第818話
時は戻り、ヴィヘラ率いる部隊が中央の戦力を突破して後陣の部隊と睨み合っている頃。
討伐軍の本陣は混乱の極みにあった。
「馬鹿なっ、この戦力差で何故ここまで押されている!? 向こうの四倍以上だぞ!」
「確かに数は重要だが、それよりも重要なのは質なんだよ! だからこそ、俺達はランクSのノイズ殿や、ランクAのディグマ殿に協力して貰ったんだろうが!」
「その二人も、あっさりと奴等に負けているのではないか! いや、ノイズ殿に限って言えば、寧ろ自分から勝ちを譲ってその場から離脱したという報告が上がってきているのだぞ!」
「ディグマ殿にしても、結局何も為せず一方的に倒されたというではないか!」
「あんな役立たず共に頼ったのが間違いだったんだ!」
「貴殿、皇帝陛下の友人であるノイズ殿に無礼であろう!」
「言い争いは後でも出来る! 今はここからどうするかを話し合うべきだろう!」
「責任はきちんと追及しなければ、また同じことを繰り返すことになるが?」
「今はそれどころではないと言っている! このままでは向こうに後陣を突破されるかもしれないのだぞ!? 責任の所在については、今ここで何を言っても意味はない!」
「いっそ、陣を引き払ってここから撤退しては?」
「馬鹿者が! ここで撤退しても意味はなかろう! 確かに撤退すれば殿下達や我等の命は心配いらないだろうが、それとて所詮は一時的なものに過ぎない。こちらが動かせる戦力の大半をこの戦いに注ぎ込んでいるのだぞ!」
「では、どうしろと! このままここで戦っても、既に負けは見えている。殿下達に、ここで討ち死にしろとでも言うおつもりか!」
本陣にいる三十人近い貴族達が、それぞれにこれからどうするべきかを議論する声が周囲に響く。
それでもシュルスやカバジードが言葉を挟まず今まで議論を見守っていたのは、その貴族達が自分達の命惜しさにこれからどうするのかを話していた訳ではないからだ。
勿論そのような者が皆無ではないが、それでも大半はどうすれば現状を打破出来るかと話し合っていた。
「それで、カバジード兄上。どうするべきだと思う? 正直、取れる選択肢はそんなに多くないが」
貴族達の話し合いを眺めつつ、シュルスは隣に座っているカバジードへと向けて尋ねる。
現状でシュルスが考えられる選択肢としては、メルクリオ軍に向かって負けを承知の上で決戦を挑む、メルクリオ軍に降伏する、一時このブリッサ平原から撤退する、いっそ国を脱出して周辺の国に庇護を求める、皇帝である父に取りなしを依頼するといった、様々なものがある。
だが、シュルスにとって最後の二つはまず問答無用で却下。自分達でこうして内乱を起こした以上、皇帝に対して取りなしを頼むというのは、皇位継承権の問題で間違いなく取り返しが付かない程の大きな失点であり、それは他国に庇護を求めるというのも同様だろう。
メルクリオ軍に対しての決戦も既にこの状況では勝ち目がなく、無駄に兵力を消耗するだけである以上は却下。
そうなると、残るのはメルクリオ軍に対する降伏か、一時撤退して態勢を整えるのどちらかしかない。
「そうだね、私としては選べる選択肢はそう多くないと思うよ。向こうに何らかの突発的な事態でもない限り、私達の負けはもう決まったと考えていい。少なくても、今この状況を引っ繰り返すような方法は思いつかないしね。そうであれば、ちょっと前にも言ったと思うけど、時を待つ為に降伏するというのもいいんじゃないかな?」
「カバジード兄上!?」
まさか、カバジードが降伏という手段を口にするとは思わなかったのか、シュルスが反射的に語気も強く叫ぶ。
二人の皇子のやり取りを聞いていた貴族達にしても、今のカバジードの言葉は予想外だったのだろう。大きく目を見開いて、カバジードの方へと驚きの視線を向ける。
「分かっているのか!? ここまで大きな戦いになったんだ。そんな状況でメルクリオに対して降伏しようものなら、間違いなくただで済む筈がない! それはカバジード兄上だって分かってるだろ!」
「ああ、分かっているさ。けど、このままでは他の者達の命まで失われる。そうなれば、ベスティア帝国の国力は今よりも一層下がると思わないかな? それに以前も言ったけど、今負けたからといって一生の負けという訳じゃない。それこそ次の戦いまで力を蓄える必要があるだろう?」
目の前の人物が何を言っているのか、シュルスには理解出来なかった。
一方ではこのままではベスティア帝国内の国力が疲弊するからもう戦わない方がいいと言いながら、同じ口でここは一旦降伏を認め、力を蓄えてから再び戦を起こせと。
降伏した方がいいと言っているのは事実だが、その後に関しては全く正反対のことを言っている。
「カバジード兄上、一体何を考えてるんだ? このままだと俺達は最悪死刑、上手くいっても皇位継承権の剥奪やメルクリオとの皇位継承権の入れ替えすらあるんだぞ!?」
シュルスの言葉の中にフリツィオーネの名前がなかったのは、その内心を表しているのだろう。
だが本人ですらそんなことに気が付かないまま、カバジードへと鋭い視線を向ける。
「何度も言わせないで貰えるかな? その辺は分かっていると言ったんだ。……まぁ、シュルスが命を惜しむのであれば、丁度いい。今回の件は私の一存でやったことにしようか」
「……カバジード兄上?」
常々得体の知れない存在だと思っていた自分の兄だったが、今程目の前の相手を気味悪く思ったことはない。
まるで人間の形をした別の何かと話しているような、言葉は通じているのにその意思が全く通じていないような、そんな感覚。
目の前にいるのは、本当に自分と血を分けた兄なのか? 不意にそんな考えが脳裏を過ぎるが、カバジードはそんなシュルスの様子に構うことなく、部下へと向かって口を開く。
「例の件は一体どうなっているかな?」
「……既に、準備は整っております。帝都の方へと出発する為の使者もいつでも」
「そうか。じゃあ、後はせめて第1皇子らしくこの戦いを終わらせようか」
カバジードがそう告げた、丁度その時。まるでタイミングを計っていたかのように、周辺からざわめきが聞こえてくる。
それがどんな声なのか、そして誰が発している声なのか。それは考えるまでもないだろう。
「さぁ、シュルス。そろそろ戯れの時間は終わりだよ」
「戯れ? ……戯れだと!? 何を言ってるんだ、兄上!? この戦いは、俺達の将来を決める為の戦いだろう? それを何故戯れなどと……」
「何、気にする必要はないさ。この世の全ては夢の出来事なんだから。けど……そうだね、出来れば改めて深紅と会ってみたいとは思っているよ」
それだけを告げるとすぐにシュルスから視線を外し、近くにいる貴族達へと声を掛ける。
「さて、じゃあそろそろ私達に破滅をもたらす使者を出迎えようか。誰が来たのかは分からないけど、それでもこうして座して死を待つというのはちょっと好みじゃないしね。……使い方がちょっと違うかな?」
自分の言葉に首を傾げるカバジードだったが、そんなカバジードに対して他の貴族達は何も言えずに黙り込む。
何故こうなったのか。
自分達はベスティア帝国の中でも有力な貴族であり、能力も十分……少なくても平均以上はあった筈だ。
それなのに、何故こうまで追い詰められているのかと。
そんな思いに囚われながらも、貴族達は自分達を置いてこちらに迫ってくる敵を迎えるべく、歩を進めたカバジードの後を追う者、その場に留まる者、はたまたここにいたくないと逃げ出す者といった風に、それぞれが行動を起こす。
それでもカバジードの後に続いた貴族が第1皇子派の七割を超えていたのは、理由は色々とあれどもその忠誠は本物だったということなのだろう。
「……カバジード兄上、一体何で……」
呟くシュルスだったが、近くに控えていたアマーレがそっと近づき、耳元で口を開く。
「シュルス殿下、どうなさいますか? カバジード殿下の様子を見る限り、自分一人の命で今回の件を収めようとしているように思えます。ここにいればシュルス殿下の命は無事でしょうが……」
「……分かっている。共に負けたというのに、カバジード兄上だけに敗戦の責を押しつけ、更に俺自身は後ろで隠れている。そんな真似をするような男に、次がある訳がない。行くぞ」
「本当によろしいのですか? このままカバジード殿下と共に矢面に立てば、命の危険もあります」
アマーレの口から出た言葉は、いつもの冷静なものでありながら、同時にシュルスを案じる色も間違いなく存在していた。
このまま表に出なければ、確かに第2皇子としての権威は失墜するだろう。
それでも、命だけは助かるのだ。
小さい頃から共に過ごしてきた幼馴染みとして、アマーレはシュルスに死んで欲しくはなかった。
しかし……皮肉にも、アマーレの口から出たその一言がシュルスの決意を固めてしまう。
「……行くぞ。カバジード兄上だけに全ての後始末を任せる訳にはいかない。死ぬかもしれないが、それでもいいという者だけ俺と共に来い。それ以外の、命を惜しむ者は今のうちにこの場から去れ!」
話しているうちに次第に強くなっていたシュルスの語気に、第2皇子派と呼ばれていた者達が動き出す。
もっとも、カバジードに比べるとシュルスと行動を共にするという者はかなり少なかったが。
これは、元々第2皇子派が第1皇子派に入れなかった者達を多く受け入れていたことが影響した結果だった。
それでも半分くらいはシュルスと行動を共にするという選択肢を選んだことにシュルス本人は少し驚きつつ、それでも笑みを浮かべてカバジードの後を追う。
「……アマーレ、お前は俺と一緒に来なくてもいいんだぞ」
歩きながら、自分の隣にいるアマーレへと話し掛けるシュルスだったが、声を掛けられた本人はいつものように特に表情を変えることなく言葉を返す。
「私はシュルス殿下の副官です。どこまでも共に行かせて貰います」
「馬鹿だな、こんな自殺行為についてくるなんて」
「そうですね、ですが主が馬鹿なのですからしょうがないかと」
「くくっ、違いない」
お互いに笑い、それを聞いたシュルスと共についていくことにした貴族達も笑みを浮かべながらカバジードのいる方へと進む。
そのまま数分と経たず、カバジードが立ち止まっている場所へと追いついた。
自分の隣に陣取った弟に、カバジードは意外そうに口を開く。
「おや、こっちに来たのかい? てっきりシュルスは私に任せて行くと思ってたんだけどね」
「残念だけど、俺にも第2皇子としての誇りがあるんでな。それに、別に死ぬと決まった訳ではないんだろう?」
「……まぁ、そうだね。けど、そっちの可能性が圧倒的に高いのは事実だよ? シュルスのように将来に希望を持っているのなら、君は生き残った方がいいと思うんだけどな」
これから死ぬかもしれないというのに、全く気負った様子もなく告げてくるカバジードの言葉に、シュルスの眉が微かに顰められる。
それは、まるで自分なら死んでもいいと言っているかのように思えた為だ。
「カバジード兄上、一つ聞いてもいいか?」
「何だい? 最後になるかもしれないんだから、好きに聞いてくれて構わないよ。まぁ、私がそれに答えられるかどうかというのは、分からないけど」
「カバジード兄上は、死ぬのを全く怖がっていないように思える。勿論このベスティア帝国の皇子である以上、死に怯えるといったことは論外だが、それはあくまでも表に出さないことだ。つまり内心は別な訳だ。けど……カバジード兄上はそういうのを全く関係なく死を恐れていないように思える。何でだ?」
真剣な表情を向けて尋ねてくるシュルスの姿に、カバジードは黙って空を見上げる。
既にいつ雪が降ってもおかしくない程の気温であり、冷えて澄んだ空気が、綺麗な青空を生み出していた。
どこまでも……どこまでも透けるような青空。
気温の問題さえなければ、まるで真夏に空を見上げているかのような、そんなどこまでも続く青空。
美しい。
今の青空を見れば、自然とそんな言葉が皆に思い浮かぶだろう。
冬の気温でありながら、夏の青空が存在する、秋の天気。
そんな青空を見上げていたカバジードに対し、シュルスが沈黙に我慢出来なくなったのか、口を開こうとし……だが、シュルスが何かを言う前にカバジードは視線を前方へと向ける。
「残念だけど、時間切れだね。私達の可愛い妹のお出ましだ」
カバジードの視線の先では、グルガストやティユール、そして兵士達を引き連れたヴィヘラが姿を現す。
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