第860話
新月の指輪を暫く眺めていたマリーナは、やがてその指輪をレイの方へと返す。
「駄目ね、一応マジックアイテムの目利きについてはそれなりに自信があるんだけど、こうして見る限りだとそこまで凄い物には思えないわ。魔力だけじゃなくて、マジックアイテムその物にも隠蔽の効果が付いてるんでしょうね。それこそ、レイのドラゴンローブ以上に」
「そこまで強力なマジックアイテムなら、俺としては運が良かったな」
マリーナの言葉にレイは満足そうに頷き、新月の指輪を指へと嵌める。
そうして新月の指輪についての話が一段落すると、マリーナが肉感的な太股を見せつけるように足を組み替えながら口を開く。
「ダンジョンの件、情報を欲しがったってことは攻略するつもりなの?」
「うん? ああ、勿論」
「何故、と聞いてもいい? あのダンジョンがどんな場所なのかくらいは知っているでしょう? 階層も浅いし、入り口や中も狭い。出てくるモンスターも弱い。おまけに、出てくるモンスターの素材や魔石、討伐証明部位はどれも安いものばかり。とてもじゃないけど、レイのような高ランク冒険者が挑むダンジョンじゃないわ」
「かもしれないな。けど、何となく行っておいた方がいいって感じがするんだよ。それに、ギルムの近くにダンジョンがあるってのは色々と不味いだろ? まぁ、迷宮都市としてやっていくのなら話は別だろうが……」
「無理ね」
レイの言葉を即座に否定するマリーナ。
それも当然だろう。ギルムを作るのにもミレアーナ王国の総力を結集し、その多くを消耗しながらようやく完成させたのだ。
ダンジョンはギルムからそれ程離れていないので、ギルムを作る時よりも楽なのは事実だろう。
だがそれでも、もし本気で迷宮都市を作るというのであればギルムだけで出来る筈がない。
それはレイにもよく分かっていることなので、マリーナの言葉に反論する様子も見せずに言葉を続ける。
「ま、とにかくそういうことだ。暫くギルムを留守にしていたし、腕慣らしって意味もあるけど」
「……いいけどね。出てくるモンスターの多くはゴブリンやコボルト。少し強くなってオーク。それとオーガってところかしら」
「オーガならそれなりに金になるんじゃないのか?」
「普通ならそうね。ただ、さっきも言った通りダンジョンの中はかなり狭いのよ。そんな中でオーガと遭遇したら……分かるでしょ?」
マリーナの口から出た言葉に、少し考えて頷きを返す。
「普通なら大ぶりの攻撃を回避して反撃するのに、回避出来る空間そのものがない訳か」
「そ。しかもそこまで苦労して倒したとしても、素材や魔石がかなりの粗悪品で……というおまけ付き」
「うわぁ……」
ダスカーから聞いてはいたが、改めてダンジョンの情報を聞くと何故誰も挑まないかを理解してしまう。
「で、そんな状況なのに挑戦するの?」
「ああ」
念の為と尋ねてきたマリーナの言葉に、レイは即座に頷きを返す。
マリーナも、まさか即座に返事をされるとは思わなかったのか、一瞬目を見開き……だが、次の瞬間には艶やかな笑みを浮かべる。
「そう。レイがそこまで言うのなら、もう私からは何もないわ。じゃあ、ダンジョンの攻略を頑張ってきなさい。ギルドマスターの立場としては、贔屓をしたりはしないけど……期待しているわ」
「今年中には何とかしたいと思っているから、期待して待っててくれると嬉しい」
「フフッ、じゃあ、その報告を楽しみにしているわね。今日は色々と話を聞かせてくれて、ありがとう」
「うん? もういいのか? てっきり、ベスティア帝国でのことをもっと聞いてくるのかと思ってたんだけど」
「いいのよ。私が聞いたら色々と不味い情報も多いんでしょ? それに何か情報を得るとしても、レイから直接聞いたとなると色々と不味いし。どうしても必要なら別だけど、それ以外なら他の場所から情報を手に入れるわ」
その言葉を最後に、レイは執務室を出て行く。
レイの後ろ姿を見送ったマリーナは、執務机へと戻って再び書類へと目を通す。
「……何だってあんなにダンジョンに拘るのかしら」
書類にサインをしながらも、小さく呟く。
確かにレイの言っていることは、多少疑問が残るがそれ程おかしくない。
だがそれでも……どこか疑問に思ってしまうのも事実。
「もしかして、ダンジョンに何か秘密がある? だとすれば、普通に考えるとダンジョンの核辺りが関係している? それとも実はダンジョンに何らかの希少種が出るとか……駄目ね。考えても何も思いつかないわ。ここで下手に考えても何の意味もない、か」
小さく首を振り、今はギルドマスターとしての仕事を片付ける方が先だと、目の前の書類へと集中するのだった。
「レイ君、レイ君、レイ君! ギルドマスターに何か変なことをされなかった?」
階段を下りてきたレイに、ようやく説教の終わったケニーが慌てて駆け寄っていく。
そんなケニーの姿に、先程まで注意をしていたギルド職員の額に若干血管が浮かんだのだが、恋する乙女のケニーとしては、そんなことよりもレイが泥棒猫に誘惑されていないかどうかを確認する方が重要だった。
「うん? ああ、ギルドマスターからはダンジョンについての情報とか、俺がいない間にギルムで起こった出来事とか、そういうのを聞いただけだよ」
「本当に本当?」
「勿論」
実際に何があった訳でもない為、レイは躊躇うことなくそう告げる。
そんなレイの表情をじっと見つめていたケニーだったが、やがて安堵の息を吐き、気分を落ちつけた。
「そう、良かった……痛っ!」
ケニーの後ろにいたのは、先程と同様にレノラの姿。
その手に握られているのは定規のようなものであり、実際に色々な書類を書く時に使うという意味では用途も定規のそれなのだろう。
その定規でケニーの頭を叩いたレノラは、どこか迫力のある仕草で口を開く。
「ケニー。ギルドの中でギルドマスターを中傷するようなことを叫ぶなんて、随分と勇気のある真似をするわね。ちょっとお話しましょうか」
「ちょっ、何よレノラ! 私はこれからレイ君と再会のお祝いに食事でも……」
「あのね、ケニー。貴方も私も、まだ仕事中なの。それを理解しましょう?」
ケニーの制服の襟の部分を引っ張って強制的に連れていくレノラだったが、その行為に慌てたのは引っ張られている本人だ。
「ちょっ、ま、待って! レノラ、零れる、私の胸が零れるから! レノラと違って大きい私の胸が!」
その言葉通り、襟を引っ張られているケニーの制服は、その双丘がはみ出ており、いつ全てが露わになってもおかしくはなかった。
元々ケニーが着ている制服は、レノラの着ているものと違って胸元が開いている。
そんな状況で襟を強引に引っ張られれば、それは当然そこから零れそうになってもおかしくはなかった。
……尚、レノラの制服は首から胸元まで覆われているものだが、それがレノラの胸の大きさによるコンプレックスからくるものなのかどうかは、定かではない。
今まで何人かそのことを尋ねようとした者もいたのだが、勇者というのは達成困難なことを達成するからこそ勇者であり、そこに至れる者はほんの僅かだ。
殆どの者は魔王の手に掛かってその生涯を終えるのだから。
「レイさん」
「な、何だ?」
ケニーを引っ張っていたレノラが、一旦その力を緩めてレイへと声を掛けてくる。
その声に若干驚きの声を上げたレイに、レノラは不思議そうに首を傾げてから本題に入る。
「酒場の方で灼熱の風の皆さんがお待ちですよ。ミレイヌさんがレイさんを探してましたが」
「……ああ、なるほど」
「ちょっ、レノラ! 引っ張らないでってば! レイ君、レイ君!」
「ほらほら、ケニーはお説教が待ってるんだから余り手を患わせないの」
そんな風に引っ張って行かれるケニーを眺めていたレイだったが、その後、ギルド職員に促されてカウンターの外へと向かう。
(レノラ、怒ると怖いんだな。怒らせないようにしよう)
心の中でそう決意しながら。
「悪い、待たせたか?」
レノラとケニーの一件が終わった後、レイはギルドに併設している酒場へとやってきていた。
「いえ、大丈夫ですよ。丁度お腹も減っていたところだったので。……レイさんは食事は?」
「そうだな、じゃあ俺も食べるか」
テーブルで具がたっぷりと入ったスープを飲んでいたスルニンが笑みを浮かべてそう答え、その隣でサンドイッチへと手を伸ばしていた人物も頷きを返す。
「まぁ、昼食のついででしたからね」
レイよりも若干年上に見られるこの少女は、ミレイヌやスルニンと共にランクCパーティ灼熱の風を組んでいる最後の一人でもある、エクリルだった。
「セトちゃんともっと遊びたかったのになぁ……」
ギルドに来た時に、セトと遊んでいたのをスルニンによって強引に引っ張ってこられたミレイヌが、串焼きを食べながら不満そうに漏らす。
そんな三人の様子を見つつ、レイもテーブルに座ってメニューへと目を向け……
「へぇ」
軽い驚きの声を漏らす。
何故なら、メニューの中にうどんがあった為だ。
レイがベスティア帝国へと向かう前は、ギルムの中でもうどんの存在はかなり広がっており……それどころかアブエロやサブルスタといった近隣の街でも食べられるようになってはいたのだが、それでもギルドの酒場ではうどんをだしていなかった。
そんなレイの様子が気になったのだろう。メニューを覗き込んだミレイヌが、納得したように口を開く。
「ああ、うどんね。何でも酒を飲んだ後で最後に食べる人が多いみたいよ。何だかんだで、結構出てるらしいわ」
その言葉に、レイは日本に住んでいた時は酔っ払いが酒を飲み終わった後でラーメンを食べたがるという話を思い出す。
(それと似たようなものか? 酒を飲まない俺としては、想像しか出来ないけど)
そんな風に考えつつも、食堂で出すうどんではなく酒場で出すうどんというのにも興味があり、注文する。
そうして出て来たのは、さっぱりとしたスープで食べるうどんだった。
具も野菜がメインであり、ラーメンのチャーシューの代わりだとでも言いたげに、煮込んだ肉がうどんの上に乗っている。
(まぁ、ラーメンを知らない以上は偶然だろうけど)
うどんを啜ると見た目通りのさっぱりとした味であり、それでいながら煮込まれた肉の塊がこってりとした味わいも感じさせた。
少しの間、うどんの啜る音が周囲に響く。
尚、うどんを啜りながら食べるというのは、満腹亭にうどんを教えた時にレイが音を立てて啜るのが作法だということを告げた為に、行儀が悪いという認識にはなっていない。
ずずず、という音を立てながらうどんを食べ、具を食べ、スープを飲み、一段落したところで、口を開く隙を窺っていたスルニンが口を開く。
「それで、今日は戒めの種を解除してくれるという話でしたが……」
「ああ。その辺については、もうミレイヌが解除済みだ。聞いてるんだろ?」
「はい。ただ、昨日も思ったのですが、何故急に?」
「ミレイヌ?」
レイの、戒めの種について解除することになった理由を説明していないのかという視線に、ミレイヌは口を開く。
「セトちゃんのことだもの。レイが説明する方がいいでしょ。私が勝手に話すのもどうかと思うし」
「それもそうか」
あっさりとミレイヌの言葉に納得し、セトのスキルを帝国で大盤振る舞いした件を口にする。
それにはスルニンやエクリルも驚いたものの、それなら仕方がないと納得出来た。
だが、その事情を聞いた上でもスルニンは躊躇う。
戒めの種は確かに自分の言動を縛る事になるが、同時に炎に対する耐性や炎の魔法の威力を増すという効果もある。
ミレイヌから炎についての恩恵はそのままという話を聞いてはいたが、そこまでの効果をそんなに単純に与えることが出来るのか、という疑念があった。
もしかして何らかの落とし穴があるかもしれない。
そんな疑問を持つスルニンに、レイは心配いらないと首を横に振る。
「別に何かの副作用とか、そういうのはない。戒めの種が長期間お前達の体内にある状態で、ある程度の期間魔力と接し続けていて親和性があればな。まぁ、勿論効力は若干落ちる可能性はあるけど、セトのことを喋ることが出来ないって状況よりはいいだろ?」
その言葉を聞き、最初に口を開いたのはスルニン……ではなく、エクリル。
「じゃ、私は解除をお願いします」
「エクリル、そんな簡単に……いいのですか?」
「ええ。大体、何か喋ったら死ぬなんて魔法を掛けられているより、多少炎に対する効果が弱まったとしても安全性が第一ですよ。それに私の場合、スルニンさんと違って炎の魔法とかは使えませんし。そういう意味では、炎の耐性の方がちょっと惜しいくらいです」
エクリルの言葉に、スルニンは悩む。
炎の魔法の威力が上がったのは、スルニンにとっては非常に有用だった。
それが若干でも威力が落ちる可能性があるかもしれないというのは、出来れば避けたい出来事だった。
特に、スルニンは既に中年と言ってもいい年代であり、訓練を積んでも能力の伸び代は殆どないと言ってもいい。
それでも……暫く悩んだ結果、スルニンはレイの言葉を受け入れ、エクリルと共に戒めの種を解除して貰う決断をするのだった。
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