第788話
レイは至急マジックテントへと来るように伝令の兵士から聞き、セトに乗ってマジックテントへと向かっていた。
その際にも陣地内にいる者達からは畏敬の念を向けられ、あるいは商人や娼婦といった直接戦いに関わっていなかった者達はセトへと餌を与え、レイに食べ物を勧める。
それでも今はメルクリオに呼ばれているということもあって、いつものようにゆっくりと移動するのではなく軽く言葉を交わしつつもマジックテントへと急ぐ。
そうしてマジックテントの前へとやってくると、いつものように出入り口を守っている騎士が微妙に緊張しているのに気が付く。
「呼ばれたからやって来たんだけど……話は通っているか?」
「はい。レイ殿がやって来たら、すぐにお通しするように言われています」
護衛の騎士にしても、レイに対しては敬意を抱かざるを得ない。
レイがいなければ、この陣地は既に討伐軍に制圧されていたのだから、無理もないだろう。
この状況でもレイに対して敵意を持つということは……あるいはそれを隠しているのならともかく表に出したりすれば、メルクリオ軍の全ての者達からどのような目で見られるか分かったものではない。
だからこそ、レイに思うところがある者もまだいたとしても、決してそれを表に出すような真似はしなかった。
もっとも、この場にいる騎士にしてみればメルクリオに対して深い忠誠を誓っている。
そのメルクリオが率いるこのメルクリオ軍の危機をこれまで幾度となく救ってきたレイに対し、感謝の念を抱いても忌避感は欠片も持っていない。
だからこそ、無駄な問答もなくマジックテントの中へと通す。
セトはそんな相棒の後ろ姿を見送ると、いつものように少し離れた場所でゆっくりと横になる。
このところ続いている秋晴れの中に浮かぶ太陽は、そんなセトに対して夏の攻撃的な日光ではなく、包み込むような柔らかな日光を降り注ぐのだった。
秋も深まり風も冷たくなってきていたが、その太陽の光はメルクリオ軍の寒さを大いに和らげていた。
マジックテントの中に入ったレイだったが、その中の空気が妙なことになっているのに気が付く。
まるで信じられないとでも言いたげな、そんな空気。
それを疑問に思いつつ、レイは近くにいたウィデーレへと視線を向ける。
尚、ここでウィデーレが選ばれたのは、他の知り合いの面々がこの場の主要人物であり、同時にその主要人物の側近とも言うべき相手だったからだ。
それに比べると、ウィデーレは確かにフリツィオーネ直属の白薔薇騎士団に所属している人物だが、それでもアンジェラのように騎士団長という立場だったりする訳でもなく、第三部隊の隊長という立場でしかない。
他の者達に比べれば、この場ではまだしも話しやすい相手だった。
「この空気は何が起きたんだ?」
「ああ、レイ殿。遅かったな。……カバジード殿下から交渉の使者が来たというのは聞いているか?」
「それは伝令の兵士に聞いた。見たところ、あいつだろ? ……随員も含めて、妙に派手な格好をしてるけど」
「うむ。それで交渉の内容なのだが……」
ウィデーレがそこまで告げた時、今まで黙ってフレデリックを見ていたメルクリオが口を開く。
「あははは。また、随分と大仰な。交渉って言うから、カバジード兄上達が降伏する為の交渉かと思っていたら……まさか、こっちに降伏を勧めてくるとはね」
その言葉に、レイはようやくマジックテントの中に漂っていた空気の理由を悟る。
(なるほど。降伏勧告の使者だったのか。けど……フリツィオーネ軍を合流、というか吸収して、更に討伐軍の総力を結集しただろう陣地制圧作戦を討ち破って波に乗っている今のメルクリオ軍が、それを受け入れる筈がない)
現在のメルクリオ軍は士気も高く、兵士の練度も高い。
また、何よりレイとセトがいるというのが、大きな自信となっていた。
それだけの戦闘力をこれまで幾度となく見せつけてきたのだから当然だが、レイにとっては一種の依存にならないかという心配もある。
「それ程おかしなことでしょうか? お互いの戦力差がどれ程のものなのかは、メルクリオ殿下もご承知の筈では? 確かに数日前に行われたこの陣地を巡っての攻防は討伐軍が撃退されました。ですがその戦いで減った人員も、今はカバジード殿下、シュルス殿下が合流したことにより、寧ろ前よりも増えています」
「へぇ? 具体的にはどのくらいかな?」
「さて、残念ながら私はその辺を詳しく教わっていませんので、何とも……」
「そちらの戦力も分からないのに、降伏勧告というのは正直どうかと思うけど?」
「正確な数は分かりませんが、それでもこの反乱軍……いえ、今はメルクリオ軍でしたか? そのメルクリオ軍より何倍もあるというのははっきりしてます。そうである以上、勝ち目がないとは既にお分かりと思いますが?」
大袈裟な身振り手振りで告げるフレデリックに、メルクリオの方はと言えば、レイの方へと視線を向ける。
「そちらこそ忘れてるんじゃないかな? こちらの主力がいない状況であっても、結局この前の戦いは負けたことを。そこにいるレイの……深紅の力によってね。こっちの戦力が万全じゃない状況でもそうだったんだ。それが万全になったら……さて、どうなるのかな?」
本来であれば、メルクリオ軍の進退がたった一人の……それもメルクリオの臣下という訳でもない、ただの雇われ冒険者のレイに掛かっているというのは、色々と不味いのだろう。
だが、レイはその不味さを覆すだけの実力を見せつけてきた人物であるのも事実であり、分かりやすさという意味ではこれ以上ない存在だった。
事実、討伐軍はレイにより甚大な被害を受けたのは事実なのだから。
だからこそ、この場にいるメルクリオ軍の幹部達はレイの名前が出た以上は向こうも引き下がるだろうと思っていた。
しかし……
「確かに深紅殿は素晴らしい力を持った冒険者です。それは認めましょう。今はランクB冒険者という話ですが、純粋な実力であればランクAは確実。場合によってはランクSにすら届くかもしれません。ですが……このような話を持ってきた私が、それを考えていなかったと本気で思っていますか?」
レイの名前を聞いても、特に驚いた様子もなく言葉を返す。
更には、レイを褒め称える程の余裕を見せるフレデリックに、その場にいた者達の多くは内心で首を傾げる。
レイに対処する方法がそう多くある筈もないと。……あるいは、本気でレイを相手に勝てる者などいないと思っている者すら存在していた。
「……レイ、ちょっといいかな? 彼がこんな風に言うだけの根拠はあると思うかい?」
フレデリックから視線を逸らし、会談の成り行きを見守っていたレイへと向かって尋ねるメルクリオ。
「唐突に言われてもな……」
「おお、深紅殿。メルクリオ殿下の御言葉以外にも、その姿から、すぐに貴方が深紅殿であるというのは分かりましたよ」
大袈裟に両手を広げて喋るフレデリックに、レイよりも前にメルクリオが首を傾げて呟く。
「レイの姿がどうかしたのかな?」
(姿?)
だがそのレイはと言えば、フレデリックの言葉に首を傾げるしかない。
それも当然だろう。
今の自分の姿は、ドラゴンローブを身に纏い、フードを下げた状態。
そしてドラゴンローブに隠蔽の効果がある以上、他の者には地味なローブにしか見えていない筈なのだ。
つまり、今のレイの外見は背の小さい女顔の男が地味なローブを着ているというだけであり、とてもではないが深紅と判断は出来ない。
「はい。その素晴らしいローブは見ただけでかなり高価なマジックアイテムであると理解出来ます」
「……何?」
フレデリックの口から出た言葉に、思わずレイが呟く。
隠蔽の効果を見破ったと、そう告げたのだから。
そんなレイの様子に気が付いたのだろう。フレデリックは嬉しそうな笑みを浮かべて口を開く。
「実は、私はその手の効果を見破ることが出来る能力を持っていまして。……まぁ、だからこそこういう仕事についている訳なのですが」
「なるほど」
その言葉が真実かどうかは分からない。
実はその手のマジックアイテムを持っているだけという可能性もあったが、ともあれレイはそう呟く。
「レイだ。よろしく頼む」
「ええ、よろしく。それにしても本当に驚きですね。これ程のマジックアイテムをこの目で見ることが出来るとは……」
「そんなに凄いマジックアイテムなのかな?」
フレデリックの言葉が気になったのだろう。メルクリオが尋ねる。
他の者も興味津々な様子でフレデリックの言葉を待つ。
この場にいる者でも、レイがそんなマジックアイテムを持っていると知っている者は少ない……どころか、ヴィヘラだけだ。
そうである以上、やはりそれがどれ程のマジックアイテムなのかというのは、どうしても気になるのだろう。
「ええ。物凄く高度な技術で作られたマジックアイテムなのは間違いありません。ベスティア帝国の技術でも作ることが不可能な程の……」
「あまり余計なことは言わないで欲しいんだけどな」
レイとしては、自分のマジックアイテムがどれ程貴重な物なのかというのは、当然承知している。
それこそ、もし自分が持っているマジックアイテムの価値を知ったら、妙な行動を起こす者が出てくるだろうと考える程度には。
「ああ、失礼しました。……ともあれ、深紅殿に会えて光栄です。出来ればこうして敵味方ではなく、同じ陣営で会いたかったものですが……どうでしょう? カバジード殿下に仕えてみませんか? 深紅殿であれば、間違いなく受け入れて貰えますよ?」
「いや、止めておくよ」
一瞬の躊躇もなく断るレイ。
少しでも躊躇えばメルクリオ軍の中に不和の種が生まれる可能性もあったし、何より本気でそんなことを考えてはいないからだ。
「そっちには俺を恨んでる奴も多いだろうしな。それに……俺の知り合いのロドスをあんな風にした奴の下では死んでも戦いたくない」
ロドス? と、メルクリオの近くで話を聞いていたヴィヘラやテオレームが首を傾げ、すぐにレイから聞いた話を思い出して視線を鋭くする。
だがフレデリックはそんな二人には気が付いた様子もなく、残念そうに首を横に振る。
「そうですか、残念です。ですが深紅殿がそう言うのであればしょうがないですね」
それだけでレイに対する勧誘を終わらせ、改めてフレデリックは視線をメルクリオの方へと向ける。
「それでは話を続けますが……いえ、続ける必要もありませんか。降伏はしない。これは決定事項と考えてもいいのでしょうか?」
「そうだね、少なくてもこちらから降伏するというのは考えていないよ。カバジード兄上、シュルス兄上がどのような手段を使ってこようとも、負けるつもりは毛頭ないし」
「その自信の根拠を聞きたいところですが……聞いても答えて貰えませんよね?」
「勿論」
笑みすら浮かべて告げるメルクリオだったが、それに対するフレデリックは特に気落ちしたような様子も見せず、自分の随行員の方へと視線を向ける。
それだけで何を要求しているのか分かったのだろう。その中の一人が、腰のポーチへと手を伸ばす。
一瞬、マジックテントの中にいた者達がその随行員を取り押さえようとしたが、ポーチの中から取り出された物を見て動きを止める。
その手にあったのは、華美な装飾の施された宝石箱だったのだから。
何故そんな大きな物がポーチに入っていたのかというのは、その場にいる者はすぐに理解出来た。
簡易版のアイテムボックスとでも呼ぶべきポーチ。
非常に高価な代物ではあるが、ベスティア帝国の第1皇子ともなれば、そのくらいは容易に入手出来るだろうと。
その宝石箱を随行員から受け取ったフレデリックは、そっとその宝石箱を掲げる。
「どうぞ、メルクリオ殿下。カバジード殿下から、降伏の交渉が纏まらなかった場合はこれを渡すようにと言われてきました」
「……ふーん。面白そうだね。テオレーム」
「はい」
テオレームはその場にいた騎士の一人に合図をして、その宝石箱を開かせる。
この期に及んでまずないとは思ったが、もしかしたらメルクリオを暗殺する為のマジックアイテムであるという可能性も考えた為だ。
それ故に何かあったらすぐにメルクリオを庇えるようにし、アンジェラもまた同様にフリツィオーネの前に出る。
だが……その騎士が宝石箱を開けても特に何が起きる訳でもなかった。
(暗殺、というのがレイを擁する私達に一番効果のある方法だと思ったのだが、な)
テオレームは安堵しつつ、それでも疑問を感じながらも受け取った宝石箱をメルクリオへと手渡す。
宝石箱の中に入っているのは一通の手紙。
誰からのものかというのは、封蝋を見れば明らかだった。
「カバジード兄上からの手紙か。……さて、何が書いてあるのかな?」
呟きつつ、封筒を開封して中にある手紙に目を通す。
一度最後まで目を通してから、再び手紙に最初から目を通す。
「はっ、ははは。まさか、こんな手段で来るとは思わなかった。けど、悪くはない。お互いに必要以上に無駄な戦力の消耗は避けられるし、周辺諸国でも怪しい動きがあるというしね。……確かに思い切った方法だとは思うけど、さすがに即答は出来ない。少し時間が欲しい」
「ええ、分かりました。返事を必ず貰ってくるようにと言われていますので」
「それにしても……時間と場所を指定して両軍での戦いとは……カバジード兄上も酔狂なことを考える。いや、これはもしかしてシュルス兄上も関わっているのかな?」
面白そうに笑うメルクリオの声がマジックテントに響き、それを聞いた他の者達は驚愕の表情を浮かべるのだった。
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