第861話
夕暮れの小麦亭でレイが借りている部屋。
そこに、笑みの籠もった声が響く。
『ふふっ、なるほど。私としてはレイに会えるのは大歓迎だが……その灼熱の風というパーティは結局戒めの種は解除したのだろう?』
「ああ。丁度今日な。勿論何の事故もなくきちんと終わったぞ」
『で、私とアーラの分も解除する、と?』
確認する意味を込めて尋ねてくるエレーナに、レイは頷きを返す。
「以前も言ったけど、ノイズとの戦いでセトのスキルは大勢に見られているからな。戒めの種は色々と危険だろ」
『確かに。だが、どうする? 私が今そっちに行くのは少し難しい。一年も終わりに近づいているということで、ケレベル公爵領でもこれから色々と忙しくなるからな。そうなるとレイがこちらに来るしかないのだが……それもまた、不味い』
「だろうな」
エレーナの言葉に、レイは納得の表情を浮かべる。
実際、一年の終わりということで色々と忙しくなるというのは理解出来ていたし、もしそこに自分が行けば必ず騒動が起きると理解していた為だ。
『特にもういつ雪が降ってもおかしくない時期なのだから、下手をすればギルムに閉じ込められるということにすらなりかねん』
こちらもまた、確かにと頷かざるを得ない理由だ。
エレーナの話を聞き、少し考えたレイはやがて口を開く。
「そうなると、来年の春にギルムに来る……というのはどうだ? いや、俺がエレーナの家があるアネシスだったか? そこに行ってもいいけど、多分騒ぎになるし」
レイ自身はそんなに目立つような存在ではない。
いや、正確にはドラゴンローブを身につけ、フードを被ってしまえばどこにでもいる初心者の魔法使いといった風に見られる。
だがレイの側には当然セトがおり、貴族派の中心人物でもあるケレベル公爵が治める領地へ出向くとなると、貴族に絡まれるのは確定と言ってもいい。
その辺を考えると、やはりエレーナがアーラと共にギルムへと来るのが最善だった。
そして、何より……
「来年の春には、ヴィヘラもギルムに来るらしいから、三人。ビューネを連れてくるのなら四人でパーティを組むっていうのもちょっと面白いんじゃないか? いや、アーラを入れると五人か」
『ふむ、なるほど。確かにそれは面白いかもしれないな。ヴィヘラと会うのは微妙な感じがするが、ビューネとは久しぶりに会いたい』
相変わらずビューネを可愛がっているエレーナの様子に、レイとしても意外といい案なのでは? と考える。
前衛のヴィヘラとアーラ、盗賊のビューネ、距離を問わずに攻撃出来るレイとエレーナ。グリフォンであり、空を飛ぶのも可能なセト。
もっとも、空を飛べるのはセトだけではない。レイとエレーナの二人はスレイプニルの靴という、空中を歩くことが出来るマジックアイテムを身につけている。
つまり、数歩程度ではあるが空を駈けることも可能なのだ。
パーティとしては、ランクBどころかランクAにすら匹敵するだけの能力を持っているだろう。
そんなパーティで冒険するのはちょっと楽しそうだというのが、レイの正直な思いだった。
『ふふっ』
パーティとして活動している姿を想像しているレイを見て、水晶の向こうのエレーナが小さく笑みを漏らす。
「どうした?」
『いや、レイにもパーティに対する憧れとかはあったのだと思ってな』
エレーナの口から出た言葉に、レイは心外だと不満そうな表情を浮かべる。
「俺だって、別に好んでソロだった訳じゃないぞ? 今まではセトの件があったからソロだっただけで。ただ、今回の件でセトのスキルを隠す必要がなくなったからな。そういう意味で、パーティを組みやすくなったのは事実だ」
『そうだな。ただ……残念ながら私は冒険者になるというのは難しいと思う』
「あ……」
エレーナの言葉で、レイはようやく水晶球の向こう側にいる人物の立場を思い出す。
姫将軍の異名を持つ人物であり、貴族派の象徴とでも呼ぶべき人物だ。
どう考えても冒険者として活動するのは無理だろうと。
パーティとして行動出来るのを期待しただけに、余計に残念な表情を浮かべるレイに、エレーナは小さく笑みを浮かべて言葉を続ける。
『そうだな。正式なパーティという訳ではないが、同行するという意味でなら少しの時間は取れると思う。……まぁ、その分そちらに向かう前後で仕事が色々と厳しくなるだろうが』
「本当か? なら、春が楽しみだな。……いっそ、エグジルのダンジョンを攻略するのもいいかもしれないな。ああ、それとも継承の祭壇があったダンジョンを攻略するとか。あの時は結局ダンジョンの核がどうこうって感じじゃなかったからな」
『ふふっ、確かに』
お互いにあの時にあった出来事は苦い……それこそ非常に苦い思い出だが、それでも今はこうして話すことが出来ていた。
「ただ、ウォーターモンキーの出る階層は数の問題で面倒なんだよな」
『けど、今回はあの時と違ってセトのスキルを隠さなくてもいいのだから、それ程でも……』
エレーナがそう告げた、丁度その時。
まるでタイミングを計っていたかのように、扉にノックの音が響き渡る。
そしてレイが返事をする前に扉が開き、声が響く。
「レイ君、やっとあの貧乳娘から逃げ出してきたわ! 全く、レノラってば、ああやって小うるさいから恋人の一人も……」
部屋に乱入してきた人物は、ケニー。
そのケニーは部屋の中にいたレイの姿に笑みを浮かべるも、次の瞬間にはレイの近くにあるテーブルの上に置かれている水晶に気が付く。
いや、それだけであれば特に問題はなかっただろう。
だが水晶に映し出されているのが、凜とした美人であるとなれば話は別だった。
ギルドには他のギルドと連絡を取る為のオーブがあり、ケニーも業務として何度か使っているのを見たことがある。
だからこそ、その水晶、対のオーブがそれと似たような物であるというのを理解し、普通は個人で持てる代物ではない対のオーブを持っていることにも驚く。
……だが、やはり最大の問題はその水晶に映し出されている女の姿だろう。
ケニーも自分の容姿には自信がある。
自惚れている訳ではなく、実際ギルドの受付嬢というのは顔立ちの整った者が採用される為だ。
また、何人もの冒険者に言い寄られた経験がある。
だが水晶に映し出されているのは、間違いなく自分よりも美人とケニー自身が認めてしまう相手。
「……レイ君、その人、誰?」
「あのな、勝手に部屋に入ってきて……まぁ、いいけど。こいつは……」
エレーナの紹介をしようとしたレイだったが、水晶の向こう側からそれを遮るように声を掛けられる。
『レイ、いい。私から自己紹介しよう』
水晶越しにケニーを見るエレーナの視線は鋭い。
エレーナは、ケニーの存在を前々から知っていた。
冬にイエロをギルムへと向かわせた時にイエロがケニーに遭遇し、その記憶を見た為だ。
だからこそ、現在レイの近くに立っているケニーがどんな人物は理解している。その想いも。
『私はエレーナ・ケレベルだ。自分で言うのもなんだが、姫将軍と言えば誰か分かって貰えるか?』
「っ!?」
その言葉に、ケニーは息を呑む。
ギルドの受付嬢という立場である以上、当然様々な情報を入手し、見る機会は普通の人よりも多い。
それだけに、水晶の向こう側の女……エレーナが名乗った時には、その顔をケニーはすぐに該当の人物と一致させることが出来た。
「……失礼しました、エレーナ様。私はギルムのギルドで働いているケニーと申します」
『ああ、ケニーのことは知っている。レイとの関係もな』
「……」
その一言で、ケニーは理解する。
水晶に映し出されている人物は、確かに公爵令嬢にして、異名持ちの人物なのだろう。
だが、今は違うと。そんなのは関係ないと。
今自分の前に存在しているのは、そのような人物ではなく……自分の敵、恋敵なのだと。
ケニーが自分達の関係を理解したと判断したのだろう。エレーナは視線をレイの方へと向ける。
『レイ、済まないがこのケニーという者と少し二人にして貰えないか?』
「本気か?」
それは、幾つかの意味を含んでいる問い掛けだった。
公爵令嬢という立場や異名持ちという立場にある者が個人的に……しかもレイの部屋で話したいと告げる言葉。
もしこれで何か問題が起きれば、それは間違いなくケニーに災難をもたらすことになるだろう。
それを理解している上で言っているのかと、少し鋭い視線をエレーナへと向ける。
だがそんなレイの言葉に反応したのは、エレーナではなくケニーの方だった。
勿論ケニーも公爵令嬢を……それも貴族派の象徴とも呼ばれている公爵令嬢を相手に、迂闊な真似を出来ないというのは分かっている。
それでも、ここで退く訳にはいかなかった。
「レイ君、お願い。私もエレーナ様と話したいことがあるの。……そうね、用件が終わったら呼びに行くから、下の食堂で時間を潰してて貰える?」
その言葉に、レイの視線は迷うようにエレーナの方へと向けられる。
立場の違いでは、圧倒的にエレーナの方が上だ。
だからこそ、もしエレーナが無理を言うようであればそれを止めなければならないと思ったのだが、ケニーの方もそれを望んでいるとなれば、レイに止めることは出来ない。
だとすれば、今のレイに出来るのはエレーナに対してことを荒立てないように頼むしかなかった。
そんなレイからの視線に、エレーナは小さく頷き口を開く。
『安心してくれ。別に私がこの件で彼女をどうにかするようなことは有り得ない。ただ、そうだな。……女同士の話があるとだけ言っておく』
「分かったよ。……じゃあ小腹も空いたし、俺はちょっと一階の食堂に行ってくる」
そう告げ、レイは部屋を出て行く。
自分の部屋だというのに不用心以外のなにものでもないが、レイはケニーを信頼している。
それ以前の問題で、この部屋には殆ど荷物というものが存在していないということもあるのだが。
レイの姿が部屋から出て行き、数分。最初に口を開いたのは意外なことにケニーだった。
「全く、レイ君ったら少しは疑ったらどうなのかしら?」
『レイは敵に対しては冷徹だが、一度味方と判断した相手にはどこまでも甘くなるからな』
「それは、実体験でしょうか?」
『ああ。だが、レイの性格を考えれば、私よりもお前の方が知ってるのではないか?』
「そうですね、否定は出来ません。最初にギルドに登録しに来た時も絡まれたパーティを挑発して戦いに持ち込んで、金や武器を巻き上げてたらしいですから」
『ふっ、レイらしい。……さて、前置きはこれくらいにしてだ。何故私がお前と話してみたいと思ったか。それは分かっているな?』
エレーナの言葉に、一瞬の沈黙の後でケニーは頷く。
「勿論です。レイ君のことですね?」
『そうだ。……レイの性格と能力、それに出自や、セトを従魔にしているという状況を考えれば、確実にこれから色々と騒動に巻き込まれるだろう。その時に、足枷になるような人物はレイの近くにいて欲しくない。……いや、これは言い訳だな。正直に言わせて貰おう。私としてはお前がレイの側にいるのを認めることが出来ない。感情的な面でもな』
エレーナとしては、将来的にレイが何人かの妻を娶ることは予想出来ている。
だが、それでも正妻は自分であるという思いがあり、ヴィヘラのように自分が認めた相手ならともかく、よく知らない相手がその中に入ってくるというのは嬉しいことではない。
そんなエレーナの言葉に、ケニーは一瞬怯むものを感じたが、それでもすぐに口を開く。
「残念ですが、エレーナ様の言葉に従うことは出来ません。私としても、レイ君との関係は大事なものですから」
『ふむ……なるほど。そうだろうな。だがいいのか? 自分の口でこう言うのもなんだが、私は強い影響力を持っている。それを不安に思わないのか?』
脅す……というよりは、ケニーの意思を確認する為に告げてきたその言葉だったが、言われた本人は内心の怯みを押し殺して頷きを返す。
「勿論不安には思います。ですが姫将軍とまで呼ばれた方が……それもレイ君に対して好意を抱いている方が、そのような真似をすることはないと判断させて貰いました」
『……レイのことを想うからこそ、そのような行動を取ることもあると思うのだが?』
「そのような行為をしようと思っている人は、そんなことを言いませんよ」
『ほう』
ケニーの言葉に、感心したように呟くエレーナ。
その目には、先程までよりはケニーという存在を認めるかのような光が宿っている。
『なるほど。ギルムという辺境の地のギルドで働いているだけあって、随分と度胸もいい。だが……それだけではレイの側にいることを認める訳にはいかないな』
「エレーナ様。申し訳ありませんが、レイ君の側にいる人物はレイ君自身が決めます。それは決してエレーナ様が決めるべきことではないと思いますが」
『……ふふっ、確かにそうだな。少し勇み足が過ぎたかもしれん』
部屋の中にエレーナの笑い声が響き……先程までの重苦しい雰囲気は消え去る。
結局食堂にいるレイがケニーに呼ばれたのはそれから三十分程後のことであり、その間にどのようなことが話されたのかはレイが知ることはなかった。
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