第819話
「こっちの被害は?」
「それ程多くありません。後陣はやはりレイやセトの行動で混乱していたのが大きかったようですね。最初に後陣に突入した戦いで受けた被害もそれ程多くありませんでしたので、このまま行けます」
無人の荒野を行くが如く、討伐軍の後陣を突っ切って進むヴィヘラ達。
ティユールは部下の指揮を執り、グルガストは後陣に突入したというのに全く戦闘にならない様子に、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
元々混乱している後陣だ。そんな中を堂々と進んでいるヴィヘラ率いるメルクリオ軍に対して何か出来るという訳でもなかったが、それでも攻撃が殆ど行われないというのは、グルガストにとっても予想外だった。
いや、全く攻撃が行われない訳ではない。
中には散発的に攻撃を仕掛けてくる者もいるのだが、そのような者達はグルガストが出るまでもなくあっさりと鎮圧されてしまう。
そんな状況で、結局は全く何の戦闘もないままに後陣を突っ切り……
「終わりが見えた、わね」
視線の先に兵士のいない場所が広がっているのを見て、ヴィヘラが呟く。
後陣の最後尾……文字通りの意味で討伐軍の最終防衛線とでも呼ぶべき場所へと到着したヴィヘラが呟く。
「ヴィヘラ様、メルクリオ殿下やテオレームを呼ばなくてもいいのですか? カバジード殿下やシュルス殿下を捕らえればこの戦いは終わりますが、それをヴィヘラ殿下が行ってしまうと……」
ティユールのその言葉に、ヴィヘラは少し考え……やがて首を横に振る。
「メルクリオやテオレームがここにいた方がいいのは事実だけど、ここは最前線よ。万が一を考えれば、今ここにメルクリオ達を呼ぶことは出来ない。それに何より、今ここにメルクリオ達を呼んだとして、到着するまでにどのくらい時間が掛かると思う?」
「……なるほど。ここで無駄に時間を消費してしまえば、カバジード殿下やシュルス殿下を逃がすことになるかもしれませんね。グルガストはどう思う?」
「政治に興味はないな。ただ、純粋に俺の希望として言わせて貰えば、皇子を守るのだから相応の強さを持った護衛がいるというのを希望したい」
両手に持ったバトルアックスへと視線を向けて呟くグルガストに、自分が聞いたのが間違いだったとティユールは空を仰ぎ見る。
そこに広がっているのが秋とは思えないような見事な青空で、一瞬目を奪われた。
「ティユール、行くわよ?」
動きを止めたティユールは、自分に掛けられたヴィヘラの声で我に返ると、慌てて追いかける。
ここで置いていかれては、この内乱の最後をヴィヘラと共に終えることが出来なくなる、と。
同時に、芸術に深い造詣を持っているティユールにしてみれば、内乱終了後にこの戦いを題材にした演劇を作りたいとも思っている。
その時のことも考えると、決してここでクライマックスを見逃す訳にもいかなかった。
「ヴィヘラ様、カバジード殿下、シュルス殿下はどう対応してくると思いますか? 向こうに戦力は殆ど残っていませんが……」
自分が置いて行かれそうになったのを誤魔化すように、ティユールは隣を歩いているヴィヘラへと尋ねる。
もっとも、それはあながち誤魔化す為だけに尋ねたという訳でもない。
実際、向こうに残っている戦力がどれだけなのかというは、大体が予想出来ていた。
それだけに、二人の皇子がこの状況でどんな対応をするのかというのは、ティユールにとっても……何よりヴィヘラにとっても他人事ではなかったのだ。
だがヴィヘラはそんなティユールの言葉に、小さく笑みを浮かべて口を開く。
「それは本人に聞いた方がいいと思うわよ? ほら……」
呟くヴィヘラの視線の先、そこではヴィヘラ達を待ち受けるように人の集団が存在していた。
その様子に一瞬緊張するティユールだったが、グルガストやヴィヘラといった面々は特に緊張するでもなく歩き続ける。
ティユールは、慌てて二人の後を追う。
一瞬何らかの罠や待ち伏せ、伏兵の類でもあるのではないかと思い、どうせなら馬に乗ってきた方が良かったのかもと考えたティユールだったが、中央戦線を突破する時、既に馬は途中で捨てている。
普通であれば、歩兵と騎兵では圧倒的に騎兵の方が強力な存在なのだが、中央戦線を突破し、後陣の部隊すらも突破してきたのだ。
そんな状況で馬がいたとしても纏まって行動しにくいだけだというのが、ヴィヘラ、グルガスト、ティユールの認識だった。
これが草原や荒野といった場所を素早く移動するのであれば話は別だったが。
また、ヴィヘラの武器は格闘であり、リーチは短い。
馬上からではまともに攻撃出来ないというのも大きいだろう。
グルガストにしても、持っているのは長い柄を持つポールアックスではなく、バトルアックスだ。当然その間合いは普通の騎兵が使うような槍の類に比べると短い。
突きを主体にしているという意味では、ティユールのレイピアならそれなりに馬上でも使えるのかもしれないが。
「さ、向こうも待っているようだし行きましょうか。カバジード兄上はともかく、シュルス兄上は待たされるのが嫌いだし」
ヴィヘラの言葉に従い、メルクリオ軍は前に出る。
それを出迎えたカバジードとシュルス達は、護衛の騎士数人以外は全てが貴族であり、戦うつもりでこうしていた訳ではないことは一目瞭然だった。
それを見て、グルガストやその部下達が残念そうな表情を浮かべる。
これが本当の意味で内乱最後の戦いになる。そう思っていたのだろうが、その予想は完全に外れた形だ。
……それ以外の面々は、ここで戦闘にならなくて寧ろ安堵していたのだが。
そんな中、ヴィヘラは部下達を率いて前に進む。
それを特に止めもせずにいる討伐軍の面々。
そうして部隊の先頭に立つヴィヘラとカバジード、シュルスが三m程の距離を置いて向かい合う。
最初に口を開いたのは、ヴィヘラ。
「カバジード兄上、シュルス兄上、こうして直接会うのは久しぶりね」
「そうだね。ヴィヘラが出奔して以来だから、何年ぶりかな。この前城を襲撃した時には、さっさと帰ってしまったみたいだし」
笑みを浮かべながら言葉を交わすヴィヘラとカバジード。
そのカバジードの側にいるシュルスは、苦々しげな表情を浮かべていた。
妹に対して屈することになる屈辱の表情。
……ヴィヘラの背後に控えている者達は、誰もが言葉には出さなかったがそう判断していた。
シュルスは元々気が長い方ではないし、何より軍部に多くの支持者を持っているのが証明しているように、軍事に対しては自信があった為だ。
だが……
「ヴィヘラ! お前、その格好は一体何のつもりだ!? とてもではないが、ベスティア帝国の第2皇女が着るような服装には見えないぞ!」
シュルスの口から出たのは、敗戦の負け惜しみでもなく、自分達に勝ったことによる称賛でもなく、ヴィヘラの服装に対する説教だった。
その言葉通り、ヴィヘラの服装は向こう側が透けて見える程の薄衣で作られている服で、豊満な双丘、くびれた腰、大きく張り出た尻と、身体のラインがこれでもかと言わんばかりに見て取れる。
手足に装備している手甲、足甲はそれが実戦的なマジックアイテムであるが故に、服装に違和感を覚える者もいるだろう。
……もっとも、ヴィヘラが全く自然にそれらを身につけている為、そういう服装なのだと言われれば納得してしまう者もいるだろうが。
「あら、どこかおかしいかしら? 特に土埃や血で汚れている訳でもないし、綺麗なままだと思うけど」
「おかしい、おかしくないの問題じゃない! お前には、ベスティア帝国の皇族として、プライドがないのか!」
顔を真っ赤にして怒鳴りつけるシュルスに、ヴィヘラは一瞬意表を突かれたような表情を浮かべ……次の瞬間には面白そうな笑みを浮かべて口を開く。
「勿論ないわよ? そもそも、私はさっきカバジード兄上が言っていたように、既にベスティア帝国を出奔した身なのだから」
「ならば、何故この国に戻ってきた? いや、戻ってきただけならまだしも、このような騒ぎを起こすのに協力し、尚且つフリツィオーネ姉上まで危険な目に遭わせやがって」
「あら? 確かに私はベスティア帝国からは出奔したし、皇族の身分も捨てたわ。けど、血を分けた弟が軟禁されて、更に暗殺されるとまで聞かされては、それを見逃す訳にもいかないでしょ?」
「その噂は出鱈目だ!」
そう怒鳴るも、既にここまで事態が進んでしまっては、発端がどうであろうと結末が変わる訳ではない。
「シュルス、落ち着くんだ。……さて、そろそろお互いの挨拶も終わったことだし、本題に入ろうか」
呟くカバジードの言葉に、今のやり取りを見て一瞬緩んでいた周囲の空気が緊張したものへと変わる。
「始まりはどうあれ、この内乱は私達の……私とシュルスの負けだ。それはいい。けど、元々この内乱で討伐軍側の軍を主導していたのは私だ。そこで、どうだろう? 私の首一つでことを収めるというのは」
「……本気なの、カバジード兄上? 帝国の第1皇子が、自分の命を差し出すと?」
「そうだね。正直、今回の内乱でそちら側に深紅が付いた時からこうなる予感はしていたんだ」
「なら、何故ここまで戦ったの? 確かにここまで被害が出てしまえば、内乱を終わらせるのには相応の代価が必要になる。けど、こっちにレイがついた時に負けが見えていたのなら、何故そこで止めなかったの?」
負けが見えてる戦いに挑むような者は、普通存在しない。
なのに、何故英傑と名高いカバジードが内乱を続けたのか。
そんなヴィヘラの疑問に、カバジードは薄らと笑みを浮かべつつ……それこそ、何の緊張もしていないような笑みを浮かべて口を開く。
「それを皆が望んだから」
そう。それだけを告げたのだ。
「待って、カバジード兄上。じゃあ、この内乱は貴族達に強制されて行われたというの!?」
視線をカバジードに従う貴族達の方へと向けて尋ねるが、その貴族達も驚きの表情でカバジードの方へと視線を向けていた。
とてもではないが、本来であれば自らが仕えている主君を脅していたようには見えない。
「いや? 勿論この内乱を起こしたのは、私自身の意思に決まってるだろう?」
「カバジード兄上?」
話が通じていない。
ゾクリ、とした冷たい何かがヴィヘラの背中を走る。
間違いなく目の前にいる人物と会話をしており、きちんと会話も理解出来ている。
なのに、決定的な何かが噛み合わない、そんな感じ。
目の前にいるのは、本当に半分ではあっても自分と血が繋がった兄なのか?
そんな疑問と共に、再び口を開き掛けた時……
「おいっ、あれを見ろ! グリフォンだ!」
カバジードの近くにいた貴族の声が周囲に響く。
その貴族が指さしている方へと皆が視線を向ければ、そこには確かにグリフォンのセトが翼を羽ばたかせながら空を飛び、地上へと降りてくるところだった。
そのまま地上に着地すると、ヴィヘラの前へとやって来る。
「どうやら、終わりには間に合ったみたいだな」
「……そうね、少し遅刻だけど」
レイが姿を現したおかげで、ヴィヘラはカバジードに抱いていた違和感を一瞬だけ忘れ、笑みを浮かべてレイに声を掛ける。
「君が深紅、か。……確か以前にも城の前であったけど、私のことを覚えているかな?」
「ああ、覚えているさ。そもそも、この戦いの元凶である相手を忘れるわけがないだろう?」
デスサイズを手に言葉を返したレイへと、カバジードの周囲にいる貴族がその態度に対して何かを口にしようとする。
だが、カバジード自身が軽く手を伸ばしてその言葉を遮る。
「そうだね。私達にしてみれば、君のような存在がいるというのは全く予想外だった。……君がいなければ、この内乱はこちらの勝利で終わった。そう思わないかな?」
カバジードがレイとの会話を楽しんでいると判断したのだろう。貴族達はレイの態度に若干不満そうにしながらも、不満を飲み込む。
そして先程までカバジードと話していたヴィヘラは、自分とは会話が噛み合っているようで全く噛み合っていなかったのに、レイとの間ではその会話がきちんと噛み合っているように思えて驚きの表情を浮かべる。
「……さて、どうだろうな。確かに俺が果たした役割は小さくなかったと思うけど、俺の印象としては俺が手を貸さなくても最終的にはヴィヘラ達が勝ったと思うけどな」
「そうかい? まぁ、敗者が何を言ったところで意味はないか。……さて、深紅とも話すことが出来たし、ヴィヘラとも話すことが出来た。じゃあそろそろいいかな」
何が?
カバジードの言葉に皆が首を傾げたが、周囲の戸惑いを気にした様子もなく懐から一本の短剣を取り出す。
瞬間、周囲に緊張が走る。
ヴィヘラの周囲にいた者達は、それぞれいつでも動けるように準備し、シュルスの部下も同様の動きを見せた。
ただ、カバジードの部下達だけは、自分の主が何をしているのかが分からないまま動けずにいる。
そんな状況の中、カバジードは相変わらず笑みを浮かべたままに短剣を手に口を開く。
「さて、この戦いの幕を引こう。私の死を以て、討伐軍側の敗北とする。討伐軍側の者達は、メルクリオ軍の指示にきちんと従うように。ああ、そうそう。シュルスの命は許してあげて欲しい。全ての罪は私が背負おう」
「カバジード兄上っ!?」
カバジードが何をしようとしているのかを理解したのだろう、ヴィヘラが叫ぶ。
「ここで死んでも、殆ど意味はないわ! 本当にこの内乱の責任を取るというのなら、きちんと戦後に自ら責任を取るべきよ!」
「そうかもしれないね。けど、その辺はヴィヘラやメルクリオにお願いするよ。私の命でこの戦いを終わらせて欲しい」
そう告げるカバジードに対し、レイはその手に持たれている短剣を奪おうと地を蹴ろうとして……カバジードに視線を向けられ、足を止める。
「ヴィヘラのことを、よろしく頼むよ」
レイに対してそう声を掛け……何の躊躇いもなく、カバジードは手に握っていた短剣の毒々しい紫の刀身を、自らの腹へと突き刺す。
そこには何の躊躇もなく、笑みすら浮かんでいた。
「ああ、これでようやく終われる。……でも、出来れば……高遠城址公園の桜をもう一度見てみたかった……ね」
「……え?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます