第896話
「ぐあっ!」
悲鳴を上げ、一人の男が地面へと倒れる。
それを眺めていた女は、呆れたように呟く。
「はっ、まさかレイの心配した通り、本当に夜襲に来るとはな。まぁ、人数を揃えるのが遅れたせいか、昨日じゃなくて今日の襲撃になったようだが。レイと戦いたくないというのは分かるが、それでも正直過ぎだ。しかも襲撃してくる割りには技量が低いし」
「いやいや、言われる程でもないじゃろ。それなりに腕は立つぞ? まぁ、それでも儂やフロンを相手にするのは厳しいし、ランクD相当といったところじゃが」
こちらもまた、巨大な槌を手にしたドワーフが呟く。
そのドワーフの足下にも数人の人影が倒れていた。
「はっ、ランクDだろうが何だろうが、ブラッソの持っている地揺れの槌で殴られりゃあ、それはどうにもならないだろうよ。それより、こっちはいいが……」
フロンが言葉の途中で視線を別の方へと向けると、丁度そのタイミングを待っていたかのように何者かが近づいてくる足音が聞こえてきた。
既に周囲は暗く、真夜中……と言うには少し早いが、それでも明るさは屋敷にある明かりのマジックアイテムと、空の月しかない。
護衛をやるうえで、雪が止んで風もそれ程強くないというのは最適な環境だろう。
そんな夜の闇を破るように姿を現したのは、見覚えのある顔だった。
レイの知り合いだという冒険者達の一人だ。
「フロンさん、こっちの侵入者は三人。全て捕縛に成功しました」
「中々やるな。レイの知り合いって時点でそのくらいの腕は期待してたけどよ」
フロンの口から出たのは、間違いなく褒め言葉。
だがその褒め言葉を受け取った男の方は、微妙に嫌そうな表情を浮かべる。
「あの、確かに俺達はレイさんの紹介でこの護衛の仕事を任せられましたが、それでもレイさんのような常識外れの力を期待されても困りますよ?」
レイのような存在と一緒にされては堪らない。
そんな思いを口にする男の視線は、フロンとブラッソの方へと向けられる。
レイは自分達に護衛をして欲しいと依頼してきたが、それよりも前に目の前にいる二人へと声を掛けたのだ。
それは即ち、自分達よりもこの二人の方に信頼を置いているということになるだろう。
レイと一緒にされるのはごめんだが、それでも自分達よりもレイに信頼されている二人が少し羨ましかった。
男の視線に気が付いたのだろう。フロンは首を傾げて口を開く。
「どうした?」
「あ、いえ何でもありません。それより……まさか本当に襲撃を仕掛けてくるとは思いませんでしたね」
「だな。まぁ、向こうも退くに退けないんだろ。レイから聞いてるよな? 向こうが決闘に賭けたものを」
フロンの口から出た言葉に、ブラッソが不機嫌そうに鼻を鳴らして口を開く。
「ふんっ、相手は典型的な馬鹿貴族だ。レイを自分の目で見ても、その実力を見抜くことは出来なかったんじゃろうな。それでようやくレイがどんな奴かを知って、場当たり的に手を出してきてるんじゃから、無能としか言いようがないわい」
酒浸りの生活を邪魔された為か、ブラッソの言葉には明らかに棘がある。
だが、その言葉が事実なのも間違いない。
「レイさんがどんな人物かを理解したのなら、決闘そのものを中止にしてしまえばいいと思うんですけどね。幾ら法的に処理されてしまったからって、お互いの合意があればどうとでもなるのでしょう?」
「そうだな。ただし、その場合はその貴族……エアリエル伯爵家だったか? その貴族が面子を潰された形になる。自分より爵位の低い相手に全面的に降伏したんだからな」
「エリエル伯爵家ですよ。……面子、ですか。確かに貴族としては面子も大切でしょうけど、レイさんを相手にするよりは面子を失った方が、まだダメージが少ないと思うんですけど」
その言葉にフロンとブラッソの二人は頷くが……それが我慢出来ないからこそ、こうして夜襲を仕掛けてきているというのも事実。
「それより、この気絶した人達はどうします?」
「そうだな、一応捕らえておけ。こいつらがそのエリエル伯爵家の手の者かどうかは分かんねえが、もしそうなら決闘が終わった後の交渉に使える。もしエリエル伯爵家の者じゃなくても、雇い主から辿ることは出来るかもしれないしな」
そう告げ、フロンは意識を失って地面に倒れている刺客へと冷めた視線を向けるのだった。
「ふざけるなぁっ!」
怒声と共に振るわれた拳が、机の上のコップを弾く。
ガラスで出来た、庶民ではとても手に出来ない値段のコップだったが、次の瞬間には床へと落ちて割れる。
それを見ても、叫んだ人物……キープは苛立ちが収まることはないままに目の前のフルトスへと向かって、怒りに燃えた視線を向けていた。
「お前の提案に従って貧乏男爵を暗殺しようとしたってのに……その結果が全滅だと!? しかも殆どが生きて捕らえられたってのはどういうことだ! 奴等の中には、細いとはいえ俺との繋がりがある奴もいるんだぞ!」
「そちらに関しては安心して下さい。キープ様に累が及ぶようなことにはならないと思います。……しかし、まさかこうも早く護衛を揃えるとは思いませんでした。……申し訳ありません」
「謝れって言ってるんじゃない! 現状をどうにかしろと言ってるんだ!」
頭を下げるフルトスへと向かって怒鳴りつけるキープの表情に浮かんでいるのは、焦燥。
レイという人物の実力がどれ程のものなのかを知ってしまったが故に、現状がどのような状況になってしまっているのかを理解してしまったのだ。
その絶望的とすら言える現状を何とかしようと、会心の一手として行われたのが、物盗りに見せ掛けたシスネ男爵家への襲撃。
レイを相手に勝てないのであれば、決闘の相手でもある大本をどうにかしようとして行われたものだ。
だが、その結果は今キープが口にしている通りだ。
「どうしろってんだよ! しかも、祭りだと!? あの辺境伯、何を考えてやがる!」
キープが怒り狂っている、もう一つの理由。
それは、今朝になって領主であるダスカーが布告した内容だ。
即ち、三日後に行われる祭り。
今回の決闘にかこつけて行われるその祭りの目玉は、当然決闘だった。
そんな多くの目がある中で、エリエル伯爵家の次期当主である男が爵位が下の相手に負けるようなことにでもなれば、実家の面子に泥を塗るようなものだ。
更には、エリエル伯爵家の財産の半分がなくなってしまう。
どう贔屓目に見ても、現在の当主である父親に切り捨てられるのは確実だろう。
いや、下手をすれば切り捨てるだけではなく、文字通りの意味で斬り捨てられるかもしれない。
自らの血筋に絶対の自信を持つキープにとって、そんなことは絶対に許せることではなかった。
「どうする……どうすればいい? 大体、あのレイとかいう奴があんなに強いなんて、何かの間違いじゃないのか?」
一縷の希望を込めてフルトスへと向かって尋ねるが、戻ってきたのは首を横に振る否定。
「私も、もしかしたら……と思って色々と調べてみましたが、レイが強いというのは間違いのない事実のようです。春に起きた戦争へ共に参加した者達からの証言も得られていますから」
「はっ、所詮は冒険者風情。自分達を少しでも大きく見せようとして、噂を大きく広めているだけじゃないのか?」
自分の信じたいことが真実だとでも言いたげに告げるキープだったが、フルトスはそれにも首を横に振る。
「ラルクス辺境伯に仕える騎士の方にも手を回して、情報を集めました。あの噂は間違いのない事実……いえ、それどころか過小評価されている可能性もあります」
「じゃあ、どうしろって……待て。レイってのが強いのは分かった。それでも結局あいつは冒険者なのに間違いはないんだな?」
ふと、何かを思いついたのか、キープの目に希望の光が宿る。
そんな自分の主人の様子に、微妙に嫌な予感を覚えながらもフルトスは小さく頷く。
「はい。春の戦争の時のようにラルクス辺境伯に雇われたりすることはあるようですが、ラルクス辺境伯の部下という訳ではありません」
「……ふんっ、そうか。なら所詮は冒険者風情。少し金を恵んでやればこっちの命令を聞くだろう。ふむ、そうだな。いっそのこと、あのレイとかいう奴を俺の直参として仕官させてやってもいい。深紅とかいう異名を持っている奴だ。多少は役に立つだろう。それに、グリフォンを従魔にしてるんだったな? それも見栄えがいい」
セトとレイを従えた自分の姿を思い浮かべているのだろう。キープの口元には満足そうな笑みが浮かんでいる。
それを見ていたフルトスは、キープの意見にしては良案なのでは? と思わず感心する。
敵を味方に引き入れるというのは使い古された手段だが、それは効果があるからこそ多用され、それ故に使い古されるのだ。
もしもキープの思いつきが上手くいけば、それは一発逆転の好機となる。
ただし、キープとフルトスの二人はレイが貴族に仕官するというのを全く疑っていないところに、大きな落とし穴があった。
レイ本人は貴族に対して基本的に好意を抱いていない。
だがエレーナやダスカー、それ以外にも何人かの貴族に対しては話が別で、好意を抱いている。
それ故に、レイが貴族に対してどう思っているのかというのは噂でも知ることが出来なかったのだろう。
……もっとも、春の戦争の時にレイの手により貴族派の貴族が死ぬ寸前の目に遭わされているというのも事実なのだが。
「そう、ですな。確かにそれは名案です。もし上手くいけば、決闘で向こうに負けさせることすら出来るかもしれません」
「なるほど。なら人を雇わずとも、俺が決闘に出てもいいかもしれんな。そうすれば、労せずして俺は異名持ちの冒険者を倒したという名誉を得られる」
完全に取らぬ狸の皮算用と言うべきだが、キープ本人は自分の策は必ず成功すると信じて疑っていない。
エリエル伯爵家の次期当主である自分に仕えられるのだから、冒険者風情には過ぎた待遇だろうと。
フルトスもキープ程ではないにしろ、この策が上手く行く可能性は決して少なくないと判断する。
「キープ様、さすがに決闘に出るのは止めておいた方がいいかと。こう言ってはなんですが、キープ様が言う通り相手は所詮冒険者。何かの間違いで本気で攻撃してくるとも限りませんので」
「そうか? ……そうか。そうだな。相手は所詮冒険者。道理も何も分かったものではないか」
もしギルムの住人が聞けば、お前が言うな! と叫ばれそうになる言葉を呟きながら、キープはフルトスへと視線を向け、頷きを返す。
「分かった。多少の金で決着が付くのであれば、それがいいだろう。あのアシエとかいう女も手に入って、異名付きの冒険者も手に入る。……そうだな、金貨を数枚渡してやればいい」
「金貨、ですか? それは少し少な過ぎるのでは? 相手は十代半ばで異名持ちになった冒険者です。そのような相手を手に入れるのですから、白金貨の方が……」
「冒険者風情に、そこまで譲歩しろと?」
フルトスの言葉が気にくわなかったのだろう。キープの言葉が不愉快そうな色を帯びる。
そんなキープを見て、すぐに頭を下げるフルトス。
相手が癇癪を起こしやすいというのは長年の付き合いで理解しているので、その対応も慣れたものだった。
「キープ様が不愉快に思う気持ちも分からないではないですが、ここで大きな度量を示すことにより、レイもキープ様に対して深い忠誠心を抱くのではないでしょうか?」
「うん? 度量の広さ……度量の広さか。ふむ、そうだな。確かに冒険者風情に対してそこまで考えれば俺の偉大さを理解出来るか。なるほど、分かった」
度量の広さという言葉が気に入ったのだろう。キープは数秒前の不愉快さは嘘のように満足そうに笑みを浮かべ、口を開く。
「よし、その条件でいい。早速手を回せ」
「はい、ただちに」
フルトスは頬と顎の肉を揺らしながら、素早く頭を下げる。
夕食を済ませ、レイは夕暮れの小麦亭で二つの魔石を眺めていた。
その手の中にあるのは、ダンジョンを攻略した時に得たオーガの魔石と、普通のガメリオンの魔石。
どちらも、まだ吸収していない代物だ。
だが……それを見るレイの目はあまり嬉しそうではない。
「ガメリオンの魔石はともかく、オーガの魔石はちょっと嫌な予感しかしないんだよな」
明らかに通常のオーガよりも小さく、弱かった相手を思い出しながら呟く。
魔石を吸収しても、弱い相手からの魔石だとすればもしかして弱体化するのではないか? そんな風に思った為だ。
ゴブリンのような弱いモンスターの魔石を吸収してはいるのだが、今回の場合はオーガという種族の中でも弱い個体の魔石であるというのが気に掛かっていた。
ベッドで横になりながら手にした魔石を眺め、どうしたものかと迷っていると……不意に部屋の扉がノックされる音が響く。
「失礼します。レイさん、ちょっとよろしいでしょうか? お話があります」
扉の外から聞こえてくるそんな声に、首を傾げながらもレイは魔石をミスティリングに戻してベッドから起き上がって、ミスティリングから取りだしたドラゴンローブを身につけ、扉の方へと向かう。
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