第840話

「あー……いい天気だな」


 窓から降り注ぐ太陽の光を浴び、目を覚ましたレイは呟く。

 視線を向けた窓の外では、前日の雨が嘘のように青空を見せていた。

 秋から冬になりつつあるこの季節、珍しい程に太陽が自分の存在を主張していた。

 外の景色を眺めていたレイだったが、やがて気を取り直すと身支度を済ませる。

 城を出てから、二日。共にギルムへと向かうという元遊撃隊の者達の荷物をミスティリングで預かったり、他にも自分だけでギルムへ……より正確にはミレアーナ王国へと向かうというのを決めた為に、家族や恋人と話し合いという名の言い争いを仲裁したりと、色々忙しい二日を過ごした。


「セトも、少し寂しがっているかもしれないか」


 帝都にある宿ではあっても、セトのようなグリフォンを泊めることが出来る場所というのはそう多くない。

 そのような場所は大抵前もっての予約が必要だったり、色々と細かい決まりごとがあったりする。

 勿論、レイもその重要性は理解出来た。

 幾ら大人しいといっても、セトがグリフォンである以上は何かあった場合に責任が取れないかもしれない。

 そう思った者達が多かったのだろう。

 実際、そう言われて宿に泊まるのを断られたことも何度かあり、結局レイはセトを宿に泊めるのを諦めた。

 そうしてセトをどうしたかといえば、結局は帝都にある宿に泊めるのではなく、帝都の外に放すこととなる。

 それを見ていた正門の警備兵達は若干頬を引き攣らせていたが、セトがレイの従魔であるというのはよく知られている事実であり、特に何の理由もない限りは人を襲うということもないということで、止められることはなかった。

 ……ただし、外で自由にさせる以上は何かが……具体的には冒険者がセトを倒したりしても責任は負えないと言われはしたのだが。


「もっとも、希少種のグリフォンとして認識されているセトをどうにか出来るとは思えないけどな。下手に手を出せばどうなるかなんてのは、内乱に参加した兵士じゃなくても分かってるだろうし」


 内乱に参加した兵士……特に討伐軍側として参加した兵士達にしてみれば、自分達の攻撃が届かない上空から一方的にファイアブレスを始めとした遠距離攻撃を行われたり、地上へと降りてきてもグリフォンとしての強力な一撃を与えられと、正に絶望と呼ぶのが相応しい目に遭ったのだ。

 そんな討伐軍の兵士達も罰金を支払って自由である以上、セトがどれ程の存在かというのは当然多くの者達に知られることになっている。

 それだけセトの脅威が知られているのに、わざわざ危険を覚悟でどうこうする者がいるとはレイには思えない。

 ……もっともレイ自身は知らなかったが、グリフォンのセトが外に出ているという話を聞いてちょっかいを出そうとした者は少数ではあるが存在していた。

 ただし、それは冒険者の類ではなく商人の類。

 更に捕獲や殺すといったものではなく、セトの身体の毛や羽の羽毛といったものを目的としたものだった。

 勿論そんなに簡単にセトと遭遇出来る筈もなく、殆どの者がセトを見つけることすら出来ずに終わったが、中には数人、セトに餌を与えて若干ながら素材を手に入れることが出来た者もおり、そのような者達はグリフォンの……しかも希少種の素材ということで、大きな収入を得ることになった。

 帝都の鍛冶師や武器、防具屋。そして帝国の国策として増えた錬金術師はセトの素材に一喜一憂することになり、帝都の経済そのものにも若干ではあるが影響を与えたのだが……レイがそれを知ることはない。


「七時か。朝食を食べて一休みすれば待ち合わせの時間には丁度いいか」


 ミスティリングから取り出した懐中時計で時間を確認すると、そのまま部屋の外に出る。

 そうしてこの手の宿の定番として、食堂となっている一階で食事を済ませ、準備を整えると宿を出て行くのだった。






「しんっ! ……冒険者カードの提出をお願いします」


 正門で帝都を出る手続きをしようとしてギルドカードを出したレイに、担当の兵士が一瞬引き攣る。

 当然ながらレイの姿を知っており、まさか自分がレイと会うことになるとは思ってもいなかったらしい。

 場所が正門であるだけに、周囲には大勢の商人や冒険者、旅人といった帝都を出ようとしている者がいたが、レイはドラゴンローブのフードを被っているだけで、その人物をレイだと認識出来ずに特に騒ぎにはなっていなかった。

 これ幸いと手続きを済ませて帝都の外に出たレイが足を進めたのは、少し離れた場所に八台の馬車が集まっている場所。

 正門のすぐ外だけに、レイが向かったような集団は他にも幾つかある。

 集団で帝都の外に出た方が手続きも楽に出来るのだが、それが出来ないような、それこそレイと同じような事情の者達も多くいるのだろう。

 それでもレイが迷わずに一つの集団へと向かったのは、見覚えのある人影が何人もいたからだ。

 そして何より、その集団の中にはセトの姿があり、数人の人影がセトへとサンドイッチや串焼き、干し肉といったものを与えていた為だ。


(いや、セトがここにいるのは別におかしな話じゃないんだけどな)


 戦闘中に敵対している相手には容赦のないセトだが、普段のセトは非常に人懐っこい。

 そんなセトが、自分と顔見知りの相手を見つければ当然構って構って、と近づいて行くのは当然だった。

 そして遊撃隊の面々はセトに構っているが、一緒にギルムへと向かう者達……セトについては、話しか聞いていない者達は距離を取って怖々と見守っている。

 傍から見るとどんな集まりなのか分からないその集団に向かって近づいたレイを、周囲を警戒していた遊撃隊の一人が見つける。

 人数に比べて馬車の数が多いこの集団は、盗賊達や素行のよろしくない傭兵団といった者達にも目を付けられやすいし、下手をすれば貴族に目を付けられる可能性もある。

 それだけに、その男は周囲を警戒していたのだろう。


「レイ隊長、おはようございます」


 レイの姿を見て頭を下げるその声に、真っ先に反応したのは他の遊撃隊の隊員……ではなく、セトだった。

 喉を鳴らして与えられた食べ物を食べていたセトは、一気にレイの方へと近づいてくる。


「グルルルルゥッ!」


 串焼きか何かのタレでクチバシを汚したままのセトが、レイへと頭を擦りつける。

 セトの頭を撫でつつ、レイは近づいてきた顔見知りの者達へと向かって口を開く。


「人数の割りには随分と馬車が多いな」

「はい。内乱の報酬で馬と一緒に馬車を貰えるのかと思ったんですが、報酬とは別に貰えました。これも、レイ隊長のおかげですね」


 遊撃隊の隊員の一人が嬉しそうにそう告げる。

 それも当然だろう。

 馬車は高いが、それを引く馬も相応の値段がする代物だ。 

 特に今レイから見える馬は、最高級……とまでは言わないが、駄馬という訳でもない。

 もっとも、セトに対して怯えを表しているのを見れば、特に訓練の類を受けている訳ではないのも確かだったが。


「テオレームやメルクリオも、随分と奮発したな」

「そうですね、正直こんなのを貰って本当にいいのかとも思いましたから。活躍した以上に評価されてるようで」


 その言葉通り、これは破格の報酬だった。

 冒険者という職業で考えれば、馬と馬車があるというのは非常に有利だ。また馬を飼う余裕のない者は、馬と馬車を売ればそれなりの額になる。


(奮発した……というか、奮発し過ぎにも感じるけど)


 この他にも報酬をきちんと貰っているというのだから、レイの目から見れば報酬を支払いすぎているように思えた。


「その辺、どう思う?」


 後ろから近づいてきた気配の持ち主へと尋ねる。


「そうね、多分レイとは友好的にやっていきたいという意思の表れじゃないかしら」


 いつもの服装をしたヴィヘラが、笑みを浮かべてそう告げた。


「俺としては嬉しいけど、だからってそこまでするか? 馬車や馬だってそんなに安い代物じゃないだろ」

「あのね、レイ。ベスティア帝国の次期皇位継承者よ? このくらいの出費でレイとの仲を友好に保てるのなら、寧ろ安いと思うわ」

「そんなもんか」

「そうよ。……おはよう、レイ。セトもね」

「ああ、おはよう。……ちょっと順番が逆だけどな。そっちは準備いいのか?」


 挨拶を交わしながら、レイはヴィヘラの乗っている馬へと視線を向ける。

 乗っている馬は、随分と質のいい馬に見えた。

 それはセトの近くにいるのに、怯えている様子がないのを見れば明らかだろう。

 馬の背にはヴィヘラの後ろに荷物が積まれており、かなりの量があるだろうに馬は動きにくそうな様子はない。

 もっとも、それは今だけだろう。ここから出発して歩き続けていれば、いずれその荷物が文字通りの意味で重荷になるのは間違いない。

 それはヴィヘラも当然理解しており……


「レイ、お願い出来る?」


 ヴィヘラの言葉に頷き、レイはセトを軽く撫でてからヴィヘラの乗っている馬へと近づき、荷物をミスティリングへと収納する。

 そうしながら、ふとヴィヘラが乗っている馬に見覚えがあるのに気が付く


「この馬って確か……」

「あら、気が付いた?」

「内乱の時に乗ってた馬だろ? パレードの時もこの馬だったよな?」

「ええ。メルクリオが用意してくれた馬で、頭もいいし、走るのも速いし、体力もある。一級品よ」


 その言葉に納得の表情を浮かべるレイ。

 あれだけ姉思いのメルクリオだ。その姉に渡す馬は当然選りすぐりの馬を選ぶだろうと。

 そこまで考え、ふと思い出す。ヴィヘラはこの前の内乱で一目惚れ……ではなく一戦惚れとでも呼ぶべき風に惚れられた相手がいたのではなかったのかと。


「ディグマはどうしたんだ?」

「……私にそれを聞くの?」


 何故か据わった目つきで睨まれたレイは、一瞬意味が分からなかったがすぐに納得する。


(そりゃそうか。ヴィヘラは俺に対して好意を抱いている。そんな相手から聞かされて楽しい話題じゃないよな)


 そう思いつつも、ディグマという人物の能力は非常に高く、エルフ特有の水の精霊魔法は旅をする上で役に立つ。

 流水の短剣があっても、ここにいる人数や旅の途中で合流してくる者達、総勢三十人近い数の水を賄うというのは大変だった。

 魔力的な意味ではなく、手間的な意味で。

 だからこそ、レイとしてはディグマが来てくれればそれなりに楽になるとは思っていたのだが……


「いや、何でもない。ミレアーナ王国に入るまでだけど、よろしく頼むな」

「ええ」


 ディグマの話題を出したのが悪かったのか、ヴィヘラは若干不機嫌そうな表情で頷きを返す。

 だが、それも当然だろう。

 レイがここにいる面子の荷物をミスティリングに収納したり、食料や生活用品の補充、更には槍の補充といったことをしている間に、ヴィヘラは何度かディグマに口説かれたことがあったのだ。

 勿論ヴィヘラは自分が男に好まれるような容姿や身体つきをしているのは知っている。 

 しかし、ディグマの熱烈なアプローチはヴィヘラにしてもちょっと面倒臭くなるくらいだった。

 断ってもまるで堪えないのだから当然だろう。

 結局最後の方は半ば無視というか、スルーすることになっていた。

 そんなヴィヘラの雰囲気を感じ取ったレイは、これ以上この話題を口にすると危険だと判断して、いつの間にか自分から距離を取っていた遊撃隊の隊員へと声を掛ける。


「それで、出発する人数はもう全員集まっているのか?」

「えっと……まだ何人か来てませんね。残りは丁度ミレアーナ王国に向かう途中の村なので、そこで合流出来る予定ですし」


 その言葉に、レイはミスティリングから懐中時計を取り出す。

 時間は午前九時十三分。

 約束の時間はオーバーしているが、この世界では時計というのは非常に稀少である為にそこまで時間に細かくはない。

 数時間単位での遅刻であれば怒られることも多いが、数十分単位の遅刻であれば大目に見られる。

 もっとも、時間前にやって来ている方がいいというのは当然なのだが。


「なら、その来てない奴が来たらすぐに出発するから、いつでも出発出来るように準備だけは整えておいてくれ」

「はい。……まぁ、荷物の殆どをレイ隊長に任せてある以上、そっちの整理とかもいりません。出発するつもりになれば、馬車に乗ってすぐに出発出来ますよ」


 その言葉に、レイは確かにと納得してから口を開く。


「ああ、そうだ。ここからミレアーナ王国に向かうまで、一緒に移動している面子を仕切るのはお前がやってくれ。……セルジオだったよな?」

「え? 俺がですか?」

「ああ。もうここは遊撃隊じゃないから、副官をやっていたペールニクスもテオレームの下に帰ってる。そうなると、どうしても俺以外にお前達を纏める人材が必要なんだよ」

「……ヴィヘラ殿下でもいいのでは?」


 視線をセトと遊んでいるヴィヘラに向けて尋ねてくるセルジオに、レイは否定の意味を込めて首を横に振る。


「いや、ヴィヘラはミレアーナ王国に入ったら俺達とは別れる。なら、最初からお前に頼んでおいた方がいいだろ?」


 その言葉に、結局セルジオは渋々とではあるが纏め役を引き受けるのだった。

 そして、タイミング良く残りの数人が正門から出て来たのを確認すると、一行はミレアーナ王国目指して旅立つことになる。

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