第897話

 魔石を見てゆっくりとした時間を過ごし、いつもであればもう数時間もすれば眠ってもおかしくない時間。レイは部屋で何者かの訪問を受けていた。

 一応レイも自分がそれなりに名前が広まっている冒険者であるというのは理解している。

 だからこそ、このような夜更け……と呼ぶにはまだちょっと早い時間ではあるが、そのくらいの時間に人が訪ねてきてもおかしくはないということは分かっていた。


(何か急な依頼か……それとも、俺を倒して名を上げようとする奴か、あるいはそれ以外か。さて、誰だろうな?)


 何があっても最低限の対処は出来るようにしながら扉に近づき、その向こうにいる人物へと声を掛ける。


「何の用件だ?」

「内密なお話があります。良ければ部屋に入れて貰えないでしょうか?」


 その声は、レイにとっても聞き覚えのないものだった。

 恐らく初対面の人物……と考えながら、扉を開ける。

 そして扉を開けたレイの前に立っていたのは、当然のように見覚えがない人物だった。


「……誰だ?」


 レイの口から出た言葉に、二十代半ば程の中肉中背の男は深々と一礼する。


「初めまして、レイさん。シエストと申します。実はとあるお方からレイさんに対しての提案を持ってきたのですが。良ければお話を聞いて貰えないでしょうか?」

「……まぁ、いいが。そうだな、部屋ではなんだし食堂で話を聞いてもいいか?」

「食堂、ですか。出来れば他の方には余り話を聞かれたくないのですが」

「そうは言ってもな。じゃあ、他の場所となると俺の部屋しかないぞ?」

「ええ、構いません。いえ、是非そうして貰えると助かります。あの名高いレイさんの部屋に入れて貰えるのだとすれば、この上ない喜びかと」


 大袈裟な程に喜ぶシエストに、レイはどこか呆れの混じった視線を向けつつも部屋の中に招き入れる。

 初対面の男を自分の部屋に上げるというのは、不用意極まりない。

 だが、レイの場合は並大抵の相手であれば、何か不測の事態があったとしても即座に対処出来る自信があった。

 それこそ、相手がベスティア帝国で戦ったランクS冒険者のノイズのような存在でもなければ、と。


「分かった、じゃあ入れ。生憎とソファのようなものはないから、その椅子に座って欲しい」


 シエストを招き入れ、自分はベッドの上に腰を下ろしながら告げるレイ。

 一瞬表情を強張らせたシエストだったが、次の瞬間にはそれを綺麗に消して口を開く。


「ありがとうございます、では失礼させて貰いますね」


 そう告げ、部屋に入ったシエストはレイの言葉通り、部屋に一つだけある椅子へと座る。

 それを確認すると、レイは早速口を開く。


「それで、こんな夜遅く……って程じゃないけど、こんな時間に何をしに来たんだ? しかも初対面の俺のところへ」

「ええ。実はレイさんが三日後に決闘をする相手のキープ様ですが……」


 そこまで言ったところで、レイは微妙に嫌な予感を覚える。

 だがそれを口に出すことはなく、視線で話を促す。


「レイさんを引き抜きたいと言っています。更に、支度金として白金貨数枚を支払うと」

「やっぱりな」


 何となく予想した通りの話の内容に、レイの口から溜息と共にそんな言葉が漏れる。

 そんなレイの言葉を耳にしたシエストは、その意味が分からなかったのだろう。不思議そうな表情を浮かべ、レイへと視線を向けていた。


「つまり、決闘が実際に行われてしまえば俺に勝つことは不可能だと悟って、買収しようとしたんだろ? それもご丁寧に白金貨程度で」


 白金貨というのは、一般人にしてみれば高額な貨幣であることは間違いない。

 だが、ある程度以上の実力を持った冒険者にしてみれば、決して稀少なものではない。

 そして何より、ミスティリングの中には白金貨はかなりの枚数存在している。

 一番新しいところでは、つい先日行われたガメリオン狩りだろう。

 その際にレイが乗ってきた……より正確には元遊撃隊の馬車を盗もうとした冒険者達から、白金貨を巻き上げている。

 そんなレイにとって、白金貨数枚でムエットを裏切れと言われるのは笑い話以前の問題だった。


「そもそも、今回の決闘に勝てばエリエル伯爵家の財産の半分はシスネ男爵家の物となる。そうなれば、決闘で勝利した俺に支払われる金額は白金貨数枚程度じゃないと思うんだが?」

「それは……ですが、相手はエリエル伯爵家ですよ? このまま決闘をしてしまっては、レイさんにも色々と不都合が……」


 ある。そう言おうとしたシエストに、レイは笑みを浮かべて口を開く。


「あると思うか? こう言ってはなんだが、ギルムにいる限り俺に不都合はないと思うんだがな。王都に行けば話は別だろうが。それに本当にどうしようもなくなれば、それこそミレアーナ王国から姿を消すということも出来る。何と言っても、俺は身軽な冒険者なんだから」


 正確にはそこまで簡単な話ではないだろう。 

 そもそも、ミレアーナ王国を出奔するということになってしまえば、エレーナとも会いにくくなるのは確実だった。

 毎晩という訳ではないが、そこそこ頻繁に対のオーブでエレーナと話をしてはいるが、それでもやはり会えるのであれば直接会いたいと思うのは当然だろう。

 だがそれを知らないシエストは、あっさりと国を捨てると口にするレイにただ驚くことしか出来なかった。


「さて、話は終わったな。じゃあ、帰ってくれ。お前の主人が誰なのかは今の話で想像出来るが、敢えて詮索しないことにする」


 キープに仕官するように言ってきたのだから、シエストが誰の手の者なのかというのは容易に想像出来た。

 だが、それを告げれば面倒なことになるというのは分かっていたので、レイはそれを受け流す。


(にしても、まさか真っ先に俺を買収しに来るとはな。シスネ男爵家の方に襲撃を仕掛けると思ってたんだが……俺の読み違えか?)


 目の前の男を見ながら、レイは自分の読み違いに安堵しながら残念がるという複雑な思いを抱く。

 正確には既に襲撃を行っており、そちらが失敗したからこそレイの買収という手段に出たのだが、レイがそれを知ることはない。


「ほ、本気ですか!? 相手はエリエル伯爵家ですよ? 国王派の中でも一定の勢力を持っている貴族です。だというのに、その次期当主の方からの要請を断ると!?」


 レイの口から出た言葉が余程信じられなかったのだろう。シエストは目を大きく見開きながら呟く。

 だが、そんなシエストに対してレイが返したのは、獰猛な笑みだった。


「何だって俺があんな奴にわざわざ仕えなければならない? 俺を従えたいのなら、親の権力や家の金じゃなくて、自分の力を示すんだな。そうすれば考えてやらないこともない。……もっとも、並大抵の器じゃ俺という水を収めることは出来ないだろうが」


 笑みを浮かべて告げつつ、レイは自分が貴族に仕えるという場面を全く想像出来ないでいた。

 そもそも、自分は独断専行ともとれる単独行動をすることが多く、あくまでも個人として動いて初めて有効に動く存在であり、他の騎士の行動に合わせるようにして動けば、能力を思う存分発揮出来ないという思いも強い。


「……分かりました。そこまで言うのであれば、この辺で失礼します。ですが、このような好機は普通は有り得ないのだというのを理解して下さい」


 目の前にいる人物が全く理解出来ないといった視線を向け、シエストは椅子から立ち上がると一礼し、部屋から出て行く。

 それを見送ったレイは、ドラゴンローブを脱いでミスティリングに収納するとベッドの上に寝転がる。


「さて、俺を買収しようとしたってことは、俺が誰なのかを悟ったってことだ。少し動きが遅いような気もするけど」


 明日からの行動を思いながら、レイはミスティリングの中から本を取り出して読み始めるのだった。






「……何? もう一度言ってみろ」


 部屋の中に響くのは、相手が何を言っているのか分からないといった言葉。

 その言葉を聞きながら、フルトスは顔に浮かび上がる汗を服で拭う。

 浮かび上がる汗は、部屋にある暖房のマジックアイテムが理由ではなく、緊張によるものだ。


「レイはキープ様に仕えることを拒否した、と」

「……何だ、それは。一体どうなっている? 俺はエリエル伯爵家の次期当主だぞ? その俺に対して、ただの冒険者風情が仕官の話を断るだと? 何様のつもりだあの男はぁっ!?」


 怒声と共に振るわれた拳が、机を叩く。

 皮が破れて血が流れたが、キープは興奮により痛みを全く感じた様子もなく叫ぶ。


「ふざけるなぁぁぁああぁっ! この俺がわざわざ仕官させてやると言っているのに、それを断るだと! くそっ、貴族を相手にふざけた真似をしやがって、絶対に許さんぞ!」


 キープの中では、わざわざ冒険者へと手を差し伸ばしてやった手に噛みつかれたようなものだ。

 自分が……否、貴族という立場がただの冒険者風情に侮辱されたに等しく、決して許せる筈がなかった。


「フルトス! 決闘で奴を……あのレイとかいう下賤の者を殺せる者を用意しろ! 俺を侮辱した罪は、その命で償わせてやる!」


 怒気を込めた視線でフルトスへと命じるが、それに対するフルトスの返事は首を横に振るというものだった。


「お忘れですか、キープ様。元々私達がレイをこちらに取り込もうとしたのは、あの者に勝てる人材を用意出来なかったからです。それは今でも変わってません。このギルムは元々中立派の本拠地。国王派としての影響力や、エリエル伯爵家としての影響力も万全には発揮出来ません」

「ぐぬぅっ……では、どうしろというのだ! このギルムで強い冒険者を……いや、待てよ? ここで強い冒険者を雇うことが出来ないのであれば、わざわざギルムに執着する必要はない。確か、近くに別の街があったな? アブエロとサブルスタとかいう……」


 起死回生の策を思いついたと笑みを浮かべるキープだったが、それに返ってきたのは、またしても首を横に振るというフルトス。

 レイと戦わなければならないと思った時に、一応フルトスもそれは考えたのだ。

 だが、すぐにその考えを却下せざるを得なかった。


「キープ様。ここはギルムなのです。つまり、ミレアーナ王国の中でも王都に勝るとも劣らぬ程の強さの冒険者が集まる場所。そんなギルムの中でも実力派として名前の売れているレイを相手に、他の街の冒険者が決闘をするかと言われれば……それに、時間も殆どありません」

「ふざけるな! それでもどうにかしなければならないだろ! このままだと、うちの財産の半分が持って行かれるんだぞ!」


 叫ぶキープだったが、フルトスにしてみれば、何故財産の半分を賭けるなんて真似をしたのかと言いたくなる。


(せめて法的な処理をせず、口約束であればどうとでも言い逃れが出来たものを)


 内心で苦々しげに呟いている間にも、キープの怒鳴り声は部屋の中へと響く。

 それを聞き流しながら、どうにか現状を打破する手段がないかとフルトスが考えていると、不意にキープが何かを思いついたかのように動きを止める。

 そんな自らの主君の様子に嫌な予感を覚えながらも、フルトスは口を開く。


「キープ様、どうなされました?」

「……俺がこんな目に遭っているのは、全てラルクス辺境伯の下に俺の血判が押された書類があるからだな?」

「え? まぁ、そうですね。あの書類があるから、言い逃れ出来ない状況になっているのは事実ですし」

「なら、その書類をどうにかしてしまえばいいんじゃないか? そう、例えばどこぞの盗賊か何かが忍び込んで盗みを働くとか」

「無理です」


 ふざけるな! と叫びたくなるのを我慢し、フルトスは断言する。


「領主が住んでいる場所ですよ? 当然警護はきちんと行われています。特にラルクス辺境伯領の騎士達は精鋭揃いで評判です。とてもではないですが、その目を掻い潜って忍び込むなんて真似は出来ないかと」


 フルトスは口に出さなかったが、他にもダスカーが自分達の動きを見抜いている可能性もあると考えていた。

 キープであれば、そこまで短絡的な行動を起こしてもおかしくないだろうと。


「じゃあ、どうしろって言うんだ!」

「それは……」

「代案がない癖に、文句だけは一人前だな! だが、領主の館を襲うのが難しいなら、いっそギルムそのものを消滅させてしまうか? 人を雇って街中で一斉に火を放てば決闘どころではなくなるだろう」

「おやめ下さい! そんな真似をすれば、エリエル伯爵家は破滅です!」

「だから、文句を言いたいのなら、代案を出せ!」


 怒鳴りつけられても、フルトスの口から代案が出ることはない。

 だがそれでも……領主の館に忍び込んだり、あるいはギルムに火を放つなどという真似をさせる訳には決していかなかった。

 そんな真似をすれば、キープだけではなく自分の命すらも危うくなるのは確実だろう。

 自分の命を何とかする為にも、フルトスが出来るのは一つだけ。


「分かりました。何とかレイに勝てる強さを持つ者を探します。なので、どうにか軽はずみな真似はお控え下さい」


 決闘までの、残り数日。

 その間に、何とかレイに対抗出来る人物を用意するしかなかった。

 フルトスの口から出た言葉に、キープは満足そうに頷く。

 レイに勝てる相手を見つけられるのであれば、心配はいらなかったからだ。

 もっとも、それがどれ程実現困難なことなのかを、キープは理解出来ない。

 だからこそ、フルトスの意見が完全に叶えられると思い口を開く。


「最初からそう言えばいいんだ。では、任せたぞ」






 ……こうして時は流れ、いよいよ決闘の日がやってくる。

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