第805話
シュルス直属の騎兵隊と、フリツィオーネ直属の白薔薇騎士団。
その二つの騎兵隊は、今も尚争い続けていた。
お互いがお互いの隙を窺うかのように行動しながらも行われているその戦いは、側で見ている者にしてみれば一種の芸術のようにも見える。
「くそっ、もう少しゆっくり見学させてくれればいいのによ!」
「全くだ! ちぃっ、また奴等が来たぞ! 撃て、撃てぇっ!」
白薔薇騎士団と行動を共にしていた歩兵隊は、自分達の方へと向かってくる討伐軍の兵士達に対して罵声を浴びせながらも、必死に矢を放つ。
少し前までは騎兵隊同士の戦いをゆっくりと見物している暇すらあったというのに、討伐軍側が突然その動きを活発化させた。
騎兵隊同士が戦っている場所を回り込むようにして姿を現した討伐軍の兵士が歩兵隊に襲い掛かって来たのだ。
兵士達にとっては、何が契機になってこのような事態になっているのか分からなかった……という訳ではない。
「やっぱり、あの水竜が関係しているのは間違いないよな!」
そう叫ぶ兵士の視線は、少し前に突然戦場に姿を現した水竜のいた方へと向けられていた。
……そう。いた、方へだ。
少し前までこの場にいる兵士達からでも見ることが出来ていた水竜は、今は既にその姿はない。
最初に水竜を見た兵士達は思わず息を呑んだのだが、その水竜が消えたことにより兵士達は心底助かったという表情を浮かべていた。
当然だろう。水で作られた竜という存在は、そうそうその辺にいるものではない。
そんな水竜を生み出す力を持つ者としては、水竜が異名となっているランクA冒険者のディグマしか考えられず、そしてディグマがメルクリオ軍に所属しているという話は全く聞いたことがなかった。
つまりあの水竜は自分達の敵である。
そう判断するのは、おかしな話ではない。
そして、水竜の異名を持つディグマが得意としているのは、水竜を使った対多数の戦闘。
いつあの水竜が自分達へと牙を剥くのかと心配をしていた兵士達も多かったのだが、結局は水竜が暴れたのは最初に現れた付近だけであり、他の場所にいる兵士達には意味がなかった。
……もっとも、水竜の暴れた場所、ヴィヘラとディグマが戦っていた付近ではメルクリオ軍、討伐軍に関係なく兵士達が多かれ少なかれ被害を受けていたのだが。
それでも被害がその周辺だけで済んだのに安堵し、その安堵の中で討伐軍の兵士達の動きが今までよりも更に活発化することになる。
本来であれば、討伐軍の中でも最大戦力の一つでもある水竜。
その水竜がメルクリオ軍に対して攻撃をせずに消えたのだから、討伐軍側としてはディグマが何者かに負けたと判断するのは当然だろう。
そうなれば、討伐軍側としても次の一手を打たざるを得なかったというところか。
本来であれば、ディグマが活躍してメルクリオ軍に大きな被害を与えるという作戦だったのだろう。
確かにそうすれば討伐軍の兵士達は大きな被害を受けないのだから、おかしな話ではない。
それが失敗した為に、メルクリオ軍の四倍近い戦力差を活かした戦いへと変えたというところか。
「くっそ、こうして見る限りだと全体的に押されてるぞ! 特に中央の前線は完全に磨り減りそうになっている」
矢を放ちながら中央付近へと視線を向けた兵士が叫ぶが、それに帰ってきたのは冷静な声だった。
「中央の前線? 確かそれって裏切り者の貴族が率いる部隊だろ? なら別に心配いらないだろ。多分本陣もそれを承知の上で磨り減らしてるんだろうし」
その言葉に、そう言えば……と思い出す兵士。
視線の先で討伐軍の攻撃で磨り減っており、既に限界近い様子を見ながらも、それなら問題はないかと判断する。
メルクリオ軍の兵士にとって、自分達を裏切ろうとした相手がどのような目に遭っても自業自得としか思えなかった。
もしも大事なところ……それこそ、このような戦いの中で裏切られていれば、自分達が受けた被害によっては戦闘の行方が決定づけられていたかもしれないのだから。
「けど……とにかく、人数が多い! 多すぎる!」
中央の前線のことはすっかり頭から消えた兵士は、早速自分達へと迫ってくる討伐軍の兵士達へと愚痴を漏らす。
幾ら矢の雨を降らせても、全く数が減った様子がない。
それどころか、自分達の方が徐々に数を減らしてきていた。
これ以上ない形で兵力の差が出た戦いの情勢。
勿論、白薔薇騎士団とて何もしていない訳ではない。
このまま自分達と共に行動している兵士達が全滅すれば、次に包囲されるのは自分達なのだから。
また、フリツィオーネ直属でもある白薔薇騎士団の名に懸けて、自分達と行動を共にしていた兵士達が全滅するというのを許す訳にはいかなかった。
だが、白薔薇騎士団が今相手をしているシュルス直属の騎兵隊は、決して侮っていいような相手ではない。
今でこそ何とか優勢を保っているが、その優勢にしても非常に危うい均衡の上に保っているようなものだ。
少しでも何かミスをすれば、その優位はあっという間に向こう側へと移ってしまうだろう。
(強いとは思っていたが、これ程までとはな。さすが軍部に強い影響力を持つシュルス殿下といったところか)
騎兵の一部隊を率いている隊長と剣を交えながら、ウィデーレは内心で呟く。
周囲では部下達も相手の騎兵との戦いに武器を振るっている。
既に騎兵隊同士がぶつかってから暫くが経ち、白薔薇騎士団もシュルス直属の騎兵隊も少なからず怪我人が増えている。戦死した者も、まだ少数ではあるが存在していた。
死者が少数で済んでいるのは、やはりお互いにこの戦いに向けてポーションの類を多く用意していたというのもあるだろう。
純粋なポーションの数では帝都を押さえている討伐軍側の方が多いのだが、代わりに白薔薇騎士団は回復魔法を使えるものが第五部隊、第六部隊に比較的多く所属している。
そのおかげで、白薔薇騎士団の方も死人の数は少数で済んでいた。
もっとも怪我を回復魔法で治したとしても、軽い怪我であればまだしも重症の場合はすぐに戦闘に復帰出来る訳ではないので、戦場から離脱して後方へと下がっている者も多いのだが。
(このまま戦闘が続けば、人数の少ないこっちが不利になるのは間違いない)
自分に向かって突き出された槍の穂先を魔剣で斬り飛ばし、返す刃で隊長の右腕を斬り飛ばして歯噛みする。
元々メルクリオ軍は討伐軍の四分の一程度の戦力しかないのだ。
それが同じような速度で戦力を消耗していけばどうなるのかは、考えるまでもないだろう。
「どうした、その程度の実力で私に挑んだのか!」
周囲に響くウィデーレの怒声。
敵の隊長をあっさりと倒しただけに、その声に臆する者は多い。
実際には今ウィデーレが右腕を切断して地面に崩れ落ち、そのまま部下に助けられて後方へと下がっていった隊長も十分な強さは持っており、白薔薇騎士団でも第三部隊以外の隊長であれば簡単に勝つというのは難しかっただろう。
だがウィデーレは白薔薇騎士団の第一から第六部隊を率いる隊長の中でも、個人としての武力は最強の人物。
それ故にあっさりとウィデーレが勝ったように周囲には見えたのだろうが、本人だけはシュルス直属の騎兵隊の強さを改めて自分の心に刻んでいた。
(とにかく、今は見せ掛けでも何でもいいから、こちらの有利を徹底的に知らしめることが必要だ。その勢いのままに……)
自らのやるべきことを考え、次の標的を探すべく戦場を見回していたウィデーレは、ふと騒がしくなっていることに気が付く。
それも、メルクリオ軍ではなく討伐軍側の方が、だ。
「何だ?」
疑問に思いつつ、魔剣に魔力を流して雷を発生させながら敵騎兵を斬り捨てる。
雷を纏わせたその刀身は、金属鎧を身につけているからこそ高い威力を発揮する。
魔法金属を使った鎧であれば話は別だったのだろうが、シュルス直属の騎兵隊ではあっても、その稀少さ故にそのような鎧を全員分用意することは出来ない。
当たるを幸いと、雷を纏った魔剣を幾度となく振るう。
「ぎゃああああああああっ!」
「あがぁっ!」
「ががががががが」
その度に敵騎兵は悲鳴を上げながら、身体の動きが麻痺して乗っている馬の動きについていけなくなり、落馬する。
悲惨だったのは、ここが騎兵同士の戦いの場となっていたことだ。
落馬した騎士は、敵味方関係なく……それどころか、下手をすれば自分が乗っていた馬が麻痺して倒れ込んでくるのに巻き込まれ、胴体を潰され、顔を踏み砕かれ、手足を踏み砕かれという運命を辿る。
「伝令、伝令です!」
雷の魔剣で敵を倒していたウィデーレへと、白薔薇騎士団の騎士が馬に跨がったまま駆け寄ってくる。
「どうした! 何があった! 討伐軍の後方が騒がしいようだが、その関係か?」
「はい。討伐軍の歩兵部隊後方からオブリシン伯爵とブーグル子爵の部隊が攻撃を掛けた模様です!」
「……何?」
魔剣へと流す魔力を一旦止め、首を傾げる。
「ヴィヘラ様の部隊はこことは別の場所で戦っていた筈だが……」
「それが、ヴィヘラ様の姿は見えないとのことです」
その言葉に、一瞬嫌な予感を覚えて動きを止めるウィデーレ。
姿が見えない、つまりヴィヘラが敵に打ち取られたか、戦闘が不可能な程の怪我を負ったのではないのかと思った為だ。
だが、すぐにその考えを否定する。
ウィデーレとて白薔薇騎士団でも有数の使い手だ。ヴィヘラがどれ程の強さを持っているのかというのは戦わずとも感じることは出来るし、そんなヴィヘラがそう簡単に大きな怪我をする筈がないというのも理解出来た。
敵と戦いながらでは深く考えることも出来ず、ウィデーレは一旦その場を部下に任せて後ろへと下がる。
……もっとも、後ろとはいっても最前線ではないというだけで、第三部隊が戦っている戦場の中ではあるのだが。
「それで、グルガスト殿がその部隊を率いているということでいいのか?」
「率いているというよりは、個々人が好き勝手に戦っているという方が正しいでしょうが……はい、その通りです」
ウィデーレも、グルガストが率いる部隊の特異な戦い方は知っている。
連携の類も考えず個々人が好き勝手に戦っているのだが、何故か最終的にはきちんと結果を出しているという不思議な部隊。
メルクリオ軍として集まった今でこそティユール率いる弓兵隊が援護を行っているが、普段はその援護すらないまま好き勝手に敵と戦っている者達だ。
当然そんな戦いをしている中で生き残っているのだから、グルガストの部隊に所属している者は精鋭と表現してもいいだろう。
それでもその戦い方を考えると、どうしてもウィデーレとしては認めたくないのだが。
「ヴィヘラ様は一体……まさか、本当に怪我をして後方に? 有り得ないと思うが」
「私としてもヴィヘラ様が怪我をして後方に下がるとは思えません。だとすれば、恐らく何らかの理由があって部隊を一時抜けたものかと。……その、ヴィヘラ様には若干悪癖もありますから」
「……なるほど」
その言葉を聞き、頷いてしまうウィデーレ。
ヴィヘラが戦闘を好むというのは、ウィデーレも理解している。
メルクリオ軍の将来が決まるだろうこの戦いの中で、自分の戦闘欲に正直になるのもどうかと思うが……
(いや、ヴィヘラ様が戦ってみたいと思う人物がいたということは、寧ろそれだけの強者がいたということか。そのような相手を野放しにすれば、こちらの被害も相当なものになっていた筈。……となると……)
そこまで考えたウィデーレの脳裏に、戦場からでも見える程に巨大だった水竜の姿が過ぎる。
最初に戦場でその姿を見た時は驚いたのだが、その水竜は現れた場所から殆ど移動せずに何者かと戦っている様子が窺えた。
もしもあの水竜が好き勝手にこの戦場で暴れていれば、メルクリオ軍に大きな被害が出たのは間違いない。
特に本来であればレイが敵後陣に奇襲を仕掛けて混乱させるという策だった筈が、その兆候は一切見えない。
戦場で絶対というものはないのだが、それでもレイがいれば絶対に勝てると思っていた者も多いだけに、弱気になっている者がいるのも事実。
そんな状況を放っておけない者も当然おり……
その辺りの事情を考えると、誰がその相手と戦っていたのかを考えるのはそう難しい話ではなかった。
(だとすれば、その相手は恐らくヴィヘラ様、か)
確証がある訳ではない。
だがそれでも、恐らく間違いないだろうという確信がウィデーレの中にある。
「アンジェラ団長に連絡を。ここは一気に攻めるべき時だと」
伝令の騎士にそう告げると、ウィデーレは再び戦場へと戻っていくのだった。
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