第774話

 ヴィヘラが部隊を率いて街道を封鎖している討伐軍の部隊を次々に撃破している頃、レイと共に行動しているフリツィオーネ軍は反乱軍の陣地へと向かって進軍速度を上げていた。

 それでも、翌日に到着予定だと思われていたのを今日のうちにというのは無理で、結局その日は予定よりも距離を稼ぐことは出来たものの、野営をすることになる。


「……」


 マジックテントの近くで無言で焚き火を眺めるレイ。

 パチッという音と共に、火の粉が跳ねてそれを見ていたレイの意識を現実に引き戻す。


「グルゥ」


 レイが寄りかかっていたセトも、そんなレイを心配そうに眺めていた。


「悪い、心配掛けたな」


 セトを撫でながら、空を見上げる。

 丸く大きな月を見ていると、不思議に心が落ち着くのを感じていた。

 何か危険を感じるのは事実だ。

 だが今の自分はフリツィオーネ軍の護衛を任されている身である以上、まさかそれを放っておく訳にもいかないだろうと考える。


(それに……)


 ティユール、グルガスト、テオレーム、メルクリオ……そして、ヴィヘラ。

 反乱軍を率いている者達の顔が脳裏を過ぎる。

 戦闘力という面では自分の方が上だが、逆に考えれば戦闘力以外では向こうの方が圧倒的に上。


「つまり、俺がここで心配しているようなことは、向こうでもとっくに考えられてるってことだろうな。なら、ここで俺が心配しても意味はない」


 月を見上げていた姿勢から、再び焚き火の方へと視線を向ける。

 闇の中で燃えているその焚き火は、先程までとは違ってレイの心を落ち着ける効果をもたらす。


「あー……セトにも心配を掛けたな。ほら、食うか?」


 差し出したのは、ミスティリングから取り出した干し肉。

 それをセトは、嬉しそうにクチバシで咥えて口の中へと運んでいく。


「それに、反乱軍には俺が鍛え上げた遊撃部隊の奴等もいる。あいつ等はその辺の相手に負けるような実力じゃないし……土産もあるしな」

「グルルゥ?」


 お土産? と首を傾げるセトの頭を撫でながら、レイは頷く。


「ああ。ワイバーンを倒しただろ。あの素材で武器や防具を作ってやろうと思ってな。ちょっとした贔屓に見えるかもしれないけど、自分の部隊を強くするんだから、その辺は多目に見て貰えるだろ」

「グルルルルゥ!」


 素材よりもお肉! と喉を鳴らすセトに、レイは思わず笑みを浮かべる。


「セトはいつも変わらないな。おかげで助かってるよ」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、嬉しそうに鳴き声を上げるセト。

 自分がレイの役に立っているのなら、セトにとってはこれ以上に嬉しいことはなかった。

 そのまま暫く経ち、ふと何かを思いついたレイは、いつものようにセトに見張りを任せてマジックテントの中へと入っていく。

 相棒の姿を見送ったセトは、焚き火の側で寝転がる。

 誰か……あるいは何かがレイへの害意を持って近づいてきた時、すぐ分かるように。

 秋の夜だけあって、それなりに涼しい……というよりは、若干肌寒いくらいの気温なのだが、グリフォンであるセトにとっては大した違いがない。

 それでも味方が何らかの用件で来た時や、レイがマジックテントから出てきた時に寒いと可哀相だという意識もあるのだろう。

 レイが用意しておいた薪を数本焚き火の中に放り込んでから、目を瞑って警戒の態勢に入るのだった。






 マジックテントの中に入ったレイは、ソファへと腰を下ろしてミスティリングから目的の物を取り出す。

 それは、遠くの相手と話をすることが出来るマジックアイテム、対のオーブ。

 そして対のオーブのもう片方があるのは……


『うん? レイか。どうしたんだ、こんな時間に?』


 対のオーブに映し出されたのは、金髪の縦ロールという如何にもお嬢様といった髪型をしており、その割りに性格は苛烈なエレーナ。


「ああ、ちょっと話し相手が欲しくてな」

『話し相手、か。ヴィヘラがいるだろう?』

「残念ながら、今はヴィヘラとは別行動中だよ」


 レイの口から出た言葉が予想外だったのか、エレーナは小さく目を見開く。


『ほう、それは珍しい。いつもはレイと一緒に行動をしているヴィヘラがな』

「ま、そういう時もある。で、そっちの様子はどうだ? 何か異変はあるか?」

『異変、というのは殆どないな。ああ、けどベスティア帝国内で行われている内乱の噂はかなり広まっている。それが異変と言えば異変かもしれないな』

「これだけ大騒ぎになっていれば、当然だろうな。普通ならベスティア帝国程の大国が内乱になれば、周辺にある国々が色々とその隙を狙って領土を掠め取ったりしそうだけど……」


 レイの言葉に、エレーナは首を横に振る。


『確かに一時期その類の動きをしようとした国もあったようだ。特にベスティア帝国に占領されて組み込まれたような国の生き残りとか。けど以前にも話題に上がったと思うが、ベスティア帝国軍がしっかりと機能しているからな。そう簡単に動くような国は少ない』


 そう言葉を発しつつも、エレーナの表情には憂いの色が浮かんでいた。

 言葉程には安心出来る状況ではないのだろう。そう判断したレイの視線に、エレーナは小さく笑みを浮かべてから口を開く。


『全く、レイには隠しごとの一つも出来ないな。……実は、国王派に言い寄ってきている勢力がいるらしい。どこの者かは父上もまだ掴めていないようだが、かつてベスティア帝国に征服された国の者ではないか、とのことだ』

「ベスティア帝国が内乱で混乱している隙を突いて攻め込め、とかか?」

『恐らくはな。何しろ長年の敵対国だ。国王陛下を始めとした、その周辺の者達にとっては目の上のたんこぶどころではない存在だ。勿論国としての損耗が激しいのであれば話を聞くことはないだろうが、内乱をしているとなれば……な』


 エレーナは溜息を吐きつつ、黄金の髪を掻き上げながら紅茶の入ったカップへと手を伸ばす。

 疲れているな。それが今のエレーナを見て、レイが感じたことだ。


「楽に倒せると考えられる訳か。だが内乱中であっても、ミレアーナ王国が攻めてくれば恐らくすぐに和解して、手を組んで対抗すると思うぞ?」

『ああ。国王派の者達もそれが分かっているから、余程のことがない限りはのらりくらりと、言質を与えるようなことはないだろう』

「余程のこと、か」


 何となくその一言で、レイはミレアーナ王国の上層部……具体的には国王派の上層部が何を考えているのかを理解出来た。


「例えば、帝都に炎の竜巻が現れて皇族諸共に城を消滅させるとかか?」


 言うのは簡単だが、実際にやるとなれば非常に難しいだろう。

 城には当然ながら魔法に対する高い防御性能がある筈なのだから。


『恐らくは、だが。実際、父上もその辺を匂わされて尋ねられたらしいしな』

「言っておくが、そんな真似をする気はないぞ? 戦うという覚悟を持っている相手や、こっちを襲ってきた盗賊みたいな奴ならともかく、城や帝都にいるのは何の罪もない……とは言えない者もいるんだろうけど、それ以外の者も多いんだからな」

『分かっている。私としてもレイにそんな真似をさせようとは思わない。ただ、そういう動きがこっちではあったということは覚えておいて欲しい』


 エレーナの言葉に頷くと、何故かそんなレイの様子を見てエレーナは笑みを浮かべる。

 そんなエレーナの様子を不思議に思い、首を傾げるレイ。


『ふっ、ふふ……いや、特にこれといって理由がある訳ではないのだが、こうしてレイと話していると自然とな』

「微妙に釈然としないけど、まぁ、それでエレーナが楽しめるのならそれでもいいさ」


 自分と話していてエレーナが少しでもリラックス出来るのなら、多少笑われる程度は小さなことだろう。

 そう判断して告げたレイの言葉に、エレーナの頬は薄らと赤く染まる。


『全く……レイは何だかんだと女に甘い』

「そうでもないだろ? 例え甘いとしても、それはエレーナだからこそだ」

『なっ!? ……ふ、ふん。そんな風に言っても、ヴィヘラにも十分甘くしてるんだろう?』

「それは否定出来ない事実だな」


 自分の言葉をあっさりと認めたレイに、エレーナは一瞬頬をひくつかせる。


『ほ、ほう? やはりレイはそういうつもりなのだな? 前々から分かってはいたが……』

「うん? 何か誤解してないか? 確かに俺は多少ヴィヘラに甘いかもしれないけど、それでも一番心を許してるのは間違いなくエレーナだって言いたかったんだけど」

『……』


 上げて落とすのではなく、落として上げる。

 そんな行為をされたエレーナは、思わず息を呑んで黙り込んでしまう。

 勿論エレーナとて公爵令嬢という身分だ。

 本人は好んで出るということはないが、その美しさからパーティの類に出れば様々な男に……下手をすれば女にすら言い寄られたりもする。

 その手のことには多少なりとも免疫がない訳でもないエレーナだったが、今は先程よりも更に頬を赤く染めながら俯く。

 顔を上げれば、自分でも分かる程に真っ赤に染まった頬をレイに見られると理解している為だ。


「うん? どうしたんだ、エレーナ。急に下を見て」


 そう尋ねるレイには、心底不思議そうな表情が浮かんでいる。

 エレーナの顔が現在どんな状況になっているのかが分かっていない……まるきり無意識にエレーナに対して口説き文句を言っている辺り、本人に自覚がないのが余計に始末が悪い。


『キュ?』


 そんなエレーナを見かねたという訳ではないだろうが、対のオーブに突然可愛らしい鳴き声と共に、黒い子竜が姿を現す。

 エレーナが竜言語魔法で生み出した使い魔の、イエロだ。


『キュ! キュウ、キュキュキュ!』


 対のオーブに映し出されているのがレイだと知ったイエロは、嬉しそうに鳴き声を漏らしながらペタペタと前足で対のオーブへと触れる。


『キュウー……キュ、キュウ?』


 あれ? あれれ? と、対のオーブを見返すイエロ。

 それが何を思ってのことなのかを理解していったレイは、申し訳なさそうに口を開く。


「悪いな、イエロ。セトは外で見張りをしてるんだよ」

『キュウウウ』


 残念そうに肩を落とすイエロは、レイの目から見ても反則的な愛らしさを持っている。

 どこに行っても人々から人気の――最初は怖がられる――セトだったが、こうして残念がっているイエロを見れば、間違いなくイエロも人気が出るだろうなと想像出来る。

 事実、迷宮都市のエグジルでもレイ達がダンジョンに行っている間、宿の周辺を動き回っていたイエロはかなり人気者になっていたのだから。

 また、エレーナの周辺でもイエロの人気は非常に高い。


『キュウ、キュウウ、キュ!』


 可愛らしい鳴き声を発しつつ、イエロは対のオーブの前から姿を消す。

 何を言いたいのかは分からなかったレイだったが、それでもイエロの愛らしさはセトとは別種のものを感じて、暫く眺めていたいという気持ちは存在する。


『ん、コホン。それはともかくとしてだ』


 そんなレイにエレーナが声を掛ける。

 先程までの頬の赤さは、イエロがレイと戯れている間にどうにかしたらしい。


「うん?」

『その、だな。食事はしっかり食べているか?』

「は? ああ、食うのは大好きだし。当然食べているけど?」

『では……しっかりと眠れているか?』

「まぁ、マジックテントだし」


 頬の赤さはどうにかしたものの、それでも先程のレイの言葉で動揺した精神はまだ完全に持ち直したわけではないらしい。

 勿論、エレーナがこのような態度を取るのは誰にでもという訳ではない。

 自分の想い人でもあるレイだからこその態度だ。


『そうか、それなら安心だな』

「そっちもアーラとかと忙しいんじゃないのか?」

『……まぁ、それは否定出来ない事実だな。特に今はベスティア帝国の件があるから、どうしても忙しくしている』


 そう言葉を返しつつも、エレーナの表情は微妙に不満そうにレイには見えた。

 もしもここにヴィヘラがいるのであれば、『自分と話している時に他の女の話をするのはマナー違反よ』とでも言っただろう。

 だがそちら方面に関しては疎い二人だ。エレーナは照れくささからそれを口に出来ず、レイ本人はそもそもエレーナが不満に思っていることに気が付いていても、理由は理解出来ていない。


「こっちの件もそろそろ大詰めを迎えようとしている。どんな決着が付くのかはまだ分からないけど、その結果次第ではそっちにも今以上に騒動が飛び火するかもしれないな」

『何を今更。今回の件をヴィヘラから聞いた時から、既にその辺は覚悟している。レイは私達に気遣うような真似せず、ただ思う存分その力を発揮してくれればいい。それがヴィヘラの為にもなる』

「……悪いな」


 そう言葉を返しつつも、レイはロドスのことを教えるかどうか迷う。

 エレーナとロドス自体は多少面識がある程度でしかない。

 ならここでロドスに対して話して、無駄に心配させる必要があるとも思えなかった為だ。

 結局その後は一時間程話し、久しぶりに取った二人きりの時間を楽しむ。

 いつの間にか焦りを抱いていたレイの心は落ち着きを取り戻しており、その日はぐっすりと眠ることが出来たのだった。

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