第889話

「まさか、昨日の今日で来るとは思わなかったな」

「グルゥ?」


 レイの言葉に、隣を歩くセトはどうしたの? と喉を鳴らす。

 そんなセトに、レイは何でもないと首を横に振りながら頭を撫でる。

 ガメリオンの肉を貰った翌日、既にレノラからシスネ男爵の方にいつでもいいと連絡がいっていたのか、今日の早朝の内にギルドの方に連絡が入り、ギルドからの連絡員に昼前にシスネ男爵家へと向かうように言われたのだ。

 勿論レイにとっては特に緊急の用事――レントのチーズの受け取りの予定はあったが――がある訳でもなかったので、すぐに引き受けたのだが。

 ガメリオンの件も片付き、本格的に雪が降り始めた今、レイにとってやるべきことは特にない。

 敢えて上げるとすれば、ベッドで二度寝を楽しむとか、屋台巡りをして雪が舞う中で温かい料理を食べてみるといったくらいだったが、シスネ男爵家からの要望を断ってまですることではなかった。


「グルルルゥ」


 今も雪が降っている中を歩いているのだが、レイの横を歩いているセトは上機嫌に喉を鳴らす。

 レイと一緒だというのもセトが上機嫌な理由の一つだったが、中には昨日の夕食、今日の朝食とガメリオン料理が出たことも大きい。

 昨日レイが引き取ってきたガメリオンの肉を使い、夕暮れの小麦亭で調理されたその肉は美味としか言えない味をレイとセトにもたらしていた。

 尚、レイが引き取ってきた肉は、デスサイズにより細かく切断されていたものも多く含まれている。

 ギルドとしても肉を市場に流すのであれば、ある程度以上の大きさのブロック肉の方が高く売れるし、レイの方は包丁で細かく切ったりする苦労が省けるということで、お互いの利害が一致した形だった。

 もっともセトは大きな肉を焼いて、そのまま齧りつくというのも好きなのだが。

 ともあれ、ある程度切り分けられた肉を受け取ってきたレイは、そのまま夕暮れの小麦亭に引き渡し、それを使った料理を自分とセトに出して貰ったのだ。


「ガメリオン料理はこれからが本格化してくるだろうから、屋台の料理とかも美味くなるだろうな」

「グルゥ!」


 レイの呟きに、嬉しそうに喉を鳴らすセト。

 そんな風に歩いていると、当然周囲からセトと遊びたい、触れたい、構いたいといった者達が多く集まってくる。

 それでも今は雪が降っている影響か、大分少ないのだが。

 そんな者達に断りの言葉を告げながら歩き続けると、やがて貴族の屋敷が並んでいる貴族街へと到着した。

 貴族街の入り口を丁度警備の者達が通っているところだったが、その警備の者達も冒険者だ。レイのことを知らない訳がない。


「中に入らせて貰うけど、いいよな?」

「あいよ。ただ、貴族街で騒動は起こしてくれるなよ。ただでさえお前さんは目立つんだし……まぁ、レイのことを知ってる奴がいても、妙なちょっかいを出したりはしないだろうけど」


 わははは、と笑いながら告げる冒険者の男の頭を、隣の弓を持った、弓術士と思しき女が叩く。


「馬鹿、もし本当にそんなことになったら、私達でどうにか出来るとでも思ってるの? 私は嫌よ」


 女の言葉に、身長二mを超える体躯を持つ男が同感だと頷く。


「確かにそうだな。もしレイが暴れたりしたら、貴族街なんぞ灰も残らねえし」

「……俺の噂ってどうなってるんだ?」


 男の言い分に、呟くレイ。

 だが、そんなレイに対して男は笑みを浮かべてから口を開く。


「はっ、何を言ってるんだよ。俺は春の戦争に参加して、お前が炎の竜巻を作り出したところを直接この目で見たんだぜ? その辺の、噂だけに右往左往している奴と一緒にして貰っちゃ困るな」

「なるほど。ま、いい。好きにしてくれ」


 これ以上言っても特に意味はないと思ったのだろう。レイはそれだけを告げ、貴族街の中へと入っていく。

 冒険者達も、そんなレイには特に何も言わずに見送る。

 そうしてレイの姿が見えなくなってから一分程経ち、やがて最初にレイと話していた男が口を開く。


「にしても、レイを呼び出すなんて……本気で騒動が起こったりしないだろうな?」

「さすがにそれはないでしょ。今のギルムに、あのレイと敵対するような人物がいるとは……いるとは……いないわよね?」


 弓術士の女が喋っていて不安になったのだろう。同僚へと視線を向ける。

 それに対し、巨躯の男が頷きを返す。


「ギルムにいる中でレイの恐ろしさを知らない奴がいるとしたら、最近きたような奴だけだろう。けど、最近ギルムにやって来た家は……あ……」

「いたわね。……何だか妙に嫌な予感がするんだけど」


 弓術士の女の脳裏に思い浮かんだのは、つい数週間前にギルムへとやった来た貴族。

 ベスティア帝国の内乱の件で最近接近している、中立派と貴族派に対する牽制として送り込まれたと噂されている貴族だ。

 冒険者として普通はその辺に余り興味を持たないのだが、貴族街の警備という依頼を受けている以上はその辺の事情も知っておく必要があった。


「本気で貴族街が灰になったりはしないだろうな?」


 巨体の男が、その身体の大きさに見合わぬような不安に揺れる声で呟く。

 小悪党と呼ぶに相応しいだろう貴族。

 悪い意味で典型的な貴族であり、自分達へも見下すような視線を向けていた人物だ。

 牽制として送られてきた人物である以上、ここで問題を起こしてそれを理由に中立派へと何らかの処罰を科そうという狙いなのは明らかだった。

 そんな人物が、もしレイと遭遇してしまえばどうなるか。

 この場にいる冒険者達の脳裏には、本気でこの貴族街が灰になっている光景が思い浮かぶ。


「……どうする?」

「どうするって言ってもな。俺達でどうにか出来る相手でもないし……雇い主に報告しておく程度しか出来ないだろ」

「分かった、じゃあ早速俺が行ってくる。お前達はここを頼む」


 最初にレイと話していた男がそう告げ、素早くその場を走り去る。

 迂闊な行動をしないでくれ、と願いつつ。






「変わってないな」


 その頃、レイは冒険者達の杞憂とは裏腹に、特に何事もなくシスネ男爵家の前へと到着していた。

 去年来た時と同様、屋敷の前には門番の類はいない。


「相変わらず不用心だな」

「グルルゥ……」


 レイの言葉に同意するように喉を鳴らすセトが視線を屋敷の中へと向けると、丁度扉が開き、そこから一人のメイドが姿を現す。

 そのメイドに見覚えのあったレイは、軽く手を上げて声を掛ける。


「確かアシエだったよな?」


 アシエと呼ばれたメイドも、レイの姿を見て軽く一礼する。


「お久しぶりです、レイさん。どうぞ中へお入り下さい。すぐに旦那様と坊ちゃまをお呼びしますので」


 今日レイが来るというのは、既に聞かされていたのだろう。レイを見ても特に驚く様子もなくそう告げてくる。


「ああ。セトは庭で遊ばせておいてもいいか?」

「それは構いませんが……この天気ですよ? 寒いんじゃないですか?」


 セトへと心配そうな視線を向けて告げるアシエだったが、肝心のセトはといえば円らな瞳をアシエの方へと向け、どうしたの? と小首を傾げる。

 愛らしいとしか言いようないその様子は、もしここにミレイヌやヨハンナがいれば即座にノックダウンされてしまっただろう。

 勿論アシエも可愛いものが嫌いな訳ではないが、仕事を放り出してまでとはいかない。


「心配いらないよ。セトはこのくらいの寒さは全く苦にしないどころか、寧ろ雪で遊ぶのも嫌いじゃないから」

「そう、ですか?」


 レイの言葉を確認するようにセトへ視線を向けるアシエだが、セトは機嫌良さそうに喉を鳴らしているだけだ。

 まだ少し納得出来なかったが、それでもセトが自分に向ける視線を見る限りレイの言葉に嘘はないと判断したのだろう。そのままセトを庭へと通し、続いてレイを屋敷の中へと招き入れる。

 屋敷の中に通されたレイが案内されたのは、応接室。


「旦那様と坊ちゃまにレイさんの到着をお知らせしてきますので、少々お待ち下さい」


 そう言ってテーブルの上に置かれたのは、ハーブティーと干した果実、いわゆるドライフルーツ。


「ああ、分かった。ゆっくりさせて貰うよ」

「では、失礼します」


 頭を下げて部屋を出て行くアシエを見送り、レイは部屋の中を見回す。

 決して高価な家具の類が置いてある訳ではないが、部屋の中は綺麗に掃除されている。


(相変わらず金に余裕はないみたいだけど……不思議と寛げるんだよな)


 領主の館の執務室や、ギルドマスターの執務室といった場所に比べて、明らかにゆっくりと休める空間だった。

 手作りと思われる匂い袋が置かれており、有名な画家が描いた訳ではないが、不思議と部屋に合ったこの家の庭を描いたと思われる絵画。

 春の庭を描いたと思われる絵画を眺めつつ、レイはハーブティーを口へと運ぶ。


(このハーブティーも……確か以前聞いた時には自分で作ってるとか言ってたよな。素人の手作りにしては、随分と美味いけど。そうなると、当然このドライフルーツも自家製なんだろうな。……それはそれで凄いな)


 ドライフルーツと言えば、レイが最も親しんでいるのは干し柿だった。

 日本に住んでいた時、家の庭に柿の木があった為だ。

 尚、関東地方では普通に食べられる甘柿だが、東北地方では甘柿を植えても渋柿になるので、基本的には干して干し柿にするか、焼酎を使った渋抜きをして食べることになる。

 ともあれ、そのような理由からレイにとってドライフルーツと言えば干し柿という認識だったのだが、干し柿は黒い。

 何も知らない者が見た場合、とてもではないが食べ物だとは思えないだろう外見だ。

 だが、今レイの前にお茶請けとして用意されたドライフルーツは、確かに干されたことにより縮んではいるが、色は鮮やかなままだ。


(元々そういう品種なのか、それともこれを作ったアシエの腕がいいのか。……後者なような気がするな。値段的に)


 干しても外見が鮮やかな色合いの果物というのは、レイの認識だと高価な品種のように思えた。

 それを考えると、恐らくアシエの技術によりこのように鮮やかな色を保っているのではないかとレイには思える。

 ドライフルーツを口へと入れると、広がるのは濃厚な甘み。

 口の中に甘みが広まったところで、ハーブティーへと口を付ける。

 すると不思議な程綺麗に口の中がさっぱり洗い流され、微かな酸味のみが後味として残っていた。

 そんな素朴な甘みを楽しんでいると、不意に応接室の扉がノックされ、一人の子供が姿を現す。

 年齢にして十歳前後のその子供は、応接室の中でハーブティーを飲んでいるレイを見つけると、目を輝かせて嬉しそうに口を開く。


「レイさん、お久しぶりです!」

「久しぶりだな、バスレロ。……へぇ」


 短く言葉を交わしたレイは、バスレロを見て感心したように頷く。

 身体自体は一年前と比べてもそう大差はない。

 いや、身長は伸びているが、極端に筋肉が付いているとか、そういうことはない。

 それでいて、身体を動かすことに関しては素人に近かった一年前と比べると、間違いなく身のこなしは洗練されている。

 この一年の間、きちんと鍛えてきたというのが見て分かる程だった。

 勿論、だからといって即座にモンスターと戦える程のレベルかと言えば、答えは否なのだが。


「この一年、遊んでた訳じゃないみたいだな」

「はい。毎日欠かさず訓練を重ねてきました。レイさん程に腕の立つ方はいませんでしたが、それでも時々冒険者の方に訓練をして貰ってましたし」


 レイの言葉に答えてくるバスレロは、一年前もそうだが非常に礼儀正しい。

 それこそ、レイから見てとても子供だとは思えない程だった。


(貴族の子供、か。貴族は貴族でも色々といるんだよな。エレーナやダスカー様だって貴族だし)


 どうしても貴族に対しては良い印象のないレイだったが、それでも尊敬出来る貴族がいるのは事実だ。


「それで、今回俺を呼んだのはまた鍛えて欲しかったのか?」

「あ、いえ。その辺は……」


 レイの言葉にバスレロが何かを言い掛けた時、丁度タイミング良く声が掛けられる。

 そちらの方へと視線を向けると、そこにいたのはシスネ男爵家の当主でもあるムエットと、メイドのアシエ。

 ムエットはレイから見ると相変わらずどこか弱々しげに見えたが、それでも芯が通っているように感じるのは、目の光が違うからだろう。


「久しぶり、ムエット」


 立ち上がり、頭を下げるレイ。

 もし普段のレイの姿を知っている者がこの光景を見れば、確実に驚くだろう。

 もっと高い爵位を持っている貴族に対しても傲岸不遜な態度を取るレイが、言葉遣いは元のままだが頭を下げているのだから。

 この辺は、やはり去年の第一印象によるものだろう。

 尊敬すべき人物と認識しているが故に、この態度なのは間違いがなかった。


「久しぶりだね、レイ君。一年ぶりだけど、元気そうで何よりだ。君の活躍は色々と僕の耳にも入っているよ。異名持ちになったのはさすがレイ君だと言うべきだろうね。ま、座って欲しい」


 そう促され、レイはソファへと腰を下ろす。

 ムエットやバスレロもレイの向かいに座ると、早速とばかりにムエットが口を開く。


「実は今日君に来て貰ったのは、バスレロが君と会いたいと言っていたのもあるけど、その腕がどれだけ上達したのかを見て欲しいと思ってね。残念ながら僕はそっち方面はからきしだから」

「……なるほど」


 バスレロへと視線を向け、バスレロが目に期待の視線を浮かべているのを見て、レイは納得の表情を浮かべるのだった。

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