第878話
「……は? ガメリオン狩りに俺を誘いたい?」
ダンジョンの攻略についてダスカーへと知らせてから数日、レイはいつものように夕暮れの小麦亭で朝食を食べていた。
今日辺り、ギルドに頼んでいたガメリオンの件で肉を受け取りに行こうと思っていたその時、相席を頼んできた冒険者が言ったのが、それだった。
「ああ。セトは空を飛べるって話だし、ガメリオンを見つけるのにこれ以上有利なことはないだろ? それにあんたも異名持ちでガメリオンを個人で倒せるだけの力を持ってるって話だし」
どうだ? と、無精髭を生やしている二十代半ば程の男が尋ねてくる。
夕暮れの小麦亭に泊まっているのか、それとも食堂を目当てにしてやってきたのかのどちらなのかは分からなかったが、少なくても見た目からは夕暮れの小麦亭に泊まれる余裕のある冒険者には見えない。
もっともそれを言うのであれば、レイも見た目は背も低く身体つきも決して頑強ではない初心者魔法使いにしか見えないのだが。
レイという人物がどんな人物なのかを知っていればともかく、何も知らない状況ではレイが夕暮れの小麦亭に泊まっているのを信じられないと思う者もいる。
特にギルムにやって来てレイを初めて見た者にそれは顕著なのだが……今自分の前でガメリオン狩りに誘っている男は、相手の見た目で惑わされているようにはレイには思えなかった。
だが、それは別の意味で目の前の無精髭の男は見る目がなかったと言ってもいい。
(いや、ガメリオンの件はギルドで俺が報告したくらいで、別に大々的に発表された訳じゃないからおかしくないのか? まぁ、情報に疎いのは冒険者としてちょっと残念かもしれないけど)
目の前でパンを食べながら自分の返事を待っている男を見ながら考えるレイ。
断りの言葉を入れようと口を開こうとしたのだが……
「それに、お前さんはもう十分にガメリオンの肉を手に入れたんだろ? なら、あいつらの手伝いくらいはしてもいいんじゃないか?」
「あいつら?」
意味ありげに告げてくる男の言葉に首を傾げ、断りの言葉を一旦止めてから話を促す。
すると男は小さく笑みを浮かべ、持っていたパンを置いてから口を開く。
「お前さんがギルムへの移住希望者を連れて来たんだろ?」
「……そういうことか」
「おっと、別にあんたを脅したりするつもりなんかじゃねえさ。ただ、冒険者として活動するって奴がガメリオンを探しに行くって話をしてたから、俺はそれに協力しようと思っただけでな」
そう告げつつも、この話をすればレイがそれに協力する可能性が非常に高いということは見越していた……いや、寧ろそれを狙っていたからこそ、こうして話を持ってきたのだろう。
上空からガメリオンを探せば、ガメリオンも容易に見つけ出せるというのを期待して。
「どうだ? あいつらを連れて来た身としては、少し手助けをしてもいいんじゃないか?」
「……もし仮に俺がガメリオン狩りに協力するとして、俺に何の得がある? 確かにあいつらを連れて来たのは俺だけど、別に俺は奴等の保護者って訳じゃない」
「おいおい、冷たいな。仲間の情ってのはないのか? ただまぁ、冒険者である以上そう思ってもしょうがないか。なら、そうだな。……これとかどうだ?」
男が腰の革袋から取り出したのは、一見するとただのチーズのように見えた。
「チーズ?」
「そう、チーズだ」
「あのな、別にチーズなんか……」
その辺の店で買えるだろう。
呆れたようにそう言おうとしたレイだったが、男はそれを最後まで言わせず、取り出したチーズをレイの方へと突き出す。
「ま、文句は食ってから言ってくれ」
「……まさか毒だったりしないだろうな?」
「さて、どうだろうな。もしかしたら毒かもしれないけど……それを恐れて食わないのか?」
挑発するような男の言葉にレイは一瞬迷うも、チーズへと手を伸ばす。
並大抵の毒であれば口に入れた瞬間すぐに分かるだろうという自信もあったし、またゼパイル一門の技術力が結集して作られた身体だけに並大抵の毒は効かないという自信もあった。
そして何より、目の前のチーズに深い興味を抱いてしまったのだ。
「そこまで言うのなら食べてもいいけど、これでその辺に売っているようなチーズだったら覚悟しろよ」
「ご随意に」
脅すような言葉にも両肩を竦めるその仕草は、自信に溢れている。
何がそこまで男に自信を与えているのかと思いつつ、レイはチーズを口へと運ぶ。
だが……チーズを口に入れ、噛んだ瞬間にその動きは止まる。
舌の上に広がる濃厚な旨味。
そこから口の中へとチーズの強烈な匂いが広まり、鼻から抜けていく。
いつまでも味わっていたい。そんな風に思わせるこのチーズは、レイが今まで……それこそ日本で食べた物を合わせた中でも、最も美味いチーズと言っても良かった。
レイは決して味覚が鋭い訳ではない。
美味い料理は美味いと感じることは出来るが、何故そこまで美味いのか……それこそ、食材の産地やらなにやらを詳しく語るだけの蘊蓄がある訳でもなく、ただ美味いと表現することしか出来ない。
それでも……いや、そんなレイだからこそ、今食べたチーズの味を素直に口に出す。
「美味い」
単純な一言。
それだけに、その言葉には純粋な感想が溢れている。
「だろ?」
「……こんなチーズ食べたの初めてだけど、どこのチーズだ? 売ってるチーズでもこんなに美味いチーズを食ったことはないけど」
「へっへっへ。ま、そりゃそうさ。これは俺の実家で特別に作っているチーズだ。手間が掛かるからそんなに数は作れない代物で、前もって契約している貴族とか大商会とかにしか流していない代物だ」
「つまり、普通なら手に入れることは出来ないと?」
「そういうこと。でだ、さっきの話に戻るけど、ガメリオンの討伐に協力してくれればこのチーズの塊を報酬として支払う。ただ、ガメリオンに関しては諦めて貰うけどな。どうだ?」
レイが初めて食べる程に美味いチーズ。
それを報酬として貰えるのだから、レイにとっても文句はない。
だが、それでもすぐには頷かず、目の前の男へと視線を向けながら口を開く。
「答える前に、幾つか聞いておきたいことがある」
その言葉と共に放たれたレイの視線は鋭く、男は背筋に冷たいものが走る。
それでもここで退けないと、レイの言葉を促す。
「いいぜ、何でも聞いてくれ。答えられることなら答えるから」
何としてもレイを今回のガメリオンの件に引き込む。そんな思いの男に対し、レイが最初に聞いたのは……
「チーズの塊という話だったが、それは具体的にどのくらいの大きさだ?」
報酬として受け取るチーズに関してだった。
勿論自分が受け取る報酬に関してのことだ。それについて詳しい話を聞くのは当然であるが、それでも男にとっては完全に予想外だったのだろう。
あそこまで真剣な表情で尋ねてきたのだから、もっと別のことを聞かれると思っていた。
それだけに多少拍子抜けしたのだが、チーズの塊について聞いてきたということは乗り気だということでもある。
前向きにそう判断して男は言葉を返す。
「そうだな……レイが抱えて持ち上げるのに丁度いいくらいの大きさといえば分かるか?」
「ちょっと分かりにくい。例えば、このテーブルの半分くらいの大きさか?」
夕暮れの小麦亭の食堂にあるテーブルは長方形の形をしたテーブルで、標準的な大きさの人間であれば二人ずつが対面に、残りの二人が左右に座って合計六人座れるようになっている。
「さ、さすがにここまで大きくはない。そうだな、この机の四分の一ってところか」
「……なるほど、それでも結構な大きさだな」
思う存分、好き放題に食べられる程の量がある訳ではないが、それでも十分な大きさだと言えるだろう。
もっとも、それはレイやセトだからこそだ。
チーズは少しずつ食べるのが一般的だ。
ワインに合わせて小さく切ったものを、という風に。
「だろ? これを報酬にするから、ガメリオンの件を引き受けてくれないか?」
「そうだな、俺としては受けてもいいと思うけど……最後の質問だ。俺に渡すチーズ、この味で市場にも流してないんだとすれば、金額にして相当なものになる筈だ。それこそ、ガメリオンで稼げる金額以上のな」
基本的にギルドでの素材の買い取り額は一定だが、緊急の事情がある時は違う。
例えば今回のダンジョンが理由でガメリオンの数が少ない時もそうだし、少し前だとレイが派遣された魔熱病の薬の材料となる素材といった具合にだ。
だが……それでも貴族や大商人しか食べられないような、市場にも流れていないチーズとでは値段が違う。
レイから見れば、目の前の男が一方的に損をしているようにしか思えなかった。
だからこそ、もしかして何らかの後ろ暗い事情があるのではないかと思ったのだ。
特に移住希望者達は全員がベスティア帝国で暮らしていた者達だけに、ダスカーと敵対している勢力が何らかの策略を仕掛けてきたのではないか? その辺に疎いレイですら、そう考えてしまってもおかしくはないだろう。
しかしそんなレイの言葉に、男は何故か頬を隠して視線を逸らす。
そう、まるで照れくささを誤魔化すかのように。
(……あれ?)
完全に予想外の対応に、内心で疑問に思うレイ。
もっとも、頬を赤く染めた無精髭の男というのをいつまでも見ていたいとは思わず、単調直入に尋ねる。
「お前……もしかして何か後ろ暗いことを企んでいるとかじゃなくて……」
「ああああああ、そうだよ、その通り! 俺はあのヨハンナって女に一目惚れしたんだよ!」
がっ、とテーブルを叩きながら叫ぶ男。
その声は、ざわついている食堂の中だというのに、不思議な程に周囲へと響き渡った。
『……』
一瞬……いや数秒、間違いなく食堂の中は静寂に包まれる。
それに気が付いたのだろう。男は何か文句があるか、と言いたげな視線で自分を見ている周囲の者達を睨み付ける。
男に睨み付けられた者達は、そっと視線を逸らす。……口元に笑みを浮かべたままだったが。
だがそんな周囲の者達とは違い、レイは男をどこか呆れたような視線で眺めていた。
ヨハンナ、という名前の女に当然聞き覚えがあった為だ。
それはそうだろう。遊撃隊の中でも特にセトを可愛がっていて、非常に強烈な印象をレイの中に残した女だ。
同じくセトを可愛がっている……溺愛していると言ってもいいミレイヌとは絶対に会わせてはいけないと、強くレイが思っていた相手。
「……うん、まぁ、お前の気持ちは分かった。色々と大変だろうけど、頑張ってくれ」
「優しい目をするな! そんな目で俺を見るなよ!」
レイの言葉に叫ぶ男。
食堂の入り口では、ラナが顔を出して男の方へと慈愛に満ちた視線を送っていた。
それに気が付いたのだろう。男はそれ以上言葉を発さず、黙り込む。
食堂の中も、男が黙り込んだのを見て次第に会話が戻ってくる。
だが、レイと男の座っているテーブルは、そのまま暫くの間沈黙が続く。
その沈黙が五分を過ぎた頃……レイはそろそろいいだろうと考え、口を開く。
「それで、本題に入るけど……まぁ、特に裏がないって言うなら、俺としては協力しても構わない。いや、あのチーズの美味さを考えると協力させて欲しいと言ってもいい」
レイの言葉に、一瞬前まで不機嫌そうな表情を浮かべていた男に笑みが戻る。
その笑みを見ながら、レイは言うべきか言わざるべきか迷い、それでも黙っていて後で知るよりはいいだろうと口を開く。
「お前が知ってるかどうかは分からないけど、ヨハンナはセトを非常に可愛がっている。それこそ、何で自分がグリフォンじゃなかったんだって言ったりするくらいにな。で、そんな奴のところにセトを連れていったらどうなると思う? まず間違いなくセトに夢中になって、お前を相手にはしなくなるぞ?」
「ああ、そうだろうな。けどガメリオンを見つけるには、やっぱり空を飛べるセトの協力を得るのが最適なんだよ。それに、ガメリオンと戦っているところを見せれば、ヨハンナも俺に興味を抱いてくれるかもしれないし」
ここまで言いきれるということは、この男自身もランクC以上の冒険者であり、ソロで活動しているかランクCパーティのメンバーなのだろう。
(確かに先入観抜きで見てみると、身体が鍛えられているのは分かる。ちょっとした動きにもその辺は見て取れるしな。そうだな……)
目の前にいる男がそれなりの強さの持ち主であるというのを知り、レイとしても興味が湧いたのだろう。手を差し出す。
「分かった、お前がいいなら協力しよう。改めて、ランクB冒険者のレイだ」
「そうか。助かる! 俺はランクC冒険者のレントだ。よろしく頼む!」
差し出された手をしっかりと握り、こうしてレイの今日の予定はガメリオン狩りに決まるのだった。
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