第793話

 東の空から太陽が姿を現した頃……既に戦場となる場所にはメルクリオ軍と討伐軍がそれぞれ向かい合っていた。

 戦場となるこの場所は、ブリッサ平原と呼ばれている場所だった。春から夏に掛けては青々とした草が生え、緑の絨毯の如き光景を目にすることが出来るのだが、秋も深まった今はその青々とした草原は見る影もなく枯れている。

 灰色や白、茶色といった風に枯れた草があり、その下には茶色の地面が姿を現していた。

 そんなブリッサ平原で、一万人を超える兵力を有するメルクリオ軍と四万人近い兵力を持つ討伐軍は向き合っている。

 本来であれば、このブリッサ平原はメルクリオとしても戦場として選びたい場所ではなかった。

 幾らレイという個人で巨大な戦力を持つ者がいるとしても、所詮は一人でしかない。

 軍勢と軍勢がぶつかり合う以上、兵力の多寡が戦いの結末に影響してくるのは当然。

 そしてこの平原という場所は所々に沼や林があり、時には岩で出来た迷路のような場所もあるが、全体的に見ればやはり何もない場所の方が多くなっている。

 つまり、正面から相手と戦うことになれば数の差が戦闘の結果に大きな影響を与えかねない場所だった。

 それでもメルクリオがここを戦場として選んだのは、ここが最善の場所だったからだろう。

 勿論他にメルクリオ軍が戦える場所は幾らでもある。

 戦場の選択を任されたメルクリオだったが、フレデリックにしても全てをメルクリオに委ねるようではカバジードに交渉の使者として選ばれるようなことはなかっただろう。

 そんなメルクリオとフレデリックの交渉の結果、戦場となる場所はメルクリオが選んでもいいが、その場所は特定の範囲内でということになった。

 その範囲が、メルクリオ軍の陣地から二日以内に到着出来る場所で、尚且つある程度の数の兵士を自由に動かせるだけの広さを持つ場所。

 これは当然だろう。討伐軍にしてみれば、山の崖……それこそ数人程度しか戦闘が出来ないような場所を戦場に選ばれてしまえば、白薔薇騎士団や魔獣兵、遊撃隊のように、質の高い兵士が揃っているメルクリオ軍が圧倒的に有利になってしまうのだから。

 勿論それは討伐軍の兵士の質だけが劣っているということではない。

 だがそれでも、折角相手を圧倒するだけの数を揃えたのだから、自分達に有利な戦闘方法を使えない場所というのは論外でしかなかった。

 そんな中で、メルクリオ軍の幹部が頭を悩ませ、選んだ戦場がこのブリッサ平原。

 ある程度障害となるような地形もあり、数を動かせるだけの広さも持つ。

 ブリッサ平原の場所もメルクリオ軍、討伐軍の両方からそれ程遠い訳でもなく、戦場が決まった時点でメルクリオは討伐軍が罠を仕掛けるような行為をしないように先遣隊という形で兵士を送っておいた。

 勿論相手の罠を警戒するという意味では、討伐軍も同様だ。

 ……いや、寧ろ罠に関しては討伐軍側の方が厳しい目で見ていただろう。

 戦場を選んだのがメルクリオ軍であり、更にメルクリオ軍には錬金術で作り出されたマジックアイテムや魔獣兵といった代物を戦争で大々的に利用したテオレームがいる。

 更にはアイテムボックス持ちのレイがいるのだから、罠を仕掛けるのにこれ以上適した人材もいないだろうと。

 結果的には戦場を決めたメルクリオ軍の先発隊が最初にブリッサ平原へと到着し、数時間遅れて討伐軍の先発隊も到着する。

 こうして顔を合わせた両軍だったが、特に小競り合いが起きるでもなく、両軍とも相手を警戒しているだけで時は流れて、朝を迎えた。

 そして、いよいよ決戦の時がこうしてやって来たのだが……


「レイ殿、準備はよろしいか?」

「ああ、問題ない。戦闘が始まったら上空から敵に突っ込んで行って、上空から敵後陣に向けて炎を撃ちまくる。まぁ、向こうもそれに対抗する手段はあるだろうけど……それでも、あの炎を吸収するマジックアイテムがそう多くあるとも思えないし。何より、あれで防げるのは炎だけだ。いざとなれば直接敵後陣に下りて覇王の鎧で暴れてみせるさ」


 ウィデーレの言葉に、レイは横に立つセトを撫でながら告げる

 ある意味順当なのだが、戦闘が始まった時、最初の攻撃手段がレイの口にした上空からの絨毯爆撃とでも呼ぶ方法だった。

 これが上手くいけば……いや、いかせなければ、4倍近い戦力差と真っ向から戦うことになってしまう。

 メルクリオ軍がこの戦いで勝利を得る為には、絶対に必要な先制攻撃だった。

 そして、相手に大量の被害を与えつつ士気をへし折る。

 絨毯爆撃の際に炎を封じられた場合は、投下するのを炎から槍や岩へと変えるという方法もあるし、言葉にしたように覇王の鎧を使った直接攻撃という方法もある。

 それだけで、討伐軍が受ける被害と混乱はより大きなものになるだろうというのがレイの読みだった。

 また、同時にその攻撃で敵の指揮官を倒すことが出来れば尚良しといったところか。


(まぁ、指揮官以外にもロドスに被害を与える可能性も出てくるが……確か回復用のマジックアイテムを持っていた筈だしな。それが終わったら、背後から覇王の鎧を纏って敵に突撃、か。……正直、ここまですれば数時間も掛からずに勝負が決まりそうな気がする。いや。メルクリオ達にしてみれば、それが望みなんだろうけど)


 これが内戦である以上、戦いを長引かせればそれだけベスティア帝国の国力が消耗することになる。

 メルクリオ軍と討伐軍。どちらが勝つにしても、自国の国力が消耗するのは嬉しくないだろう。

 特にかつて征服された国々や、常にベスティア帝国の脅威を感じている周辺諸国が動いているという話を、エレーナから対のオーブで聞いていた。


「レイ殿がそう言うのであれば、まず安心ですね」


 これまで幾度となくレイの戦いを見てきたウィデーレだけに、レイの持つ戦闘力には大きな信頼を寄せている。

 ……もっとも、同時にそれだけの力を持っているレイを羨ましく思ってもいるのだが。

 並んで、いつでも進軍を開始出来る隊形を取っているメルクリオ軍の先頭で言葉を交わすレイとウィデーレ。

 メルクリオ軍の者達は既に慣れた光景だけに、寧ろセトの姿を見てやる気を出したり、レイの姿を見てこの戦いは絶対に勝てると自らに言い聞かせている者も多い。

 そんな様子は、当然討伐軍側からでも分かるのだろう。

 自分達の方が向こうよりも四倍近い戦力を持っているのに、何故向こうが絶望に囚われていないのかと疑問に思う……者は、それ程多くない。

 いない訳ではないが、その殆どはメルクリオ軍との……延いてはレイとの戦いを経験したことのない、カバジードやシュルスが補充の兵として連れてきた者達だ。

 それ以外のメルクリオ軍との戦いを経験した者は、軍勢の前列にグリフォンがいるのを見て、どうしても恐怖心を抱く。

 陣地での戦いが終わってから数日が経過してはいるが、それでもレイに対する恐怖心はまだ心の奥底に刻み込まれている。

 あのグリフォンを従魔として従えているのは誰か。

 それが分かっているからこそ、何も知らない兵士達のように気楽には考えられない。

 そのような状態であっても逃げ出さないのは、やはり自分達にも奥の手が……ランクS冒険者、不動のノイズがついていると知らされているからこそだろう。

 昨夜、この戦いが起きると決定した時に公表された情報。

 当然この討伐軍の中にもメルクリオ軍の手の者は幾らか潜入している。

 だが、その情報はカバジードやシュルスの直属部隊の手で完全に遮断されていた。

 それ故に、討伐軍はメルクリオ軍にレイがいるということを知ってはいても、メルクリオ軍は討伐軍にノイズがいるということを全く知らないままに最後の戦いへと挑もうとしている。

 相手の知らない戦力を持っている。それこそが、改めてレイの姿を見ても逃げ出さずにこの場に討伐軍の兵士が立っている理由だった。


「お、始まるか?」


 そんなことを知らないレイは、呑気にメルクリオ軍の中から前へと進み出た人物を見て呟く。

 向こう側が透けて見える程の、薄い布を使った服装。

 朝ともなれば、寒いと表現してもおかしくないこの季節だ。見ている方としても欲情よりも寒気の方が先に来るだろう服装。

 もっとも、そんな服装である以上当然その手の対策はされており、ドラゴンローブ程ではないにしろ装着者を外気から守る能力は秘められているのだが。


「あれは……ヴィヘラ殿下じゃないか!?」

「うそ……本当にヴィヘラ殿下だわ。向こうに付いているという噂は……」

「相手にとって不足なしって奴だな。ヴィヘラ殿下程の人物であれば、俺の力も当然万全に発揮出来る筈だ」

「ヴィヘラ殿下を生け捕りにすれば、報酬は思いのままだ。……もしかしたら、ヴィヘラ殿下を自分のものに出来るかも……」


 討伐軍側の兵士がそれぞれヴィヘラの登場に驚いている中、その討伐軍側からも一人の人物が前に出る。

 カバジードの信頼厚い女騎士のペルフィール。

 お互いが自らの力に自信のある、女傑とでも呼ぶべき二人の女が、丁度メルクリオ軍と討伐軍の中間地点で向き合う。


「こうしてお会いするのは久しぶりですね、ヴィヘラ殿下」


 真面目な表情を浮かべつつ、さすがに皇族を相手にしていつもの口調では話せないのか、改まった口調で告げるペルフィール。

 そんなペルフィールの姿に、どんな相手にでも同じ態度を崩さないレイのおかしさに思いを馳せるヴィヘラ。


(まぁ、姉上に対する口調が敬語じゃなかったのは、私の姉だったからこそ……なのかしら?)


 ふと脳裏を過ぎった考えだったが、すぐにその考えを消し去ってペルフィールへと言葉を返す。




「そうね。ペルフィールと最後に会ったのは……確か、私がこの国を出奔する前に行われたパーティだったかしら?」

「ええ、確かそうだったかと。……それにしても、出奔したという割りにはベスティア帝国に戻ってきて、更には反乱軍……いえ、今はメルクリオ軍でしたか? そちらに手を貸すとは……本音を言わせて貰えば、勘弁して下さいといったところです」

「そう? 大事な弟の命が危なかったんだから、それを助けに来るのは当然だと思わない?」

「ですが、おかげでベスティア帝国には内乱という、国力を消耗するだけの無駄な行為をすることになりましたが?」

「そうね。それもカバジード兄上達がメルクリオを軟禁しなければこういうことはおきなかったんでしょうけどね」


 お互いが馬に乗ったまま言葉を交わす。

 その言葉は意図的に大きくしているのだろう。両軍共に魔法を使って全員へと聞かせていた。

 これは戦いの前哨戦。

 相手の非を責め立て、自分達の方にこそ正義があると知らしめ、自軍の士気を向上させ、相手の士気を下げるという狙いを持った舌戦。

 それでもカバジードやシュルス、メルクリオと言ったそれぞれの軍の代表が出てこないのは、やはりいざという時の危険がある為だろう。

 ここで相手を殺してしまえば、全ては力尽くでどうにかなる。

 両軍合わせて五万人以上の者が集まっているこの場では、必ずそんな風に考える者が出てくるのだから。

 それが、忠誠心を暴走させたものか、あるいは手柄の独り占めを狙って先走った者か。

 どのような理由があっても、そのような真似をする者がいるかもしれない以上、防御の為のマジックアイテムがあろうとも軽々しい真似は出来ない。

 だからこそ、カバジードの信頼が厚いといっても部下でしかないペルフィールに、既に出奔していると常々口にしているヴィヘラがこの舌戦を行う人物として選ばれた。


「そもそも、メルクリオ殿下が拘束された最大の理由は春の戦争での敗戦ではありませんか。あの戦いで勝っていれば問題はなかったのです。だというのに、あの戦いで負けたばかりか、その負けた原因を自らの内に取り込むというのはさすがにどうかと思いますが? もしかして、最初からこの展開を狙っていたのですか?」


 今のような状況にする為、意図的に戦争で負けたのではないか。

 その言葉に、二人の話を聞いていた者達が敵味方問わずに大きくざわめく。

 もっとも、そのざわめきはメルクリオ軍と討伐軍で大きく違う。

 メルクリオ軍側は、ヴィヘラを侮辱するなという怒りのざわめき。

 それに対して、討伐軍側は本当なのかという疑いのざわめき。

 それでも一気にヴィヘラに対する罵倒の類を口に出さなかったのは、ヴィヘラのベスティア帝国内での人気を現しているのだろう。

 

「ふふっ、そんな真似出来る筈がないじゃない? 私が状況をそこまで操れるのであれば、こんな状況になる前にこっちの勝利に持って行っているわよ?」


 確かに、とヴィヘラの言葉を聞いていた者達は納得する。

 ここまで大規模の状況を操れるというのであれば、わざわざ戦いをする必要もないだろうと。


「そうですか? ヴィヘラ殿下は元々戦いを好む御方。そうである以上、より強い相手との戦いを求めて……とは考えられませんか?」

「あのね、もし戦いを求めるとしても、わざわざ柵の多いベスティア帝国でやろうとは思わないわよ。もしやるのなら、もっと私の見知らぬ強敵のいる国でこそ、でしょうね。……もっとも、私にそんな策略が出来るかどうかは、カバジード兄上やシュルス兄上の方が知ってると思うけど」


 チラリ、と討伐軍の方へと視線を向けるヴィヘラ。

 その視線の先には、カバジードとシュルスの姿は見えない。

 当然だろう。皇族が最前線で戦うという方が間違っているのだから。

 結局舌戦はここで終わり、お互いに決着が付かず引き分けという形になり……そして、いよいよこの内乱最後の戦いが始まろうとしていた。

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