第784話

 反乱軍とフリツィオーネ軍が合流した、次の日。

 昨日に引き続き戦闘の後処理をしていると、不意に陣地の周囲で見張りに立っていた兵士の一人が街道を進んでくる存在に気が付く。

 一瞬また討伐軍が来たのか! と思った兵士が、急いで仲間にそのことを知らせようとして……すぐに自分の勘違いであったことに気が付く。

 こちらに向かってくる軍隊の先頭を進む人物。

 その人物が踊り子や娼婦が着るような、向こう側が透けて見える程の薄い布を身につけており、同時に手甲と足甲を身につけていた為だ。

 ベスティア帝国広しといえども、そのような服装に身を包んでいる者は一人しかいない。

 いや、もしかしたら他にもいるのかもしれないが、少なくても兵士は視線の先にいるような服装をしている人物は一人しか知らなかった。


「ヴィヘラ様、ヴィヘラ様が戻ったぞ!」


 兵士の声に、他の兵士達も我に返って大きく叫ぶ。


「ヴィヘラ様が戻ってきたぞぉぉっ!」

「良かった、これで討伐軍に襲われてもどうにか出来る」

「深紅が幾ら強くても、結局一人だからな。どうしても人数が少ないと不安だったけど、これで……」


 そんな声がそこかしこで囁かれ、そして広まっていく。

 一人と一匹で一軍の活躍をするレイや、メルクリオの指揮下に入るというのを承知の上で合流したフリツィオーネ軍。

 確かにこの二つの戦力は兵士達にも心強いものがあったが、それでもやはり反乱軍の主力はヴィヘラが率いていた軍なのだ。

 今回の内戦が始まってから、ずっと共に戦ってきた存在がヴィヘラの率いていた軍隊だ。それだけに、反乱軍の兵士達が覚えた安堵の感情は深いものがあった。

 だが……それとは逆に、ヴィヘラが率いている軍は目の前の惨状に目を見開く。

 陣地を覆っている柵はボロボロであり、柵自体がない場所も数多い。

 陣地の外側では折れた矢や、刀身が欠けた長剣、柄の半ばで折れた槍といったものがいたる場所に落ちており、また血痕もそこら中に存在している。

 死体の類がないのは、疫病やアンデッドの心配、何よりも死体に囲まれた陣地には誰もいたくなかった為なのだろうというのは、想像出来た。


「お、おい。これってやっぱり……」

「ああ。ブーグル子爵の予想通りだったみたいだな」

「信じられない……アナスタシア、無事でいてくれ」


 兵士達がそれぞれ呟き、中には自分が懇意にしている娼婦が無事であるように祈っている者もいる。


「娼婦や商人なんかの非戦闘員は無事だったんじゃないか? 向こうにしてもわざわざそっちに手を出すような真似はしないと思うが」

「分からないだろ! 略奪や暴行をするような奴は必ずいる筈なんだから」


 焦りのあまり、味方に怒鳴り散らす兵士。

 他にも自分の贔屓にしている娼婦や、行きつけの酒場、懇意にしている鍛冶師の身を心配する者も多い。

 そんな兵士の様子を見ていたティユールが、ヴィヘラへと声を掛ける。


「ヴィヘラ様、このままでは兵士達が暴走しかねません。一度、ヴィヘラ様がお声を掛けた方がいいかと」

「……そうね。下手に暴走して、陣地に残った兵士達と喧嘩になったりすると困るし、その方がいいかしら」


 そう告げ、馬の上から後ろを向いて口を開こうとした時、陣地の方からざわめきが聞こえてきたことに気が付く。

 メルクリオが出迎えに来てくれたかと思って後ろを振り向いたヴィヘラが見たのは、白い鎧を身につけた女騎士達の姿だった。

 当然ヴィヘラにしても、白い鎧を身につけた女騎士がどのような集団か知っているし、誰がその騎士達を配下に従えているのかというのも理解している。

 そして、女騎士達……白薔薇騎士団の騎士達を掻き分けるようにして姿を現したのは、予想通りに自らの腹違いの姉。


「姉上!」


 姉を呼ぶヴィヘラの声には、嬉しさ以外にも若干の緊張の色が混ざっている。

 弟であるメルクリオも可愛がってはいるが、それでもやはりヴィヘラも女だ。

 半分ではあっても、自分と同じ血を引く姉の姿を見て安堵したというのもあるだろう。

 何しろフリツィオーネは敵の中枢とも言える帝都から、部隊を率いて脱出してきたのだから。


「ヴィヘラ、良く無事で戻ってきたわね。……全く心配ばかり掛けて、この子は」


 フリツィオーネは笑みを浮かべつつも、どこか窘めるような目でヴィヘラを見ながらそう呟く。

 無事で戻ってきたというのは、勿論今回の街道封鎖をしていた部隊を排除する為に出撃したというのもあるだろうが、何よりもこのベスティア帝国に帰ってきたというのも大きいのだろう。

 ヴィヘラにしてみれば、今回ベスティア帝国に来たのはメルクリオの救出や内戦での手伝いという思いが強く、本人は既に出奔したという認識である以上、帰ってきたというのは正しくないのだが。

 それでも、喜んでいる姉をわざわざ不愉快にさせることはないだろうと判断して、乗っていた馬から飛び降りるとフリツィオーネの方へと向かう。


「姉上、お変わりなく。……よくご無事で」

「ええ。貴方の騎士様に助けられてね。正直、彼がいなければここに辿り着くのは難しかったでしょう」


 騎士様、という言葉で当然ヴィヘラはレイの姿を想像したのだろう。

 咄嗟に周囲を見回すと、視線の先に愛しい人の姿を発見する。

 いつも通りにセトと共におり、その背中を撫でていた。

 ヴィヘラと目が合うと、セトを撫でているのとは逆の左手を小さく挙げて挨拶をしてくる。


(もう、ムードがないわね)


 正直な気持ちを言えば、ヴィヘラとしては駆け寄ってきて抱きしめるくらいのことはして欲しかった。

 もっとも、さすがにそれを口に出すことはなかったが。

 小さく首を振り、改めて陣地の様子を眺めながら口を開く。


「それで、姉上。この様子を見れば戦闘があったというのは分かるのですが……」

「ええ。どうやら街道の封鎖自体が囮だったようよ。その間にこの本陣を陥落させようとしたらしいけど、それを伝令の兵士が知らせてくれて、レイが先行して何とか防いだ。……というのが今までの話の流れね」

「……被害は?」

「少ないとはとても言えないでしょう。私も聞いた話だけど、相手の兵力は二万人を超えていたそうだから。そう考えると、よく持ち堪えたと言うべきでしょうね」


 二万人という言葉がフリツィオーネの口から出ると、周囲で姉妹の会話を聞いていた者達が大きく息を呑む。

 自分達が予想していた以上の大兵力であり、それなら陣地のこの有様も納得出来た為だ。


「色々と詳しい話を聞きたいけど、まずは部下を……構いませんか、姉上?」

「ええ。ここの残った人に大事な人がいたりもするでしょうし。ついでに、まだ完全に後片付けは済んでいないから、そちらの方も手伝ってくれると助かるわ。……そうよね?」


 フリツィオーネの視線の先にいたのは、メルクリオ。

 ヴィヘラの姿を見て、心底安堵した表情を浮かべていた。

 討伐軍の目的がこの本陣であるというのは敵の戦力から見ても明らかだったが、それを囮にしてヴィヘラ率いる反乱軍の主戦力を殲滅するのではないか……という思いもあったからだ。

 基本的には纏まって行動していたが、ヴィヘラが個人で行動したように幾つかの小集団で街道を封鎖している部隊へと攻撃の手を伸ばすことも多かった。

 そうである以上、各個撃破するつもりで待ち伏せされて各個撃破されていた可能性もあるのだと考えれば、メルクリオの心配は決していきすぎたものではない。


「ふふっ、私がその辺の相手にやられると思ってるの? けど、心配してくれてありがとう。メルクリオもよく頑張ったわね」

「テオレームやレイがいたからこそ、ですよ。今回は向こうの罠かもしれないと思いつつその動きに乗って、その結果がこれなんだから。いっそ僕も姉上と共に行けば良かったかと思うよ」


 溜息を吐きながら呟くメルクリオに、ヴィヘラはしょうがないと首を横に振る。


「ここで陣地の中にいる者を見捨てるような真似をすれば、後々の禍根になるのは間違いないわ。そうである以上、メルクリオがこの陣地から動くことは出来なかった。それを考えれば、今回の選択は決して間違ってはいない。それより、まずは片付けを行いましょう。他にも色々と話さなくてはいけないこともあるでしょうし」


 ヴィヘラの言葉が切っ掛けとなり、皆が陣地の中へと入っていく。

 そしてヴィヘラが率いていた部隊も解散を命じられ、それぞれに行動を開始する。

 片付けをする者、知り合いの無事を確認する者、自分のテントの様子を見に行く者といった風に。

 その際にフリツィオーネ軍の者と数人が騒動を起こしたが、それでも軽い喧嘩のようなもので済んだのはお互いに、今そんなことをしている余裕がないと理解しているからだろう。


「さ、レイ。貴方も行きましょ?」

「……え?」


 そんな中、レイは何故かヴィヘラに引っ張られてマジックテントへと連行されていた。

 その際に強引に腕を組んでの連行だった為、豊かな双丘に肘を埋めることになり、その柔らかさに息を呑む。

 ……ヴィヘラ自身は、久しぶりに触れられるレイに幸せそうな表情を浮かべていたが、それを見るメルクリオやティユールは面白くないといった表情を浮かべ、それとは逆にフリツィオーネは面白そうな笑みを浮かべていた。

 アンジェラもまた若干不機嫌そうな表情を浮かべていたのだが、幸いその様子はより不機嫌そうなメルクリオやティユールの方が目立っており、アンジェラの件は殆ど目立たなかった。






「ヴィヘラ様、よくぞご無事で……」

「おお、これで反乱軍も万全の態勢になりましたな。フリツィオーネ殿下、メルクリオ殿下、そして……」


 その場にいた貴族の一人が、チラリとヴィヘラに腕を抱きしめられて――正確には腕をヴィヘラの胸に埋められて――いるレイの方へと視線を向ける。

 既に、この場所にてレイを粗略に扱うような者は存在しない。

 それは、メルクリオ率いる反乱軍だけではなく、フリツィオーネ軍にしても同様だ。

 個人で一軍に匹敵するような活躍を目の前で見せられれば、それも当然だろう。

 それも一度や二度ではないのだから、それだけレイの力を記憶に刻み込まれている。

 普段であれば礼儀にうるさいような者も、レイに対しては一定の敬意を払わざるを得ない。


「それでは、これからのことを話し合いたいと思います。進行は私、テオレームが勤めさせて貰います」


 一礼をするテオレームに、その場にいる皆が異論はないと頷く。

 事実、この場にいる中ではメルクリオの側近であり、実質的に反乱軍の運営をしていたのがテオレームだ。

 そのテオレームがこうして話の進行をするのに誰も文句は言えなかった。

 その内心で何か思っていることがあったとしても。


「まず現状ですが、フリツィオーネ殿下がこちらに合流しました。この際ですので、反乱軍という名称を改めてはどうかという提案がフリツィオーネ殿下からされているのですが、どうでしょう?」


 その言葉に、皆がそれぞれの反応を示す。

 元々反乱軍というのは、メルクリオが自分を殺すという決意をしたカバジードとシュルスに対して反抗するという意味もあって、自分達から反乱軍と名乗っていた名前だ。

 それなのに、幾らフリツィオーネが合流したからと言ってそう簡単に名称を変えてもいいのかという者。

 反乱軍という名称は印象が悪いので、出来れば変えたいと思っている者。

 自分達が何と呼ばれているのかには特にこだわりがなく、どちらでも構わないと考えている者。

 それぞれ細かい差異はあれども、大きく分けてこの三つが現在この場にいる者達の考えだった。

 その中でも数が多いのが、当然反乱軍結成当初から参加しており、第3皇子派と呼んでもいい者達。

 だがフリツィオーネ軍にしてみれば、確かに反乱軍に合流するのは構わないが、反乱軍という名前に何の思い入れもない以上は反乱軍という呼び方は好ましくないのも事実。

 その辺を考えれば、やはり反乱軍という呼び方を変える必要はあると、メルクリオにしても考えざるを得なかった。

 このまま無理にその名称を使い続ければ、この軍が割れてしまう……とまではいかなくても、雰囲気が悪くなり、軍の中に不協和音が生み出される危険がある。

 そんな風に悩むメルクリオの様子を、レイは特に何を言うでもなく眺める。

 レイとしては、あくまでも自分は雇われている傭兵という認識なので、この軍の名称が反乱軍であろうが、あるいはそれ以外の何かであろうが、特に気にはしない。

 自分達で好きな呼び名をつければいいんじゃないか、と思う程度だ。


「ふむ、そうだね。フリツィオーネ姉上、何かいい名前が?」


 軍の名称の件を出してきたフリツィオーネに視線を向けて尋ねるメルクリオだが、問われた本人はといえば、小さく首を横に振る。


「幾つか心当たりはあるけど、この軍を率いるのはメルクリオ、貴方なんでしょう? ……正直、私としては今でも兄弟で戦うのは賛成出来ないんだけど、そうは言っていられないのも事実よ。出来ればこの戦いが早く終わって、無駄な戦いが起きないような名前がいいわね」

「……また、無茶なことを」


 苦笑を浮かべながらも、メルクリオは考え……それでもいい考えは浮かばず、結局はフリツィオーネ軍という名前をそのまま流用したかのような、メルクリオ軍と以後自分達を呼称することになるのだった。

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