第876話
アジモフとパミドールとの商談を終えたレイが外へと出ると、そこでは予想通りの光景が広がっていた。
小さな子供から大人、老人までが地面に寝転がっているセトの周囲に存在している。
アジモフの住処ということで普段は人があまり近寄らないというのに、そんなのは全く関係ないとばかりに周囲には人が集まっていた。
「これはさすがに予想外だったな」
セトという存在を知らなかったアジモフの驚きに満ちた呟きが聞こえてくる中、パミドールとレイは特に気にした様子もなく笑みを浮かべる。
この二人にとっては、セトがいる場所に人が集まるというのはそれ程珍しい話ではない。
特にここ暫くレイとセトがギルムを留守にしていた為、セトと遊びたかった者は多かった。
最近でこそようやく落ち着いてきているが、それでも完全にという訳ではなく、そこにセトがいればそれを目当てに人が集まるのは当然のことだったのだから。
「ま、お前も少しは外の様子を気に掛けろってことだろ。大体、セトのことをもっと早く分かっていたら、セトの素材だってもう少し早く手に入っていたかもしれないだろ?」
「……ぬぅ」
そんなやり取りをする二人にレイは足を踏み出し掛け……後ろを振り返り、改めて口を開く。
「取りあえず、魔剣の件はよろしく頼むな。ある程度目処が立ったら連絡が欲しい。俺は基本的に夕暮れの小麦亭にいるから。ダンジョンの核に関しても、使えるなら使ってみてもいいけど……魔剣以外に使ったりはしないように」
最後の一言は、パミドールではなくアジモフへと向けられたもの。
アジモフが錬金術に対して熱心なのはよく分かったが、それだけに自分の知識欲を満たす為であれば何をしてもおかしくないという思いがあった為だ。
事実、アジモフにとっても図星であったのだろう。レイの言葉に一瞬息を呑み、渋々といった様子で頷きを返す。
「ああ、分かったよ。目処が立ったら連絡を入れる。それでいいんだろ」
「そうしてくれ。……パミドールも、頼むな」
「任せろ。こいつが馬鹿をやらないように、しっかりと監視はさせて貰う」
レイの言葉を即座に理解したパミドール。
そんなパミドールに対し、アジモフは少し不満そうな表情を向ける。
もしこの場で念を押しておかなければ、恐らく何かやらかしたのだろう。
アジモフの様子にそう思いつつ、このような男だからこそ高い技量を持った錬金術師なのだろうという思いもレイの中にはあった。
「じゃ、そういうことで頼んだ」
最後にそれだけを言い残し、レイはセトの周囲に集まっている人混みへと向かって進んでいく。
「はいはい、どいてくれ。セトはちょっとこれから移動するから、遊ぶのはまた今度にしてくれ」
レイの言葉に、その場にいた者達が仕方ない、と場所を開ける。
本来であれば、まだセトと遊んでいたいと思っている者もいるだろう。
だが、レイの邪魔をするのはセトにとっても悲しいことだと理解している為に、こうして大人しく場所を開ける。
中には自分の感情を最優先にする者もいるのだが、幸い今集まっている者達の中にはそのような者はいなかったらしい。
「グルルゥ!」
また遊んでね! と元気よく鳴くセトが立ち上がり、レイの側へと寄ってくると顔を擦りつけてくる。
レイもそんなセトを撫で返し、その場を去って行く。
そんなセトを見ながら、見送った人々は残念そうな顔をしながらも、どこか満足そうな表情をも浮かべていた。
「うわぁ……ランクAモンスターが相手だってのに、よくもまぁ、あんなに。信じられないな」
セトを見送っていた集団から少し離れた場所でその様子を眺めていたアジモフが、しみじみと呟く。
アジモフの常識で言えば、高ランクモンスターでもあるグリフォンとあんな風に親しく接することができるというのは、とてもではないが信じられない光景だった。
それは珍しいことに、一般の常識で考えても同じだっただろう。
ただ、一般の常識に当て嵌めて正解であったとしても、ギルムでの常識には当て嵌まらなかったということなのだが。
「お前が全く外に出てないってのは、色んな意味で致命的だな。ギルムに来てからまだそれ程経っていない俺だって知ってるってのに、前からギルムに住んでいたお前が知らないとか……ちょっと問題あるだろ」
「……否定出来ない事実だな」
不満そうに言葉を返すのは、もっと早くセトのことを知っていれば色々とグリフォンの素材を入手することが出来ただろうという思いからか。
不満そうな表情を浮かべたままのアジモフだったが、やがて口を開く。
「それでも……パミドールのおかげでレイやセトと出会うことが出来たのは、俺としても運が良かったよ。もしかしたら、すぐ近くにグリフォンなんて存在がいるのに全く気が付かないまま、もう何年も過ごしていたかもしれないんだし」
「おーおー、思う存分感謝しろ。……ま、冗談はともかくとしてだ。あのレイに仕事を任された以上、生半可な代物じゃ俺の職人の意地が納得しないぞ」
「ああ、そうだな。俺だって錬金術師としてダンジョンの核なんていう、これ以上ない素材を得られたんだ。グリフォンの素材も入手出来るかもしれないとなると、他の錬金術師が聞けばきっと嫉妬で歯ぎしりするぞ?」
「……そう考えると、不思議だよな。このギルムにだってお前以外にも大勢錬金術師がいるんだ。そんな奴等が、なんで今までレイに接触しなかったんだ?」
「さあな。俺から言わせて貰えば、あんな極上の素材があるっていうのに今まで接触しなかった奴等の気が知れねえよ」
一言で切って捨てるアジモフだったが、ギルムにいる錬金術師も当然レイに対して接触しようとした者はいた。
だが……元々レイは依頼を受けていることが多く、ギルムの中にいる時間というのはそんなに多くない。
そしてレイに接触出来ないでいるうちに、セトを好む者達が増えて気軽に素材を欲しいとは言えない空気が作り出され、更にはアゾット商会がセトを欲してレイと揉めるという大きな騒動を引き起こす。
それに加えて致命的だったのは、アゾット商会に対して錬金術師が協力していたというのがギルムの錬金術師の中で広まってしまい、とてもではないが錬金術師がレイに対して接触を図れなくなった。
そうして時間が経つに従い、レイに対して錬金術師が接触するのは控えるべきだという空気が出来上がってしまう。
これには、レイが敵対した相手に対して容赦のない性格をしているというのも大きな意味を持っていたのだろう。
今ではギルムの錬金術師の間には、レイから接触してくるのならともかく、自分から接触するのはタブー視すらされている。
その辺の事情を全く知らないアジモフが、レイと最初に接触したギルムの錬金術師だったというのは皮肉に近いものがあったのだろう。
本人は全く知らない状態ではあったが、それが寧ろ幸せなことだったのかもしれない。
もっとも、この情報は遠からずギルムの錬金術師の間に広まるのは間違いなく、他の錬金術師から事情を聞かれたりするという意味では不幸だったのかもしれないが。
入り口付近でセトと別れてギルドへと入った途端、それを見つけたレノラが笑みを浮かべる。
同時にレノラの側にいた騎士もレノラの視線に気が付き、レイの方へと視線を向けて笑みを浮かべていた。
騎士が何故ギルドに? と疑問に思ったレイだったが、それを口にする前に騎士がレイの方へと駆け寄ってくる。
「レイ殿、丁度良かった。レイ殿を探していたのだが、どこにいるのか分からなくて迷っていたところだったのだ」
三十代程の騎士の言葉に、首を傾げるレイ。
見覚えのない人物……という訳ではない。
ダスカーに仕えている騎士の一人で、ベスティア帝国へと向かう時にも護衛として付いてきていたので、レイも顔見知りの相手だった。
それでも疑問に思ったのは、何故そんな騎士が自分を探していたのかが分からなかった為だ。
(ダンジョンを攻略したから? いや、でもその件に関してはランガが報告書を送っている筈だし、本人も今日こっちに戻ってきて直接報告しているだろうし……)
だから自分に用件はなかったのでは?
そんな風に思ったレイだったが、その予想は甘いにも程があった。
幾ら出来たばかりのダンジョンでも、それをたった数時間で攻略したとなれば、ダスカーが事情を聞こうと思って当然だろう。
例えギルドの方に話をしてあり、そちらから報告が回されていたとしても、それは変わらない。
「ダスカー様がダンジョンの件に関して聞きたいと」
どこか申し訳なさそうに言ってくる騎士。
三十代半ば程で、年齢としてはレイよりも圧倒的に上だ。
纏っている雰囲気も、騎士に相応しく迫力がある。
それでもレイに対して丁寧な言葉遣いで接するのは、やはりレイの実力を知っているからだろう。
勿論実力を鼻に掛けているような相手であれば話は別だろうが、少なくてもレイがダスカーに対してそのような態度を取ったことはない。
それどころか、ギルムやラルクス辺境伯領、そして何よりダスカーの為にこれまで色々な依頼をこなしてきたという実績もある。
そうである以上、騎士にとってレイという人物を丁重に扱うのは当然だった。
そんな思いを向けられているとは考えもしないレイは、騎士の言葉に首を傾げる。
……その仕草に某猫の獣人が内心で歓声を上げていたりするのだが、それは何とか隠し通すことに成功していた。
「ダンジョンに関しては、ランガの方から詳しい報告がいってるんじゃ?」
「はい。ランガ殿の報告書の方もきちんと届いています。ですが、やはり直接本人から話を聞きたいと」
騎士の言葉に、再び少し考える仕草をするレイ。
レイとしては、ガメリオンの件についてどのくらい進んだのかを知りたくてギルドに来たのだが、それとは全く関係のない話になってしまっている為だ。
だがそんな風に迷っているレイに対し、騎士と話をしていたレノラが言葉を挟む。
「レイさん、ギルドとしても出来ればダスカー様に直接報告をして欲しいのですが……」
「うーん……うん、分かった。けどその前にガメリオンの件はどうなったか聞いてもいいか?」
その質問でレイがギルドに来た理由を察したのだろう。レノラは申し訳なさそうな表情で頭を下げる。
「すいません、ガメリオンの解体は人数を集めて行っていますが、昨日の今日ではまだ途中で……」
「そう、か」
「本来ならもう少し進んでいる筈だったんですけど……その……」
言いにくそうに言葉を濁すレノラに、レイは気にしてないと首を横に振る。
「いいよ、すぐにガメリオンの肉を全部食いたいって訳じゃないし。それに、元々この時期は活動している冒険者の数が少ないってのを承知の上で頼んだんだし」
「いえ、それもあるんですけど……」
「うん? 違うのか?」
「ええ、はい。実は……」
「ほら、昨日レイ君がこれからはガメリオンがきちんと獲れるかもしれない、みたいなことを言ってたでしょ? それを聞いてた人達の多くがそっちに向かっちゃったのよ。まぁ、考えてみればガメリオンを解体するよりも自分達で倒した方がお金になるでしょ? まぁ、ランクの問題で行けなかった人もいるから、そっちの人達は解体に回って貰ってるんだけど」
そう告げたのは、レノラの隣で会話に割って入ろうと狙っていたケニーだった。
「ちょっ、ケニー!」
「何よ、別に隠すことはないでしょ? それに、レイ君だって別に気にした様子じゃないじゃない」
レイの方へと視線を向けて告げるケニーに、レノラは小さく溜息を吐く。
「それはそうかもしれないけど……それでも、こっちで引き受けたのに、堂々とまだ出来ていませんって言うのはちょっとどうなのよ?」
「あらあら、レイ君がそんな小さいことを気にすると思う? 小さいのは誰かさんの胸……いえ、何でもないからその握り締めた拳を下ろしましょうか」
いつもの如くからかおうとしていたケニーだったが、レノラの握られた拳に明確な脅威を感じたのか、言葉を濁す。
「あら? そうなの? どうせなら最後まで言った方がいいんじゃないかしら? ほら、ケニー? 私のどこが、どうしたっていうの?」
普段散々からかわれているのが頭にきたのだろう。口元だけが弧を描いて笑いを形作りながらも、目だけは全く笑っていない。
そんな状態のレノラに視線を向けられたケニーは、明確な脅威を感じ取ったのか誤魔化すような笑みを浮かべて口を開く。
「あ、あはははは。ほら、別に私は何も言ってないわよ? それより、レノラもその拳を下ろしましょう。ね?」
レノラに声を掛けながら、視線を騎士とレイの方へと向けるケニーだったが……
「……では、その、レイ殿。私と一緒に来て貰えますか?」
「ああ。そうだな。そっちの方がいい。早く行こうか」
そっと視線を逸らして告げる騎士の言葉に、レイもまたあっさりと頷く。
そうして二人の間で意思疎通が完了すると、踵を返す。
「あ、ちょっ、レイ君!? 私を見捨てないで! ……痛っ!」
振り下ろされた拳に涙を滲ませながら、ケニーはレノラへと視線を向ける。
レノラは笑っていない笑みを消し、溜息を吐いて口を開く。
「ほら、あまり馬鹿なことを言わないの。それよりケニーもガメリオンの解体に行ってきなさい」
「え? ちょっと、何で私が?」
「……行ってきなさい?」
「はい分かりましたぁっ!」
得体のしれない迫力に押されるように、ケニーの叫び声がギルドへと響くのだった。
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