第841話

 帝都を発ってからの旅は、非常に順調に進んだ。

 内乱をやっていた為に盗賊の類が多くなるかもしれないとレイは思っていたのだが、モンスターも含めて盗賊の類は一切出てくることがなかった。

 もっとも、レイの場合は寧ろ盗賊であれば資金の補充的な意味で出て来て欲しいという思いもあったのだが。

 基本的に金に困っていないレイだったが、それでも聖人君子という訳ではない。……いや、これまでの行いを考えれば、レイを聖人君子と呼ぶような者はいないだろうが。

 ともあれ、自分達を襲ってきた盗賊を倒して、溜め込んでいたお宝を貰うという行為には何ら罪悪感を覚えずに出来る。

 ついでに周辺の治安も回復するのだから……と思っていたのだが、それは色々と甘かったらしい。


「暇だな」

「グルゥ……」


 一人と一匹で進むレイとセトは、何となく呟く。

 遊撃隊の面々やヴィヘラは既にセトに対して慣れているので問題はないのだが、遊撃隊の者達と共にミレアーナ王国へと向かう家族や恋人、中には友人といった者達もいたが、そのような者達は当然セトに慣れている筈もない。

 いや、そのような者達だけであれば、多少強引にでもセトと仲良くさせるという行為も出来たのだ。

 だが……馬車を引く馬は違う。

 馬がセトと打ち解けるとまではいかなくても、怖がらなくなるまでは一日や二日ではどうにもならない。

 これまでのレイの経験からすると、厩舎の中で一日中一緒にいても、五日程度は掛かっていた。

 尚、ヴィヘラの馬は厳しい訓練を施された馬であり、セトに対しても殆ど怖がったりはしなかったのだが、それでも近くにはいない。

 理由としては、単純にヴィヘラのような特化戦力がレイと共に移動していれば、馬車の方にモンスターや盗賊が襲撃して来た時に対応出来ないかもしれない為だ。

 その為、ヴィヘラは馬車の護衛として遊撃隊の者達と共に行動をしている。

 ……もっとも、遊撃隊のメンバーが集まっているのだから、その辺の盗賊やモンスターが現れたとしてもどうということはないのだが。


「天気は……まぁ、悪くはないな」


 空を見上げながら告げるレイ。

 帝都を出発した時は晴れだったのだが、数時間もすれば完全な晴ればかりとはいかず、雲が空を漂っているのが見える。

 それでも雨雲の類ではない為、レイは特に心配していなかった。

 普通に旅をしているだけであれば、遊撃隊の面々も雨が降れば冷たさで体力を奪われただろう。

 だが、全員が馬車に乗っている為に、その辺の心配をしなくてもいいというのはレイにとっても嬉しい出来事だった。

 そんな風に上を見ながら考えていると、不意に後ろから近づいてくる馬の足音が聞こえてくる。


(ああ、そうか。俺はともかくヴィヘラは雨になったらどこかの馬車に入れて貰った方がいいか)


 その人物……ヴィヘラの服装のことを思えば、秋も深まったこの季節の冷たい雨にヴィヘラが濡れるというのは、本人はともかく、傍から見ている限りではあまり嬉しい出来事ではない。

 ただでさえ向こう側が見える程に薄い布で出来た服なのだから、そんなのが濡れればどうなるのか……当然男の目はそちらに吸い寄せられることになり、結果としてこの集団の中の女……とくに遊撃隊の隊員の恋人や妻、姉や妹といった者達からの視線は鋭くなる。

 馬車の中という狭い場所で、そんなストレスの掛かるような真似はしたくない為、そう考えたレイ以外にも、殆どの者は雨が降ってきたらヴィヘラを自分達の馬車に乗せようと考えていた。

 ……尚、殆どの者というのは、中には独身の為に自分一人で来ている者もいる為であり、そのような者にしてみれば雨で濡れたヴィヘラと一緒になるというのはご褒美以外のなにものでもない為だ。

 勿論ヴィヘラの強さは十分以上に理解している為、気の迷いを起こすような真似はしないが。

 そういう意味では、雨が降ってきたときに最も困るのはレイだった。

 レイが馬車に乗ればセトが寂しがり、かといって馬車に近づけば馬が怖がる為、迂闊に近づくことも出来ない。

 別にレイと完全に離れ離れになる訳ではないのだが、それでも近くにいるのに一緒にいないのは嫌なのだろう。


(つまり、もし雨が降ってきたらセトと一緒に濡れるのも考えた方がいいか。風邪を引くことはないけど、雨に濡れる感触ってのは好きじゃないんだけどな)


 ドラゴンローブは着ている者が快適になるような温度調整を出来る機能が備わっているし、何よりレイの肉体自身がゼパイル一門で作り上げた特別製だ。

 ちょっと雨に濡れたくらいで風邪を引くなどということは、まず有り得なかった。


「ま、そうなったらそうなった時に考えればいいか。今のところは雨の心配をする必要はなさそうだし」

「グルゥ?」


 どうしたの? と小首を傾げて尋ねてくるセトに、レイは何でもないと首を横に振ってから頭を撫でてやる。

 道を歩きながら、レイの手に撫でられる感触に気持ちよさそうに目を細め、喉を鳴らすセト。

 一般的に見れば気温は既に十℃くらいまで下がっており、とてもではないがこうして談笑しながら歩ける気温ではない。

 実際馬車で御者をしている者達は、それぞれが相応の防寒装備を身につけている。

 そんな風にして歩いていると、やがてセトが視線を街道から少し離れた場所に生えている林へと向けて、喉を鳴らす。

 セトの様子に一瞬敵か? と思ったレイだったが、特に自分達へと向かってくる様子はない。

 実のところ林の中にいたのは、冬眠に備えて栄養を求めていた、モンスターでも何でもない熊だった。

 それでもセトという存在と自分の力の差は理解したのか、素早く自分が元来た方へと逃げ出す。

 もしここを通ったのが普通の旅人であれば、もしかしたら襲われていたかもしれないが……そういう意味では熊にとっては不運であり、ここを通っていた普通の旅人達にしてみれば幸運だったのだろう。


「グルゥ……」


 ただ一匹、熊肉を食べるチャンスを逃した……と残念そうに鳴くセト以外は。

 それでも、レイがフリツィオーネの離れに滞在して別行動をしていた時に獲ってきた熊肉がまだレイのミスティリングの中にあったのを思い出したのだろう。気を取り直すように喉を鳴らす。


「……何だ?」


 セトの背の上で、首を傾げるレイ。

 セトが何を思っているのかというのは大体分かるレイだったが、それでも細かいところまでは分かる訳でもない。

 今のセトを見る限りでは、何かを見つけて喜び、残念そうな表情を浮かべ、再び何かを思い出して喜んだということが分かるのみだ。

 もっと明確に喜んでいる理由を見つければ話は別なのだが。


「グルルルルルゥッ!」


 嬉しげに喉を鳴らすセトを見ながら、結局レイはセトが何に嬉しそうにしているのかが分からなかった。






 街道を進み続け数時間。空の太陽が真上に来て、そろそろ昼休憩にするかと判断したレイ達は、街道の脇で食事の準備を進めていた。

 普通であれば、このような集団が食事を済ませる時は焼き固めた黒パンや干し肉といった携帯食で済ませることが多い。

 自分達で材料を得て料理する者もいるが、そういう者にしても火を起こして、料理の下準備をして……という風になるだろう。

 最も幸運な者達であれば、サンドイッチの類を買っておいてそれを食べるということもあるかもしれない。

 これは、帝都から出発したその日のうちだけの贅沢であり、今が夏のように暑くはないから可能なことだ。

 だが……そういう意味で、この集団は非常に幸運だった。

 レイのミスティリングからは出来たてのシチューの入った鍋が取り出され、焼きたてのパンや、こちらも焼きたての串焼きが大量に現れたのだから。

 皆が喜びの声を上げる中、唯一不満そうだったのは熊肉料理を食べたかったセトだけだった。


「へぇ……冒険者って結構いいものを食べてるんですね」


 料理をする訳ではないが、それでもこの寒い中で暖を取る為の焚き火に当たりながら、女の一人が呟く。

 遊撃隊の面子ではなく、その家族として一緒に来た者の一人。

 だが、当然それを事実だと思われては冒険者として困る訳で……


「んな筈ねえだろ。普段は干し肉とかだっての。こうやって温かい出来たての料理を食べられるのは、レイ隊長がアイテムボックスを持っているおかげだよ」


 慌ててそう告げる遊撃部隊の隊員に、レイは苦笑を浮かべて口を開く。


「そろそろ隊長って呼び方は止めないか? もう遊撃隊は解散になったんだし」

「んなことないですよ! 確かに遊撃隊は解散しましたが、俺にとってはいつでもレイ隊長はレイ隊長です!」


 きっぱりと告げてきたその言葉に、最初に反応したのは男の家族と思しき中年の女だった。


「ああ、あのマルノーがこんなに人を尊敬するようになるなんて……レイさん、ありがとうございます」

「ちょっ、母ちゃん! レイ隊長に何を言ってるんだよ!」


 シチューの入った皿を地面に置いて頭を下げる中年の女を、マルノーと呼ばれた男は慌てて止める。

 だが母親は、それに構わず……いや、寧ろ息子の頭を軽く叩いてレイへと頭を下げさせた。


「ほら、お前もお礼を言いなさい! 全く、普段から口ばっかりなんだから」

「母ちゃん! 皆の見てる前で止めてくれってばぁっ!」


 そんなマルノーの様子に、焚き火に当たりながら昼食を食べている者達全員が笑い声を上げる。

 食事というのは、やはり人の心を解きほぐすものなのだろう。

 帝都を出発する時にはセトに対してどこか及び腰だった者達も、こうして一緒に食事をしていると次第に打ち解けてくる。

 勿論すぐに撫でたりすることは出来ないが、それでもセトが近くにいても怯えるといったようなことはしなくなっていた。

 これも、遊撃隊の者達が馬車の中で必死にセトの可愛さを語ったというのもあるし、実際に目の前でレイから食べ物を貰って嬉しそうにしている様子を見たというのもある。


「グルルルゥ」


 最初に昼食を食べる時の不機嫌そうな様子もどこへやら、セトは熊肉ではなくシチューのたっぷりと入った皿にクチバシを突っ込み嬉しそうに喉を鳴らす。

 そんなセトの様子を見て、殆どの者がどこか和んだ表情を浮かべていた。


「レイ隊……いえ、レイさん。このまま進めば、街道が二つに分かれていて、片方がミレアーナ王国に真っ直ぐ進む方で、レイさん達が帝都に来る時に通った道だと思います。もう片方が遠回りになりますが、そっちに進んだ村に待ち合わせをしている人が一人いるので……」


 食事を済ませ、食後の一休みをしているとセルジオがレイへと向かって声を掛けてくる。


「そっちの街道を進むと、ミレアーナ王国までの距離はどうなる?」

「そうですね、若干遠回りになるくらいです」

「なら問題はないか。今日はその村で一泊だな」

「ふーん。ま、いいけどね。私としては、レイと一緒の部屋に泊まれればそれでいいけど」


 レイとセルジオの話を聞いていたのだろう。ヴィヘラがそう言いながら、レイへとしな垂れかかる。

 その様子を見ていた者の多くが驚く。

 ヴィヘラの件は既に全員が知っていたが、ここまでレイに対して好意をあからさまに示しているのかと。


「駄目に決まってるだろ。宿に泊まるにしても、部屋は別々だ。大部屋を取るならまだしも」

「うーん、でもこれから行く村はそんなに大きいって訳じゃないので、ある程度は相部屋になると思いますよ?」


 その言葉に、レイは無言で周囲を見回す。

 自分やヴィヘラも入れると、総勢二十人弱。

 ギルムや帝都のような大きな宿がある場所ならともかく、小さな村にある宿屋にこの人数分の部屋を個別に取るというのは部屋数の問題で無理な可能性が高いというのはすぐに分かった。


「最悪、俺のマジックテントもあるが……」


 レイの持っているマジックテントは、その辺の宿と比べても非常に豪華な代物だ。

 最悪、というよりは明らかにこれから向かうような宿よりも上等な部屋になるだろう。

 勿論、より豪華なマジックテントというのは存在する。例えばレイにマジックテントを報酬として支払ったダスカーは、より高性能なマジックテントを持っているように。


「けど、レイさんのマジックテントって何人入ります?」

「ベッドとかに寝なくて、ソファとか床でも構わないんなら、この場にいる半分くらいは休めるな」

「そうなると、宿に入れるだけ入れて、残りは合流予定の奴の家に入れて、それでも余ったのがレイさんのマジックテントってことになると思うんですが」


 セルジオの言葉に、レイはそれでも構わないと頷く。


「ただ、マジックテントの中に入れるのはいいけど、妙な真似はしないようにな。そんな真似をするような奴がいるとは思わないが」

「ははは。レイさんやセトがいるのに、そんなに手癖の悪い真似をするような人がいるとは思いませんよ。ただ、もしいたら……その人は、色んな意味で後悔することになるでしょうね。そういう人と一緒に旅をするのは、こっちもごめんですし」


 周囲にいる者達に言い聞かせる意味もあるのだろう。セルジオの笑い声が響き渡る。

 確かにここにいる者達はミレアーナ王国に到着するまで一蓮托生と言ってもいい。

 だが、今日初めて会ったばかりの者も多いのだから、心の底から信用するというのは無理だった。

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