第817話
自分達を迎え撃つ為に整然と並んで待ち受けていた討伐軍後陣の様子を見て、ヴィヘラの表情は少しだけ驚きの色を浮かべる。
少し前までレイやセトに蹂躙されていたとは、とても思えない様子だったからだ。
しっかりと陣形を整えて自分達を待ち受けているその様子は、決してここを通す訳にはいかないという意思に満ちているようにすら思えた。だが……
「どうやらこうしてしっかりと備えているのは、一部だけのようですね」
ヴィヘラの斜め後ろにいたティユールが呟き、その言葉の真偽を確かめるようにヴィヘラも自分達の前に立ち塞がっている軍の後方へと視線を向ける。
確かにそこではまだしっかりと陣形が組まれている訳ではないらしく、どこか混乱した様子が窺えた。
ヴィヘラと同じものを感じ取ったのだろう。グルガストがバトルアックスを両手に持ったまま鼻で笑う。
「元々後陣というのは、後詰めや前線の援護をする部隊。当然その実力は前線を支えていた部隊に比べれば落ちるのが一般的だ。……もっとも、中には切り札としていざという時に敵に致命的な一撃を与える為の部隊が後陣で控えている例もあるが……これは違うだろう」
戦闘狂故に、戦いに関する嗅覚は鋭いのだろう。心の底から詰まらなさそうに呟くグルガストに、ヴィヘラは笑みを浮かべて告げる。
「確かに強敵と戦えないのは残念だけど……もう、この戦いもそれなりに長く続いているわ。それでここまで押し込まれているんだから、討伐軍側にも既に手札はないんじゃないかしら」
グルガストの性格を思ってヴィヘラは口にしないが、既に討伐軍の最大戦力でもあるノイズは撃退し、次点の戦力でもあったディグマも捕虜とした。
勿論他にも戦力は色々とあるだろうが、それだってこの広い戦場で各戦線に投入されているのは間違いなく、右翼にはセトが、左翼にはレイが出向いている以上、その者達にしてもここに駆け付けるのは難しいだろう。
(グルガストの場合、ノイズがこの戦場にいたって知ったら、いじけてしまいそうだしね)
戦いを求めるが故に、グルガストにとってランクS冒険者ともなれば、正に垂涎の的と言ってもいいだろう。
そんなノイズをレイが撃退したとしれば、表情には出さずともいじけるのは間違いないようにヴィヘラには思えた。
強面の顔をしていながらも、いじけるグルガスト。
グルガストを知っている者にはちょっと信じられないような光景だろうが、ヴィヘラやティユールのように親しい関係になれば、そんなグルガストを理解してしまえる。
……もっとも、それを表情に出すことが殆どないので、それに気が付けという方が難しいのだが。
「さて……この後陣を抜ければ、間違いなく私達の勝利となるわ。準備はいい? ここまで来たら、下手な真似をして死んだりはしないでよ? そんな真似をしたら、戦後に笑い話にしてあげるから」
冗談っぽく告げたヴィヘラの言葉に、その声を聞いた全員が笑みを浮かべる。
純粋な数で考えれば、まだ自分達の方が不利であると知っているだけに、それでも尚ここで笑うことが出来るというのは、この軍勢の意志の強さを表しているのだろう。
自分達は絶対にこんな場所で負けるようなことはない、と。
それを迎え撃つ討伐軍の後陣部隊も、自分達が抜かれれば一気に本陣まで向こうの手が届くと理解している為、必死に戦意を奮い立たせる。
だがそれでも、後陣部隊は基本的に前衛の援護をする為の部隊。
どうしても直接的な戦闘力という意味では劣らざるを得ず……
「俺達の方が数は多い! 戦いは数の多い方が勝つものだ! 絶対にここで負けるな! 俺達がカバジード殿下、シュルス殿下を守る最後の盾なんだ! それに、ここで持ち堪えていればいずれ両翼の方から援軍が向かってくる筈だ! 何も勝てとは言わない。俺達がやるべきは、ただひたすら耐えて時間を稼ぐだけでいい!」
後陣を率いている貴族の一人が、兵士の戦意を高める為に叫ぶ。
だが兵士達の何割かは、そんな貴族の言葉を全く信用せずに士気を上げる様子もない。
当然だろう。自分達はつい少し前に質で量を凌駕する存在によって、これでもかと痛めつけられたのだ。
特にレイに吹き飛ばされた仲間を直接その目で見た者は、炎帝の紅鎧を身に纏ったレイに吹き飛ばされて手足が折れ、身体に見るも無惨な火傷の痕があるのを確認している。
偽りの百の言葉よりも一つの真実をその目で見た者達にとって、どうしようもない出来事だったと言ってもいいだろう。
それでも、貴族はここで叫ぶ。
自分の言葉に説得力がないとしても、今はここで自分達が退く訳にも……ましてや突破されるわけにもいかないのだから。
(くそっ、せめて後陣の全軍が戦闘可能な状態であれば、何とかなったものを……)
忌々しげに胸の中で吐き捨てる貴族。
レイが好き勝手に後陣を突破し、更には上空からグリフォンが蹂躙と呼ぶのに相応しい行為で大きな被害を与えられた。
(大体、グリフォンがファイアブレスを吐く? 水や氷や風の魔法を使う? 一体、どんなグリフォンだ!)
被害そのものも大きかったが、何よりも後陣にいた兵士達を混乱させたのは本来グリフォンが使用しない筈のスキルを大量に使用した為だ。
その結果、希少種のグリフォンだという噂が流れ、希少種は通常より一つ上のランクのモンスターとして扱われる。
つまりあのグリフォンはランクSモンスターだという話が広がり、混乱に拍車を掛けることになった。
それを考えれば、曲がりなりにも混乱を収め、部隊として再編成したこの貴族は相応の力量を持っていたのだろう。
例えハリボテに近い部隊であったとしても、
「うおおおおおおおっ!」
討伐軍後陣とヴィヘラ率いる部隊。その戦端を開いたのは、当然のように両手にバトルアックスを構えて雄叫びを上げながら敵へと向かって突っ込んで行ったグルガスト。
「ひっ、ひぃっ!」
ただでさえ強面の顔に、これでもかと戦意を乗せて吠えながら突き進むグルガストは、討伐軍の兵士達の戦意をへし折るという意味では最適だった。
凶悪としか表現出来ないその姿に、数人の兵士達が怯えの声を漏らす。
貴族の指揮官はそれを見て、このままでは自分達が圧倒されるしかないと理解する。
最初の段階、まだ刃も交わしていないのに既に逃げ腰なのだ。
そして、弱気というのは瞬く間に伝染する。
(それを防ぐ為には……くそっ!)
弱気の伝染による、戦線の瓦解。
その最悪の未来を防ぐ為に貴族の指揮官が出来ることは、ただ一つしか思いつかなかった。
「退くな! ここで退けば私達の負けが決まるぞ! 敗者になりたくなければ、ここで持ち堪えろ! すぐに援軍が来る!」
「うるせぇっ! だったらお前がどうにかしろよ!」
一般の兵士が叫んだその言葉は、とてもではないが貴族に対しての言葉遣いではない。
戦場だからこそ許された言葉だったが、貴族の指揮官はそれを咎めもせず……寧ろ、待っていたと叫ぶ。
「良かろう! では、私が自ら出る! そしてオブリシン伯爵を倒してみせる!」
叫ぶと共に乗っていた馬の脇を軽く蹴り、その合図で馬は一気に走り出す。
そう、貴族の指揮官が考えついた策は、自分が前に出てグルガストと戦い、勝てないまでも互角に戦ってみせる。
そうすることにより兵士の士気を上げるという方法。
この場で自分こそが一番強いと理解しているが故の行動ではあったが、それはあくまでも周囲の兵士と比べての話でしかない。
専門の戦闘教育を受けてきた貴族や、高ランク冒険者、歴戦の傭兵……そのような者達の中に入れば、いいところ中の下といったところだろう。
それでも兵士の瓦解を防ぎ、士気を上げる為にはこうするしか選択肢はなかった。
「はああぁあっ!」
自らを奮い立たせるように雄叫びを上げながら、手で槍を構え真っ直ぐにグルガストへと向かって馬を走らせる騎士。
技量で負けている以上、まともに戦っては絶対に勝てない。
だからこそ、馬の助けを借りて最初の一撃で決めてみせる。
そんな思いで、貴族は真っ直ぐに馬を走らせ……
「ふん」
グルガストは、自分へと向かって一直線に突っ込んで来る馬に乗った貴族を見て、小さく笑みを浮かべる。
貴族が手に持つ槍は、普通の兵士が使う槍よりも長く、見るからに高い品質で作られている一品物だ。
そんな槍であれば、確かに自分が着ている金属の鎧をも容易に貫くことは可能だろう。
だが……
「ぬおおおおおぉっ!」
貴族とぶつかり合う瞬間、グルガストは雄叫びと共にバトルアックスを振るう。
最初に振るわれたのは、左のバトルアックス。
それが自分の胴体を目掛けて突き出された槍を大きく弾く。
……この時、もし貴族の持っている槍が兵士の使っているような安物であれば、その時点で穂先が砕け散っていただろう。
だが貴族らしく名のある鍛冶師の手でこの世に生み出されたその槍は、グルガストの振るうバトルアックスの一撃を受けても折れず、曲がらず、ただ弾かれるだけで済んだ。
また、グルガストが左手に握っているバトルアックスも、貴族の槍と同様に弾かれる。
本来であれば、このままお互い痛み分けとなり、一旦距離を取ってから改めて刃を交えるか、それともグルガストと一合なりとも互角に戦った貴族の勇姿に討伐軍の兵士の士気が高まるかしただろう。
……そう。本来であれば、だ。
確かにグルガストのバトルアックスは槍と弾き合ってしまったが、それはあくまでも左手に握られていたバトルアックスでしかない。
つまり、槍を弾かれてからグルガストの右手に握られていたバトルアックスが振るわれる。
「ぐぅっ!」
貴族は胴体に感じた灼熱の痛みに呻くような声を上げ……そのまま上半身が地面へと崩れ落ちる。
下半身のみが馬に乗った状態で十m程走ると、その下半身もバランスを崩したかのように上半身を追って地面へと崩れ落ちた。
「中々だった」
グルガストの口から漏れたのは、その一言のみ。
ただし、胴体を切断した際に口元へと跳ねた血を舌で舐め取るその様子は、とてもではないがまともな戦士には思えない姿だった。
狂戦士。それが討伐軍の兵士……どころか、ヴィヘラが率いてる兵士ですらもグルガストを見て感じたことだ。
そして、貴族が負けた光景は、この場に集まっていた討伐軍の兵士達に取っては致命的ですらあった。
「うっ、うわああああぁああぁぁぁぁあっ!」
「逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろぉっ!」
「死ぬぞ、このままだと俺達は死ぬぞ! 退けぇっ!」
それぞれに、今見た光景に激しい衝撃を受けながら逃げ散っていく兵士達。
自分達の指揮官が、ああもあっさりと殺されるとは思っていなかっただけに、衝撃も強かったのだろう。
勿論、逃げるような者だけではない。
ここを抜かれれば後は本陣まで遮るものがない以上、自分達が逃げ出せばそれは即ち内乱での負けが決まってしまうのだから。
「逃げるな、ここで逃げればカバジード殿下も、シュルス殿下も終わりだぞ!」
そう叫び、何とかここで食い止めようとする者もいるが、叫んでいる本人ですら、既にこの状況から逆転出来るとは思っていない。
だが、それでも……
(ここで時間を稼いでいるうちに、本陣から殿下達が避難してくれれば……まだ勝ちの芽はある筈だ。カバジード殿下とシュルス殿下が共に力を合わせれば、きっと!)
内心の叫びに、自分でも現状では難しいと判断しつつも、そう思い込むことで何とかしたいと願う。
ここから撤退すること自体はそれ程難しくはない。
このブリッサ平原から帝都までの間は討伐軍側の勢力圏内であり、自分達の背後にメルクリオ軍側の戦力はいない筈なのだから。
だが、この戦いには討伐軍側も兵力を限界まで出している。
元々はメルクリオ軍の本陣を襲撃した時点で勝負が付く筈だった為に、その作戦に多くの兵力を用い、それが失敗したことにより出せる全ての兵力を用意したのだ。
つまり、もしここでカバジードとシュルスがこの場を離脱したとしても、既に用意出来る戦力はない。
(正確には帝国軍や近衛といった兵力は残っているが、そちらは陛下に握られており、決してこの戦いに使われることはない筈。だとすれば……もう負けは決まったようなもの、か。だが、それでも悪あがきはさせて貰う!)
そう決意した指揮官が、士気の低い兵士達を率いてヴィヘラ率いる部隊を迎撃するが……ただでさえ、先程この部隊を率いていた貴族がグルガストにあっさりと殺されたのを見ていた兵士達がまともに戦える筈もなく……鎧袖一触と呼ぶのに相応しい戦いにより、あっという間に討伐軍は蹴散らされるのだった。
「……あれが、兄上達のいる本陣ね」
混乱している後陣を突っ切り、そのまま討伐軍本陣の前に到着したヴィヘラが呟く。
目の前にある、自らの兄達がいるだろう場所へと向かい、部下を率いて一歩踏み出すのだった。
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