第792話

「……こんなのでレイの相手を出来る、と? 本気でそんなことを考えたのか?」


 吐き捨てるように呟くノイズの足下には、意識を失って倒れているロドスの姿。

 本来であれば非常に高い肉体の再生能力を持っているロドスが気絶するというのは有り得ないのだが、その有り得ないことを平然とやってのけるだけの実力がノイズにはあった。

 明日の戦いに備え、既に戦場となる場所の近くでの野営。

 戦場の反対側の場所には既にメルクリオ軍が同じように野営を行っているのも偵察によって判明していた。

 中には夜襲を仕掛けて一気に勝負を付けようと提案する者もいないではなかったのだが、その意見は当然のように却下された。

 この戦いは、ベスティア帝国中が……そして、周辺諸国までもが見守っている戦いだ。

 特にベスティア帝国にしてみれば、海に続く道を塞ぎ続けてきたミレアーナ王国は間違いなく注目しており、手の者も多くが忍び込んでいるのは間違いない。

 そんな中で夜襲を仕掛けるような真似をして勝利を得ればどうなるか……

 勿論これが権力闘争に近い一面を持っている内乱である以上、勝利しなければ話にはならない。

 だが、権力闘争に近い一面を持っているからこそ、その勝利の仕方が大事なのも事実。

 特に夜襲を仕掛けるような真似をして勝利した場合、民衆にしてみれば卑怯な手段で勝ったという風に言われかねない。

 勿論民衆が何を言ったとしても、決定的な傷とはならないだろう。

 しかしそれは、逆に考えれば決定的な傷にはならない程度の傷にはなるということでもあった。

 特にメルクリオ軍には民衆に人気のあるヴィヘラやフリツィオーネといった面々がいる。

 それだけに、万民が納得するような勝ち方をする必要があった。

 そうなれば、当然問題になってくるのは向こうの最大戦力でもあるレイであり、そのレイに対抗する為に用意された戦力でもあるノイズが、自分よりも前にレイに対抗する為の戦力として用意されたという存在に興味を持っても不思議はない。

 どうせならということで、ノイズはレイに対する戦力として用意されたロドスと立ち合ってみたのだが……その結果が、今この場にいる者達の目の前に広がっている事態だった。


「それはしょうがないだろう。元々ロドスがこちらの予想通りに深紅に対抗出来ないと思ったからこそ、君を呼ぶ羽目になったのだから。彼がこちらの予想通りに深紅に対抗出来る戦力となっていたのなら、君を呼ぶ事態にはなっていなかったよ。そもそも、相手にはヴィヘラや白薔薇騎士団、魔獣兵といった者達もいる。その者達を相手にする為の戦力として高ランク冒険者を雇うのにも色々と手間取っていたしね」


 カバジードが穏やかな笑みを浮かべつつ告げる。

 仮にも自分の部下が何も出来ずに倒されたというのに、その表情には全く乱れた様子はなく、いつもと変わらぬ笑みが浮かんでいた。

 また、冒険者の多くは闘技大会に参加しており、レイの実力を直接その目で見て、あるいは戦ってその身で味わっている。

 そして、レイがメルクリオ軍に所属しているというのは既に広く知られている情報であり、当然冒険者で間違いなくレイと敵対する討伐軍に雇われようとする者は非常に少ない。

 ノイズの名前を出せればもう少し集まったかもしれないが、それはレイに対する切り札として用意した以上、出来るだけその情報を隠す必要もあった。


「それに彼が装備しているマジックアイテムは、あくまでも深紅の得意とする広域殲滅魔法を防ぐ為のものなんだよ。幾ら君でも、あの深紅の魔法を受けて無事に……いや、悪いね。今のは言葉の綾だ。出来ればその武器を引いてくれないかな?」


 喋っている途中、本当にいつ抜かれたのかも分からない魔剣を見て、そう告げるカバジード。

 周辺にカバジードの護衛として存在していた騎士達は、自分達から見てもいつ抜かれたのか全く分からず、気が付いたら自分達の主君に武器を突きつけられていた光景に、思わず息を呑む。

 それでも護衛としてここにいるだけあって、咄嗟にノイズを押さえるべく武器に手を伸ばすが……


「心配はいらないから、大人しくしているように」


 カバジードの声に、動きを止めざるを得ない。

 自分達の主君にそう言われてしまえば、その命令を聞かない訳にはいかずに武器から手を離す。

 そんなやり取りは関係ないと、何があってもどうとでもなると言いたげな態度のまま、ノイズは口を開く。


「確かにレイの魔法は脅威だろう。それはこの内乱が起こってからの戦闘報告を見れば分かる。だが、魔法を使う為には当然呪文を唱えなければならない。そして呪文を唱えるためにはそちらに集中する必要がある。……まぁ、レイなら呪文を唱えながら戦闘するのも難しくはないだろうが、それでも動きが鈍るのは確実だ。……後は言わなくても分かるな?」


 ただでさえ自分の方が格上である以上、動きの鈍ったレイであれば対処するのは難しい話ではない。

 暗にそう告げるノイズに、その場にいた者達は黙って納得するしか出来ない。

 その言葉が事実であると……ベスティア帝国の者であれば、誰でも知っているのだから。


「ですが、深紅はグリフォンを従えています。今までも度々グリフォンに乗った深紅は戦場を縦横無尽に駆け回り、突出した機動力を見せています。そのように地上からでは攻撃の届かない上空で呪文の詠唱をされた場合はどうするのですか?」


 貴族の一人が、そう問い掛ける。

 確かに遠距離を攻撃する手段は幾つもある。

 だがそれは、上空百mの位置にいる者に対しても有効かと聞かれれば、その答えは限りなく否というしかない。

 しかし、ノイズはその問い掛けに無言のまま、近くに落ちていた石を手に取り……次の瞬間、上空へと向かって投擲する。

 ヒュッ、という空気を斬り裂く音が周囲に響き、その石がどれだけの速度を出しているかを教えていた。


「さて、見て貰って分かると思うが。幾らグリフォンであっても、俺の投げる石を完全に回避するのは無理だと思わないか?」


 本来なら、そんなことはないと口にしたい者もいたのだろう。

 だが、今の投石をその目にしてしまった以上、それを言える筈もない。

 今の投石は、それだけの威力を持っているというのが見ただけで理解出来たのだから。


「石は幾らでも地面に落ちている。向こうが空から魔法を使うと言うのなら、こっちにも対抗手段はある」

「はっはっは! 確かにノイズの言う通りだな」


 豪快に笑い声を上げたのは、この場にいる人物の中でもカバジードに並ぶだけの地位を持っているシュルス。

 そんなシュルスの笑い声に、周囲にいた貴族達は思わず視線を向ける。


「心配するな。このノイズはベスティア帝国の英雄だぞ。空を飛んでいる相手をどうにか出来ないのなら、ランクSなんて存在にはなりようがないさ。そうだろ?」

「ほう、兄よりは戦う者のことは分かっているようだな」

「当然だ。確かにカバジード兄上は全ての面で高い能力を持っている、けど、こと軍事という面では俺の方が上だと自負しているんでな」


 自信に満ちた笑みを浮かべるシュルス。

 実際、シュルスは軍事という面ではカバジードを上回っている。

 それは、ベスティア帝国軍にシュルスが強い影響力を持っていることでも明らかだろう。

 カバジードも確かに傑物なのは間違いない。だが、それでもベスティア帝国軍はシュルスを選んだのだ。


「ふふっ、そうか。お前のような者もいるのだな。これは先の楽しみが出来た」


 ノイズの口から出た言葉に、この場にいる貴族達の一部が思わず顔を歪める。

 それは第1皇子派の貴族に所属している者達の一部だ。

 それも当然だろう。そもそも、ノイズをこの戦場へと引っ張り出してきたのはカバジードなのだ。

 だというのに、ノイズの興味がカバジードではなくシュルスに向いているのだから。

 もしもノイズが第2皇子派に所属……とまではいかなくても、協力することになれば……そう思えば顔を歪めてしまうのもしょうがない。

 もっとも、それをすぐに表情に出しているのは、若い者達が多い。

 この場にいる中でもそれなり以上の経験を持つ貴族は、寧ろ頼もしげに笑みを浮かべて口を開く。


「そうですな、確かにシュルス殿下は軍事という面で考えるとカバジード殿下より上かもしれませぬ。じゃが、国家を運営する上では軍事力よりも大事なものがあるのも事実」

「然り、然り。確かに軍事は皇帝の資質を計る上で重要かもしれんが、最悪戦の才のある者を重用すればいいだけですしな。しかし、それ以外……政に関しては皇帝自身の力量が必要になる」

「ですが、ベスティア帝国の皇族は武門の血筋。確かに普段は武力を必要とはされないかもしれませんが、いざという時に民が望むのは強さを持つ人物であるのも事実」

「お主、それはカバジード殿下に武力がないと言うのか?」

「さて、私はそんなことは毛頭思っておりませんが……もしかして、貴公はそのように思っているのですかな?」

「貴様っ!」


 貴族達が、それぞれに自分の主こそが次期皇帝に相応しいと言い立てる。

 ここに討伐軍としてメルクリオ軍を討つべく共に行動をしているのだが、明日の戦いが最後であり、その戦いが終わって自分達が勝利した後は、次期皇帝の座はカバジードとシュルスのどちらかになるだろう。

 その為に相手を牽制し、更にはノイズという人物をどうにか自分達に組み入れたい。

 そう思っての言い争いだった。

 本来は気が早いと言わざるを得ないのだが、ノイズという戦力が討伐軍側についた時点で、討伐軍側としては自分達の勝利を疑っている者はいない。

 そして、ノイズという存在がこうして現れたからこそ、こうした言い争いが起こったというのも事実。

 第2皇子派としては、ノイズという人物をカバジードが引き出してきたことにより、どちらかと言えばノイズは第1皇子派に近い存在だと思っていた。

 逆に第1皇子派は、カバジードが自らの父親であるトラジスト皇帝に要請して、皇子としての評価が大きく下がることを承知の上でノイズを借り受けることを許可して貰っている。

 つまり、ノイズをこのまま第2皇子派に持って行かれるのは、絶対に許容出来ることではなかった。

 お互いに相手の非難をしあっているその状況は、客観的に見ても見苦しいとしか表現出来ないものであり……


「黙れ」


 一言。

 ノイズの口から出た、たった一言がその場で言い争っていた者達に沈黙をもたらす。

 ノイズから向けられた、圧倒的な圧力。

 すぐにでも跪きそうになる程の、精神的な重圧。


「俺がここに来たのは、お前達の下らないやり取りを見る為じゃない。これ以上俺の前でうるさく囀るのなら、その喉を引き裂くぞ?」

「それは困るな」


 小さく、それでいて確実に周囲に響いたその声は、カバジードの口から出たものだった。

 シュルスですら思わず言葉を出せなくなる程の圧力がノイズから醸し出されているのに、カバジードは特に表情を変えないまま言葉を発する。

 その姿に、ノイズは興味深そうに眉をピクリと動かす。

 口元にも多少ではあるが笑みが浮かんでいた。


「この中で普通に口が利けるとは……なかなかに面白い。さすがに皇族と言うべきか。……弟の方はそうでもないようだが」


 チラリ、とシュルスの方へと視線を向けながら告げるノイズだったが、ここで黙り込んだままであれば、カバジードとの間に決定的な差を付けられる。

 そう判断し、身体の中にある気力を総動員しながら口を開く。


「俺が……どうかしたと?」

「……ほう」


 こちらもまた、感心したように呟く。

 動けるのはその二人だけであり、ブラッタやペルフィールのように第1皇子派の中でも腕利きと言われている者、あるいはシュルスの副官でもあるアマーレや、かつて帝国軍に所属していた第2皇子派の者達にしても言葉を発することは出来ない。

 先程言い争いをしていた者達にいたっては、言うに及ばずだろう。


(トラジストの息子も、中々の粒が揃ってるな。ヴィヘラとかいう娘もかなり使えるという話だし……中々にベスティア帝国の将来も面白くなりそうだ)


 ノイズは内心で満足そうに呟き、年の離れた自らの親友でもあるトラジストを羨ましく思う。

 既にノイズも己の子供がいてもおかしくない年齢だ。

 だが戦いに明け暮れてきたノイズには、当然血を分けたような自分の息子というのは存在しない。

 いや、それどころか家族ですら小さい頃に村を盗賊に襲われて全て死んでしまっている。

 つまり、現在ノイズと同じ血を持つ一族というのは他に存在しないのだ。

 あるいは、ノイズが知らないだけでどこかに血縁がいるのかもしれないが、少なくてもノイズはそれを自分から探す気はなかった。

 それよりも力を求め、強さを求め、より強い相手との戦闘を、よりスリルを……と、邁進してきたのだから。

 そんな生活を続けるうちに、いつの間にか自分の村を襲った盗賊達を自らの手で殲滅したりもしたが、所詮はそれだけだ。

 生涯を通して何か求めるものがある訳でもないノイズは、ただ強い相手との戦いのスリルを求めていた。

 そんな生活の中でランクSに昇り詰め、名誉も金も、他に必要ない程のものを得た。

 また、皇帝と友人になるという奇想天外な立場にもなった。

 そんな風に考え……ふと、気が付く。


(俺の覇王の鎧を受け継いだ、レイ。あいつこそが、もしかしたら俺の息子という役回りなのかもしれないな)


 自分が勝手に思っているだけではあるが……それでも、そんな相手との戦いを明日に控え、ノイズは口元の笑みを隠すことは出来ない。

 こうして、決戦前日が過ぎていき……やがて決戦の日を迎える。

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