第773話
反乱軍の陣地。そこでは今出撃の準備が整えられていた。
この陣地に残るのは、現在の反乱軍の戦力の約三割。
残り七割は、現在反乱軍を兵糧攻めにしようとしてオブリシン伯爵領の街道を封鎖している討伐軍を各個撃破するべく出撃しようとしていた。
「うーん」
呟きつつ、ヴィヘラが何かを悩むように周囲を見回す。
何か自分が見逃しているものがあるのではないかという思いと共に行われた行為だが、踊り子や娼婦が着るような薄衣を身につけているヴィヘラだ。
近くにいた兵士達にしてみれば、そんな何気ない動作でも目の毒でしかない。
「ヴィヘラ様、どうなされたのですか? 皆がヴィヘラ様の憂い顔に見惚れておられますが」
そんなヴィヘラに、ティユールが声を掛ける。
「あら、ティユール。……ねぇ、今回の件、本当に街道の封鎖による兵糧攻めが目的なのかしら?」
「うん? どういう意味でしょう?」
「確かに街道の封鎖をされれば私達は物資不足になるかもしれないけど、レイが戻ってくればそれが解決するというのは、会議の時に言ったから分かるわよね?」
「はい。ただし、その時にヴィヘラ様は物資はともかく人の問題はどうにもならないとも言っていましたが」
「ええ。けど、レイならフリツィオーネ姉上を連れてここに戻ってくるのは間違いないわ。そうなると、帝都方面から人を連れてくるのも難しくない。それに以前言ったように、レイの実力を考えれば街道を封鎖しているだろう部隊をどうにかするのは難しい話じゃないでしょ?」
確かに、と頷くティユール。
レイの実力を知っているからこそ、ヴィヘラの言葉には納得出来た。
「ですが、それでも動かざるを得ないのは事実なのでは? 確かにレイが戻ってくれば全ては解決するでしょうが、それがいつになるのかは不明です。一応テオレームはメルクリオ殿下の派閥の貴族から何人か兵を出してレイにこちらの事情を伝えようとしてはいるようですが……」
向こうに辿り着ける可能性は少ないでしょう、と言葉を続ける。
「いっそ私が行った方が良かったかしらね?」
「さすがにそれは……ヴィヘラ様は、メルクリオ殿下と並ぶこの軍の旗頭なのですから」
「そういう意味では、早くフリツィオーネ姉上に合流して欲しいわね。旗頭をやるのなら、私よりも絶対に似合っているでしょうし」
「そんなことはないと思いますけどね。確かにフリツィオーネ殿下は民衆に人気が高いです。ですが、ヴィヘラ様も人気では決して負けていませんから。いえ、寧ろ戦う者にしてみればヴィヘラ様の方が人気は高いと言えるでしょう」
「ふふっ、そうだといいわね。けど、私の場合は旗頭をやるよりは実際に戦っていた方が気が楽だし、何より楽しいのよ」
だからこそ、今回も街道を封鎖している部隊を倒す為に出撃するのだから、と。
最後まで言わずとも、ヴィヘラに心酔しているティユールにしてみれば何となく理解出来た。
「さて、じゃあ行きましょうか。……うん? そう言えばあの三人はどうしたの?」
いざ出陣という時になり、ふと気になった者達のことを口に出すヴィヘラ。
だがティユールにしても、いきなり三人と言われても咄嗟に誰のことを言っているのかは分からなかった。
「ええと。ほら、私達を裏切る目的で反乱軍に参加した」
そこまで言われ、ティユールもようやく思い出す。
レイに裏切ろうとしているのを見破られ、その裏切りの代価として次の戦いで最前線に立たなければならなくなった者達。
それも、兵士だけではなく貴族である本人までもが。
裏切りが半ば発覚した件から、まだそれ程の時間が経っている訳ではない。
だがそれを起こした本人達が目立たないように息を潜めているということや、この短期間に色々な出来事があったことから、ティユールの脳裏からその三人に関しては綺麗さっぱりと消え去っていた。
「……そう言えばいませんね。一応あの件から考えると、これが最初の戦いになる訳ですが。あの信じられない夜襲を除けばですけど」
レイと遊撃部隊だけで行われた夜襲。たった一部隊が一軍を被害も殆どない状態で殲滅したのだ。
あの戦いを普通の戦いとは、ティユールではなくてもとてもではないが言えない。
ともあれ、三人の貴族の裏切りが発覚してからこれが最初の戦いになる訳だが、出撃準備を整えて整列しているこの場所にその三人の姿はなかった。
「逃げたのかしら?」
「あの三人にすればそれがベストの選択でしょうが、メルクリオ殿下やテオレームが逃がすとは思えません」
「ソブルは逃げたわよ?」
「それは、確かに。では、どうします? ヴィヘラ様がどうしても気になるというのであれば、メルクリオ殿下にこの件を確認してきますが」
ティユールの言葉にヴィヘラは少しの間考え、すぐに首を横振る。
「別にいいわよ。ただちょっと気になっただけだから。どうせメルクリオのことだから、そつなく把握していると思ってもいい筈。……それよりそろそろ出撃しましょうか。グルガストも痺れを切らしそうだし」
呟きながらヴィヘラの視線が向けられた先には、戦いの予感に身を震わせているグルガストの姿。
もしも小さい子供がその姿を見たら、間違いなくトラウマになるだろう程の迫力だ。
ヴィヘラの視線の先にいるグルガストを見て、ティユールもまた小さく苦笑を浮かべる。
「そうですね。では行きましょうか。どのみち敵がどれ程の規模であろうとも、ヴィヘラ様がいればどうとでもなると思いますし」
「だといいわね。敵にも強い相手がいることを期待しているわ」
一旦言葉を止め、改めて周囲を見回して大きく声を上げる。
「さぁ、行くわよ! 敵は私達の補給物資を妨げている者達! ここで私達が頑張らないと、いずれ食料や武器といったものが足りなくなるのは間違いないわ! そうなればこの内乱は私達の負けになる! 私はそうなるのは嫌よ。だからこそ、ここは頑張りましょう。敵が街道を封鎖しているけど、この地に繋がる街道の全てを封鎖している以上、当然一ヶ所における戦力は多くない筈よ!」
ヴィヘラの言葉に、その言葉を聞いていた者達全員が戦意に満ちた声を上げる。
自分達の補給物資を得る為、餓えずに済む為に。
……もっとも、中にはヴィヘラの扇情的な格好に別の意味で戦意を滾らせている者も少なからずいたのだが。
ともあれ、高い戦意のままにヴィヘラ率いる部隊は出撃していく。
(こういう時にレイがいれば安心出来るんでしょうけどね)
内心で想い人のことを考えたヴィヘラだったが、一方的に頼るような女にはなりたくない。自分が目指しているのは、エレーナと同様に、レイに守られるのではなく、レイと並び立つ存在なのだ。
そう考え、街道を進んでいく。
「ふわぁーあ。あー……暇だな。誰かが通りかかったのは最初だけで、あっという間に情報が広がったのか、全然人が来なくなった」
街道を封鎖していた部隊のうち、少し離れた場所で見張りの役目を負っている兵士が呟く。
街道を封鎖したとしても、街道自体は多少の覚悟があれば迂回することは可能でもある。
その多少の覚悟を持っている相手を追い返すのが、ここに派遣された十人程の部隊の役目だった。
反乱軍の補給を絶つという意味ではかなり重要な任務であるというのは理解していたが、それでもこうして討伐軍の者達がいるのを知れば、その噂はすぐに広がる。
結果的に、ここに配属された者達は暇を持てあますことになっていた。
「そう言うなよ。実際に戦場で戦うよりは、こうしてボーッとしてるだけでいいこっちの方が楽だろ?」
年上の兵士の言葉に、最初に愚痴を漏らした若い兵士が呆れたとばかりに溜息を吐く。
「何言ってるんだよ。折角手柄を立てる機会なんだぜ? なのにこんな場所に配属されてよ……俺は手柄を立てて出世して、幼馴染みのルージィを迎えに行くんだ!」
「あー……そうか。うん、いや、お前の決意は分かったから、もう少し気を抜いてだな」
自分も若い頃はあんなだった……そんな風に思いつつ、呟く年配の兵士。
「そうね。集中するというのは大事だけど、適度に気を抜くことも大事よ? 特にこういう場所では」
「だよな。俺もそれを言いたかったんだよ」
「若い子の熱気は色々と手が付けられないものね」
「全くだ」
どこからともなく聞こえてきた声に返事をしつつ……ベテランの兵士は、ふと気が付く。
(女の声!?)
慌てて振り向くと、いつの間にか視線の先には攻撃的な美貌を持つ女の姿があった。
向こう側が透けて見える程の薄衣の衣装は、ベテランの兵士に娼婦でもやって来たのか? と一瞬思わせる。
だが……女の腕の手甲を見た瞬間にその考えが間違いであることを知る。
「ちっ、おい、部隊に連絡を……」
咄嗟に相棒へと告げようとしたベテランの兵士だったが、視線の先では先程まで自分と話していた若い兵士が地面へと倒れている。
「な……」
その一言を最後に、首筋に何か衝撃を感じたかと思った瞬間、男の意識も闇へと沈んでいった。
「まぁ、こんなものよね」
意識を失って地面に倒れている兵士二人へと視線を向け、ヴィヘラは呟く。
自分と戦える相手がいると期待していた訳ではない。
だがそれでも、まさか自分がここまで接近するまで……いや、それ以前に会話に割り込み、更にはそのまま話を続けても気が付かれないとは思わなかった。
「私一人で来て正解だったわね。向こうの方がこっちよりも規模が大きいし」
反乱軍の陣地から出撃したヴィヘラ達は、数時間程度進んだところで早速街道を塞いでいる部隊を発見した。
それも、街道そのものを塞いでいる部隊と、その抜け道とでもいうべき、この道を塞いでいる部隊の二つを。
どうするか迷った結果、グルガストとティユールに街道の部隊を、そしてヴィヘラは単独でこちらにやってきたのだが……
「手応えがなさ過ぎるわ。やっぱり封鎖だけが目的じゃないのかしらね?」
首を傾げつつ、兵士をその場に残してヴィヘラは周囲の気配を探る。
気絶している兵士達は後で部隊の者を呼んできて捕虜にすればいいだろうと判断し、その場を後にする。
そして歩くこと五分程。
ヴィヘラの視線の先に、休憩をしている者達の姿が見えてくる。
もっとも、この地が敵地であるという認識はあるのだろう。何かあったらすぐに武器を手に出来るようにしていた。
(さて、腕の立つ相手はいるかしら?)
意図的に音を立てながら歩いていると、それに気が付いた兵士の一人が口を開く。
「おい、交代はま……だ……」
最後まで言葉を発することが出来なかったのは、視線の先に自分の予想を超えた光景を目にしたからだろう。
これまで見たこともないような美女が、扇情的な格好で歩いているという光景を。
そんな仲間の様子に気が付いた他の兵士も、ヴィヘラの方へと視線を向けると動きを止める。
だが……皆が同じ理由で動きを止めた訳ではなかった。
一人、たった一人だけだが、この部隊の指揮を執っている兵士は、近づいてくる相手の顔に見覚えがあった為だ。
「ヴィ……」
しかし、事態は男がその言葉を最後まで口に出す前に動く。
地面を蹴って、ヴィヘラが突っ込んできたのだ。
最初にヴィヘラを見て動きを止めた兵士に対して見る間に間合いを詰めると、そっと手を伸ばし……
「はっ!」
気合いの声と共に男にそっと触れると、次の瞬間には男が地面に倒れ込む。
浸魔掌。
ヴィヘラの編み出した技で、相手の体内に魔力を送り込んで衝撃を与えるという技。
どれ程強力な金属で出来た鎧を着ていても、この技の前には無意味であり、この地に派遣されているような兵士達の装備している防具程度でどうにかなる筈もない。
あっさりと意識を失い、地面に倒れる兵士。
周囲の兵士達が何が起きているのか理解出来ないでいる間に、再び手を伸ばされ、一人、二人と気絶させられていく。
そこまでされてようやく我に返ったのだろう。まだ意識を奪われていなかった兵士達が、それぞれの手に武器を持ちヴィヘラへと相対する。
「ま、待て!」
だが、最初にヴィヘラの正体に気が付いた隊長が思わずその動きを止めようとする。
隊長にしてみれば、相手は帝国の第2皇女だ。まさか怪我をさせる訳にもいかないし、上手く生け捕りに出来れば出世できる絶好の機会でもある。
そんな思いから出た言葉だったが、その言葉に兵士達は一瞬動きを止め……次の瞬間にはヴィヘラの浸魔掌によって次々に意識を奪われていく。
ほんの数秒で全ての部下の意識が奪われて地面に転がったのを見て、驚きの表情をヴィヘラに向けようとした隊長の意識は、次の瞬間には他の兵士達同様に闇へと沈む。
「結局この程度でしかなかったなんて、残念ね。もっとも、こんな外れに配置されているような部隊なんだから、期待をしすぎてもどうかと思うけど」
溜息を吐いたヴィヘラは、味方の軍と合流してから兵士達を捕虜とする。
このような戦いが幾度か起こり、ヴィヘラ率いる部隊は一方的な勝利を重ねていく。
ヴィヘラの中にある不安が解消されないままに。
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