第776話

 レイは、目の前の男が何を言ったのか一瞬理解出来なかった。

 いや、より正確にはその言葉は理解出来たが、納得出来なかったと言うべきか。

 そもそも、反乱軍の陣地と帝都の間にはフリツィオーネ軍がいる。

 なのに、今反乱軍の本陣が襲われているとなると、討伐軍……カバジードやシュルスはどうやって兵力を派遣したのか。

 その話を聞いた時、レイは目の前にいる男が実は討伐軍側のスパイや工作員の類ではないかと考える。

 ありもしない話をレイに告げ、混乱させようとしているのではないかと。

 だが、少なくても今レイを必死の形相で見上げている男は、何ら誤魔化しているようにも見えない。

 ただひたすら、襲われているという反乱軍の陣地を助けて欲しい。

 そういう思いだけが顔に浮かんでいるように見えた。


(となると、反乱軍の本陣が攻められているってのは事実なのか? それとも、そういう風に情報操作された内容を頭から信じているという可能性も……いや、街道を封鎖するだけの兵力を派遣できていたんだから、前もって本陣を攻めるだけの戦力を用意しておくのは……)


 目の前にいる男をどう判断していいものか迷いつつ、それでも一応念の為とばかりに尋ねる。


「それで、ヴィヘラ達はいつまで持ち堪えられそうだ? 今日中にでもやられそうなのか?」

「いえ、さすがに今日明日ということはないと思います。ですが……現在本陣には戦力が殆ど残っていません」

「……何?」

「ヴィヘラ様を始めとする方々は、街道の封鎖をしている討伐軍の部隊を撃破するべく出陣していましたので。まるで向こうはその隙を突くかのように……いえ、実際、これが敵の本命だった可能性もあります」


 完全に向こうの策に乗せられてしまったと、悔しげに口にする男。


「……なるほど」


 レイもまた、男の言葉を聞いて相手の本当の狙いを理解する。

 フリツィオーネ軍の進軍を少しでも足止めをしていた理由。

 街道の封鎖という見せ札。

 街道を封鎖する為の戦力以外にも派遣されていただろう戦力。


(最終的な相手の狙いは、戦力を極限まで減らした反乱軍の本陣を一気に突くこと、か)


 向こうの行ってきた不可解な行動も、レイの中で全てが繋がった。

 特に盗賊の散発的な襲撃に関しては、兵糧攻めで反乱軍が参るまでの足止めは絶対に不可能だと考えていたレイだったが、本陣を攻撃しているのであれば、その襲撃の意味も少し変わる。

 つまり、本陣の攻撃を終えて反乱軍を鎮圧するまでの時間稼ぎである、と。

 竜騎士を使い捨てたように幾つかまだ理解出来ないこともあるが、それでもこの作戦が向こうの……討伐軍の本命だったのだろうというのは想像出来た。

 反乱軍の最大戦力であるレイがおらず、そのレイに次ぐ力を持つヴィヘラや、グルガストの姿までもない反乱軍の本陣。

 まさに難敵の殆どを除いた状態で攻めるのだから、討伐軍側にしても勝算に関しては高いと判断したのだろう。


(せめてもの救いは、メルクリオが本陣にいる以上はテオレームも確実に残っているってことか)


 ティユールがヴィヘラに心酔しているように、メルクリオにはテオレームがついている。

 勿論その接し方は大きく違うが、レイから見てみれば心酔しているという意味では似たようなものだった。


「なるほど、その件に関してはフリツィオーネに知らせる必要があるな。悪いが、俺はこれを一刻でも早くフリツィオーネに知らせないといけない。お前はどうする? 反乱軍の陣地には……」

「いえ、反乱軍の陣地は現在封鎖されています。恐らく、ヴィヘラ様達へ連絡が行くのを防ぐ為でしょう」

「……なるほど。けど、狼煙の類とかは?」

「いえ、何だか妙な幻影で上空を覆っているらしく……」

「幻影?」


 その言葉に首を傾げるレイ。

 幻影を使うという魔法は、知ってはいたが実際にその目で見るのは初めてだからだ。


「はい。おかげで、こうして直接伝令を出す必要になって……それでも私の場合は、比較的近くにいる筈のヴィヘラ様とは違って、こちらに向かってきているフリツィオーネ殿下、それにレイ殿の方を任されたおかげで、追っ手の数もそれ程多くはなく……それでも生き残りは私だけですが」


 己の力のなさを嘆く相手に、レイは悪いと思いつつも時間がないのも事実な為に、話を進める。


「悪いが、今は話に付き合っている暇はない。先に行かせて貰う。このまま街道を帝都方面に真っ直ぐに進めば、フリツィオーネ軍と合流できる。盗賊の類は、少なくても俺がこっちに向かってきた時はいなかったから心配いらない筈だ」

「……すいません」

「気にするな。じゃあ、死ぬなよ」


 それだけを告げ、レイはセトの首を軽く叩く。


「グルルルルゥッ!」


 その合図を受けたセトは、レイが何も言わずとも数歩の助走の後に空へと向かって翼を羽ばたかせる。

 ここまで伝令としてやって来た兵士は、そんなレイとセトの姿を見送って情報を伝えることが出来たことに安堵の息を漏らしつつ、少し離れた場所でセトに対して怯えていた愛馬の下へと向かう。


「何とか重要な情報を伝えることは出来た。後は……死なないように、フリツィオーネ殿下の軍に合流させて貰うとするか。ジェニファーも、向こうに合流するまでもう一頑張り頼むよ」

「ブルルルルゥ」


 ジェニファーと呼ばれた馬は、鼻を鳴らして兵士の言葉に任せておけと発憤する。

 その背に乗った兵士は、一瞬だけ視線を自分が元来た方へ……仲間が死んだ方角へと向けると、感傷を断ち切るようにジェニファーに脇腹を軽く蹴り、フリツィオーネ軍の方へと向かって走り出す。






 セトの翼に掛かれば、フリツィオーネ軍との距離は殆どすぐ近くであると言ってもいい。

 それ程の速度でフリツィオーネ軍へと戻ってきたレイは、そのままセトと共に先頭を進むフリツィオーネが乗っている馬車、そして白薔薇騎士団へと近づいて行く。

 予定していたよりもかなり早い帰還を疑問に思ったのだろう、白薔薇騎士団の女騎士がレイとセトへと近づいてくる。


「レイ殿、戻ってくるのが早かったようですが、どうかしたのですか?」

「ああ。実はこの先の街道で追われている騎兵を助けてな。その騎兵から事情を聞いたところ、現在反乱軍の本陣が討伐軍に攻撃を受けているらしい」

「なっ!? ですが、以前に助けた者達は……」


 チラリと視線を向けたのは、フリツィオーネ軍の後方。

 つい先日白薔薇騎士団の第一部隊が助けた者達がいるだろう場所。


「別にあの報告が嘘だったとかは思っていない。そもそも、街道の封鎖自体が本陣から戦力を引き離す為の策だったんだろう。勿論、兵糧攻めの効果があればそれはそれでいいって具合に。その辺の事情を報告したいんだが」

「……はい。では一緒に来て下さい」


 女騎士に先導され、フリツィオーネが乗っている馬車の前まで案内される。


「それで、レイ。用件は?」


 最初に口を開いたのは、フリツィオーネ……ではなく、その馬車の近くにいたアンジェラだ。

 レイの行動から、また何か自分達にとって不利な事態が起きたのだろうという思いで尋ねたのだが……レイが騎兵から聞いた、本陣が討伐軍に襲撃されているという報告に、アンジェラは緊張した表情でレイの方へと視線を向ける。


「それは本当なの? カバジード殿下やシュルス殿下辺りの手の者では?」

「ないな。少なくても、俺が見た限りでは必死に助けを求めているように見えたし、俺が助けなければ追っ手になぶり殺しにされていた筈だ。それに……俺はこの情報を伝える為に一足先に戻ってきたけど、今そいつはここに向かっている。どうしてもその辺が気になるなら、そいつが来たら話を聞いてみるといい」


 視線をフリツィオーネ軍の後方、補給部隊とその護衛がいるだろう方へと向けて呟くレイに、アンジェラは当然と頷く。


「レイが言ってる人がこっちに来たら、この前の人と面通しはさせて貰うつもりよ。……まぁ、聞いた話だと反乱軍はかなりの人数に膨らんでいるそうだから、もしかしたら面識がない可能性もあるけど」

「ま、あいつらにしても仕事がないままよりは、あった方がいいだろ」


 白薔薇騎士団の第一部隊に助けられた伝令の兵士達は、現在特にやるべきこともないとして補給部隊に組み込まれていた。

 本来であればわざわざ反乱軍から伝令として選ばれるくらいだから、有能な者なのだろう。

 だがこの軍がフリツィオーネ軍である以上、メルクリオ配下の伝令とは明確に指揮系統が違う。

 その為、現在は戦闘が起こった時にそれ程厳しい戦闘にはならないだろう補給部隊に組み込まれていた。

 正確には、補給部隊にいる捕虜の世話係兼監視役、そして護衛といったところだが。

 捕虜のソブル、そして投降してきたムーラとシストイ。

 この三人が妙な動きを――『戒めの種』が埋め込まれてはいるが――しないように。そして、口封じの為に命を狙ってきた者がいた場合は護衛する為に。

 もっとも、護衛に回された方としては非常に不本意だろう。

 ムーラとシストイが反乱軍の陣地で暴れたことにより、反乱軍は少なくない被害を受けている。

 当然思うところはあるだろうし、不本意でもあった筈だ。

 だがそれでも、皇族のフリツィオーネに命じられたことに逆らえる筈もなく、現在は大人しくその役目をこなしていた。

 もっとも、本人達はストレスの溜まるここではなく、他の場所にして欲しいというのが正直なところだったのだが。


「でだ。反乱軍の陣地が幻影で覆われていて、狼煙の類も使えないって話だけど……何か心当たりは?」


 話を戻して問い掛けたレイの言葉に答えたのは、アンジェラではなくフリツィオーネだった。


「ええ、あるわ。クォントームの吐息、というマジックアイテムがあるの。ただし、これは闘技場の結界に近い性質を持つ代物で、ランクB相当のモンスターの魔石を複数使用してようやく起動出来るというものよ。効果は、今レイが言ったように限度はあるけど、一定範囲内に幻を作り出すというもの」


 一応皇族の秘宝の一つなのだけど……と続けるフリツィオーネにレイは思わず溜息を吐く。


「そんな大仰な物を持ち出してきたと?」

「そうね」


 あっさりと答えられると、レイとしてもどう返したらいいのか一瞬迷い、やがて苦笑と共に口を開く。


「向こうが秘宝の類を出してくるんなら、出来ればこっちも何か他の秘宝を出して欲しかったな」

「無茶を言わないで頂戴。大体、クォントームの吐息を持ち出したのがカバジード兄上なのか、それともシュルスなのかは分からないけど、多分父上の許可を貰ってはいないわ」

「……それって内戦終了後に問題になるんじゃないのか?」

「どうかしら。一応皇族であれば持ち出すのに不都合はない筈だし。父上の許可に関しても、一応という程度のものでしかない筈だもの。勿論最終的には咎められることになるでしょうけど、この内乱を自分達の勝利で終えることが出来れば、どうとでもなると思ったんでしょうね」


 小さく肩を竦めるその様子は、どこかヴィヘラを思わせるものがあった。

 もっとも、半分とはいっても血が繋がっているのだから当然だが。


「まぁ、どこから持ってきたのかは分かった。それで、具体的な効果時間とかは?」

「幻影で覆う範囲にもよるけど、ランクBモンスターの魔石1つで、大体三十分から一時間といったところかしら」

「……また、随分と燃費が悪いな」


 言葉通り、燃費の悪さに呆れた表情を浮かべるレイ。

 ランクBモンスターと言えば、オークキングのような強力なモンスターだ。

 ランクAモンスターであるグリフォンには大きく劣るが、それでも普通の冒険者にとっては非常に厳しい相手なのは間違いない。

 そのランクBモンスターの魔石を使い捨てにし、それでも効果時間は三十分から一時間程ともなれば、確かに燃費の悪さは極めつけだった。


「それでも、広範囲に幻影を展開出来るという効果は、今回のように使いようによっては莫大な効果を発揮するのよ」

「だろうな。実際、それを使われてこうしてピンチになっている訳だし。……それで、だ。話を戻すと、俺はここから先行したい。今日中にメルクリオ達の反乱軍と合流出来るのは間違いないだろうが、進行方向に敵が待ち伏せしている可能性は十分にある。それに前もって対処しておきたい。……どうだ?」


 レイの口から出たのは、確かにこの軍の護衛役としては間違っていない。

 だがその狙いがどこにあるのかは、フリツィオーネにしろ、アンジェラにしろ、十分以上に理解出来ていた。

 つまり、待ち伏せしている部隊の排除という名目で反乱軍の援軍に向かうのだろうと。


「……そうね、確かにここまで来れば、もうメルクリオ達と合流するのは難しくないわよね?」


 フリツィオーネの問い掛けに、アンジェラはすぐに頷く。


「ええ。その辺は問題ないかと。その上でレイが待ち伏せしているかもしれない部隊を叩いてくれるのであれば、より安全度は増すでしょう」

「そういうことよ。じゃあ、レイ。……ヴィヘラやメルクリオのこと、お願いね」

「分かった。セト!」

「グルルゥ!」


 フリツィオーネ軍から離脱の許可を貰い、レイはセトの首を軽く叩く。

 それを聞いたセトは、そのまま空へと飛び立って行くのだった。

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