第874話
レイとセトが案内されたのは、パミドールの店から歩いて二十分程の場所にある建物だった。
裏通りにあるというのはパミドールの店と変わりないのだが、周囲にある他の建物はかなり古くなっており、誰かが住んでいる様子はない。
「……なぁ、何だか嫌な予感がしてきたんだけど」
もしかして周囲に人が住んでいないのは、今回の用事がある錬金術師に原因があるんじゃないか。
そんな嫌な予感を抱きながら尋ねたレイに、パミドールはそっと視線を逸らす。
凶悪な盗賊にしか見えないパミドールだけに、その仕草はいっそ滑稽と表現してもいい。
「腕利きなのは間違いないから、気にするな」
「……本当に、本当なんだろうな? もしこれで口だけだったら怒るぞ?」
「ああ、その辺は安心しろ。腕に関しては問題ないさ。腕に関してはな」
大事なことだから二度言いました。そんな風な雰囲気を漂わせるパミドールに、レイの中ではどうしても嫌な予感が膨らんでくる。
出来ればこのまま関わらずに帰った方がいいのでは? そんな風に思うレイだったが、現在ミスティリングの中にあるノイズの魔剣を修理するには、どうしても錬金術師の力が必要だというのも分かっていた。
だからこそ、ここで退いても意味はないどころか、完全にマイナスだと自分に言い聞かせるようにして口を開く。
「分かった。じゃあ行こうか」
「ああ。まぁ、言う程酷い奴って訳じゃないから、あまり気にする必要はないと思うけどな。じゃあ、行くぞ」
そう告げ、パミドールは錬金術師が住んでいるという家の扉を叩く。
……そう、それはノックというよりは叩くという表現が相応しいだろう。
扉が壊れてもいいと思っているかのように振るわれる拳は、周囲に激しい音を響き渡らせる。
最初は扉が壊れるんじゃないかと思っていたレイだったが、すぐにそれが心配する必要がないことだと悟る。
何故なら、扉は全く軋んだり、木の破片が飛んだりといったことにならなかった為だ。
(あの扉、何だ? 木製じゃないのか?)
見た目は、普通に木製の扉であるのは間違いない。
だが鍛冶師という職業上、その辺の冒険者よりも強い力を持っているパミドールが叩いても全く異常を示さない扉というのは、どう考えても木製と呼ぶのは難しいだろう。
少し考えたレイだったが、すぐにここが誰の家であるのかを理解すると納得する。
(錬金術、か)
そう。ここは錬金術師の家なのだから、この程度のことは全く不思議でも何でもないのだろう。
レイが感心している視線の先では、相変わらずパミドールが扉を叩いていた。
「おい、アジモフ! いるんだろ、出てこいや!」
その呼び掛けは、何も知らない者が見れば借金の取り立てにすら見えるかもしれない。
(だとすれば、俺はその手下ってところか)
脳裏を面白くない想像が過ぎり、レイは思わず周囲を見回す。
だがパミドールにアジモフと呼ばれた者の家は、両隣が空き家であることもあって特に誰かが出てくる様子もない。
また、近くを通る者もある程度はいるが、それでもレイやパミドールに興味を持っている様子はなかった。
周囲の様子に、レイは不思議そうに首を傾げる。
普通であればパミドールのような人物が他人の家の扉を思い切り叩いている光景というのは、警備兵に通報されてもおかしくはない。
だが、今は全く他の者達もそんなことをしようとするようには見えなかった。
それどころか、扉を叩いているのがパミドールだとすると、何故かパミドールの方に同情の視線すら送っている者がいる。
そのまま数分。いよいよパミドールの扉を叩く力が強くなり、普通より頑丈に見える扉でも壊れるのではないか。
そんな風にレイが思っていると、ようやく開かずの扉だった扉が開く。
「何だよ……誰だ? うん? ああ、パミドールか。ったく、こっちは数時間前に眠ったばかりなんだぞ。だってのに、いきなり来るんじゃねーよ」
扉から姿を現したのは、三十代から四十代といったパミドールと同年代の男。
ただし、パミドールが筋骨隆々の大男なのに対して、アジモフと呼ばれた男はかなり細い。
レイの目からは、パミドールの半分くらいの体重しかないのではないかと思われる程に痩せぎすの男だった。
それでいながら、パミドールを見る目に怯えた色はない。
寧ろ不機嫌そうな色すら宿っている。
「あのなぁ。何だってこの時間にまだ眠ってるんだ? お前、今何時だと思ってるんだよ?」
「んあ? あー……昼前だってのは分かるな」
「だから、何で昼前なのに……はぁ、もういい。とにかく上がらせて貰うぞ」
「ちっ、好きにしろ」
悪態を吐きながらも、アジモフはあっさりとパミドールを自分の住居へと入れようとし……そこでようやくレイの姿に気が付く。
そして、レイの側で不思議そうに今のやり取りを眺めていたセトの姿にも。
まるで一瞬で石化したかのように動きを止めたアジモフは、ギギギ、と音を立てそうな動きでパミドールへと視線を向ける。
「お、おい。パミドール。あのグリフォンって……」
「うん? ああ、セトか」
アジモフの言葉に、何でもないかのように言葉を返すパミドールだったが、アジモフとしては絶対に見逃せるものではなかった。
「ああ、セトか……じゃない! 何だってグリフォンがこんなところにいるんだ! ランクAモンスターだぞ!?」
驚愕という言葉でも足りない言葉で告げるアジモフだったが、パミドールはそんなアジモフへと呆れた視線を向ける。
「あのな、セトがギルムにいたのは去年からだぞ。だってのに、全く気が付かなかったのか? レイと共に外を出歩いていることも多いってのに」
「去年!? ……くそう、くそう、くそう。全く気が付かなかった!」
「はぁ。お前、本当に自分の錬金術以外にも興味を持てよ」
「ぐっ、そ、それは確かに……」
アジモフとしては、錬金術以外のことに興味を向けるというのは酷く面倒臭い。
普通であればパミドールの言葉を切って捨てていただろう。
だがこうして目の前にグリフォンがいる光景を目にすれば、文句を言うことも出来なくなる。
それでもすぐに我を取り戻したアジモフは、レイの方へと擦り寄っていく。
「君、君がこのグリフォンの主という認識でいいんだな? どうだろう、このグリフォンの素材を幾つか私に譲ってくれないだろうか?」
その言葉を聞いた瞬間、レイの頬がひくつく。
そんなレイの様子に気が付いたパミドールが、何とかアジモフを押さえようとする。
だが、アジモフ本人は全く気にした様子もなく口を開く。
「どうだ? 勿論相応の報酬は支払おう。何だったら俺が作ったマジックアイテムでもいい」
「却下だ」
言外に却下するレイだったが、アジモフはそれで引き下がることはせず、言葉を続ける。
「何故だ? 見たところ冒険者だろう? マジックアイテムは欲しいと思わないか?」
「確かにそれは否定しない。元々俺はマジックアイテムを集めるって趣味を持ってるしな。けど、だからといって相棒であるセトを犠牲にしてまで欲しいとは思わないな」
「……うん?」
そこでようやく我に返ったのだろう。アジモフは自分の認識とレイの認識がどこか食い違っていることに気が付く。
「言っておくけど、俺は別にそのグリフォン……セトだったか? そのセトの眼球を寄越せとか、内臓を寄越せとか、そんな風に言うつもりはない。俺が欲しいのは、グリフォンの抜けた羽根や毛といったもので十分だ。ちょっと変わったところでは、グリフォンの唾液とかな」
その言葉に、レイは少し驚きの表情を浮かべる。
てっきり以前のアゾット商会の時のように、セトを寄越せと言っているのかと思ったからだ。
(過剰反応だったな)
心の中で少し反省し、自分の隣にいるセトを撫でる。
「グルゥ?」
どうしたの? と視線を向けてくるセトに、レイはアジモフの方へと視線を向けながら言葉を続ける。
「なぁ、セト。あいつがお前の羽根とか毛とか少し欲しいって言ってるんだけど、どうする?」
「グルルルルゥ……」
少し困ったように喉を鳴らすセト。
ベスティア帝国で、森の中にいる時にやって来た錬金術師達のことを思い出しているのだろう。
そうして、アジモフが緊張したまま時間が過ぎ……やがてレイがふと思いつく。
「なぁ、セトの毛とか羽根って、取ったばかりの奴じゃなくてもいいのか?」
「うん? 出来れば新鮮なものの方がいいけど、時間が経ったものはそれはそれで使い道があるが」
「なら、夕暮れの小麦亭に来てくれれば厩舎で探せると思うぞ」
「……何と。いや、けどいいのか?」
レイの言葉が予想外だったのか、アジモフが改めて尋ねる。
だが、レイは問題ないとして頷きを返す。
「変な意味で疑ってしまった詫びも考えているし、何より報酬としてそっちも何か必要だろ?」
「報酬?」
何に対しての報酬なのか。そんな思いで言葉を繰り返すアジモフに、パミドールが口を開く。
「実はレイを連れて来たのはお前さんにやって欲しいことがあったんだよ」
「やって欲しいこと? また何か素材を作れってのか? いやまぁ、それでグリフォンの素材を貰えるってんなら、俺としても断る気はないけどよ。それで?」
「レイ」
パミドールに促され、レイはミスティリングから取り出した魔剣をアジモフの方へと差し出す。
刀身が真っ二つに折れており、どう考えても使い物にならないのは間違いなかった。
だがアジモフが驚いたのは、目の前に現れた魔剣……ではなく、レイの持っているミスティリングの方だった。
「うおっ! おい、確かレイとか言ったな。それは……もしかしてアイテムボックスか? それとも、劣化版の方か?」
「劣化版? ああ、なるほど。いや、そういう意味で言えばアイテムボックスだよ」
劣化版というのが、エレーナの持っているような擬似的なアイテムボックスのことだと理解したレイの言葉に、アジモフは再びレイの方へと強い視線を向けてくる。
身体は痩せぎすだというのに、今のアジモフからは不思議な程の迫力が発せられていた。
「その靴に、左手の腕輪、ローブもマジックアイテムだな?」
「……正解。なるほど、確かに腕の立つ錬金術師らしいな」
これまでにも何度か自分の装備しているマジックアイテムを見抜かれたことがあったが、まさかここでもそんな目に遭うとは思わなかった。
肩を竦めつつ感嘆の視線を向けるレイに、アジモフはレイの周囲を回るようにしてあらゆる方向から確認していく。
「その指輪もマジックアイテムか。しかも相当に高度なマジックアイテムだな? ……何と、よくもまぁ、そんなにマジックアイテムを手に入れられたな」
「いや、それを全て見破るお前の方が凄いと思うけど。……ともあれ、だ。俺がやって欲しいのは、この魔剣の修復作業だ」
「ほう。この魔剣も相当の代物だな。けど、刀身で真っ二つか。……どこで手に入れたんだ?」
「ベスティア帝国で、不動のノイズとやり合った時に」
レイの口から出て来た名前に、アジモフは再び驚きの表情を浮かべる。
「不動のノイズって、ベスティア帝国のランクS冒険者か? はぁ……どれだけ驚かされるんだか」
そう告げつつも、アジモフの表情にあるのは驚きというより寧ろ納得の表情に近い。
「ランクAモンスターを連れているんだから、それで何とかなったんだろうが……それにしても、凄いなお前さん。相手はランクS冒険者だぞ?」
「あのなぁ。そこのレイだって異名付きの冒険者なんだぞ? 本っ当に、お前は家に籠もってるだけじゃなくて、外に出ることも覚えろよ。俺だってレイの名前くらいは知ってたってのに」
「ふん、外に出て無駄に騒ぐくらいなら実験でもやってる方がマシだよ」
パミドールの呆れた言葉に、自分に全く非はないとばかりに告げるアジモフ。
そんなアジモフの様子を見ていたレイは、ふと疑問に思って口を開く。
「そんなに街中に出るのを面倒臭がっているのなら、食べ物とかはどうしてるんだ?」
街中に出れば、レイやセトの名前を聞くということはかなりの確率で有り得る筈だが、それでも自分やセトのことを知らなかったという。
それを不思議に思っての問いだったが、アジモフは何でもないかのように口を開く。
「ああ、食事や買い出しをしてくれる人を雇っているんだ。そっちの面倒なことは全部任せてある。俺は錬金術に集中出来るって訳だ」
「……なるほど」
アジモフの言葉に頷くレイだったが、目の前にいるのが怪しげなことを企むのではなく、ただ単純に錬金術以外には興味のない錬金術馬鹿とでも呼ぶべき存在だというのを理解する。
(これなら大丈夫か? いや、けど錬金術にのめり込み過ぎだってことで、寧ろそっちの方がセトに対して手を出しかねない気もするけど)
目の前にいる人物の評価をどうしようかと考えているレイだったが、それを中断するようにアジモフが口を開く。
「ま、ともあれここで話をしているってのも寒いだけだから中に入ってくれ。詳しい話はそっちで聞かせて貰うから」
そう告げ、レイとパミドールに家の中に入るように促すのだった。
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