第806話

「うおおおおおおおおおおおっ! 押せ、押せ、押せぇっ! このまま数の差で押し込めぇっ!」

「させるか、防げ、防ぐんだ! 敵の中央突破を許せば、一気に崩れるぞ!」

「くそっ、前衛に配置された貴族はどうしたんだよ!」

「知るか、最前線に配置されてたんだから、あの裏切り者共はもう死んでるに決まって……危ない!」

「うおおおおおおっ! させるか、させてたまるかぁっ!」

「俺は勝つ、俺達は勝つ! メルクリオ殿下の為に、必ず勝つ!」

「シュルス殿下万歳! シュルス殿下万歳! シュルス殿下万歳!」

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!」

「メルクリオの首だ! 反逆者の首を獲れば、この戦いは終わるんだ! くそっ、邪魔だ、退けぇっ!」

「ふざけるな! 何の罪もないメルクリオ殿下を殺させて堪るか! それなら、この戦いの元凶でもある、シュルスとカバジードの首を獲れ!」

「それこそ、ふざけるんじゃない! 貴様等如き雑兵が、カバジード殿下を呼び捨てにするなど無礼にも程がある! その無礼は命で償え!」


 メルクリオ軍と討伐軍の戦いの中でも、恐らく最も激しい戦いの戦域となっているだろう、中央。

 そこでは少し前まで一進一退といった戦いが繰り広げられていたのだが、今は既にそれもない。

 急に方針を転換した討伐軍が、数の力を頼りに中央突破をしようと遮二無二突っ込んできていた。

 戦場となっているそこかしこで、自らの戦意を高める叫び、敵を罵倒する叫びといったものが響き渡る。

 だが幾らメルクリオ軍が自らを鼓舞しようと叫んだとしても、数の差はどうしようもない。

 既に盾として中央の最前線に配置されていた、裏切り者でもある三人の貴族の部隊は全滅……文字通りの意味で全滅しており、貴族達も討たれて既にこの世にはいない。

 三人の貴族達は絶対に死にたくないと奮戦したのだが、それでどうにかなるような数の差ではなかった。

 結局は一人、また一人と部下が減っていき、最終的には泣き喚きながら戦っていたのだが、討伐軍の兵士によりその命を奪われている。

 自らが死にたくなかったからとはいえ、それでも奮戦した三人の貴族は、最前線の役割を想定された以上にこなした。

 背後から督戦隊を指揮していたテオレームの部下は、二心を持たずにメルクリオにきちんと仕えていれば、かなり大きな手柄を挙げられたのではないかと思う程に。

 それでも結局は三人の貴族の部隊は磨り減らされて消滅してしまった。

 その結果、次に討伐軍の攻撃を受け止めるのは、正真正銘メルクリオ軍の部隊となる。

 三人の貴族の部隊を監視していた督戦隊は素早く後方へと下がり、後詰めの部隊が前へと進み出て前方から攻めてくる討伐軍の部隊を受け止める。

 そうして受け止めている間に、後方へと下がった督戦隊が敵後方へと向かって矢を放つ。

 元々三人の貴族が妙な動きをした時には矢で攻撃する予定だったので、特に装備を持ち替える必要もなく、後方に下がって隊列を整えるだけで攻撃が可能だった。

 隊列を整えるというのは練度の低い部隊では手間取るのだが、督戦隊だけあって練度は高く、その辺は全く問題にならなかった。

 寧ろ、問題になったのは……


「おい、遊撃隊が仲間割れしたって本当か?」

「ああ、本当らしい。その為に遊撃隊がいた場所から討伐軍の攻撃が強まっているようだ」

「……何だって遊撃隊が……あいつら、強さだけで考えれば最精鋭って言ってもいいだろ?」

「知るか。ただ、あのレイ隊長が率いている遊撃隊だぞ? それが迂闊に裏切るような真似をするとは思えないんだが」

「……確かに」


 弓を大きく引き絞り、矢を放ちながら督戦隊の兵士達は言葉を交わす。

 その言葉にあるのは、遊撃隊に対する不審……ではなく、疑問だ。

 普通であれば、自分達の仲間が裏切ったと聞けば不審を抱く者が出てくるのは当然だ。

 だが、討伐軍の兵士達には多少の不審はあれども、どちらかと言えば疑問の方が多い。

 それは、レイという存在が最大の原因だった。

 レイという存在を知っている者であれば、どんな見返りを提示されたとしても裏切るような真似はしないだろう。

 どれ程の金を……それこそ白金貨をもらったとしても、生きていなければそれを使うことは出来ないのだ。

 そして、レイという人物の性格を知っている者や、知らなくてもこれまでのレイがどのような行動をしてきたのかを多少なりとも理解していれば、レイを裏切るような真似をするのは自殺行為でしかないと十分承知している。

 それだけに、一人二人ならまだしも遊撃部隊のかなりの人数が裏切って味方同士で戦ったと聞かされても、まともにそれを信じることは出来ない。

 寧ろ討伐軍側が何かを企み、それが成功したのだろうという思いの方が強く……それは事実でもあった。

 ワイバーンのレザーアーマーを装備した者のみが、敵味方関係なく暴れていたのだから。

 そのワイバーンは、レイが竜騎士を倒して得た死体から剥ぎ取ったものであるというのは、当然皆に知らされている。

 そうでなくても、遊撃隊の者達が揃ってワイバーンの剥ぎ取りをやっていたのを多くの者が見ているし、何よりそのワイバーンの肉を食べさせて貰った者はそれなりの人数になる。

 もし何かを仕掛けるのであれば、そんなあからさまな真似はしないだろうと。

 そして何より……


「もしレイ隊長が俺達を裏切るとすれば、こんな面倒臭い真似をしなくても後ろから炎の竜巻を放つなり、覇王の鎧だったか? あれを使って真っ直ぐに突っ込めば、それだけでこっちはどうしようもないだろ」

『確かに』


 矢を放ち続けているにも関わらず、呟いた兵士の周辺のいる者達が同様だと頷く。


「お前達! 無駄話もその辺にして、とにかく向こうの足を止める為にも、撃って撃って撃ちまくれ!」


 隊長の言葉に頷き、兵士達は言葉を止めて矢を放ち続ける。

 今でこそ、こうやって矢を放ちながらも馬鹿話を続けていられるが、前線では味方の部隊と敵部隊が正面からぶつかり合っているのだ。

 それを考えれば、寧ろ隊長の方が正しいだろう。


(あの水竜……こっちに殆ど被害を出さないままに消滅したってことは、多分こっちの誰かが倒してくれたんだろうけど……ランクA冒険者を倒せるような奴なんて、そんなにいないと思うんだけどな)


 督戦隊の兵士が、ふと内心で呟きながら先程まで巨大な水で構成された竜が存在した場所へと視線を向ける。

 だが、確かに今はそこには何もおらず、兵士は余計なことを考えていれば隊長にどやされると判断し、持っている弓を大きく引く。






 メルクリオ軍の本陣。そこに突然姿を現したヴィヘラは、自分の抱えている存在に驚愕の表情を浮かべているテオレームに、小さく笑みを浮かべる。

 普段は冷静沈着なテオレームが、見て分かる程に驚愕の表情を浮かべているのが面白かったのだろう。

 もっとも、他の者が見たらそれは当然だとテオレームに同意するのは間違いない。

 ヴィヘラが抱えているのは、ランクA冒険者のディグマだったのだから。

 普通であれば、ランクA冒険者というのは人を超えた人外の者という認識を持つ者が多い。

 そんな人外の者を無造作に抱えているのだから、驚くのは当然だろう。

 ディグマは完全に意識を失っており、ピクリと動く様子もない。

 つまり、何らかの手段で意識を失わせたのであり、それをやったのが誰なのかというのは、その場にいる者達にしてみれば一目瞭然だった。

 それでも一応、念の為に……と、貴族の一人が恐る恐ると口を開く。


「ヴィヘラ様、その者はもしや……」

「ええ。水竜のディグマ。ランクA冒険者よ。戦場で出会ったから戦ったのよ」

「た、戦ったのよって……そんな軽く……」


 ヴィヘラの言葉に、唖然と呟く貴族。

 それも当然だろう。水竜のディグマと言えば、ベスティア帝国の中でも腕利きとして有名な冒険者だ。

 当然その力量はその辺の冒険者とは比べものにならない程のものであり、それこそお土産ですとでも言いたげに倒して連れてこられるような相手ではない。


「相性が良かったというのもあるわね。私は対個人に特化しているけど、ディグマはどちらかといえば対多数向けの戦闘方法だし。私の土俵に引っ張り込めたのは大きいわね。……それで、取りあえずどうしたらいいかしら? このままここに置いて行ってもいい?」

「困ります」


 即座に言葉を返す貴族。

 ここにいる他の者達も、言葉には出さないが全力で今の言葉に同意していた。

 ランクA冒険者という存在を気軽に置いていかれても、この場にいる者には対処のしようがない。

 この場でヴィヘラ以外で最も腕の立つ人物はテオレームだが、それでもランクA冒険者を相手に……それも、水竜という異名を持つ人物を相手にどうにか出来る自信はない。


「そう言われてもね。こうしている今もこっちは徐々に押されてきてるのよ? レイが動いてない以上、私が動かない訳にもいかないでしょう?」

「それはそうですが……」


 今はまだ何とかなっているが、ヴィヘラの言葉通りに押されてきているのは事実。

 特に兵力の多さを活かして数の力で攻めてくるようになってからは、メルクリオ軍の被害も徐々に増えてきている。

 それでも四倍差の兵力を相手にまだ持ち堪えられているのは、メルクリオ軍の士気が非常に高いことや、レイ、ヴィヘラ、白薔薇騎士団といったように、有名な戦力が揃っているからだろう。

 他にも魔獣兵、遊撃隊、グルガストといった一線級の戦力が揃っている。

 それでも今の状況が続けば遠くない未来にどこかの戦線が押し負けるのは確実であり、もしそうなってしまえば一気に全軍が瓦解する危険すらあった。

 そうならない為には何とか敵を押し返す必要があり、知名度が高く、兵士を率いても高い指揮能力を示し、個人としても高い戦闘力を持つヴィヘラという存在は、それを行うのにうってつけだった。

 それを分かっているからこそ、ヴィヘラは目の前にいる者達へと自分が戦場に戻ると告げるのだ。

 だがそれを理解していながらも、メルクリオ軍の本陣にいる者達はヴィヘラの言葉に容易に頷くことが出来ない。

 もしも目が覚めたディグマがここで暴れ、メルクリオが討たれでもしたら、それこそ自分達はこの内乱における象徴を失ってしまうのだから。

 かといって、ヴィヘラの言う通りにこのままだと自分達が負ける可能性も高い。

 レイが予定通りの成果を上げていない以上、現時点で一番頼れるのがヴィヘラであるというのも事実。


「……そうね、ならこうしましょうか」


 貴族の言葉に数秒程考え込んだヴィヘラは、抱えていたディグマを地面に寝かせてから、軽い浸魔掌を使って衝撃を与える。


「げっ、げほっ!」


 身体の内部で暴れる魔力に、咳き込みつつ意識を取り戻すディグマ。

 それを見た貴族達は、驚愕の表情を浮かべて口を開く。


「ヴィヘラ様、一体、何故こんな真似を!?」

「折角気絶させたのに、意識を取り戻すような真似をしては!」

「兵を呼べ!」

「いらないわ」


 貴族の一人が咄嗟に兵を呼ぼうとして叫んだのを、一言で却下するヴィヘラ。

 その言葉に周囲の貴族から視線を向けられているのを知りながらも、全く気にせずに目を開けたディグマへと話し掛ける。


「さて、意識を取り戻したわね。……現状で自分がどんな状況なのかは理解出来る?」

「私は……確か、お前と戦って……そう、負けた」


 上半身を起こして目を瞑り、気絶する前のことを思い出しながら告げるディグマに、ヴィヘラは頷きを返す。


「そうよ。そして貴方は私に捕まって捕虜になったの」


 ヴィヘラのその言葉に、ディグマは小さく頷く。

 自分が負けたのは覚えており、目の前にいるのはヴィヘラとその仲間。

 特にメルクリオ軍を実質的に動かしているテオレームは、ランクA冒険者として何度か会ったことがある。

 だからこそ、自分のいる場所がメルクリオ軍の陣地であるというのを間違える筈がなかった。


「命の保証はするわ。だから、捕虜として大人しくしていてくれる?」

「……ヴィヘラ、君はどうする?」

「私はこのメルクリオ軍の主力の一人よ。当然また戦場に戻るわ。けど、貴方をそこに連れて行く訳にもいかない。だから、捕虜として妙な真似をせず大人しくしていて欲しいのよ」


 ヴィヘラの単刀直入にも程がある話に、周囲で話の成り行きを伺っていた者達の多くは思わず息を呑む。

 それを笑って見ていられるのは、メルクリオと他数人くらいのものだろう。

 テオレームも、ディグマと何度か会話したことがあり、その性格を知っていたからこそあまり心配はしていない。

 そうして、ディグマはヴィヘラの言葉を聞き、数秒程考えた後……


「分かった。私は君に負けたのだ。あの場で殺されても仕方がなかったのに、命も助けられた。そうである以上、君に従うのが当然だろう」


 あっさりと告げるディグマに、周囲の者達は目を見開く。

 まさか、ここまであっさりとヴィヘラの言うことに従うとは思わなかった為だ。


(レイと戦うとしても、この戦いが終わった後でなら思う存分戦えるだろう)


 元々ディグマの目的は、レイと制限なしで戦うことだ。

 この戦場ではノイズにその役目を取られたが、内乱が終わってからならあるいは……という狙いもある。

 勿論ヴィヘラに命を助けられたというのもあるが。


「そう? じゃあ、水竜のディグマの異名を持つ貴方の言葉を信じるわね。そういう訳で、後はよろしく」


 そう告げて戦場へと戻っていくヴィヘラ。

 そんなヴィヘラの後ろから見ても艶めかしい姿を見て、ディグマは心の中でトクン、と何かが動くものを感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る