第791話
「はあああああああっ!」
自らを鼓舞するような声を上げ、その男は手に持った模擬戦用の長剣を振り下ろす。
その速度は一般の兵士と比べると圧倒的に速く、その人物が相応の使い手であることを意味していた。
だがそれに対する相手は、自らに振り下ろされた長剣の軌道を見切ったかのように手にした武器をそっと差し出す。
すると、振り下ろされた長剣はまるで予定調和であるかのように、接触した場所から受け流されて攻撃を逸らされ、次の瞬間には自分の目の前に鋭い刃があるのに気が付く。
「それまで!」
周囲に響いた声に、長剣を持った男はふっと安堵の息を吐く。
それでいながら、相手を見る目には悔しげな光が浮かぶ。
お互いに実力差があるというのは知っているし、それは実績も示している。
それでも男としては、やはり相手に一矢報いたいとは思ってしまう。
相手が自分より年下ではあっても、その強さは明らかに上だ。尊敬……いや、崇拝に近い思いすらも抱く。
そんな相手だからこそ、自分の力を認めて貰いたかった。
「長剣の振り下ろしに関してはさすがと言ってもいいな。足運びも重心の移動も問題はない。ただ、出来ればもう少し踏み込みを鋭くした方がいい。一歩……いや、半歩程をそんな風に意識してみるといい」
目の前に突きつけられていた刃が離れてそう告げられる。
「ありがとうございます、レイ隊長!」
遊撃隊の兵士の言葉にレイは軽く頷き、手に持っていたデスサイズを肩に担ぐ。
ワイバーンの解体を済ませ、素材を鍛冶師へと渡した後、ワイバーンのレザーアーマーを誰が使うか決める為の模擬戦が行われ、それが終わった後はワイバーンの肉を使っての焼き肉パーティとなった。
勿論ワイバーン五匹分の肉だ。遊撃隊だけでは食べきれる筈もなく、周囲にいる者達も巻き込んでの大宴会となったのは当然だろう。
それでも、殆どの者が翌日に酔いを残さなかった辺り、決戦が近いという自覚があるのか。
ともあれ、ワイバーンの件が済んだ翌日、レイは遊撃隊の者達と模擬戦を行っていた。
もっとも、決戦が近い以上は本格的な模擬戦が出来る訳でもない。
ただでさえ明日には戦場となる地へと向かって進軍し、そこで一晩を明かして翌日には決戦が行われるのだ。
この模擬戦で怪我の類をさせる訳にもいかないし、相手に疲れを残すような真似も出来ない。
よって、先程レイがやったように本格的な模擬戦ではなく、軽めの模擬戦となっていた。
周囲で見学している者達にしてみれば、とても軽い訓練ではないという扱いだろうが。
レイが施す訓練は、基本的に厳しいものが殆どだ。
そんな中、遊撃隊のように精鋭を集めた部隊に行われる訓練なのだから、本人達にしてみれば軽い訓練と感じていても他の者にしてみれば厳しい訓練にしか見えない。
「どうした、俺が帝都に行ってる間も訓練を続けていたという割りには、殆ど強くなってないぞ。お前達の限界はここなのか?」
どこか挑発するような口調で告げるレイに、遊撃隊の兵士達は闘志を漲らせる。
(そうそう、その調子だ)
内心で満足げに頷くレイ。
……もっとも、表情は未だにどこか呆れた視線をしていたのだが。
そもそも、メルクリオ軍――当時は反乱軍――が討伐軍による陣地攻めを凌いだ最大の要因の一つなのだから、その時に潜った死地はかなりのものだ。
倒しても倒しても延々と攻め寄せてくる敵と戦い続けるという行為は、遊撃隊の兵士達を強制的に……それこそ否応なく成長させる。
三日の訓練より、一度の実戦。
その実戦が普通では体験出来ない程に濃密な戦いの時間であったのだから、遊撃隊の兵士達の技量が上がるのは当然だろう。
「行きます!」
次の兵士が叫び、模擬戦用の槍を手に、地を蹴って間合いを詰めてくる。
槍とデスサイズ。純粋な長さでは大体同じくらいではあるのだが、デスサイズは突きという攻撃手段を持たない。
いや、石突きで突くという攻撃方法はあるのだが、それでも純粋な槍と比べるとデスサイズには巨大な刃が付いている分、間合いに劣るのは当然だろう。
兵士にしてもそれを狙ったのか、連続して突きを繰り出す。
普通の兵士であればまず無理なだけの速度の連続突き。
だが、その全てをレイはデスサイズで弾いていく。
いや、弾くだけではない。少しずつ、間合いを詰めてすらいる。
兵士にしてみれば、一気に間合いを詰めるのではなくゆっくりと近づいてくるだけに、レイから感じる圧迫感は相当強いだろう。
レイもまた、相手が脅威に感じるような体捌きで近づいて行く。
「しまっ!?」
レイから感じる圧力に焦ったのだろう。兵士は突きを繰り出した後で手元に引き戻すタイミングを誤る。
普通の相手であれば、なんとでも誤魔化しが利いただろう。
だが今回の相手はレイであり、その一瞬の隙はレイに対してこれ以上ない程に絶好の隙を与えた。
次の瞬間には、デスサイズの刃がピタリと首へと突きつけられる。
レイが少し手を動かせば、首が斬り裂かれ、切断されるだろう位置に。
自分の中に生まれた想像に、兵士は思わず息を呑む。
しかし、次の瞬間には突きつけられた刃はあっさりと離れる。
「惜しかったな。今の連続突きはかなりいい攻撃だったけど、焦りから槍を引き戻すタイミングを誤った。ああいう連続攻撃は、非常に繊細だ。少し心が動揺しただけで、あっさりとバランスを崩す。もし仕掛けるのなら、絶対に自分の実力に疑いを持つな。少なくても、その攻撃を終えるまではな」
「は、はい! ありがとうございます!」
そんな具合に、遊撃隊の面々と模擬戦を重ねながらその日は過ぎていく。
尚、レイや遊撃隊の面々はどことなくゆっくりとした時間を過ごしていたが、メルクリオ軍としては陣を畳む準備や出撃の準備を進めており、非常に忙しく動いている者が多い。
いや、忙しいのはメルクリオ軍だけではない。
今までメルクリオ軍の陣地で商売をしていた者達にしても、店を畳む準備をしていた。
当然だろう。明日にはメルクリオ軍がこの陣を発ち、その後はこの内乱最後の戦いへと赴くのだから。
勝利すればそのまま帝都へと向かうだろうし、敗北すれば結局ここに戻ってくることはない。
つまり、それなりに長い間使われていたこの陣地も明日で完全に役目を終えるのだ。
……もっとも、口の悪い者は討伐軍との戦闘で負けて逃げ帰った時にはここに陣地があれば便利だと言う者もいるのだが。
この陣地を使う最後の夜ということで、片付けきれない酒や食べ物を使っての宴会騒ぎを行う者達もいる。
既に一つの街のような広さを持っていた陣地だけに、そこら中で騒ぐ声が響き渡っていた。
自分達の勝利を願うかのような宴の声を聞きながら、レイは二日後の戦いへと思いを馳せ、眠りに就く。
翌日、まるでメルクリオ軍の出立を祝うかのような秋晴れの空の下、高く作られた演説台でメルクリオが口を開く。
「これから私達は討伐軍との決戦へと向かう。だが、私に不安はない。何故なら、私はこの軍の力を信じているからだ! 事実、これまで私達は討伐軍との戦いに勝ち続けている。そうである以上、向こうが何を考えていようとも、負けるということは絶対にない! では、行こう! 私達の勝利と栄光をこの手に掴む為に!」
普段とはまるで違うメルクリオの口調で告げられたその言葉は、テオレームの配下である魔法使いによって一万人程のメルクリオ軍全員へと届けられた。
朝もまだ明けぬ暗いうちから出発の準備は進められており、この演説が出撃前に行われる最後の行事であり……
『うおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
メルクリオ軍全軍の雄叫びが周囲へと響き渡る。
自らの勝利を決して疑ってはいない雄叫び。
自分達がこれまで討伐軍に連戦連勝だったという自信。
そして何より、その勝利をもたらしてきたという人物が自分達にはついているという思い。
それら全てが混ざり合ったかのような、そんな雄叫び。
そんな自分の軍隊を一瞥し、手を横に振る。
一動作でしかなかったが、兵士達はすぐに沈黙する。
「メルクリオ軍、出立する!」
メルクリオの声が響き、再びの歓声。
兵士達が震え上がるような興奮を覚える中、メルクリオ軍は出立する。
もっとも、総兵数一万人を超えるだけの大兵力だ。
当然出立するにも順番があり、最後の部隊が出発するまでにはかなりの待ち時間が必要となる。
「勝てる、俺達は絶対に勝てるぞ!」
「ああ、ああ、ああ! 俺達は勝つ! メルクリオ殿下を次期皇帝にする為に!」
「俺が……俺達がメルクリオ殿下の為に!」
「今までは何だかんだとあの防衛戦以外は敵とまともに戦うことがなかったからな。腕が鳴るぜ」
「いや、あの防衛戦を戦っただけで十分過ぎると思うけどな」
「そうか? 俺はこの軍が反乱軍だった時、最初の討伐軍との戦いから参加してるけど……」
「羨ましいな、お前」
まだ出発出来ない部隊の者達がそれぞれに興奮のままに話し合う。
既に部隊の出発する順番は知らされている為、いつ出発すればいいのかと待ち時間に苛立つこともない。
「うおおおおっ! 駄目だ、さっきのメルクリオ殿下の言葉で血が煮え滾ってきた! 誰か、俺と模擬戦やろうぜ!」
そんな風に興奮のあまりに暴れ出しそうな者もいたのだが。
「世は全てこともなし……って奴か。いや、内乱をしている以上、とてもそんな風には言えないんだけどな」
「グルゥ」
メルクリオ軍の先行偵察部隊としてセトに乗って空を飛んでいたレイが呟き、セトが返事をする。
実際、今のレイは空を飛んでいるということもあって、かなり自由な気分を味わっていた。
秋も深まり、幾ら天気が良くても空気は冷たい。
その上、上空百m程の場所を飛んでいるのだから、普通であればすぐに寒さに震えて地上へと戻るだろう。
だがレイの場合はドラゴンローブの自動的に温度を調節してくれるという効果がある。
セトにいたってはグリフォンであり、この程度の寒さでは全く問題ない。
「にしても、討伐軍側がこの機会に何かを仕掛けてくるとか……あるのか?」
「グルルルルゥ?」
あそこまで自信満々に戦闘予定日と戦場を指定してきたのだから、レイとしてはそんな真似を討伐軍がするとは思わなかった。
だが同時に、カバジードであれば自分達が勝つ為ならどんな手段も使いそうだという思いがあるのも事実。
結局戦場はメルクリオが決めたのだから、問題はないと思いつつ……それでもやはり不安は残る。
「ってことで、結局は偵察に出るしかないんだよな。そして偵察に出るのなら、俺とセトがベストな訳で」
「グルルゥ」
レイの言葉に、当然と喉を鳴らすセト。
メルクリオ軍の中で最強の自分達だからこそ、偵察に相応しい。
そんな風に言っているように思えたレイは、セトの首を撫でてやる。
それが気持ちよかったのだろう。嬉しげに喉を鳴らすセトは、翼を羽ばたかせて前へと進む。
「って、セト。ちょっと行きすぎだ。ただでさえ一万人を超えるだけの兵力で動きが鈍いんだし、補給物資を積んだ輸送隊もいる。セトが本気を出せばすぐに離れすぎてしまうから、なるべくゆっくりとした速度で頼む」
「グルゥ……」
レイの言葉に、若干残念そうに喉を鳴らすセト。
フリツィオーネ軍と行動を共にしている時は、少数だったので軍勢の移動速度はそれ程遅いということはなかった。
だがメルクリオ軍の人数を考えると、とてもではないが素早く移動という訳にはいかない。
人数が多いだけに、どうしても移動に時間が掛かる。
その辺、自分達の身体があればいいだけの身軽なセトにしてみれば、不満なのだろう。
「ほら、そんなに不満そうにするなって。軍隊での移動は春の戦争でも経験しただろ?」
「グルルゥ」
レイの言葉に、未だに少し不満そうながらも納得の鳴き声を漏らすセト。
以前の行軍も確かに不自由はあったが、今回の場合は何度かメルクリオ軍として移動してきたこともあって、慣れのようなものが出来たのだろう。
実際、春の戦争と比べると随分長い間この内乱は続いている。
端的に言えば、飽きてきたというのが正しいのかもしれない。
「落ち着けって、この内乱はどうせ明日の戦いが最後の戦いになるんだ。……まぁ、向こうが無駄に抗うような真似をしなければ、だけどな」
レイの中では、既にこの戦いの勝利は決まったも同然だった。
ヴィヘラ、テオレーム、白薔薇騎士団、遊撃隊、魔獣兵。……そして、自分とセト。
これだけの戦力がいれば、間違いなく討伐軍には勝てるだろうと。
向こうも相応の戦力を用意してはいるのだろうが、自分達の戦力に敵うことはないだろうというのが、レイの予想だった。
……その予想は、これ以上ない程に正しい。
確かに以前までの戦力しか討伐軍になければ、レイが得意としている火災旋風や、何より覇王の鎧を利用しての戦闘で一掃出来ただろう。
だが、レイの唯一にして最大の誤算は一つ。
ランクS冒険者、不動のノイズがレイへの対抗手段として討伐軍に存在していたことだろう。
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