第775話

 レイがエレーナと対のオーブで話した翌日、フリツィオーネ軍は早めに陣を畳み、メルクリオ率いる反乱軍と合流すべく出発していた。

 これも、人数が五百人程度と少ないからこそだろう。

 もしこれが数千人、あるいは数万人規模の軍隊であれば、出発の準備を整えるだけで一苦労だったのだから。

 フリツィオーネ軍の五百人が精鋭揃いであるというのも、当然影響しているだろうが。


「レイ殿、思ったよりも落ち着いているようだな」

「ログノス侯爵? 何でまたこんな場所まで……」


 フリツィオーネ軍が進軍を開始してから一時間程。相変わらずセトの背に乗りながら街道を進むレイに声が掛けられ、振り向くとそこには立派な髭を生やした人物の姿があった。

 このフリツィオーネ軍の中でも重鎮と言っても間違いではないログノス侯爵だ。

 貴族にしては珍しく、レイの態度に理解を示すという奇特な性格の持ち主。

 他の貴族達が眉を顰めることも多いレイの言葉遣いにも特に気にした様子もなく接するその態度は、貴族というものを基本的には好んでいないレイにしても、思わず親しみを感じる相手だった。


「いや、何。昨夜にフリツィオーネ殿下から話を聞いていたのでな。特にレイ殿はこのフリツィオーネ軍の中でももう一つの軍隊、最大戦力と言ってもいい。そうである以上、恐らく今日中には何か起きるだろうから、その前に様子を見ておきたいと思っただけだよ」

「グルルゥ!」


 自分は大丈夫! と喉を鳴らすセトに、ログノス侯爵は髭の中で小さく笑みを浮かべる。


「そうか、そうか、グリフォンだけあって、頼りになりそうだ。存分に期待させて貰うぞ」


 セトの様子に、上機嫌に笑い声を上げたログノス侯爵は、内心で安堵する。

 反乱軍の方にカバジードが手を出している以上、レイもそちらを心配して本調子ではないのでは? と思っていた為だ。

 だがこうして話してみた限りでは、いつものレイとそう変わらないように思える。

 もっとも、いつものレイと言える程にレイのことを知っている訳ではないのだが。


「さて、ではそろそろ私は戻るとするよ。レイ殿も色々心配はあるだろうが、よろしく頼む」


 ログノス侯爵の言葉に小さく頷きを返すレイ。

 そのままレイから離れ、後方の貴族達の部隊が集まっている方へと戻っていくログノス侯爵を見送り、レイはセトの首を撫でる。


「どうやら、ログノス侯爵にも心配を掛けてしまったようだな。セトも心配しただろ?」

「グルゥ……」


 自分は問題ないと、レイを背に乗せた状態のまま首を横に振るセト。

 そんなセトにレイもまた感謝を込めて首から頭へと場所を変えて撫でる。


「グルゥ、グルルルルゥ!」


 それが嬉しかったのだろう。セトは上機嫌に喉を鳴らす。


「さて……そうなると、今日到着予定の反乱軍の陣地はどうなっているのかだな。兵糧攻めで来たんなら、多分まだ大丈夫だと思いたいところだけど。その辺、どう思う?」


 自分達へと近づいてくる気配にレイが尋ねると、その気配の持ち主……ウィデーレが少し驚いたように目を見開く。


「気が付かれていたか。さすがにレイ殿だな」

「幾らなんでも馬が近づいてくるのに気が付かない筈がないだろ。それより、どう思う?」

「兵糧攻めなら問題はない。……だが、兵糧攻めをする為だけに私達を足止めしても効果が薄いだろう」


 我が意を得たり、とばかりにウィデーレの言葉に頷くレイ。


「そうなんだよな。幾ら盗賊とか傭兵団とか、あるいは討伐軍の部隊を使ったからって、所詮やっていることは足止め……と言えば聞こえはいいけど、嫌がらせ的な攻撃でしかない。待ち伏せしていた部隊とかも大体撃破した以上、そんな時間稼ぎの部隊で俺達がどうこうなる筈がないというのは向こうも十分に理解している筈だ」


 嫌がらせは所詮嫌がらせにしかならない。

 幾ら盗賊団が頻繁に攻撃してきても、出来るのは精々進軍速度を鈍らせる程度のものでしかなく、とてもではないがフリツィオーネ軍に大きな被害を与えて、反乱軍との合流を諦めさせるという真似は出来ない。

 いや、下手に大きなダメージを与えようものなら、寧ろ急いで反乱軍との合流を考えるだろう。


「全く別の考えを持つ者が……うん?」


 そこまで呟くと、ふとレイが何かを思いつくかのように背後へと……具体的には帝都のある方へと視線を向ける。


「レイ殿?」

「いや、もしかしてシュルスとカバジードが手を組んだとしても、息が合っていないという可能性もあるんじゃないかと思ってな」


 レイの言葉に、ウィデーレは数秒考えてから口を開く。


「確かに普通に考えればその可能性はあると思う。しかし、シュルス殿下とカバジード殿下は共にメルクリオ殿下を第一に倒すべき敵と考えている以上、足並みが揃わないということはないと思うのだが」

「確かに本人や周囲にいる者達はそうかもしれないな。けど、下にいる奴まで十分に意思疎通出来ているとは限らないだろ? 特に俺が以前ヴィヘラから聞いた話によると、シュルスの部下にはカバジードの派閥には入れなかった者達が多く入っている……つまり、無能な奴が多いって聞いてるぞ?」


 それは、反乱軍と討伐軍の最初の戦いを見ても明らかだった。

 実際、最初の戦闘では多くの貴族が生きたまま捕らえられ、未だに身代金の交渉を行っているのだから。

 もしもその件がなければ、恐らく第2皇子派の戦力は更に増していただろう。


「その辺を考えると、無能だって奴が揃っててくれて運が良かったんだけどな」

「だと、いいのだが」


 レイの言葉に同意したいウィデーレだったが、妙に嫌な予感が胸の中にある。


「ま、そっちはともかくだ。そろそろ偵察に出たいと思うんだが、構わないか?」


 二日前にはセトに乗り、多くの待ち伏せしていた部隊を殲滅してきたレイだったが、日を跨いだことによって再び別の集団が足止めをする為に待ち伏せしているかもしれないと考えていた。


(もっとも、盗賊のネットワークってのは予想外に早いらしい。だとすれば、俺がこのフリツィオーネ軍に同行しているのは昨夜のうちに知られていてもおかしくない)


 いつの間にか盗賊喰いとまで言われるようになってしまった自分に苦笑を浮かべつつも、今はその盗賊喰いというのが戦うだけで無駄に時間の掛かる盗賊達を追い払う虫除けのような存在になっているのだから、笑うしかない。

 もっとも、盗賊達がいなくなった代わりに傭兵や冒険者、討伐軍の部隊といった、より精鋭と呼べるだけの存在が派遣されている可能性も否定は出来ないのだが。


「ふ、む。確かに陣地から出発してからある程度時間も経っているし、構わないと思う。それにレイ殿は元々この軍の指揮下にある訳ではない。であれば、無理に命令出来る筈もない。それに偵察というのは、こちらの目的にも沿っている出来事だ」

「悪い、頼む。報告だけはしておいてくれ」


 その言葉にウィデーレが頷くのを見て、レイはセトの首を軽く撫でて言葉を掛ける。


「って訳だ、セト。じゃあ、頼む」

「グルルルルゥッ!」


 レイの呼びかけに、セトは嬉しげな声を上げながら数歩の助走の後に羽を羽ばたかせて空中へと駆け上がって行く。

 セトの鳴き声に、一瞬周囲にいた者達が視線を向けたが、それがセトであると知れば特にそれ以上は注意を向けることはない。

 フリツィオーネ軍とセト……そしてレイが行動を共にしてからまだ四日目だというのに、不思議と皆がセトという存在に慣れ始めていた。

 それは、フリツィオーネ軍の最精鋭部隊でもある白薔薇騎士団にもセトを可愛がっている者が多くいるというのもあるし、最初に討伐軍が待ち伏せしていた時に共に戦ったというのもあるだろう。

 また被害自体は殆どないものの、鬱陶しい盗賊団をレイとセトが片っ端から倒してくれたというのもある。

 それらの理由から、フリツィオーネ軍の中でもレイやセトに対する畏怖や恐怖といった感情は収まってきていた。


「お、セトが飛んでいくな」

「あ、本当だ。……そう言えば今日出発前に、俺が用意した干し肉を食べてくれたんだよな。いや、あれは感動ものだった」

「うわ、羨ましすぎ。私もセトちゃんを餌付けしてみたいな」

「餌付けって言うな、餌付けって」


 そんな風なやり取りが聞こえてくる中を、ウィデーレは軍勢の先頭へと向かって進んでいく。

 セトが飛び立ったのを知れば、フリツィオーネ殿下も寂しがるだろうと考えながら。






「グルルルゥ」


 嬉しげに喉を鳴らすセト。

 自分に構ってくれる相手と一緒に遊ぶのも楽しいが、やはりセトにしてみればレイと二人でいる時というのが一番楽しく、リラックス出来る時間帯だった。

 そんなセトに、レイは笑みを浮かべつつ首を撫でてやる。


「一応今回の目的は偵察なんだから、完全に遊び気分ではいるなよ」

「グルゥ!」


 勿論! とレイの声に反応するセト。

 そんなセトと共に、レイは偵察という名の遊覧飛行を楽しむ。

 もっとも、確かに遊び半分ではあるが、決して手を抜いている訳ではない。 

 セトと共に地上の様子を観察し、敵がいないかどうかを探していく。


「うーん……やっぱり盗賊の類は既にいないな」


 二日前は見て分かる程に盗賊が多かったのだが、今日になってからはまだ盗賊団を一つも見つけることが出来ない。

 やはり足止め部隊に使われていたのは盗賊が殆どで、レイの情報を聞いて撤退したのだろう。

 そんな考えがレイの頭を過ぎる。

 

「ま、こっちとしては普通に進むことが出来る分、楽と言えば楽なんだけど」

「グルルゥ?」


 そう? と、レイの言葉に首を傾げるセト。


「ああ。とにかく敵がいないのはラッキーだったな。後はもう少し適当に見て回って……うん?」


 さっさと戻ろう。そう言おうとしたレイだったが、視線の先にふと気になるものを見つける。

 大勢の騎兵と、一人の騎兵。

 二つの存在に分けたのは、その二つが離れている為だ。

 しかも追っている方の大勢の騎兵の方は、半ば遊んでいるような表情すら浮かべていた。

 実際に追っ手の方は、逃げている騎兵を狩りのような感覚で追っているのだろう。

 それでも弓を使っていないのは、騎射出来る程の技術がないからか。


「……さて、どうしたものか。いや、考えていられるような状況じゃないか。セト」

「グルルルゥッ!」


 レイの呼びかけに、セトは大きく雄叫びを上げながら地上へと向かって降下していく。

 別にスキルの王の威圧を使った訳ではなかったが、それでもグリフォンの雄叫びは十分過ぎる程の効果を発揮した。

 追っ手の方の馬が見て分かる程に混乱したのだ。

 唯一の難点としては、追われていた方の騎兵の馬もまた混乱してしまったことか。

 単純な雄叫びであるだけに、王の威圧のように効果を発揮する相手を選ぶというような真似は出来ない為だ。

 それでも追っ手の方も動きが混乱している為、追われている方の騎兵は結果的に安全となる。

 そうして混乱している間に、追う者、追われる者の間にセトが割って入った。


「なっ、何だお前は!」


 追撃していた方の騎兵隊からそんな声が聞こえてくるが、レイはその言葉を聞き流しつつミスティリングからデスサイズを取り出して、大きく振るう。

 ヒュンッという、とてもではないがデスサイズのような大きさの獲物を振り回したのでは鳴らないような風切り音が周囲に響く。


「俺は反乱軍に協力している冒険者だ」

「は、反乱軍に!? ならそいつを助ける為にやって来たのか!」


 追撃していた方の騎兵部隊から、そんな声が響く。

 その声には、紛れもない恐怖が宿っていた。

 それだけ先程のセトの雄叫びは効果があったのだろう。


(王の威圧を使っておいた方が良かったか?)


 一瞬だけ脳裏を過ぎった考えを無視して、レイは追われていた方の騎兵へと視線を向ける。

 追撃している方の言葉を信じるのなら、追われている方が反乱軍……つまり、レイの味方となる。


「そうだな、そういうことになるか。……それで、どうする? こいつを追っていたってことは、お前は討伐軍側だろう? ここで俺とやり合うのか? 俺は別に構わないが……覚悟は出来てるんだろうな?」


 デスサイズをこれ見よがしに見せつけて尋ねるレイ。

 グリフォンの背にのり、顔もしっかりと見えないようにドラゴンローブのフードを下ろし、巨大なデスサイズを見せつける。


「おい、あいつ多分……」

「ああ。グリフォンに乗ってるんだから、間違いない」

「いや、何だってこんな場所に!?」

「とにかく、まともに相手出来ないって」

「退く、か?」


 そんな風に小声で相談し、すぐにその場で馬首を返す。


「ここは大人しく退くから、見逃してくれ!」


 叫ぶだけ叫び、レイの返事も聞かずにそのまま元来た方へと向かって駆け出す。

 その引き際の良さは、レイにしても一瞬驚く程。

 てっきり、またここで刃を交えるのかとばかり思っていただけに、素早く撤退していく相手を呆然と見送り……やがて後ろから自分に近づいてくる足音に振り向く。

 馬から降りて、真っ直ぐに自分へと駆け寄ってくるのは、間違いなくたった今追われていた男。

 その男は、レイに向かって緊張した表情を浮かべたまま口を開く。


「レイ殿、反乱軍の本陣が討伐軍に襲われています!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る