく。
一撃で気絶させることが出来るだけの技量があるのに、わざと気絶させないように痛みを与えていくのだ。
男達にとって、何度となく身体を痛めつけられ、それでも気絶出来ないというのは、地獄にいるかのような思いだろう。
男達の方が数では圧倒的に多く、三倍近い人数差がある。
それにも関わらず、一方的に被害を受けているのは男達の方だった。
そんな様子を一瞥したレイは、デスサイズを手に目の前にいるキープへと向かって口を開く。
「……さて、向こうも始めたようだし、こっちもそろそろ始めるとするか」
レイが一歩を踏み出すと、先程までの威勢の良さは嘘のようにキープは数歩下がる。
そんなキープに従い、騎士達も後ろへと下がった。
再びレイが一歩踏み出し、キープ達が下がり……そんなことを数度繰り返すと、レイは呆れたように口を開く。
「おい、いつまで逃げ回るつもりだ。仮にも貴族なんだろ? 最後くらいしっかりと貴族らしい誇りを見せてくれよ。それに、これ以上は逃げられないぞ?」
レイの口から出た言葉を聞き、キープは反射的に後ろを向く。
騎士達もキープの動きに釣られるように背後を見る。
それは、レイという存在を前にしては致命的な隙。
だがそれでも、レイは攻撃する様子も見せずにただキープ達が背後を見て、そこで自分が連れて来た男達とフロンやブラッソ、元遊撃隊の面々の戦いが行われており、それ以上後ろに下がれないのだということを自覚させる。
「もう逃げられないことは分かったな? じゃあ、そろそろいいか? 俺も無駄な時間を過ごすのはあまり好きじゃないしな。……セト、お前はそっちの騎士三人を頼む」
「グルゥ!」
レイが一歩前に踏み出すのと歩調を合わせるようにして前に進んでいたセトは、レイの言葉に喉を鳴らすとその視線を騎士達の方へと向ける。
ランクAモンスターと戦うのは当然初めての騎士達は、セトから発せられる威圧に腰が引け……それでもキープを守る為に長剣を構え、セトと向き合う。
(へぇ)
てっきり騎士達はキープを置いて逃げ出すのかと思っていたレイは、意外な展開に驚きの表情を浮かべる。
「ま、頑張ってくれ。こっちはこっちでやらせて貰うから」
デスサイズを手に近づくレイ。
それを牽制しようというのだろう。キープは持っていた槍を振るう。
……ただし、それはとても槍の訓練をしてきた者の動きではなく、何の理もなく適当に振り回しているだけだ。
戦いを知らない相手であれば、近づくのは難しかったかもしれない。だが、レイを相手にしてその行為は全く意味がない……どころか、ただ大きな隙を生むだけだった。
デスサイズを振るい、槍に当てる。
その瞬間甲高い金属音と共にキープの手から槍が弾かれ、真上へと飛んでいく。
「ぎゃああああっ、痛い、痛い、痛い!」
デスサイズへと槍がぶつかった衝撃の痛みに、その場で踞って泣き叫ぶキープ。
そんな様子を見ながら、デスサイズを握っていない方の手を伸ばし……次の瞬間には、真上に弾かれた槍がその手に握られていた。
「グルルルルルゥッ!」
セトの鳴き声にレイがそちらへと視線を向けると、そこでは水球やウィンドアローによる攻撃で意識を失った三人の騎士の姿があった。
戦闘前にレイが口にした、なるべく殺さない方がいいという言葉を理解していたのか、騎士達は怪我を負ってはいるようだが致命傷ではない。
キープに率いられてやってきた男達の方も、そのうちの多くが実力の違いが如実に出て次々に意識を失い、あるいは命を失って地面へと倒れている。
「ほら、もうお前達は終わりだ。大人しく捕まれ。お前の連れて来た者達もほぼ全滅だぞ」
レイの口から出た言葉に、腕を押さえて泣き喚いていたキープは慌てたように背後へと視線を向ける。
そこに広がっていたのは、レイの言葉通りの光景だった。
自分の護衛の騎士達は既に全員が気を失っており、男達の方もあれだけの数がいたのに、既に殆どが地面に倒れている。
「ほら、お前の企みは失敗したんだ。大人しくこっちに捕まれって」
「……うるさい! 貴様、一体何の恨みがあってこんな真似をする! 貴族である俺に逆らって! くそがぁっ!」
レイへの恐怖を自らの中にある憎悪で染め、懐から取り出した短剣を手に走る。
短剣の鞘は投げ捨てられ、その刃をレイの顔面……ドラゴンローブに覆われていない場所へと向かって突き出す。
キープ自身に全く自覚はなかったが、実はこれが現在のキープが取れる最良の選択肢でもあった。
ドラゴンの革や鱗を使って作られたドラゴンローブは、非常に高い防御力を誇る。
それこそ、生半可な武器では傷すらも付けられない程に。
だが、それはあくまでもドラゴンローブのある場所だけであり、いわゆる魔力障壁やバリア、または炎帝の紅鎧のようにレイの身体そのものを覆っている訳ではない。
つまり、ドラゴンローブのない場所……顔面や腹には普通に武器の攻撃は効果があるということになる。
特に顔面は一撃当たれば致命傷となるのだから。
もっとも……
「それは俺に当たれば、だけどな」
その一言と共にキープを待ち受け、デスサイズを振るう。
夜の空気を斬り裂くかのような、銀線が二条。
次の瞬間にはキープの両肩から先が切断されて夜空へと舞い上がり、月明かりに照らされながら地面へと落ちるのだった。
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