第804話
レイとノイズが人外と言ってもいい戦いを繰り広げている頃、戦場となっているブリッサ平原の中では他にも人外と呼べるような戦いが行われている場所があった。
「GYAAAAAAAAAAA!」
そんな声を上げながら突っ込んで来る水竜を相手に、ヴィヘラは大きく跳躍してその一撃を回避する。
次の瞬間、ヴィヘラがいた場所は水竜の突撃により地面が大きく抉り取られた。
空中でそんな様子を見ながら、ヴィヘラは笑みを浮かべ……そのまま身を捻って体勢を立て直して着地し、地上にいるディグマへと向かって距離を詰める。
確かに水で出来た竜である水竜は、強力無比な力を持っている。
そもそも、水でその巨体を作っているのを見れば分かるように、まともにぶつかり合うということすら考えるのは愚かでしかない。
ヴィヘラが得意とする浸魔掌にしても、攻撃の効果があるのはあくまでも相手に肉体があればこそだ。
だが、水竜は身体そのものが水で構成されている擬似的な生物でしかない。
浸魔掌を含めた攻撃で身体を破壊しても、水さえあれば容易に回復出来る。
そんな木偶人形を相手にしても意味はなく、戦うのであればそれを操っている人形遣いの方だろう。
そう判断して、ヴィヘラはその人形遣い……ディグマへと向かって進む。
だが、それはある意味では大きな間違いだった。
確かにディグマが水竜を生み出したのは事実だが、その水竜を構成しているのは水の精霊。
つまり、ある程度の自我を持つ存在。
それだけに、自らの契約者でもあるディグマが狙われていると知れば、独自に判断を下すことも可能だった。
「GYAAAAAAAA!」
素早くディグマへと向かって突き進むヴィヘラへと向かい、水竜は尾を振るう。
水を吐き出すウォーターブレスという攻撃方法もあるのだが、ヴィヘラの進行方向にディグマがいる状況でそんな攻撃をすれば、間違いなくディグマをも巻き込む事になる。
だからこその、尾の一撃。
「そう来ると思っていたわ」
自分の右側から迫ってくる水によって構成された巨大な尾は、ヴィヘラにとっても予想の範囲内の攻撃だった。
尾の一撃が命中する寸前、軽く跳躍。
そのまま水で出来ているにも関わらず、しっかりとした触感を持つ尾へ触れると、水竜が放った一撃すらも前へと進む力として利用し、ディグマへと突き進む。
「なるほど。私の水竜をそのように利用する者がいるとは……さすがに驚きだな」
言葉程は驚いた様子を見せず、手に握る魔剣を構える。
ランクA冒険者である以上、この程度のことで動揺することはなく、落ち着いて自分に向かって突撃してくるヴィヘラを迎え撃つ。
(先程の冒険者との戦闘を見る限りでは、彼女は触れただけで相手に対して致命的な一撃を与えられるのだろう。だとすれば、注意すべきはあの両手)
ディグマが見た限りでは、攻撃を食らった者は皆が意識を失っている。
ただ気絶しただけではあるが、それを見て致命的と表現したのは、戦場で気絶すればどうなるのかを考えれば当然だからだろう。
放たれた矢を回避することも出来ず、敵が近づいてきても何か行動出来る訳でもない。
どう考えても、致命的な一撃以外のなにものでもなかった。
「しかし、それならば触れなければいいだけの話」
魔剣を握り締め、呟く。
水竜という異名が示すように、ディグマが最も得意とするのは水の精霊魔法なのは間違いない。
だが、それだけでランクA冒険者に……それも異名が付く程の強さを得ることが出来る筈もない。
闘技大会でレイとの戦いでも見せたように、ディグマは武器を使った戦闘にも自信があったし、実際それだけの強さを持っているのも事実だった。
「さぁ、行くわよ!」
そんなディグマに対してわざわざ宣言し、猫科の獣のようなしなやかな動きで歩を進めてくるヴィヘラ。
既に手甲には魔力を通して爪を作っており、例え魔剣で攻撃されても爪で絡め取るつもりだった。
その上で、常に水竜とディグマの間に自分を置いており、背後の水竜が迂闊に攻撃出来ないようにするといった配慮も忘れない。
『水の精霊よ、鞭となり敵を打て』
ディグマの言葉に従い、その周囲に突然水で出来た鞭が四本姿を現す。
そして四本の鞭はしなりながら、ヴィヘラへと向けて自らを叩きつけんとする。
風切り音と共に放たれた四本の鞭の攻撃に対し、ヴィヘラが選んだ選択は横に回避することでもなく、後ろに一旦後退することでもなく、そのまま前へと進み出ることだった。
自分に向かって振るわれる鞭を、前に進み出ながら身体を少しだけ動かして回避する。
同時に、行きがけ駄賃と振るわれた手甲の爪は鞭を中程で断ち切り、切断された鞭の先端は地面へと落ちて水たまりと化す。
四本の鞭全てに同じように回避しつつ攻撃し、瞬く間に鞭は全て水へと還る。
だがディグマにしてみれば、ここまでは予想済み。
いや、寧ろ鞭を切断してくれなければ困っていただろう。
その短時間に、ディグマの前には水で出来た盾のようなものが形作られていたのだから。
どこか見覚えのあるその形状を見て、ヴィヘラの脳裏を愛しい人物の姿が過ぎり、反射的に足を止める。
「マジックシールド!?」
そう、それはレイが使っているスキルの1つでもある、マジックシールドと同じ形状をしていた。
違うのは、レイのマジックシールドが光で出来ているのに対し、ディグマの盾は水で構成されていることか。
「やはり知っていたか。深紅のものとは若干違うが、それでも中々の力を持っているというのは保証しよう。……それより、動きを止めてもいいのかな?」
「っ!?」
ディグマの言葉に、すぐに今の自分の状況を思い出す。
背後にいる水竜と、ディグマの間にいる自分。……いや、いた自分。
ディグマの位置は今のやり取りの間にも移動しており、ヴィヘラの斜め前に近い位置へと移動していた。
そうなれば、水竜にしても攻撃を躊躇う必要はなく……
「GYAAAAAAAAAA!」
水竜の口から、そんな叫びと共に吐き出される大量の水。
ウォーターブレスが真っ直ぐにヴィヘラへと襲い掛かる。
それを見た瞬間、ヴィヘラは大きく横へと跳ぶ。
その瞬発力は、ディグマから見ても素晴らしいと表現出来るものだった。
水の全てを回避は出来なかったが、それでもヴィヘラの身体に水がぶつかることはなかった。
ヴィヘラが身に纏っている薄衣の幾らかは水に濡れたが、まともな被害はない。
「はああぁぁっ!」
水に濡れ、身体に張り付く薄衣は、ただでさえ男にとって目に毒なヴィヘラの身体を、より艶っぽく見せている。
本人はそんな自分の姿を気にせず……寧ろ見せつけるようにして拳を突き出す。
もっとも、ディグマとしては幾ら魅力的ではあっても戦闘中に……しかも自分に向かって拳を叩き込まんとしている相手に見惚れる訳にもいかない。
水で作り出した盾を前面に展開し、ヴィヘラの拳を防ぎ魔剣を突き出す。
背後では、二人が離れたら再び攻撃をしようと水竜が機を窺っていた。
そんな状態の中で繰り出されたヴィヘラの攻撃は、水の盾にぶつかった瞬間に魔力で出来た爪で水の盾を斬り裂き、あっさりと水の盾を破壊する。
そこまではディグマの予想通りであり、だからこそ予定通りに魔剣を突き出した。
だがディグマの手に伝わってきた感触は、肉を斬り裂く感触ではなく金属質な感触。
同時に甲高い金属音が鳴り響き、魔剣が撥ね上げられたことに気が付く。
何が起きた? 頭の片隅でそんな疑問を抱いたが、それを考えるよりも早く身体は次の行動に移っている。
魔剣を撥ね上げられた動きに抵抗することなく、身体もその動きに合わせるようにして捻る。
そうすることによって勢いを殺し、次の動きに繋げる為の動きへと繋がりやすくするのだ。
空中で回転する中、魔剣へと視線を向けるディグマだが、幸い魔剣は特に折れたり欠けたりということはしていなかった。
『水の精霊よ!』
回転する勢いを付けて放たれた突きは、突然周囲から吹き上がった水を目隠しにしてヴィヘラへと向かう。
水のブラインドの向こうから突然現れた鋭い魔剣の切っ先を、ヴィヘラは屈んで回避し、足甲から伸びた刃で回転蹴りを繰り出して相手の足を薙ぐ。
「ぐっ!」
魔剣を突き出したタイミングで放たれたヴィヘラのカウンター攻撃は、ディグマの足甲を斬り裂き、その下にある脛を幾らか斬り裂く。
苦痛の悲鳴を上げつつ、後方へと跳躍するディグマ。
ヴィヘラと距離を取ると、再び口を開く。
『水の精霊よ、癒やせ』
その言葉通り、周囲に浮かんでいた水がディグマの傷ついた足を包み込む。
傷自体は殆ど深くはなく、あくまでも浅い斬り傷だった為だろう。十数秒でその傷は消え去っていた。
「……回復魔法も使えるなんて、厄介ね」
濡れた髪を掻き上げ、微かに眉を顰めるヴィヘラ。
本来であれば、十数秒もあれば次の攻撃を仕掛けることが出来た。
だが……と、後ろへと視線を向けると、そこではヴィヘラが何かをしようものならすぐにでも水を吐き出す準備を整えている水竜の姿があった。
ヴィヘラが攻撃しようと思えば、間違いなく水竜は動いていただろう。
「そうかな。寧ろ、私としては君の方こそ厄介と感じるんだがな。魔剣を防いだ手腕もそうだが、視界が遮られるや否や、即座に対応をしてみせた。普通なら一瞬……場合によっては数秒は唖然とする筈なのだが」
呟き、魔剣を素早く振るうと、空気を斬り裂くような音を周囲に響かせる。
その動きだけでも、ディグマの技量がどれ程のものかを考えるには十分だった。
「そう? これでもそれなりに修羅場を潜ってきてるから……ねっ!」
最後まで話すや否や、地を蹴って前へと進む。
一瞬遅れて背後の水竜が水を吐き出すが、その攻撃が命中した時には既にそこにヴィヘラの姿はなく、ディグマのすぐ目の前まで到達していた。
「ひゅっ!」
鋭い呼吸と共に振るわれる左手。
手甲から伸びている爪が、ディグマの胸元へと迫る。
鋭い切っ先だけに、ディグマの装備しているレザーアーマーでも恐らく容易く貫かれるだろう。
そう判断すると、ディグマとしても迂闊に攻撃を食らうわけにはいかず、後方へと跳躍して攻撃を回避する。
だが……それこそがヴィヘラの狙いでもあった。
ディグマが後方へと跳躍したのに合わせるように、振るった左手を手元に戻しながら前へと進み出るヴィヘラ。
その動きをしながら、右手を……爪の類を出している訳ではない、掌を前へと突き出し、ディグマのレザーアーマーへと触れる。
ゾクリ、と。その動きに致命的な何かを感じたのだろう。ディグマは魔剣の切っ先を突き出そうとし……ヴィヘラの左手の手甲から伸びている爪によってその動きを止められる。
そうして、ディグマが左手をヴィヘラへと伸ばそうとした時……
「はっ!」
短い声と共に、掌から放たれた魔力がディグマの体内へと浸透。その体内で破壊の力を発揮する。
もっとも、ヴィヘラにしても浸魔掌を使ってディグマを殺すつもりはない。
もし殺す気があれば、今頃ディグマの身体は内部から破裂していただろう。
だが、ディグマは異名持ちのランクA冒険者であり、性格も善良と言ってもいい。
そんな相手をこのような内乱で殺すのは、明らかにベスティア帝国にとって不利益でしかないのだから。
特に一流と呼ばれているランクB以上の冒険者は稀少であり、その中でも異名持ちともなればその辺にいる貴族よりも余程ベスティア帝国に貢献している。
自らの弟でもあるメルクリオがこの内乱を勝ち抜いた時、有益な人材になるのは間違いない。
既にベスティア帝国を出奔しているヴィヘラだったが、それでもここが自分の生まれ故郷であるのは変わらず、弟の為になる人物を殺すような真似は出来なかった。
気を失って地面に倒れているディグマへと視線を向けていたヴィヘラは、不意に後ろへと視線を向ける。
そこには、水竜が今にも飛び掛かってきそうな勢いで待ち構えていた。
普通の魔法で水竜のようなものを作ったとしても、それはあくまでも魔法使いが動かしているものだ。
つまり、魔法使いが意識を失えばその魔法使いが作ったものも消え失せる。
だがこの水竜はただの魔法ではなく、水の精霊魔法によって生み出された存在。
つまり、独自の意識を持っていた。
だからこそ、術者であるディグマが意識を失っていても消えることなく、寧ろそれを守る為に、気絶したディグマの側にいるヴィヘラを警戒していた。
「安心しなさい。別に彼を殺したりはしないから」
「GYAAAA」
短く鳴き声を上げる水竜。
ヴィヘラの言葉が本当なのかどうかを疑っているのだろう。
だがヴィヘラはそんな水竜の様子を特に気にした様子もなく、地面に倒れているディグマを抱え上げる。
「ただ、このままここに置いてはおけないし、意識が戻ってからまた討伐軍の味方をされたら困るから、こちらで一時的に預かるけどね」
そう告げ、陣地の方へと去って行くヴィヘラ。
そんなヴィヘラの言葉を信じたのか、水竜は結局その場でただの水へと姿を変えて地面へと零れ落ちるのだった。
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