第787話
その日、メルクリオ軍の陣地で見張りをしていた兵士達は、陣地へと向かってきている集団を目にする。
煌びやかな衣装を身に纏った、十人程の集団。
こちらも衣装同様に飾り立てられた馬に乗っており、悠々と自分達の陣地へと近づいてくる。
「な、なぁ。おい、あれ……どう思う?」
混乱したように呟く兵士。
それも当然だろう。これが、もし武器を手に近づいてきたのであれば、メルクリオ軍に合流する貴族や冒険者達、傭兵団、あるいは義勇兵の集団を想像出来る。
もしくは、手柄を焦って無謀に独断行動をした討伐軍の部隊という可能性もあるだろう。
だがこちらに向かってくる集団は、武器と言えば腰の鞘に収められた、過剰なまでの装飾を施されたレイピアくらいであり、それを抜いてもいないのを見れば、間違いなく戦うつもりがないのは明らかだった。
「どうするって言われても……本気でどうする? 敵か味方かも判断出来ないってのは、ちょっと難しいよな」
その言葉に、話を聞いていた兵士達は全員が同意するように頷く。
実際、どう対処していいのか分からなかった。
それでも向こうが近づいてくる以上は対処せねばならず……
「しょうがない、ちょっと隊長を呼んでくる。お前達はあの集団から話を聞いておいてくれ。……まさかあんな姿で油断させておきながら攻撃してくるってことはないと思うけど、くれぐれも油断するなよ」
「ああ、勿論だ。それより早く隊長を呼んできてくれ」
その言葉に頷き、陣地の中へと入っていく兵士。
面倒なことになる前に、なるべく早く戻ってきてくれるといいんだけど。
そんな思いを抱きつつ仲間を見送った兵士は、この場に残った他の兵士と共に近づいてくる集団を見据える。
その集団にしても、既に自分達が気が付かれているというのは当然知っているのだろうが、それでも移動速度を変えることなく進み続け……やがて陣地の前へと到着する。
「止まってくれ。ここはメルクリオ軍の本陣。何の用件でここまでやって来たのか聞かせて欲しい」
いざとなったら、手に持った槍で突く。そんな思いと共に兵士の口から出た言葉に、煌びやかな集団の先頭にいる人物は素直に馬を止めて口を開く。
「メルクリオ軍? 確か反乱軍と聞いていたのですけど、名称が変更になったのでしょうか?」
その人物の口から出たのは、予想外に穏やかな声。
てっきり高圧的な人物なのだろうと思い込んでいた兵士達は、若干気が抜けた思いを味わう。
そこで目の前の相手へと声を掛けた兵士は、改めて目の前の馬に乗っている人物を観察する。
華美な服装で自分と乗っている馬を飾り立ててはいるが、その本人も華美な服装に負けない程に整った顔立ちをしていた。
それでいながら高圧的な雰囲気はなく、丁寧な言葉遣いをしている。
恐らくある程度の地位にいる人物なのだろうというのは容易に想像が出来た。
「はい。フリツィオーネ殿下の軍が合流して、反乱軍という名前では色々と不味いということになり、現在はメルクリオ軍となっております」
言葉遣いを正して告げる兵士の言葉に、男は納得したように頷く。
「なるほど。確かに反乱軍では色々と人聞きが悪いかもしれませんからね。……では、改めて。私はカバジード殿下に仕えるフレデリックと申します。今回はメルクリオ殿下、フリツィオーネ殿下、ヴィヘラ殿下に対する交渉の使者としてやって参りました」
カバジードに仕えるという言葉を聞き、その場にいた兵士はそれぞれが武器を握っている手へと力を込める。
だがそれでも実際に武器を構えなかったのは、やはりフレデリックと名乗った者に戦闘の意思を全く感じられなかったからだろう。
それはフレデリックに率いられている者達にしても同様で、自らがカバジードの手の者だと告げたのに、兵士達に対する敵意は全く存在しない。
「交渉、ですか。分かりました。現在この場の責任者を呼びに行かせていますので、もう少々お待ち下さい」
「はい、分かりました。ではそうさせて貰いましょう。……それにしても、ここは少し前に戦場になったばかりだというのに、全くそれを感じさせませんね」
フレデリックは周囲を見回しながら呟く。
事実、既に破壊されていた柵の類も修復されており、地面に散らばっていた武器や防具の破片といったゴミの類や、死体、血の痕といったものは綺麗に片付けられ、とてもではないがここで激しい戦闘があったとは思えなかった。
もっとも、陣地の中でもこの出入り口は街道に面しており、人通りも多い為に優先して片付けられたという面もあるのだが。
「ええ。何しろこちらの勝利でしたからね。戦後処理にも力が入ったんですよ」
「そうなのですか? 私が聞いた話によると、良くて引き分け、詳細に考えれば私達の勝利だと聞いていましたが」
「いやいや、まさかまさか。何しろ、深紅が登場した途端にそちらの部隊は半壊状態になったんですよ? 結局はそれが原因になり逃げ出す兵士も多数出たのですから、客観的に見てこちらの勝利なのは間違いないでしょう」
「ですが、それでもこちらの戦力を完全に潰すことは出来ませんでしたが? そちらが幾ら頑張っていても、人数的にはまだまだ討伐軍側の方が圧倒的に多いのも事実です。その辺を考えれば、戦力の消耗という意味ではそちらの方が多いでしょう? こちらもある程度戦力を消耗しましたが、それに関しては補充されましたし」
そんな風にお互いが自分達の勝ちだとやり取りをしていると、兵士は不意に自分達の方へと近づいてくる足音に気が付く。
慌てた様子で近づいてくるその人物は、この場にいる見張りの兵士達の隊長だ。
話を聞いて走ってきたのだろう。手に槍を持ちながらも兵士達の近くまでやって来ると、その場にいる兵士の一人と一言二言言葉を交わしてから、足を緩めて視線をフレデリックの方へと向ける。
「カバジード殿下に仕えていると聞きましたが?」
「はい。フレデリックと申します。メルクリオ殿下、フリツィオーネ殿下、ヴィヘラ殿下に対して交渉の為に派遣されました。これが身の証です」
そう告げられて渡されたのは、一本の短剣。
短剣の鞘にはカバジードが使っている紋章が彫り込まれている。
短剣自体をどこかの誰かが奪って騙っているという可能性もあるが、それでわざわざ敵対しているメルクリオ軍の下にやってくる筈がないというのも事実だ。
「分かりました。既に報告はしてあるので、ご案内します」
「そうですか、そうして貰えると助かります」
小さく笑みを浮かべ、フレデリックは隊長に案内されて陣地の中へと入る。
マジックテントの中は、現在ざわめきに満ちていた。
それも当然だろう。敵対しているカバジードから交渉の使者が送られてきたのだから。
何を目的にした交渉なのか。
果たして降伏の勧告か、前回の戦いで大量に得た捕虜の返還に関してか、はたまたまず有り得ないことだが向こうが投降する為の交渉か。
メルクリオ軍の幹部達は、それについて話し合っていた。
「ティユール、どう思う?」
メルクリオが尋ねると、ティユールは難しい表情をしたまま首を横に振る。
「分かりません。捕虜に関してだとすれば、ここまで大仰な態度を取る筈がないのは分かりますが……」
「いっそ、これ以上戦いを長引かせるのはお互いに損失しかねえから、次の戦いで決着を付けようってんじゃないか?」
グルガストの言葉に、一瞬有り得るかもしれないと考えながらも、やがて問題に行き当たって首を横に振る。
「……ですが、こちらにはレイ殿がいるのですよ? その状況で正面からぶつかれば、それこそ向こうが一方的に負ける可能性の方が高い」
ティユールの口から出たその言葉には、誰も反論が出来ない。
事実、これまで討伐軍は第二次討伐軍、先日起こったばかりのメルクリオ軍――当時は反乱軍――本陣攻防戦。そして少し規模は落ちるが、フリツィオーネ軍が帝都を脱出した時に待ち伏せしていた部隊……という具合に、レイによって大きな被害を幾度も受けている。
それ程の力を持ったレイがメルクリオ軍にいるというのに、まともに正面から戦うかと言われれば、答えは否だろう。
少なくてもこの場にいる者達がもしレイと敵対した場合、正面から戦いたいかと言われれば、自殺願望があるような者でもない限りは否と答えるだろう。
「それを何とか出来る手段が整った……とは考えられないか?」
グルガストの言葉に、周囲が静まり返る。
もしそれが真実だとすれば、次の戦いは数の問題で圧倒的に不利になってしまうのが確実な為だ。
「ま……まぁ、まぁ。本当に向こうがそれを望んできたのかどうかは、実際に交渉にきた相手から話を聞かなければならないんですから。今その辺を決めつけても……それこそ、先程ティユール殿が口にしたように、向こうからの降伏の条件という可能性も捨てきれませんし」
貴族の一人が口にした言葉に、その場にいた皆がほっと安堵の息を吐く。
実際問題として、何に対しての交渉なのかは未だに不明なのだ。
それに考えを巡らせて不安になるというのは、百害あって一利なしだった。
「そうだね。今はその辺を深く考える必要はないと思うよ。悩むのなら、向こうの話が出てきてからでいいんだから。……テオレーム、周囲の状況は?」
メルクリオの言葉に、近くで控えていたテオレームが即座に口を開く。
「何かあった時の為に、相応の戦力を配置しています。また、フリツィオーネ殿下、ヴィヘラ様にも連絡の兵士を送ったので、すぐに来るかと」
「……レイは? もしかして姉上と一緒にいたりしないよね?」
「はい。まだちょっと身体が怠いということで、マジックテントで休んでいます。何でも、マジックアイテムを使えば魔力の消耗がもっと軽かった! と叫んでいたそうですが」
何を言ってるのか? と一瞬理解出来なかったメルクリオ。
それも当然だろう。レイ自身、自らが装備している吸魔の腕輪の存在をすっかり忘れていたのだから。
相手を攻撃して、それで与えたダメージに比例する魔力を吸収出来るという効果を持つマジックアイテム、吸魔の腕輪。
だがレイ自身が莫大な魔力を持っていた為、今までは全く使う機会がなかったのだ。
それ故にレイもその腕輪は毎日見てはいるものの、すっかりただの腕輪という認識になり、その効果を綺麗に忘れていた。
幾ら高性能なマジックアイテムであっても、魔力を通して起動しなければ宝の持ち腐れでしかない。
そういう意味では、莫大な魔力を持っていたからこそ今まで吸魔の腕輪は使用されなかったのだろう。
「とにかく、ヴィヘラ様とは……」
「あら、私がどうかしたの」
テオレームの言葉の途中で、丁度タイミング良くヴィヘラがマジックテントの中に入ってくる。
その背後にはフリツィオーネと、その護衛でもあるアンジェラの姿もあった。
「姉上、話は聞いていますか?」
「ええ。何でもカバジード兄上の手の者が来たとか。交渉の使者という話だけど」
「そうですね。聞いた話によるとそうらしいです」
メルクリオが頷き、再び何かを口にしようとした時、マジックテントの出入り口から騎士が姿を現す。
「メルクリオ殿下、カバジード殿下からの使者がお出でになりました。通して構いませんか?」
「……レイが来る前だけど、しょうがないな。うん、通しても構わないよ」
この場にレイがいないのは残念だったが、それでも使者を待たせる訳にはいかずにそう告げる。
レイのマジックテントが陣地の外れにあるというのは、こういう時に不便だと思いつつ。
「失礼します。カバジード殿下に仕える、フレデリックと申します。この度はメルクリオ殿下を始めとして、フリツィオーネ殿下、ヴィヘラ殿下にお会い出来て非常に光栄です。他にも名にし負う貴族の方々がおられるのを見ると、まるで帝都の城がもう一つここにあるかのようにすら感じます」
武装を解除した一団を引き連れ、マジックテントへと入ってくるなり優雅に一礼して告げるフレデリックに、それを聞いていた者達は思わず苦笑を浮かべる。
確かにこの場にはそれなりに有名な貴族も多いが、それでも有力貴族と一般に見なされている者は殆どいない。
かろうじてログノス侯爵がその中に入り、テオレーム、アンジェラがその中に入るかどうかといったところか。
もっとも、オブリシン伯爵家当主でありながら戦闘狂として有名なグルガスト、ヴィヘラに心酔しており、芸術家として有名なブーグル子爵家のティユールと、有力という意味ではなく特異という意味で有名な者達はいるのだが。
「ははっ、カバジード兄上やシュルス兄上の人材の豊富さには敵わないけどね。まさかここまで連戦連敗しているのに、よくもまぁ、まだあれだけの戦力があると感心はするよ」
メルクリオの口から出たのは、牽制の一言。
この内戦が始まってからは、自分達の戦果が圧倒的に多いと示す言葉だった。
「そうですね。有能な人材が綺羅星の如く集まっておりますから。……それで、早速ですが本題に入っても構いませんか?」
「そうだね、お互いに無駄な時間はないんだ。何を交渉する為にやって来たのか……是非聞かせて欲しいな」
話を促すメルクリオに、フレデリックは再度優雅に一礼して口を開く。
「では……メルクリオ殿下、カバジード殿下に降伏なさいませんか?」
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