第902話

 決闘が行われた日の夜、冬だというのに、この日はギルムのいたる場所で宴会が行われていた。

 冬に行われた祭りや、何より決闘を見ていた者達が興奮冷めやらぬままに騒いでいたのだ。

 ……殆どの者が喜んで気分が高揚して酒を飲んだり、食べ物を食べたりとしていたが、勿論ギルムにいる者達の全てが陽気に騒いでいた訳ではない。

 貴族街にある国王派の貴族の屋敷に集まっていた貴族達は、苦々しげな表情を浮かべながら酒盛りをしていた。

 用意されているのは高価な酒であったり稀少な食材を使った料理であったりするのだが、それを囲んでいる貴族達はとてもではないがそれを味わうことが出来ないでいた。


「くそっ、エリエル伯爵家は何を考えている!? あのような愚物を送ってくるとは!」


 一人の貴族が、親の仇とでも言いたげにコップをテーブルへと叩きつけながら叫ぶ。

 それを聞いていた者達の反応は二つに分かれる。

 片方は苦々しげに叫んだ貴族を眺め、片方は叫んだ貴族に同意するように叫ぶ。

 国王派ということでこの屋敷に集まっている貴族達だが、ミレアーナ王国三大派閥の中で最も人数が多いだけに、国王派の中でも幾つかの派閥に別れている。

 苦々しげな表情を浮かべているのは、キープを送ってきた者と同じ派閥に属する者達。

 叫んだ貴族に同意している貴族は、それ以外の派閥の者達。

 綺麗に二つに分かれた国王派の貴族達だったが、後者の貴族のうちの一人が口を開く。


「このままでは、国王派の面子は地に落ちますぞ。シスネ男爵家などという貧乏貴族のメイドを力尽くで奪おうとしたというだけでも外聞は悪いというのに、更に決闘へと持ち込み、大敗。何を思ったのかエリエル伯爵家の財産の半分を賭け、しかもそれが法的に処理されている」

「そうじゃな。何を考えてあの者はこのような真似をしたのか……」

「何も考えてないからこそでしょう。とにかく、あのキープという愚物がやらかしたことは愚行の中の愚行。そして何より問題なのは、奴が国王派であるということです。……お聞きしたいのですが、皆様方の派閥は何を思ってあのような者をギルムへと送り込んだのですかな?」


 責める視線を向けられたのは、キープをギルムへと送るように工作した派閥に属する者達。

 苦々しげな表情を浮かべつつ、その中の一人が口を開く。


「私達としても、まさかここまで馬鹿な真似をやるとは思っていなかったというのが正直なところですね。本来であれば、程々の騒ぎを起こして国王派の上層部が介入し、中立派と貴族派の間に楔を打ち込むつもりだったのですが……」

「それがこのような結果になるとは、さすがに……まさか、ここまで馬鹿な問題を起こすとは」

「然り、然り。あのような者を送ってきた王都にいる者達こそ責められるべきであり、このギルムにいる儂等は共に国王派として手を取り合い、協力していかなければならん」


 キープを送ってきた派閥の者達の都合のいい言葉に、他の者達は不愉快そうな表情を浮かべる。

 だがそれでも不満を口にしないのは、事実協力し合っていかなければならない為だ。

 確かに自分達はミレアーナ王国の中でも最大派閥である国王派に所属する貴族だ。

 だがそれを言うのであれば、このギルムは中立派の本拠地でもある。

 ここで仲間割れをしようものなら、ダスカー含む中立派の貴族や……もしくは貴族派の貴族に何か妙なちょっかいを出してこられる可能性がある。

 それを防ぐ為には、やはり国王派として一致団結する必要があるのは事実だった。

 それこそ、今日行われた決闘は国王派に少なからぬ傷を負わせたのだから。


「……確かに我等が協力していく必要はあるでしょうな」


 その一言により、取りあえずの責任論に関しては棚上げされることになる。

 そうなると、次に問題になってくるのはキープのこと。


「それで、あのお漏らし殿の件はどうなさるつもりかな?」


 貴族の一人が呟いた言葉に、思わず皆が噴き出す。

 伯爵家の次期当主ともあろう者が、まさか人前で漏らすなどという真似をするとは、この場にいる誰もが思いもよらなかった為だ。


「お漏らし殿のことだ。恐らく短絡的な行動に出るだろうな」

「例えば、シスネ男爵家を襲撃して皆殺しにし、それで全てをなかったことにするとかか?」

「だが、それは既に試しただろう? その上で結局屋敷の護衛に雇われた冒険者に撃退されたんだろうに……幾らお漏らし殿でも、一度失敗した手を使うか?」

「お漏らし殿だからこそ、他に手がなければ一発逆転に賭けると思うんだが」

「ふむ。ではどうする? この件をラルクス辺境伯に知らせるか? そうすれば、少なくてもお漏らし殿の行動は国王派が認知していないものだと示すことになるのでは?」

「……ふむ、それはいいかもしれないな」


 国王派の貴族達が皆頷き、早速領主の館に人を走らせようとした、その時。

 乱暴に扉を開ける音が周囲に響き、その場にいた者達の視線が部屋の入り口へと向けられる。

 その視線が咎めるようなものになったのは、この場にいる者達が貴族であるということを考えれば当然だろう。

 そんな不躾な侵入者に対し、屋敷の主が苛立たしげに叫ぶ。


「何をしている!」


 だが、怒鳴りつけられた男は寧ろ助かったといった表情を浮かべて、主人の方へと足早に近づく。

 その様子に館の主人も疑問を持ったのだろう。微かに眉を顰めながら男が近づいてくるのを待つ。

 そして、男は主人の耳にたった今入って来た情報を口にする。


「馬鹿なっ! 幾ら何でも早すぎるだろう!」


 信じられないと言いたげに叫ぶ。

 そうなれば当然じっと様子を見ていた他の貴族達も、何が起こったのかと興味を引かれる。

 だがこの屋敷の主の貴族は、仲間の好奇心に満ちた視線を気にした様子もなく口を開く。

 たった今、自分が聞かされた情報を仲間へと知らせる為に。


「今、部下から報告があった。……奴が、キープが引き連れていけるだけの戦力を引き連れ、シスネ男爵家へと向かったらしい。その数、五十人以上」

『なっ!?』


 その報告に、その場にいた全員が驚愕の声を漏らす。

 確かにキープがシスネ男爵家を襲撃するかもしれないというのは予想していた。

 だが、まさか今日この夜にいきなりそんな真似をするとは、全く思いも寄らなかったのだ。

 

「幾ら何でも行動を起こすのが早すぎるだろう!?」

「馬鹿だから、深く考えずに行動を起こしたんだろうよ!」

「五十人以上? どうやってそんな人数を揃えた?」

「どうする!? あのお漏らし殿のせいで、こっちまで被害が及んできては目も当てられんぞ!」


 余りにも予想外過ぎる動きに、その場に集まってきた国王派の貴族達はどうするべきか議論を纏めることは難しかった。






 時は戻る。

 決闘が終わり、冬の夕日も沈んで夜になりかけた頃、キープは自分の部屋で荒れに荒れていた。


「がああああああああっ! くそっ、くそっ、くそぉっ! 何だってこんなことになる! 俺が何をした! 何だって皆が俺を笑いものにする!?」


 近くに飾られていた槍を大きく振るい、部屋の中にある家具へと八つ当たりをする。

 身体を鍛えたことのないキープだけに、槍を振るう速度は遅く、鋭さもない。 

 それでも部屋の中にある家具を壊すことくらいは出来た。

 もっとも、執務机のような頑丈な家具はキープの腕に強烈な痺れを与えることになっていたのだが。

 それすらも苛立たしいと、槍を振るって家具を壊し続け……


「そうだ……俺は悪くない。誰が見ても、どこからどう見ても俺は悪くない。悪くないんだ。悪いのは俺に逆らったあの貧乏貴族。爵位も下の貧乏人の分際で俺に逆らいやがって……そもそも、あいつらがいなくなれば俺の失態は全てなかったことになる。そう、つまりあの邪魔者さえ消してしまえば……」


 今回の決闘が行われた理由は、既にキープの中では全てがシスネ男爵家が悪いと都合良く改変されていた。


「あの諸悪の根源さえいなければ、俺はまだ……まだやり直せる。そう、例え相手が誰であっても俺の邪魔をした奴が悪いんだ。俺は悪くない。奴等が俺に攻撃を仕掛けてきたのが悪いんだ。そうだ、そうに決まっている」


 槍で殴った為に傷が出来た壁を見ながら呟いていたキープだったが、やがて扉がノックされる音と共にその呟きは消える。


「誰だ」

「私です、キープ様。決闘前に言ってた通り、既にシスネ男爵家を襲撃する準備は整っています。後はキープ様が命令を下し、先頭に立ってシスネ男爵家に攻め込めば全ては丸く収まります」


 扉を開けて姿を現したフルトスの言葉に、キープは一瞬目を輝かせ……だが、自分が先頭に立ってと聞かされると尻込みをしてしまう。


「お、俺が先頭に立つのか? 何だってそんな危険な真似をしなければならない?」


 普段は偉そうにしているのに、いざ自分が危険になるかもしれなくなると途端に尻込みをする。

 キープの性格は分かっていたフルトスだったが、それでも内心で舌打ちするのを止めることは出来ない。


(私がこの場から逃げるには、誰かが他の場所で大きく騒いで注意を引き付ける必要がある。それには、今日の件で高い注目を得ているこの男が暴れるのが最善の選択肢。何とかこの男をその気にさせなければ……)


 元々決闘に負けてしまえばキープの廃嫡は避けられない未来。

 そして、キープの部下として共にギルムへとやって来たフルトスも、当然ただで済まないのは明らかだ。

 首になるだけならばまだいいが、下手をすれば物理的な意味で首を飛ばされかねず、キープのような男の巻き添えでそんな目に遭うのは絶対にごめんだった。

 そうである以上、キープに注意を引き付け、その間に可能な限りのお宝を持って行方を眩ますしかない。

 そんなフルトスにとって、キープが目立ってシスネ男爵家へと襲撃を仕掛けるというのは必須事項だった。


「安心して下さい、キープ様。こちらが集めた人数は五十人を超えています。幾らあのレイが強くても、この人数差ではどうにもならないでしょう。それに、今キープ様が皆を率いてシスネ男爵家を襲撃すれば、キープ様が欲していたあのメイドも手に入ります。ですが、キープ様抜きでとなると……統率を失った者達があのメイドを好き勝手にしてしまうかもしれませんが」

「……何だと?」


 今まで怯えを見せていたキープの動きが、フルトスの一言によって止まる。

 これには、恐らく大丈夫だろうと思っていたフルトスも微かに驚きの表情を浮かべた。


(何だってそこまで、あのメイドに拘るんだ? そこまでして手に入れたい程の美女という訳でもなかっただろうに。いや、あのメイドを手に入れようとしたせいでこんな目に遭っているんだから、せめてあのメイドだけでも手に入れたいとか、そういうことか? どのみち私にとっては都合がいいが)


 フルトスにとっては、そこまでアシエに固執する理由は分からずとも、キープがやる気を見せたというだけで十分だった。


「ですので、ここはキープ様が先頭に立ってシスネ家を襲撃し、今回の件を全てなかったことにしてしまうのが最善の選択肢かと。あのメイドも、自分が仕えるシスネ男爵が死んでしまえばキープ様の下に来るのを拒みはしないでしょう」


 余りにもあからさまな言葉。

 普段であれば、キープであってもフルトスの態度におかしなものを感じただろう。

 だが、今のキープはとてもではないが正気であるとは言えなかった。

 怒り、羞恥、欲望といったあらゆる負の感情がキープの中に存在し、暴れ回っている。

 その全てが解消されると言われては、キープがそれに逆らうことは出来なかった。


「分かった、行く、行くぞ! 俺をこんな目に遭わせた奴に、思い知らせてやる! 他の奴等は使い物になるんだな!? 今日の決闘のように役立たずだけを揃えたとかいうことは絶対にないんだな!」


 それでも確認の言葉を発する辺り、キープの臆病さを現しているのだろう。


「はい、腕の立つ者を多く揃えています。キープ様が思う通りに暴れられるかと。その苛立ちを思う存分発揮してきて下さい。キープ様はエリエル伯爵家の次期当主であり、あのような貧乏男爵家など取るに足らない相手なのですから」

「そうだな。ああ、そうに決まっている。全て俺が正しい。あのような奴等に煩わされることそのものが間違っているんだ。そう、俺のこの鬱憤を思い切り晴らしてくれる!」


 握っていた槍をそのままに、キープは部屋を出て行く。

 また、廊下に待機していた護衛の騎士達もそんなキープの後を追って行くのを確認し、フルトスの口には笑みが浮かぶ。

 もっとも、その笑みは嘲笑と呼ぶべきものだったが。


「さて、囮が派手に目立ってくれて他の奴等の目を引き付けてくれてるんだ。こちらもなるべく早く屋敷から出ないとな。金目の物はありがたく貰っていくから、精々頑張って目立って下さいね、キープ様」


 様付けしている割りには敬意も何もなく呟き、フルトスはこの屋敷から逃げ出す準備を整えるべく、部屋を後にするのだった。

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