第852話

 サブルスタで一晩を過ごした次の日、レイが手続きを済ませて街の外へと出ると、門の前には全員が揃っており、いつでも出発出来るように準備を整えていた。


「全員ギルム行きを希望か。物好きな奴が多いな。これから向かう場所が辺境だって理解しているのか?」


 セトの頭を撫でながら呟くレイに、セルジオが御者台の上で苦笑を浮かべながら口を開く。


「私達はレイさんと共に過ごしたくて、わざわざベスティア帝国からやって来たんですよ? なのに、わざわざサブルスタで暮らすなんてのは有り得ないと思いませんか?」

「……言っておくけど、俺は別にずっとギルムにいる訳じゃないぞ? 何か依頼があれば別の街に行くし、今回みたいに別の国に行くことだってあるかもしれない」

「それくらいは分かってますよ。ですけど、いざ何かがあった時にレイさんの側にいるというのは大きな違いだと思いませんか?」


 セルジオの言葉に、他の馬車に乗っている者も同意だと言いたげに頷く。


「それに、サブルスタに住んじゃったら、セトちゃんに会えなくなりますし」


 別の馬車の御者台に座っていた女の言葉に、こちらもまた同意するように頷く者が多い。


「好きにしろ。全く、本当に物好きな奴が多いな」

「レイさん、それさっきも言ってましたよ?」

「それだけ物好きが多いってことだろ。……それでセルジオ、盗賊の件はどうなったんだ?」

「あ、はい。その件はきちんと解決済みです。最初はこの街まで戻って来てお金を受け取ろうと思ったんですが、ギルムに到着したら忙しくなってそれどころじゃない可能性が高いんですよね。ですから十日後にギルムに行く予定があるという商隊の方に幾らか支払って、持ってきて貰うことになりました」

「また、随分と危険な真似を。持ち逃げされても知らないぞ?」


 一応ということで忠告の言葉を告げるレイだったが、それに戻ってきたのはセルジオの苦笑。


「レイさん、自分の名前がどれだけ有名なのか、少しは考えた方がいいですよ? 私達はレイさんが引き連れてきた集団です。そんな集団から受けた依頼で、しかもレイさんが捕縛した盗賊の報奨金や奴隷として売った売り上げを盗むような真似をしたら、その人はもうこの近辺で商売は出来なくなるでしょう。……もっと大きな金額だったらそんなことを考える人がいるかもしれませんが……」


 その言葉から、思ったよりも大きな金額じゃなかったのだろうと判断したレイは、肩を竦める。


「お前達がそれでいいのなら、こっちも文句はないさ。それじゃあ忘れ物の類はないな? 今から忘れ物があるって言っても、また中に入る手続きをする必要があるから待ってはいられないけど」

「レイさん、それ聞いている意味ないし」


 ディーツの言葉に、皆が笑みを浮かべながら頷く。

 その一言で一行の中にあった微かな緊張が解けたのを確認したレイは、笑みを浮かべながら再び口を開く。


「じゃあ、出発する!」


 レイの口から出た一言に、セトが足を踏み出す。

 その後を続くように、馬車の群れも移動を始める。

 サブルスタの門番をやっている警備兵達は、レイが率いる一個の群れとも呼ぶべき集団を見送り、その姿が遠く離れたところで口を開く。


「行ったな」

「ああ。……正直、商隊が活発に動くのが一段落した後でこんなに忙しくなるとは思わなかったよ」

「あー……確かに。まぁ、雪が降る前にギルムに向かいたいって奴は毎年出てくるから、決して有り得ないって訳じゃないんだろうが……その辺を考えると、何だか微妙な感じがするよな」

「それでも少し前よりは忙しくないんだから、楽なもんだろ?」


 雪が降り出す前の時期、ギルムは多くの商隊を迎え、同時に送り出す。

 雪により移動するのが難しくなる前にギルムで商品を仕入れる為だ。

 もしも雪の降る時期を見誤れば、最悪春まで辺境に閉じ込められることになる。

 それを考えれば本来ならこの時期にギルムに行かないのが最善なのだが、ガメリオンの肉を始めとして、この時期にのみ辺境で獲れる獲物もあるし、それを見越して品薄になっている稀少な素材や魔石の類を仕入れようと考える者も多い。

 リスクとリターンを天秤に掛け、リターンを選んだ者達がこの時期にギルムへ集まる。

 もっとも、その騒動も既に一段落しており、いつ雪が降ってもおかしくはない今では余程の事情がない限りギルムに向かう者は存在しない。

 ……あるいは、レイのようにギルムへ戻る者達か。

 ともあれ、ギルムへ向かうということは当然このサブルスタを通るということであり、少し前までサブルスタの……特に街に入る手続きをする警備兵達は、忙しいことこの上ない日々を過ごしていた。

 それが一段落したところでレイ達一行が来たのだから、確かに少し前に比べると楽だったというのは事実だろう。


「ほら、まだ商隊は来たりするんだから、完全に暇って訳じゃないんだぞ!」


 その場にいた警備兵の一人がそう叫ぶと、他の警備兵達もそれぞれ自分の仕事に戻っていく。






「あ、見えてきた。あれがギルム?」


 サブルスタを出てから二日、前日はサブルスタとギルムの中間にあるアブエロで一夜を過ごし、今日も朝早くから街道を進んだレイ達一行は、視線の先に街を覆う壁の姿を目にすることになる。

 馬車の御者台にいた者の一人が、視線の先に見えたその光景に喜びの声を上げる。

 それも当然だろう。ベスティア帝国の帝都を出発してからミレアーナ王国の辺境のギルムまで。

 この旅路は、普通に生きている者であればそうそう経験することが出来ないものだったのだから。

 それでも安全に旅を出来たのは、やはりレイとセトが護衛しており、元遊撃隊の面々もいたからこそだろう。

 寧ろ、これだけ強力な護衛を備えている一団というのはかなり珍しい。


「結局、襲撃を受けたのってサブルスタに到着する前の盗賊が最後でしたね」


 しみじみと呟くセルジオだったが、聞く者によってはその口調にどこか残念そうなものを感じるだろう。

 基本的には礼儀正しいセルジオだが、冒険者をやっているだけあって荒事を好まないという訳ではない。


「ま、それが普通だろ、普通。とにかくこうやって無事にギルムに到着したんだから、愚痴は後回しだって」

「そうね。ここで変なことを言って、それが現実になったりしたら面白くないし。……それより、ギルムの周辺を囲んでいる壁って相当厚いわよ? それこそ、下手をすれば帝都に負けないくらいなんじゃないかしら」


 御者をやっていた女が、遠くから見ても分かるギルムの壁を眺めつつ、感心したように呟く。


「そりゃそうだ。辺境ってくらいなんだから、当然モンスターとかも強力な奴が出るだろうし。そいつらに対抗するとなると、薄い城壁じゃすぐに破られるんだろ?」

「辺境だからこそ、か。これから俺達もあそこで暮らす訳だし、頼もしいじゃないか」

「うんうん、自分の住んでいる場所が鉄壁の守りだってのは頼もしいよね」

「そう言えば、アブエロで変な噂を聞いたな。ダンジョンがどうとか……」

「ああ、俺も聞いた。けど、ギルムの近くにはダンジョンがあるって話は前から有名だったんだろ? 何だって今更」

「さぁ? 多分ダンジョンで何か新しい動きとかがあったのかもしれないな」


 そんな風に会話をしている間にも、ギルムの姿はどんどんと近づいてくる。

 この頃になれば、ギルムに続く街道でも何人かの冒険者や商隊、商人、旅人といった者達と遭遇することも増え……その反応は真っ二つに分かれた。

 片方は、レイとセトを知っている人々。

 ここ暫くギルムを留守にしていたレイとセトが戻ってきたことを喜び、持っている干し肉やパンをセトへと与えるような者達。

 そしてもう片方は、レイとセトを知らない……もしくは、知っていても噂話だけで直接その目で見たことがなかった者達。

 そのような者達は、グリフォンであるセトの姿に驚き、同時にその背に乗っているレイの姿にも驚く。

 いきなり目の前に現れたランクAモンスターに、思わず腰を抜かしそうになる者も少なからず存在していた。

 ……もっとも、そのような者達には事情を知っている者が手を貸していたのだが。

 レイとセトに対する反応はそのように二通りに分かれたが、どちらにも共通しているのはやはりレイが引き連れている二十台近い馬車の集団だろう。

 その馬車の全てが高価な箱馬車であり、何故こんな集団がレイに率いられるように? と。

 最終的には恐らく護衛として雇われているのだろうという認識になってはいたが。

 門の前には何人か手続きを待っている者達もいるが、そのような者達も自分の背後に突然現れたレイ達に向かって驚きの目を向けている。


「あれ? 俺達ってアブエロから出発してから誰にも追い抜かれてないよな?」

「だな。まぁ、俺達の速度に追いつける者ってのはそう多くないだろうし」


 レイとセトは言うに及ばず、馬車の中には人しか乗っていない。更には馬車を引く馬も一級品とまではいかないが、平均以上の能力は持っている。

 それだけに、レイ一行の移動速度は非常に速い。

 なのに、何故自分達よりも先に街に入る手続きをする為に並んでいるのか……という疑問に、レイが口を開く。


「そんなに不思議なことでもないだろ。俺達はアブエロで一泊したけど、あそこにいる奴等は多分夜通し歩いてきたか、野営をしたのか」

「……この時期にですか?」

「それぞれ事情があるんだろうな。俺達みたいに懐が温かいって者ばかりでもないだろうし」


 レイ達は内乱の件で大量の報酬を貰っており、当然その懐は温かい。

 また、ここまでの旅路でも盗賊に襲撃されては盗賊を捕らえ、そのアジトを吐かせてから逆にアジトを襲ってお宝を奪うといった真似を幾度もこなしてきた。 

 そうなれば当然戦闘に参加した者達で山分けにしても相当な量の報酬となり、懐にはかなりの余裕がある。

 だが、普通であればそこまで金に余裕のある者はそれ程多くはない。

 だからこそ、街の宿には泊まらずに街道でモンスターの襲撃や寒さを覚悟しながらも野営をする者もいる。


「ふーん……ま、確かに俺も向こうで冒険者をやっている時は結構節約とか考えてたから、その気持ちは分かるけど」

「ぷっ、お前が節約って……娼婦に入れ込んでた奴の言うことじゃないな」

「う……」


 そんなやり取りをしているうちに、ようやくレイ達も列の最後尾へと到着し……


「レイ! お前達は並ばなくてもいい! 先にこっちに来てくれ!」


 警備兵の一人にそう呼ばれ、列の最後尾から真っ直ぐに門の方へと向かう。

 当然レイの後ろには馬車が続き、並んでいる者達にしてみればそれが面白い訳がない。

 だがこんなところでそんな風に叫んでも殆ど意味はなく、そもそもレイという人物を知っていれば何か特殊な事情があるというのは予想出来る。

 そんな訳で、多少不服そうにしながらも列に並んでいる者からは苦情の声は出なかった。


「こっちは助かるけど、いいのか?」


 レイの言葉に、警備兵が頷きを返す。


「ダスカー様から、お前が帰ってきたらすぐに通すようにと言われている」

「あー……なるほど」


 内乱の件を直接自分の口から報告を聞きたいのだろうと、納得の表情を浮かべるレイ。

 既にエレーナを通して大まかな報告はされているのだが、少しでも詳しい情報を知りたいと考えるのは、ラルクス辺境伯であり中立派の中心人物としては当然だった。

 そもそも、今回のベスティア帝国での内乱は中立派と貴族派が協力して企てた謀略だ。

 その中でもギルムの冒険者であり、ダスカーとの仲も親密であると認識されているレイが帰ってきたのだと知られれば、ダスカーと接触する前に……と考える者が出て来てもおかしくはない。


「分かった。なら早速頼む。……そう言えば、こいつらのことは聞いてるか?」


 後ろにいる馬車の者達に視線を向けて尋ねるレイに、警備兵は頷きを返す。


「ああ。レイと一緒に来た者は全員領主の館に来るようにと言われている」


 短く言葉を交わし、早速それぞれが街に入る手続きを始める。

 レイもまた自分のギルドカードを警備兵に渡しながら、ふとランガの姿がないことに気が付く。

 警備兵を纏めている立場のランガは、半ばレイの専属に近い形になっていた。

 いつもであれば、このようなことがあった場合は真っ直ぐにレイの下に来るのに……と。


「ランガはどうした?」

「ランガ隊長はちょっと出張中だ。ダンジョンの方にな」

「ダンジョン? それって、この近くにある?」


 レイの脳裏を過ぎったのは、エレーナ達と共に潜った継承の祭壇があるダンジョン。

 色々な意味で苦い思いをしたダンジョンだったが、この近くにあるダンジョンと言われればそこしか思いつかない。

 だが、警備兵はレイのそんな問い掛けに首を横に振る。


「お前の思っている方じゃない。いや、この近くにあるって言うのは事実だけど、そこ以外のダンジョンだ。……数日前に、新しく発見されたんだよ」


 警備兵の口から出た言葉は、レイに驚愕を与えるのに十分な衝撃を持っていた。

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