第877話

「その、良かったのですか? あの二人をそのままにして」


 ギルドから出て暫くが経ち、領主の館の近くまで来てようやく騎士がレイに向かってそう尋ねる。

 だが尋ねられたレイはと言えば、セトを撫でながら言葉を返す。


「あの状態のレノラを止めるのは、俺にはちょっと難しいな。大体、そう言うならもっと早く言えばよかったんじゃないか?」

「それはごめんですよ。女同士の争いに……いえ、戦いに首を突っ込んでもいいことなんか何もないんですから」


 争いではなく戦いと言い直すところに、この騎士の歴史が感じられる。

 そんな風に思いつつ、レイは首を横に振って口を開く。


「それなら俺だって同じだよ。特にあの状態のレノラは怖くて手が付けられないし」

「……分かります」


 しみじみと呟く騎士だったが、やはりその言葉には強い実感が伴っている。

 自分の隣を歩いている騎士は、今までどんな人生を送ってきたんだろうと、ふと思う。

 騎士の方も自分があまり良い意味ではない興味を持たれているのに気が付いたのか、話題を変える。


「そう言えば仲間内で話題になっているんですが、ダンジョンにガメリオンがいたらしいですね」

「ああ、ダンジョンの核があった広間に五十匹近くもいたよ」

「……正直、ガメリオンを一匹二匹ならともかく、五十匹も相手にして普通に勝てるというのは驚きですよ。しかもセトもいなかったんでしょう?」

「ダンジョンの入り口が小さかったから、セトは外で留守番だったんだよな?」

「グルゥ……」


 レイの声に残念そうに鳴き声を上げるセト。

 そんなセトの様子が可愛かったのだろう。騎士も我知らず笑みを浮かべる。


「他にはどんな印象がありましたか?」

「どんな印象って言っても……俺がこれまで潜ったダンジョンはここから離れた場所にあるダンジョンと、迷宮都市エグジルにあるダンジョンだけだからな。あまり参考にならないと思うけど」

「いえいえ、普通は幾つものダンジョンに潜ったりはしませんから」


 そう告げる騎士は、最初にギルドで会った時に比べるとどこか威厳のようなものが消えてるようにレイには感じられた。


(もしかして、こっちが素か? ギルドでは余所向きの態度を作っていたとか)


 騎士も大変だ……と考えつつ、ダンジョンについてのことを思い出す。


「そうだな……まだ出来たばかりだってのも影響してたんだろうけど、とにかく敵はゴブリンが多かった。ダンジョンで倒した敵の数で言えば、ガメリオンよりもゴブリンの方が多かったと思う」

「ゴブリンですか。その辺の話は聞いてましたけど、そこまで言うとなると余程多かったんでしょうね」

「俺の場合はアイテムボックスがあったから問題なかったけど、普通の冒険者の場合は武器の消耗でかなり厳しいと思う。体力的な問題もあるし」


 一人で戦うということの困難さは騎士にも予想が出来たのだろう。レイの言葉を聞き、納得したように頷く。

 ダンジョンでの話をしながら歩いていると、やがて領主の館へと到着する。

 門番もいたのだが、やってきたのは同僚の騎士と顔見知りのレイだ。

 また、前もって話も通っていた為か、軽く挨拶を交わすだけで特に待たされることもないまま敷地内へと入っていく。


「グルルルゥ」


 セトはいつものように厩舎へと向かい、レイと騎士はその様子に特に何も思わず領主の館へと入っていく。

 セトにとって、この領主の館は第二の家……というのは言い過ぎだろうが、それに近い程に慣れている場所なのだろう。

 事実、厩舎の管理人の老人もセトを見ても特に驚くこともないまま……それどころか笑みすら浮かべて厩舎の中へと通してやる。

 この厩舎を預かっている老人にとって、厩舎の中にいる馬は愛情を抱いてはいるものの、厳しく訓練をしなければならない対象でもある。

 それと比べるとセトは老人とは全く関係のない存在であり、ただ世話をすればいいだけの存在だった。

 その上、セトはその円らな瞳や人懐っこい態度で愛らしさを存分に発揮するのだから、老人にとっては孫のような扱いに近い。

 笑みを浮かべつつセトを出迎えると、いつものように小腹が空いた時の為にとっておいたパンを幾つか与え、セトを撫でる。


「グルルゥ」

「うむうむ、美味いか。よく来たな。今日も暫くはゆっくりしていくとええ」


 自分を可愛がってくれる相手には基本的には懐くセトだ。

 そんな老人に顔を擦りつけ、筋張った手で撫でられる感触をしっかりと楽しむ。

 撫でる者の手によってその感触は微妙に違うのだが、セトにとってこの老人の手の感触は嫌なものではなかったらしい。

 勿論セトにとって一番気持ちいいのはレイの手なのだが。

 それでも、今こうして自分を撫でてくれている老人の手は、長年動物を扱ってきただけあって撫でられる方のツボを押さえており、セトにとっては気持ちのいい時間であるのは間違いなかった。

 ……もっとも、この宿舎の担当で老人の部下がどこか呆れた目で老人とセトの様子を見て、それに照れくさくなった老人が怒鳴り返すまで、そう時間は掛からなかったが。


 




 セトと老人が戯れている頃、レイの姿は領主の館の中にあった。

 既に何度も通っており、慣れてきた執務室だ。

 扉の豪華さにだけは、相変わらず慣れないものがあったが。

 そんな執務室にあるソファに座り、レイはダスカーと向かい合っていた。

 また、レイの横にはランガの姿もある。

 レイをここまで案内してきた騎士は、既に自分の仕事へと戻っている。

 テーブルの上にはメイドが用意した紅茶とサンドイッチが置かれてあり、これが公式なものではなくダスカーの私的な席であると暗に告げていた。


「それで、ダンジョンに出て来た敵はゴブリンとコボルト、オーガ、オーク、ガメリオンで全部か?」

「そうですね。ただ、オーガは以前に遭遇した奴の半分くらいの大きさしかなかったですし、実際強さという面でも弱い……というのはちょっと言い過ぎかもしれませんけど、決して強くはなかったです」

「……ふむ、ランガはどう思う?」


 レイの言葉に、ダスカーは紅茶を一口飲んでからランガへと尋ねる。


「そうですね、やはり最大の問題はダンジョンが出来てから時間が経っていないのが理由だと思います」

「ダンジョンがまだ崩壊していない理由もそれだと思うか?」

「それはどうでしょうね。ダンジョンの核を持ってきたのにダンジョンがそのまま残っているのは、確か以前に他のダンジョンで似たような話を聞いた覚えがあります」


 何かを思い出すようにして告げるランガに、ダスカーが視線を向ける。

 それは、話を聞いていたレイもまた同様だった。


「本当か? 詳しい話は?」

「すいません、かなり前のことですので……」

「ふむ、だがダンジョンが崩壊しないのであれば厄介でもあり、助かりもするな」

「厄介で助かるんですか?」


 サンドイッチへと手を伸ばしながら尋ねるレイに、ダスカーが頷きを返す。


「ダンジョンがそのまま残されるというのであれば、モンスターや盗賊があのダンジョンの跡に入り込んで根城にする可能性がある。まぁ、この辺境で盗賊をやるような根性がある者はそうおらんだろうが、それにしても可能性は皆無という訳ではない」

「……そうですね。兵士を置いておけばいいのかもしれませんが、今の規模をそのままずっととなれば、負担が大きすぎますし。かといって人数が少なくなれば、モンスターに不覚を取る者も出てくるでしょう」


 ダスカーとランガの話を聞きながら、確かにとレイは納得する。


「じゃあ、助かるという方は何でですか?」

「ここは辺境だ。モンスターの大発生のような事態が起きないとも限らない。そんな状況になった時に前線基地として利用出来る可能性がある」

「……あそこを?」

「そうだ。まぁ、そういう用途で使うというのなら、きちんとダンジョンの中を整備したりする必要があるだろうけどな。他にも今言ったようにモンスターが中に入らないように入り口を硬く封印する必要もあるだろうし。盗賊に関しては……まぁ、この辺境で考える必要はあまりないだろ」

「ギルムの警備を預かる身としては、盗賊というのはモンスターと同じか、それ以上に危険な存在なんですけどね」


 ギルムの警備兵を纏めている立場のランガが苦笑と共に呟く。

 それでも苦笑で済んでいる辺り、この辺境でその辺の盗賊がやっていける筈がないと理解しているからだろう。

 殆どの盗賊は、辺境の入り口でもあるアブエロやサブルスタといった場所を中心に活動している。

 中には血気に逸った盗賊がギルムの周辺まで来ることもあるが、殆どがモンスターの餌と化してしまうし、それがなくても腕利きの冒険者が揃っているギルムだ。そう時を置かずに討伐されてしまう。

 それを理解しているからこそのランガの言葉だった。

 寧ろ、ランガが警戒すべきはギルムに入り込もうと狙っている盗賊の類だろう。

 ギルムにもスラムの類はあるし、そのような場所には質の悪い者達が集まっていることもあるのだから。


「まぁ、ダンジョンに関してはもう少しゆっくりと考えることにしよう。すぐに決めなければいけないという訳でもないしな。それより、レイ。ダンジョンの核を持ってきたんだろう? 見せてくれないか」


 期待の視線を向けてくるダスカーだったが、レイはその視線に対して首を横に振る。


「ダンジョンの核は錬金術師に預けてるので、今は手元にありません」

「錬金術師に? ああ、そうか。お前はマジックアイテムを集めるのが趣味だったな。それでか?」


 一瞬残念そうな表情を浮かべたダスカーだったが、ダンジョンの核ともなれば、それが出来たばかりのものであっても非常に稀少な素材であるのは間違いない。

 それを使って何かマジックアイテムを作るのか? そう尋ねてくるダスカーに、再びレイは首を横に振る。


「新しく作るんじゃなくて、修理……というか、作り直す? そんな感じです」

「ふむ、興味深いな。良ければ話を聞かせてくれ」


 ダスカーは手に持っていた紅茶のカップをテーブルに置き、身を乗り出すようにレイへと視線を向ける。


「そんなに気にする程でもないと思うんですけどね。ベスティア帝国の内乱でノイズと戦った時、ノイズの使っていた魔剣を手に入れたんですが……刀身が真っ二つに折れてたので、それを槍に打ち直して魔槍にして貰おうかと。その際にダンジョンの核が使えるかもしれないということで、知り合いの鍛冶師に紹介して貰った錬金術師に預けてきました」

「……また、無茶をするな」


 レイの言葉に、ダスカーはどこか呆れたように呟く。

 そんなダスカーに、レイは首を傾げる。


「無茶、ですか?」

「ああ。マジックアイテムではない普通の長剣の刀身を槍に変えるというのであれば、それ程珍しい話じゃない。だが、魔剣を魔槍にってのは……勿論皆無って訳じゃないが、相当に腕の立つ錬金術師と鍛冶師がいなければ、超のつく一流の魔剣が、三流、四流の魔槍になってもおかしくないぞ? それだけお前が言ってるのは難しいことなんだ」

「……本人は結構乗り気だったんですけど」


 ダスカーの言葉に、今更ながら不安に襲われるレイ。

 だがそれでもすぐにアジモフの家まで戻ろうとしなかったのは、その辺の事情を知っているだろうパミドールが引き受けたという事実があった為だ。

 パミドールと会ったことそのものは、それ程多い訳ではない。

 だがパミドールが鍛冶師として打った武器を見て、パミドールを紹介した相手に対する信頼もあり、息子であるクミトを可愛がっている様子も見て、更にはパミドールと会話をすることで信頼出来る相手だという思いを強くしている。

 そんなパミドールだけに、決して出来ないことを出来るとは言わないだろうと。

 アジモフにしても、錬金術馬鹿とでも呼ぶような存在であるのは理解していたし、それだけに自分の出来ないことを引き受けたりもしないだろうと。

 もしそんな真似をしたら、恐らくパミドールの手で厳しい制裁が待っているのは確実だった。


「ふむ、乗り気か。だとすればやれる自信があるんだろうな。何て錬金術師に頼んだのか、聞いてもいいか?」

「アジモフと言ってましたね」


 その言葉をレイが口にした瞬間、興味深そうにレイの言葉を聞いていたダスカーとランガの目が軽くではあるが見開かれる。


「そうか、アジモフか。……確かにあの錬金術師ならそのくらいのことは出来るだろうな。ただ、依頼を受けさせるのが難しそうだが」

「そう、ですね。あのアジモフは腕は立ちますが、その……」


 そんな言葉を交わす二人を見て、レイは何となく何が言いたいのかを納得してしまう。

 確かにアジモフの性格を考えれば、そう簡単に依頼を受けるようなことはしないだろと。

 気分屋なだけに、どうしても気分を乗せるという真似をするのが難しいのだろう。


「今回は、セトの羽根や毛に興味を持ったり、ダンジョンの核に興味を持ったというのが決め手だったようですね」

「……なるほど、それなら」


 ダスカーが呟き、ランガもまた納得したように頷く。

 アジモフが錬金術馬鹿というのは、どうやらこの二人も同じく感じていたらしい。

 その後、暫く話をしてレイと共にギルムへとやって来た者達が明日にでも街へと移ると聞き、ミスティリングに入っていた荷物を置いてから、領主の館を後にするのだった。

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