第816話
ヴィヘラがティユールを含めた部下を引き連れてその場に到着した時、既に戦場での戦いは終わりに近くなっていた。
グルガストは満足そうに目を細め、戦場の真ん中で周囲を見ている。
それが周囲を見張っている訳ではなく戦いの様子を思い出しているのだということは、同じ戦闘狂でもあるヴィヘラや、グルガストと付き合いの長いティユールには理解出来ていた。
周囲には濃い血の臭いが漂っており、いたる所に討伐軍の兵士の死体、そしてほんの少しだけグルガスト率いる部下の死体も転がっていたが、ヴィヘラは全く気にした様子もなくグルガストへと近づいて行く。
元々戦闘狂というだけあって、ヴィヘラは死体を見慣れている。
好んで見たいとは思わないが、それでも何も知らない一般人のように死体を見て悲鳴を上げたりといったことはしなかった。
「グルガスト、どうやらご機嫌のようね。満足いく戦いが出来たの?」
「……ヴィヘラ様か。そうだな、心の底から満足出来る戦いという程ではなかったが、それでも中々に楽しめる戦いだった。レイを相手にした時に比べれば、遠く及ばないがな」
両手で持っていたバトルアックスに、陶酔したような視線を向けて呟く。
その様子は、普通であれば近づきたいとは思えないだろう。
それ程に周囲に対して怪しい空気を放っていた。
だが、ヴィヘラはそんなグルガストの言葉に小さく笑みを浮かべて頷く。
「そう、良かったわね」
「……そっちはそっちで、随分と楽しい戦いを済ませたみたいだが?」
その視線の意味するところを理解しているヴィヘラは、曖昧な笑みを浮かべて口を開く。
「どうかしら。確かに強かったけど、戦い方が私とは全く違う相手だったから。相性として考えればこっちが圧倒的に有利だったのは事実だけど、戦って楽しかったかと聞かれれば……まぁ、楽しかったといったところかしら」
曖昧な言葉を返すヴィヘラだったが、その脳裏を過ぎっているのはディグマだ。
異名持ちのランクA冒険者であり、確かにその強さは肩書きに負けないだけのものがあった。
だが、水竜という異名通りにディグマが得意とするのは対多数を相手とする戦い。
勿論個人としての戦闘力も決して低いという訳ではなかったし、水竜と組んでの戦いも強力と言ってもよかった。
それでも、ヴィヘラは思った程に戦闘の高揚にその身を委ねることが出来なかったのも事実。
そんなヴィヘラの様子に少し訝しげなものを感じたグルガストだったが、それを口に出す前にティユールの声が周囲に響く。
「さて、この辺一帯も片付けたことですし、そろそろ進軍を開始しましょうか。敵の後陣はレイの手で既に大きな被害を受けています。このまま一気に本陣まで突き抜けても構わないのでは?」
「……そうね。グルガスト、貴方はまだ……いえ、その様子を見る限りでは聞くまでもない、わね」
ヴィヘラの視線を向けられたグルガストは、言葉に出さず、両手のバトルアックスを大きく振るうことで己の体力がまだ残っており、まだ戦える……いや、戦い足りないと態度で示す。
ヴィヘラ自身もディグマとの戦いが終わってから暫くが経ち、それから行われた戦いも強敵と呼べるような相手とは戦っておらず、体力は回復している。
ティユールは元々自分では戦闘せず、部下に指示を出しながらここまで戦ってきた為に体力の消耗は殆どない。
グルガストの部下達は戦闘を楽しむ為に体力は消耗しているが、それ以上に精神的に高揚しているので、長時間ならともかく短時間の戦闘は可能だろう。
ここにいる者達で最大の不安要素は、ティユールが指揮している部隊の方だった。
いや、決してティユールの率いている部隊が足手纏いだというのではない。
寧ろ、普通に考えれば精鋭と呼べるだけの実力は持っている。
それでも、他の面々が色々な意味で常識外れである為か、そのような印象を周囲に与えざるを得なかった。
「ティユール」
ヴィヘラの口から出たその一言だけで、何を言いたいのか分かったのだろう。ティユールはヴィヘラに対して深々と一礼を返す。
「お任せ下さい、ヴィヘラ様。ヴィヘラ様の戦場での活躍は私と私の率いる兵達が華麗に彩ってみせましょう」
「……ふふっ、相変わらずね。けど、無理はさせない範囲でお願いね」
戦場の中でもいつもと変わらぬ様子を見せるティユールに、ヴィヘラは艶やかな笑みを浮かべて告げる。
自らが崇拝するヴィヘラの笑みに、ティユールは感極まったかのように両手を大きく開く。
「さぁ、行きましょう! この戦いを……同胞同士で戦うことになった内乱を終わらせる為に。そうして、ヴィヘラ様の素晴らしさを皆に伝える為に!」
「全く、いつまで経っても変わらんな、こいつは」
溜息と共に呟き、それでも身体中から新たな戦いの喜びを放ちながらグルガストは道を進む。
そんなやり取りを見ていたヴィヘラも、この内乱における正真正銘最後の戦いを期待しながら足を踏み出す。
ヴィヘラを真ん中に、右後ろにグルガスト、左後ろにティユールをそれぞれ従えたまま。
そうして、ヴィヘラ達の後に続くようにして兵士達もそれぞれ続く。
既に中央戦線は完全に瓦解しており、何とか踏ん張っていた数少ない兵士達も既にグルガストやその部下達に蹴散らされている。
まだ何人かは戦場に残っている者もいるが、整然と戦場の中を進んでいくヴィヘラに対して手を出せる者はいない。
寧ろ、戦場の中で周囲を恐れることなく堂々と進むヴィヘラの姿に、どこか神々しさを感じている者もいる。
まるで無人の野を行くが如く進むヴィヘラ達だったが、それでも自らの主に対して深い忠誠を抱いている者は数多い。
そんな者達が集まって何とかある程度の兵士を纏め、中央戦線の最後尾、これ以上進めば後陣へと到達するだろう場所で待ち受けていた。
「……やれ!」
「行くわよ」
お互いに言葉を交わすことなく、中央戦線での最後の戦いが始まる。
兵力的には、まだ討伐軍の方が多い。
ここまで戦い続けて圧倒的に不利であるのに、未だ数だけでも有利に立っているというのは討伐軍の底力を物語っているのだろう。
もっとも、その底力というのはベスティア帝国の民なのだが。
ヴィヘラとしては、なるべく殺さずに済ませたいというのが正直な気持ちだった。
既に負け戦であると承知しており、そんな状況であっても忠誠を尽くして戦場に残る。
勿論忠誠心だけでここに残っている者が全てという訳ではない。
負け戦だからこそ、ここで大きな手柄を挙げれば報酬を弾んで貰えると思っている者も多いし、中にはこの期に及んでヴィヘラの美貌に釣られた者もいた。
そんな有象無象ではあるが、それでもこの負け戦で一発逆転を狙うだけあり、相応に自分の腕に自信のある者達の集まりで、だからこそ正面からヴィヘラ達とぶつかり合う。
ヴィヘラ達にしてみれば、主戦力が好き勝手に動くグルガストの部隊と、長時間の戦闘で疲れているティユールの部下だ。
自然と主戦力はグルガストの部隊となり、ティユールの部隊がそれを援護するという、いつもの隊形へと移り変わる。
一方、討伐軍側もここに残っているのは寄せ集めの部隊であり、まともに味方部隊と連携出来る者はそれ程多くない。
それらの理由から、結果的にはお互いに正面からぶつかり合うことになり……
「その程度の腕で私に戦いを挑んだの? もう少し強くなってから出直しなさいな」
槍の一撃を回避しながら放たれた浸魔掌により意識を失った相手へ、ヴィヘラは既に聞こえてないだろう言葉を呟く。
そのまま周囲を見回すが、そこで行われているのは半ば蹂躙と表現してもいいだろう戦い。
元々討伐軍側に勝ち目はない戦いだった。
それでもこうして集まったのは、少しでもここで時間を稼いで後陣が立て直す時間を稼ぐ為。
そして何より、こうして稼いだ時間でカバジードやシュルスが何らかの打開策を考えてくれるという思いがあった為だ。
「くそぉっ、退くな、絶対に退くなぁっ! ここで俺達が負ければ、もう後は後陣だけだ! 何とかここで持ち堪えるんだ! シュルス殿下が何か方策を考えつくまで!」
ヴィヘラ達の前に立ち塞がる一人が、心の底からの叫びを口に出す。
『うおおおおおおおっ!』
その言葉に奮起する兵士達。
手に持つ武器を必死に振るい、少しでも敵の戦力を減らすべく襲い掛かる。
「死ねぇっ!」
「おっと、私に斬り掛かってくるとは見る目がある。確かに私はヴィヘラ様やグルガストに比べると弱いからね」
そう告げつつ、胴体を狙って突き出した槍の一撃を、身体を半身にして回避するティユール。
「けどね……」
そのまま、腰の鞘から素早く抜き放ったレイピアの一閃により、あっさりと槍の穂先は切断される。
本来であれば、レイピアというのは突きを主体にした武器だ。
それなのに、何故突きで槍の穂先が切断されたかといえば、それはティユールの持っているレイピアが魔剣だからに他ならない。
もっとも、魔剣ではあっても性能は決して高いものではない。
一般的な魔剣のように、炎や風、雷、水、氷、土といったようなものを生み出すことは出来ないし、武器としての頑丈さ自体も通常のレイピアよりも多少高い程度でしかない。
それでもこのレイピアを魔剣としているのには、剣先を突き刺した場所を中心として斬撃の効果を与えるという効果があるが故だ。
「え?」
まさか穂先を突きで切断されるとは思っていなかったのか、槍を突き出した兵士は間の抜けた声を上げる。
「私もヴィヘラ様に仕える身。当然この程度の実力は持ってるのだよ」
言葉を発しながら素早くレイピアを突く。
一秒の間に二度の突き。
ヴィヘラやグルガストにしてみればどうということのない速度の突きだが、それでも一般の兵士にとっては目で追うのがやっとであり、回避に動くことは出来ない速度。
放たれた突きは、そのまま兵士の肘関節と胴体を覆っているレザーアーマーの隙間部分に突き刺さり、瞬時に魔剣としての効果を発揮して、皮膚を破り、肉を裂く。
それでも骨を断つといったところまでの効果がない当たり、低ランクの魔剣として扱われている理由だろう。
もっとも、普通は低ランクの魔剣であっても市場にはそうそう出回らない。
ベスティア帝国がこれだけ大量に魔剣を有しているのは、それだけ錬金術が発展しているおかげだった。
「ぎゃああああああっ!」
骨までは断てなくても、皮膚や肉が裂ければその痛みは相当なものだ。
切られたことに気が付いていなければ、戦場の興奮でその痛みを感じることもないのかもしれないが、兵士の目の前で切られたのだから、当然だろう。
それも、鋭く斬られたのではなく、切られたといった具合に。
地面に踞って痛みに悲鳴を上げている兵士に意識を奪う一撃を放つと、ティユールは次の敵を探す。
この兵士にとって不運だったのはティユールを弱いと思い込んだことであり、同時に幸運だったのは戦った相手がティユールだったことだろう。
ティユールだからこそ、もう戦いの趨勢が決まった以上は人を殺したくないというヴィヘラの思いを汲んで気絶で済ませたのだから。
もっともヴィヘラの人を殺したくないというのは、殺人の忌避というのではなく人材を無為に消耗したくないという思いからきたものだ。しかし……
「うわあああああああああぁっ!」
右腕をバトルアックスの一撃で切断された兵士が、悲鳴を上げる。
それを行ったのは、グルガスト。
ヴィヘラやティユールの思いは知ったことかと、自分の前に立ち塞がった相手には容赦なくバトルアックスを振るう。
もしも兵士達の中にブラッタ程の強さの資質を持つ者がいれば話は別だったのだろうが、グルガストにとって雑魚としか表現出来ないような相手は問答無用でその命を散らしていく。
「くそっ、止めろ、何とかしてここで止めろ! まだ後陣は混乱したままだ! 今のまま奴等を通せば、あっという間に瓦解して本陣まで攻め込まれるぞ!」
この生き残りの中で、もっとも地位の高い指揮官が叫ぶ。
少しでもここで時間を稼ぐ必要があり、だからこそ死に物狂いで何とかしようとして、少しでも士気を高めるために叫んだのだが……
「あら、そう? こちらとしてはそうであってくれればありがたいんだけどね」
不意に自分のすぐ近くで聞こえてきた声に、そちらを振り向き……そこに戦場には似つかわしくない程の美貌と色気を持った女の姿を見て、その瞬間に意識を失う。
最後に鎧に何かが触れるような感触が伝わってきたが、男はそれが何なのかを知ることが出来なかった。
まがりなりにも指揮を執っていた男が一撃で沈み、それを見た者達の士気は当然下がる。
元々が数で負けており、質でも負けており、士気だけで何とか持ち堪えていただけに……中央戦線の最後の防衛線を構築していた兵士達はこれを機に瞬く間に崩れ去ることになる。
そして、ヴィヘラ率いる本隊は自分達に合流してくるメルクリオ軍を吸収しながら、討伐軍の後陣へと攻め寄せるのだった。
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