第777話

「撃て、撃てぇっ! 奴等をこれ以上近づけるな! この陣地にはメルクリオ殿下がおられるのだ! 決して陥落させてはならん!」


 指揮官の言葉に従い、弓兵は大量の矢を放つ。

 陣地に籠もっての戦いであり、当然矢の本数には限界がある。

 だからといって、ここで手を抜くようなことになってしまっては、この反乱軍の象徴でもあるメルクリオの命が奪われてしまうかもしれない。

 その危険性を考えると、ここで矢の出し惜しみをするのは愚策でしかなかった。

 それに、現在の反乱軍は主力とも呼ぶべき者達が街道の封鎖をしている部隊を排除するべく出撃しており、圧倒的に戦力が足りない。

 とてもではないが、矢を節約しながら戦うだけの余裕はなかった。

 だが、余裕がないのは討伐軍にしても同様だ。

 今はヴィヘラを始めとした反乱軍の主力がいないが、いつ戻ってくるのか分からないのだから。

 だからこそ数の多さを利用し、多少の被害が出ても力ずくで向こうを押し切るような戦いをしていた。


「正直、このような戦い方は私の好みではないのだが、な」


 討伐軍の兵士達が一気に反乱軍の陣地へと攻め寄せている光景を見ながら、ペルフィールは呟く。

 その言葉にあるのは、義務感のみ。

 ペルフィール自身としては、たった今言葉にしたようにこのような戦い方は好みではなかった。

 正々堂々、正面から相手を力で屈服させるような戦い方こそがペルフィールの好む戦い方だ。

 もっとも、そのような戦い方を好むペルフィールだったが、カバジードに信頼されているのは自分の欲求を押し殺して命令通りに行動することが出来るからだろう。

 自分好みの戦いと、命令された戦い。どちらを優先させるかといえば、ペルフィールは躊躇なく後者を優先させる。

 その上で自分が出来る最高の手を尽くし、手を抜くようなことをせずに全力で仕事に挑むあたり、他人に……それ以上に自分にも厳しいペルフィールの面目躍如といったところか。

 反乱軍の陣地に残っているのは、兵士や冒険者といった純粋な戦闘要員は三千人を切っている。

 ヴィヘラが率いて出撃した部隊の残りが唯一の戦力である以上、二万人近い動員数を考えれば、戦力的には討伐軍の方が圧倒していた。

 それでもまだ倒しきれないのは……


「出た、出たぞ! あの少数部隊だ! 陣地の右翼側だ!」

「ええいっ、くそ! また厄介な!」

「騎兵隊を出撃させろ! 今度こそ奴等を逃がすな! それと、もう一方の厄介な方はどうなっている!」

「そちらはまだ……いえ、出ました! 陣地の向こう側に馬の下半身を持つ魔獣兵を始めとして、機動力の高い魔獣兵が!」

「くそっ、同時に出たか! ペルフィール様!」

「分かっている。騎兵隊を少数部隊の方に出すという命令を撤回。第一部隊、第二部隊はそれぞれ少数部隊の方へ、魔獣兵の方は騎兵の機動力と攻撃力で一撃離脱を行って対処しろ。弓兵と魔法使いはそれぞれ援護を忘れるな」


 そう、この二つの部隊が大きく暴れているからだ。

 戦闘が始まった当初は、少数部隊……本来であればレイが率いる筈の遊撃部隊が攻撃に出て討伐軍を翻弄していた。

 討伐軍にしても、これまでの反乱軍との戦いで大きく兵力を減らしており、尚且つ街道の封鎖にも部隊を回したり、反乱軍と合流すべく動き出したフリツィオーネ軍の進軍を妨害する為の戦力といった風に、必ずしも万全の状態ではない。

 それでも、遊撃部隊だけであれば何とか対処出来たのだ。

 だが……このままでは遊撃部隊の被害が多くなり、最終的には数に押し負けると判断したメルクリオとテオレームは、自分達の切り札とも呼ぶべき魔獣兵の投入を決定する。

 とても人間とは思えぬ容姿をした魔獣兵に、当初は反乱軍の者も混乱して攻撃しそうになった。

 だが反乱軍の象徴でもあるメルクリオや、実質的に反乱軍を動かしているテオレームから魔獣兵は味方で、攻撃するのを禁止するという命令が下ったことで、一先ずは同士討ちの危険は避けられる。

 魔獣兵が討伐軍にのみ攻撃していたというのも、反乱軍が安堵した要因の一つだろう。

 そんな反乱軍とは逆に、討伐軍の方は混乱の極地にあった。

 春の戦争に参加した者であれば、魔獣兵を見たことがあった者もいたかもしれない。

 だが不幸なことに、ここには春の戦争に参加した者の数が少なく、人外の姿をしている魔獣兵を見て、その攻撃力を目の前で見せつけられ、兵士達は容易に恐慌状態に陥る。

 指揮官が幾ら混乱を収めようとしてもそう簡単に混乱が収まる筈もなく、それどころかモンスターとのキメラとでも言うべき姿の魔獣兵は、そんな外見をしていながらも判断力は人間と同じレベルがある。……もっとも、被献体となった人物によるが。

 ともあれ、それだけの判断力があるのだから、魔獣兵にとって大声を出して味方を統制しようとしている指揮官は格好の獲物といえた。

 触手を伸ばして貫き、ハサミで首を切断し、爪で喉を抉り、植物の蔦で喉を絞め、毒の胞子を使って血を吐かせ、と様々な手段で指揮官と思しき者を殺していく。

 ……毒が短時間で消えるようなものでなければ、あるいは反乱軍側にも被害が出ていたかもしれないが。

 そのような攻撃を幾度となく受けて、討伐軍はとても小さいとは言えない被害を出していた。

 だが、それでも……


「くそっ、不味いぞ! これ以上敵の数が多くなれば対処出来ない! 援軍、援軍を回してくれ!」

「無茶言うな! 他の場所にだって戦力が必要なんだ。余裕のある戦力なんかない!」

「あーっ、もう! 何だって向こうの戦力がこんなに大きいのよ! こっちの手数が足りなすぎるわ! 矢、矢をもっと持ってきて!」

「しょうがないだろ、主力は街道の封鎖をしている部隊を叩きに行ったんだから! せめてもの救いは、今はまだ物資が十分にあることだな!」

「そう言っても、こっちだってそうそう持たないわよ!?」


 反乱軍の陣地の中では、いたる場所で悲鳴のような叫びが上がっていた。

 被害自体はまだそれ程受けている訳ではないのだが、自分達の六倍以上の人数を揃えた相手に対抗するのは、幾ら魔獣兵や遊撃部隊がいても無理があった。


「くそっ、深紅はどこに行ったんだよ、早く戻ってきてくれよ!」


 悲鳴のような叫びが上がるが、誰もそれには答えない。

 既に矢や魔法による遠距離の攻撃を潜り抜け、陣地に籠もっている反乱軍と近接戦闘になっている場所も多いのだ。

 それどころではないというのが他の者達の正直な思いだろう。

 ……同時に、この現状で彼我の戦力差を一気に逆転できるだけの実力を持っているだろうレイの帰還を待ち望んでいるというのも、間違いのない事実だった。

 一進一退……ではなく、一進二退くらいの割合で戦いは進んでいく。

 それでも、これだけの戦力差がありながら曲がりなりにも対抗出来ているのは、やはり遊撃部隊と魔獣兵のおかげだろう。

 もっとも、反乱軍の中にはレイの訓練を受けた者も多い。

 そのような者達の奮戦も、何とか現状を維持するのに貢献していた。


「兵力は圧倒的に向こうが上、こちらから連絡をしようにも狼煙の類は使えない、伝令を出そうにも向こうが強く警戒している。……これは、詰んだかな?」


 反乱軍の陣地中央にあるマジックテントの中で、メルクリオは呟く。

 本来であれば自分の命の危機だというのに、全く悲壮感がない。


(いや、恐怖を感じていない訳ではない)


 一瞬メルクリオの手が強く握られたのを見たテオレームが、内心で呟く。

 自分がこの反乱軍の象徴であると知っているからこそ、ここで狼狽えるような真似をすれば周囲にいる者達が動揺し、それが全軍に広がって反乱軍が壊滅する未来へと繋がりかねない。

 それを理解しているからメルクリオは現状に危険を感じつつも、それを表に出さず、いつもと変わらない様子を装っている。


(危機に陥った時こそ、泰然自若とする。言葉で言うのは簡単だが、それを出来る者がどれ程いるか。もっとも、それを出来るのがシュルス殿下であり、カバジード殿下なのだろうが)


 苦笑を浮かべつつも、テオレームはメルクリオに向かって首を横に振る。


「確かに現状ではこちらが圧倒的に不利です。まさかこのような手段に出るとは思いも寄りませんでしたので。確かに街道の封鎖による兵糧攻めだけではないと思いましたが……ですが、私達にもまだ勝機はあります。現状でもこちらが不利なままで戦況が進んでいますが、それでも一気に押し負けているという訳ではありません」


 その言葉は事実だった。

 もっとも、それを支えているのが遊撃部隊と魔獣兵によるものである以上、あくまでも少数だ。

 少数精鋭と言えば聞こえはいいが、少数である以上はどうしても体力的な問題が付き纏う。

 誰もがレイやセトのように、無尽蔵とも言える体力を持っているという訳ではないのだから。


「今は耐えて、機を待つしかないでしょう。出撃したヴィヘラ様率いる部隊にしても、ここが幻影で覆われているというのに気が付くかもしれませんし、伝令の兵を送ってくる事も考えられます。クォントームの吐息……と言いましたか。皇族の秘宝とのことですが、ヴィヘラ様も当然それは知っているでしょうし、何よりフリツィオーネ殿下の軍もすぐ近くまで来ている筈です」


 ざわり、と。テオレームの言葉を聞いていたメルクリオ以外の貴族達がその言葉に希望を抱く。

 その希望を更に強いものにするべく、テオレームは言葉を続ける。


「討伐軍が攻撃を仕掛けてきた時点で、私の手の者をフリツィオーネ様の下へと向かわせております。レイが帝都へと向かった日から考えると、恐らく伝令の者達はフリツィオーネ殿下の軍に接触していてもおかしくない筈。そうなれば、フリツィオーネ殿下の軍は地上を移動するのでそれ程移動速度は早くないでしょうが、レイがいます。グリフォンのセトを従魔にしているレイが」


 レイとセトという一人と一匹の名前がもたらした希望は、間違いなくこの場で最大のものだった。

 希望で顔を輝かせている者達を見て、メルクリオは苦笑を浮かべる。

 本来この軍の象徴である筈の自分より、雇われているだけに過ぎないレイの方がこの場ではより強く求められているのが分かったからだ。


(もっとも、レイに対抗意識を向けるだけ無駄だろうけどね。色々な意味で自由なんだから)


 そう思いつつ、メルクリオはレイに対してそれ程悪い感情は抱いていない。……ヴィヘラに関してのことは話が別だが。

 何より個人で圧倒的な力を持っているだけあって、皇族である自分に媚びへつらうような真似をしないのがいい。

 反乱軍として立ってからは話が別だが、城にいる時には多くの者が自分を利用しようとして近づいてきた。

 その殆どが、どこの派閥にも入れなかった者達だからしょうがないとはいえ、そんな貴族達の相手をするのはメルクリオにとってもかなりの苦痛であった。

 だがレイの場合、自分の力だけで大抵のことは何とでも出来るから、皇族である自分を利用しようとは一切思っていないのだ。


(姉上に関しては、まだ認めた訳ではないけどね)


 メルクリオの脳裏を、最愛の姉の姿が過ぎる。

 現在は街道を封鎖している部隊を倒しに出ているが、そのうち異変に気が付いて戻ってくる筈だ。

 少なくても、メルクリオはそう確信している。


「さぁ、とにかく希望の光は見えた。レイが戻ってくるまで粘れば、こちらの勝ちだ」


 断言する。

 実際にはそこまで単純な訳ではないのだが、それでもメルクリオの言葉を聞いた者達は士気が高まった。


「そうだな、あのレイが戻ってくればあの程度の人数はどうとでもなる!」

「それだけの実績を上げてきているのだから、心配はいらないだろう」

「……個人的には、セトが怪我をしないようにして活躍して欲しいんだけどな」

「おい、兵士達がグリフォンに入れあげているのは知ってたけど、この中にもその仲間がいたぞ」

『え?』


 ぼやくように呟いた貴族の言葉に、先程セトの身を案じた者以外にも数人が同時に声を上げる。

 その様子に、先にセトを好む貴族をからかうように告げた貴族が一瞬の沈黙の後で驚きの声を上げた。


「……おい」

「さ、さぁ。とにかく私達がやるべきことは、レイとセトが戻ってくるまで持ち堪えることだ!」

「そうだな。とにかく今は余計なことを考えるべきじゃない」

「ああ、兵力の余裕が少しでもある場所から、危ない方に配置をし直す必要がある」

「いや、今は余裕があっても、次にそこに攻撃が集中するかもしれないんだから、そう迂闊には……」


 疑惑の視線を無視するかのように告げる貴族に、他の貴族も同意するように言葉を重ねる。

 その様子に、最初の貴族がどこか呆れたように溜息を吐きつつ、それでも今は現状をどうにかする方が先だと判断して話に加わっていく。

 自分達が生き残る為に……そして、討伐軍に対して致命的なダメージを与えられることを期待して。

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