第783話

 フリツィオーネ軍の姿を確認。

 その報告が入ったのは、レイがマジックテントの中で自分がこの陣地を発ってからのことを報告し終えて、数時間程が経ってから。秋の夕日が沈み、薄らとした闇に覆われそうになっていた頃だった。

 本来であればもう数時間は早くこの陣地に到着出来ていた筈のフリツィオーネ軍がここまで遅くなったのは、街道沿いに待ち伏せていた部隊の為だ。

 勿論その部隊に関してはレイが上空から岩を落として攻撃しており、その攻撃で被害を受けた部隊の者達は多くが撤退していた。

 しかし撤退する際、せめてもの悪あがきとばかりに軽い落とし穴が用意されていたり、馬車の破片を街道沿いに散らかしていったり、はたまた少しでも時間を稼ぐ為として、街道沿いでフリツィオーネ軍に矢を放って逃げたりした者がいた。

 そのような者達と遭遇する度に進軍を止められ、結果的に反乱軍の本陣に到着するのがこの時間帯になってしまった。

 だが、寧ろそれが良かったと言えるのかもしれない。

 反乱軍はある程度戦後処理として壊れた場所の補修をしたり、破壊されてゴミとなり地面に散らばっていた残骸の類を片付けることも出来、戦闘終了後の興奮も一通り治まったのだから。

 フリツィオーネ軍にしても、ピリピリとした相手と向かい合えば、いらぬ騒動が起こっていた可能性もある。

 そしてフリツィオーネ軍がやって来た以上、当然それを出迎える者も必要な訳で、反乱軍を率いるメルクリオが護衛のテオレーム達と共に陣地の外までやってきていた。


「メルクリオ、よく無事だったわね。戦力が殆どない状況で襲われていると聞いて、心配していたのよ」


 フリツィオーネが、嬉しそうに笑みを浮かべてそう告げる。

 そんな姉の姿に、メルクリオもまた小さく笑みを浮かべて口を開く。


「そういうフリツィオーネ姉上こそ。帝都を発ってからここに到着するまで、色々と苦労したって聞くよ? 無事で良かった」


 メルクリオの顔に浮かんでいるのは、間違いなく喜びの笑顔。

 だがその笑顔は、ヴィヘラに対するものとは大きく違っている。

 嬉しいか嬉しくないかと言われれば嬉しいけど、全身全霊で喜びを露わにするようなものではない程度の喜び。

 フリツィオーネも、メルクリオがヴィヘラをどれだけ慕っているのかは理解している為に、それに気が付きながらも口にすることはない。


「それより、相手はあのカバジード兄上よ。確かに今回の件は色々と危なかったでしょうけど、これで大人しく諦めるとは思えないわ」

「だろうね。結局撃退はしたけど追撃は出来なかったしね。それに向こうにはシュルス兄上もいるし、強引な手段を使ってきたとしてもおかしくはないか」


 お互いに半分しか血が繋がっていなくても姉弟であるというだけあって、短いやり取りで考えを合致させる。


「そうなると、フリツィオーネ姉上との合流を祝しての宴も暫く待って貰う必要がありそうだ」

「ヴィヘラもいないしね」

「確かにね。姉上がいない以上は、喜ぶのは後回しだ」

「……変わってないわね」


 冗談のつもりで言った言葉を本気で受け止めたメルクリオに、フリツィオーネは思わず溜息を吐きつつも笑みを浮かべる。

 メルクリオにとって、姉といえばヴィヘラだった。

 だからこそフリツィオーネの呼び名はフリツィオーネ姉上で、ヴィヘラは姉上なのだから。


「それはそうだよ。城から脱出してから一年や二年もたった訳じゃないんだから。それより一応聞きたいんだけど、フリツィオーネ姉上がこっちに向かってくる途中で撤退していく討伐軍は見た?」

「いえ、どこかの誰かさんがここに向かう途中についでだとでも言いたげに攻撃していった部隊は見たけど、この陣地を攻撃していた者達は見てないわ。寧ろ、その辺は私が聞きたかったのよ。ここにいないというのは、レイが活躍して撃退したんだろうけど……」

「うん。けど、どうやら撤退するのに街道は使わなかったようだね。……あの人数をどうやって見つからずに撤退したのやら。まぁ、予想は付くけど」


 チラリ、と上空を……夕日が完全に沈み、夜の闇に包まれつつあった夜空へと視線を向けながら呟く。


「クォントームの吐息、ね」

「うん。ランクBモンスターの魔石という物凄い金食い虫だけど、あの幻影で討伐軍を覆ってしまえば……」

「動くことは出来なくても、幻影の中に隠れるのは可能だわ。音までは消せないけど、それでも周囲に気が付かれない程度の音に押さえれば問題はないし」

「追撃部隊でも出してれば話は別だったんだろうけど……見ての通り、こっちはそれどころじゃなかったし」


 現在の陣地は、いたる場所に篝火が存在していた。

 その明かりを頼りにして、未だに戦闘終了後の後片付けが行われている。


「姉上がいれば、もう少し何とかなったかもしれないけど……」

「街道の封鎖、ね。怪しいと思っても、兵糧攻めをされると考えれば手を出さないわけにもいかないわよ」

「うん。……大丈夫だとは思うんだけど」


 姉の心配をするメルクリオに、フリツィオーネは小さく笑みを浮かべてから口を開く。


「それより、このままだと私の軍も陣地の中で休むことが出来ないでしょうし……手伝っても構わないかしら?」

「それは寧ろこっちからお願いしたいくらいだよ。……テオレーム、案内を頼むよ。妙な騒動はごめんだからね」

「はっ!」

「アンジェラ、お願い」

「しかし、それではフリツィオーネ殿下の護衛が……」

「大丈夫よ。そもそも、メルクリオが腹心のテオレームを出すんだから、こっちもそれに対応する人を出す必要があるでしょ? それに、護衛という意味ではレイがいる時点で心配はいらないわよ」


 フリツィオーネの口から出た言葉に、その場にいた者全ての視線がレイへと向けられる。

 反乱軍からは、つい数時間前まで行われていた戦いの影響もあって全幅の信頼を。

 フリツィオーネ軍からも、何度か見た戦いの光景から信頼の視線を。

 ……ただ反乱軍と違うのは、レイに対して好意的ではない視線もあったことか。

 それに気が付いたメルクリオは、意外そうな表情を浮かべた後ですぐに納得して頷く。

 レイという人物は良くも悪くも強烈な個性を持っている。

 それを受け入れられない者も多いのだろうと。


「分かりました。ではテオレーム殿、よろしくお願いします」

「こちらこそ、お手伝いありがとうございます、アンジェラ団長」

「そこまで気にすることはありませんよ。今日からは私達は共に行動する身。当然ここは私達の居場所にもなるのですから」


 そう告げ。フリツィオーネ軍とメルクリオ率いる反乱軍は共に陣地の中へと入っていく。

 まず最初に行われる二つの軍隊の共同作業は、戦闘終了後の後片付けということになる。

 もっとも共にこの作業を行ったおかげで、お互いに妙な対抗心の類は殆どなく、寧ろこれまでお互いが経験してきた戦いの経緯を話したりと、殆どの場所では和やかな空気を醸し出していたのだが。

 その中でも、レイとセトの話題が大きな役目を果たしたのは言うまでもないだろう。

 共通の話題というのは、お互いが話をする為の切っ掛けとしては十分以上のものだった。






 そんな反乱軍とは裏腹に、討伐軍には重い空気が漂っていた。

 当然だろう。色々と手を尽くし、絶対に自分達が勝てると判断した上での行動。

 兵糧攻めという手段をされれば、反乱軍側はどうしてもそれを防がなければならない。

 幹部ならまだしも、一般の兵士達にしてみれば自分達の食料がなくなると焦り、暴れだし、結果的には反乱軍の中で大小多数の揉めごとが起こる。

 また、商人にしても兵糧攻めをされたままではすぐに陣地を出て行かざるを得ない。

 兵糧攻めを商売の好機として食料や物資を仕入れるにしても、自分達がここに残れば余計に反乱軍の物資が消耗されると考えたとしてもだ。

 それらを考えると、反乱軍としては何らかの違和感があったとしても街道の封鎖を解く必要がある。

 そこまでして……本当にそこまでして行った作戦であったというのに、結局は失敗に終わったのだ。

 自然とその場にいる者達の視線は、今回の作戦の指揮を執っていたペルフィールの方へと向けられる。

 だがそんな視線を向けられつつも、ペルフィールは特に気にした様子もなく淡々と部下へと命令を下していく。

 その全てが次のことを考えた指示であり、被害状況の確認、逃げ出した兵士の数、部隊の再編成、負傷者の治療の状態、物資の残りの確認といった具合だ。


「何を惚けている。確かに私達は反乱軍への攻撃に失敗した。だが、この戦いが失敗したからといって、カバジード殿下や……」


 一旦言葉を止め、第2皇子派の者達へと視線を受けてから言葉を続ける。


「シュルス殿下が負けた訳でない」

「ですが、今回は動員できる戦力のかなりの部分を動員しての作戦でした。それで失敗したのですよ?」

「必ずしも失敗とは言えん。確かに私達は反乱軍を倒すことが出来ずに撤退した。だが、今回の作戦で反乱軍に対してかなりの被害を与えたのも事実。特に陣地の防衛の要でもある柵はその多くが破壊された。それに向こうも多くの戦力が消耗しているのは間違いない。それに対して、こちらの戦力はまだ多く残っている」

「それは……」


 言われてみれば、確かにその言葉は事実。

 だがそれが事実だとしても、その言葉に納得出来るかどうかと言われれば、答えは否だった。

 いや、正確には自分達だけであれば、その答えに納得も出来る。

 だが戦いでもっとも重要なのは兵士なのだ。

 その兵士に、実は今日の戦いは負けではなく勝ちでもなく……痛み分け、引き分けでしたと言っても納得しないのは間違いない。

 今回の戦いに参加した兵士達は、その多くが恐怖を刻みつけられている。

 覇王の鎧を身に纏い、縦横無尽に当たるを幸いと弾き飛ばし、粉砕し、暴れ回った深紅。

 空からの鋭い前足の一撃は容易く人の頭部を砕き、獣人の兵士ですらも寄せ付けない身体能力を持っており、更にはその雄叫びを聞いた者は衝撃で動きを止めてしまう、ランクAモンスターのグリフォン。

 とてもではないが、あの相手と再度戦うと言われて、はいそうですかと言える者は多くないだろう。

 ……もっとも、これが数日、あるいは一週間か、それ以上でも経てばまた戦場に戻ることが出来るだろうというのを見る限りでは、春の戦争でセレムース平原に向かった帝国軍の兵士よりは大分マシだろうが。


「それでは兵士が使い物にならないのでは?」

「……確かにその辺の問題はあるかもしれないか。だが……」


 ペルフィールがそこで言葉を止めると、瞬間、何かに気が付いたかのように目を見開く。

 そして即座に腰の鞘へと手を伸ばし……


「止めておけ」


 その一言で動きを止められる。

 特に何かされた訳ではない。本当に、ただ一言発しただけで動きを止められたのだ。

 そんなペルフィールの様子に、周囲にいる者達は何が起きたのか理解出来ないまま首を傾げる。

 その様子に、本当に何が起きたのかを理解していないのだと気が付き、ペルフィールは息を呑む。

 呼吸を整えるのに一分程。未だに何が起きたのか理解出来ないまま、ペルフィールの方を見ている周囲の者達を無視して口を開く。


「何故……貴方がここに?」

「カバジードに頼まれてな。まさか、俺としてもあそこまで使者が来るとは思ってもいなかったから驚いたが」


 カバジード、と呼び捨てにしているその声にようやく気が付いたのだろう。ペルフィールの周囲にいた貴族達が血相を変えて周囲を見回す。


「カバジード殿下を呼び捨てにするだと? 誰だ!?」


 それでも姿を見つけられないのか、それぞれに気色ばんで周囲を見回す。

 部下達のそんな様子に、ペルフィールはただ驚くしかない。

 ペルフィールの目から見れば、声を発した相手はすぐ近くに見えているのだ。

 それこそ、数歩程度の位置にいつの間にか姿を現していたその男は、こうして堂々と人前に姿を現しているというのに、ペルフィール以外の者にはその存在を認識すらさせず、ただ声だけを届かせる。

 ペルフィールがその存在を認識出来ているのも、自分が他の者達よりも格段に優れている訳ではないということは、本人が一番良く分かってた。

 単純に、この声の主が自分に認識出来るようにしているのだろうと。

 それを凄いと思っても、不思議だとは思えない。

 ペルフィールの目の前にいる人物がそれだけの力を持っているというのは明らかだった為だ。


「それで……貴方は何の為にここまで? 純粋に私達の力となってくれると?」

「そうだな、それも面白いが……今回に関しては、あくまでも伝令だ。ふっ、この俺を伝令として使うのだから、カバジードも大したものだ」


 認識すら出来ぬ相手とペルフィールが会話を交わしているという状況に、ペルフィール以外の者達はただ周囲を見回すしかない。

 それでも武器を抜かなかったのは、その謎の相手がペルフィールと話している以上、敵ではないと判断した為だろう。

 カバジードの名を呼び捨てにするという行為は決して許せないが、それでも相手の姿が見えない以上はどうにかすることも出来なかった。


「伝令?」

「ああ。現在カバジードとシュルスの二人が帝都に最低限の戦力だけ残して、こっちに向かっている。それと合流して、最後の戦いを行う……ということらしい。深紅に関しては俺に任せるという話だから、そっちの心配はしなくてもいい。合流予定は、明日の午後にこの街道上で、ここから一番近くにある村の前でとのことだ。確かに伝えたぞ」


 そう告げると、自分だけが認識出来ていた人物の姿がいつの間にか消えているのに気が付く。

 伝言の内容と、声の主が消えたことにより騒いでいる部下の声を聞きながら、ペルフィールは呟く。


「不動……」

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