第772話

 本来であれば行われていた、フリツィオーネ軍の足止めを目的とした襲撃。

 遠距離から弓で一方的に攻撃を行い、相手が態勢を整える前にその場を逃げ出し、フリツィオーネ軍は怪我人を増やし、その怪我人を治療する為にポーションや回復魔法を使い、死者こそ出さないものの物資の消耗や、攻撃される度に迎撃の態勢を取らせることにより士気を下げる……筈であった。

 そう、フリツィオーネ軍の中に空を移動出来るレイとセトがいなければ、恐らく成功しただろう作戦。

 だがそこにレイとセトがいた為に、その計算は大きく狂った。

 もっとも、カバジードにしてみれば消耗したのは殆どが盗賊団であり、多少の傭兵団だ。

 その傭兵団にしても、色々と素行の悪い者達が主であり、レイの奇襲により全滅しても全く惜しくはなかったのだが。

 寧ろ、いらない騒動を引き起こすだろう存在を前もって処分してくれたことに対して、感謝の言葉すら述べたかもしれない。

 ともあれ、そんな風に奇襲を掛けてくる相手を倒しつつ、フリツィオーネ軍はメルクリオ率いる反乱軍と合流する為に街道を進む。


「今日……は無理だけど、明日の昼過ぎくらいには着くか?」

「恐らくね。レイが前もって奇襲してくる相手を倒してくれなければ、下手をすればもう数日掛かっていたかもしれないけど。……本来は二日程度の距離なのに」


 はぁ、とレイの隣を馬に乗って進んでいるアンジェラが溜息を吐く。

 実際、当初の予定よりも半日……あるいはもう少し遅れているのは事実であり、それがアンジェラに溜息を吐かせる原因になっていた。

 それでも物資の類はある程度の余裕があるように用意してある為、物資不足になるということはないのだが。

 それに、民衆には人気のあるフリツィオーネだ。いざとなれば途中にある村や街といった場所で物資の補給をするのも難しい話ではない。

 幸い、今は既に秋。既に農作物の収穫も一段落しており、村にしてもある程度の余裕がある。

 勿論補給をするといっても徴収するのではない。きちんと代価を支払って買い取るのだ。

 民思いであるフリツィオーネだけに、その辺に関しての妥協は一切なかった。

 ……もっとも、このフリツィオーネ軍はフリツィオーネに対して好意的な者達が多い。

 当然フリツィオーネの性格は理解しており、更には懐に余裕がない訳でもないので、その辺は全く問題なく話が進むだろうが。


「いざとなれば、多少なら俺が出してもいいけどな」


 一応レイのミスティリングの中には、大量の料理や食材、モンスターの死体が入っている。

 この軍隊であれば、一食分くらいはなんとかなるだろう程に。


「アイテムボックスは中に入れておけば腐らないってのは羨ましいわね」

「そうだな、正直食べ物をいつでも食べられるようにしたまま保存しておけるってのは物凄く役立っている。街とかで鍋ごとスープとか煮込み料理を買って、そのまま保存しておけるし」

「グルルゥ!」


 レイの話を聞いていたセトは、食べ物に関わることだけあってその通り! と自己主張する。

 レイと共に行動し始めてから、セトも多くの料理を味わい、その美味さを知ることになった。

 もっとも、セトとしては村や街で食べる料理以外に、倒した獲物をそのまま食べるというのも嫌いではないのだが。


「ふふっ、セトはお腹が減ったのかしら?」

「そういう訳じゃないと思うけど、セトは食べられるのなら喜んで食べるぞ。勿論俺もな」


 こんな風に和やかに会話をしながらフリツィオーネ軍が街道を進めるのは、やはりレイが前もって襲撃の準備をしていた盗賊や傭兵団といった者達を前日に先行して倒したおかげだろう。

 結果的に見れば、レイの行動はフリツィオーネ軍にとって大きな利益をもたらした。

 奇襲の心配をしなくても良くなったというのは勿論だが、それ以外にもかなりの数の馬を入手出来たのだから。

 フリツィオーネ軍に対して攻撃を仕掛けた後で逃げ出す為に用意されていた馬に関しては書き置きをその場に残し、レイは次の待ち伏せ部隊へと襲い掛かっていった。 

 その結果、幾らかの馬はどこかの誰かに連れ去られたものの、殆どの馬はフリツィオーネ軍が回収することに成功する。

 当然歩兵全員分の馬という訳にはいかないが、それでも進軍速度は幾らか増したのは事実。

 そんな風に穏やかに進んでいたフリツィオーネ軍だったが……その先頭を移動する、フリツィオーネの乗っている馬車の護衛をしている白薔薇騎士団は、不意に自分達の方へと向かってきている存在に気が付く。

 それも、片方が追われ、片方が追っている状態。

 街道沿いに走りながらその戦闘は行われており、街道を歩いて移動している者達は巻き込まれたくはないとばかりに街道から外れ、距離を取る。

 そんな中で戦いながら近づいてくる集団は、異様としか表現出来なかった。


「フリツィオーネ様、どうしますか?」

「そうね、悪いけどちょっと行って戦いを収めてきてくれる? ただでさえここ最近は血を見ているのだから、出来れば今は血を見たくはないわ。ただし、こちらの安全が最優先で」


 その言葉に従い、白薔薇騎士団の女騎士達が飛び出していく。


「行きますわよ! 第一部隊の名に恥じぬ戦いをなさい!」


 部隊長の声が響き、それに呼応するように第一部隊の女騎士達の勢いが増す。

 自分達に向かって突っ込んで来る集団に気が付いたのだろう。襲われている方の数人は、全く速度を緩めずに向かってくる白薔薇騎士団に顔を引き攣らせつつも、すぐに白い鎧を身につけた女騎士達であると気が付いたのだろう。安堵の息を吐く。

 白い鎧を身につけている、見目麗しい女だけで構成された騎士団というのは、ベスティア帝国には白薔薇騎士団しか存在しない。

 つまりそれは、追われている方の男達は白薔薇騎士団に対して含むものはないということの証でもあった。


(だとすると、当然追っ手の方は別ですわね)


 第一部隊長が内心で呟き、手に持っているレイピアの柄をしっかりと握る。

 騎兵が使う武器としては、レイピアというのは普通有り得ない。

 だがこの部隊長にとってレイピアとはそれだけ使い慣れており、騎兵としての戦いでも十分に威力を発揮する武器だった。


「ここは私達に任せて、貴方達は先に行きなさい!」

「すまない、助かる!」


 すれ違う一瞬で言葉を交わし、そのまま追われていた者達はフリツィオーネ軍の先頭へ、白薔薇騎士団の第一部隊は追撃部隊へと向かう。

 追撃部隊の方は一瞬どうするべきか迷ったようだったが、このまま離脱すると一方的に追撃を受けると判断したのだろう。隊長と思しき者の命令により、第一部隊へと突っ込んで行く。

 一撃を与え、それで怯ませたところを離脱する。

 そんな思いが頭の中にあったのだろうが、その思いはすぐに驚愕に塗りつぶされる。

 レイピアを構えた女騎士が、追撃部隊の騎兵に近づくと素早く手を動かす。

 手が動いた。それは、離れた場所から見ていたからこそ理解出来たことであり、間近でそれを見た者は何が起きたのか分からぬままに兜の隙間から目や首を、関節の隙間から手足を穿たれて地面へと転げ落ちる。

 全速力で走ってきた馬の上から転げ落ちたのだから、ただで済む筈もない。

 地面に落ちた衝撃で手足の骨が折れ、後方から走ってきた仲間の操る馬に踏み砕かれる。

 最初の一撃で頭部が踏み砕かれ、長く苦痛を感じることがなかったのは男にとって幸いだったのだろう。

 少なくても、男を踏んだ為にバランスを崩して地面に倒れ込んだ馬に押し潰された男や、馬は転ばなくても乗っていた男の方が転げ落ち、身体中を背後の馬に踏み潰されてた者達よりは遙かにマシだった。

 そうして体勢を崩した相手に、白薔薇騎士団の第一部隊が襲い掛かる。

 その時点で勝ち目はないと判断したのだろう。追撃部隊を率いていた人物が撤退を告げ、生き残っていた者達は這々の体でその場を逃げ出す。


「隊長、追撃は?」

「いえ、やめておきましょう。まさか罠があるとも思えませんが、現在の私達の状況で無駄に戦力を消耗する訳にはいきませんしね。それより、怪我をした人はいるかしら?」

「いえ。殆ど一瞬の戦闘でしたし、隊長が先陣を切ったので」

「そう。ならフリツィオーネ殿下のところに戻りましょうか」


 第一部隊の隊長は、チラリを視線を地面へと向ける。

 そこでは既に死んだ者、いずれ死ぬだろう瀕死の者が倒れていた。


「この者達に関しては、きちんと害にならないように処分する必要があるでしょうね」

「では、私がレイ殿にお願いを……」

「待って、私が!」

「ちょっと、ズルい! ここはやっぱり私でしょ」


 レイの下に向かうと言った時点で、つい先程までの緊張が一気に霧散してしまう。

 もっとも、セトの愛らしさを思えば無理もないかと考えつつ、第一部隊の隊長は首を横に振る。


「確かにレイ殿の魔法を使えば死者の弔いもすぐに終わるでしょうけど……そもそも、レイ殿は私達の一員ではなく、この軍の護衛という立場の方です。今でさえ頼り過ぎているのを思えば、ここは私達で何とかするべきでしょう。……この死体をどうするのかは、アンジェラ団長に聞いておきます。さ、戻りますわよ」


 レイに頼りすぎるわけにはいかない。その言葉を理解しつつも、フリツィオーネ軍としては、やはりレイという戦力に頼らざるを得ないのもまた事実だった。

 であるからこそ、自分達で出来ることは自分達でやるべき。

 そんな思いを抱きながら第一部隊の隊長はアンジェラの下へと向かう。

 悔しい。自分にもっと力があればと、先程の追撃部隊を殆ど一人で倒した強さを持つ者とは思えない考えを抱きつつ。






「はぁ、はぁ、はぁ。……た、助かりました。ありがとうございます」

「ほ、本気でもう駄目かと思った」

「全く、何だって俺達みたいなのをああも執拗に……」


 フリツィオーネ軍へと逃げ込んだ男達は、息も絶え絶えに感謝の言葉を述べ、助かったという事実を噛み締める。

 中には声も出せない程に疲れ切っている者もおり、どれだけの危険を生き延びたのかを現していた。


「水を持ってきて頂戴」


 アンジェラの命令に従い、近くにいた兵士がすぐに水を持ってくる。


「さ、飲んで」


 余程喉が渇いていたのだろう。アンジェラの言葉に、一行は貪るように用意されたコップに入っている水を飲んでいく。

 そして数杯の水を飲み、ようやく落ち着いたのだろう。男の一人が深々と頭を下げる。


「ありがとうございます」

「いえ、いいのよ。それより、何故追われていたのかを聞いても?」

「ええ。ですがその前に、貴方は白薔薇騎士団のアンジェラ団長で間違いないですよね?」

「ええ。間違いないわ」


 アンジェラが頷くのを確認した男は、次に少し離れた場所にある馬車の方へと視線を向ける。


「そうなると、向こうの馬車にいるのがフリツィオーネ殿下」


 確認してくる目の前の男に、アンジェラは頷きつつも警戒を強める。

 もしフリツィオーネ殿下へと危害を加えるのであれば、そのような真似はさせないと。

 だが、男はただ安堵の息を吐き口を開く。


「良かった、何とか辿り着くことが出来たようです」

「辿り着く?」

「ええ。私はメルクリオ殿下に仕えるヴィッシュ子爵の部下、ドルノスと申します。実は、現在私達は陣地を構えている場所の周辺を討伐軍の手に拠って封鎖されています。メルクリオ殿下達は、それをどうにかする為に街道を封鎖している討伐軍を各個撃破する手筈で、こちらの情報をフリツィオーネ殿下にお知らせするようにと私達を派遣したのですが……」


 話している途中で、チラリとドルノスの視線が逸れる。

 その視線の先にいたのはレイ。

 この騒動が起こる前にアンジェラと話していたレイも、この場には存在していた。


「レイ殿もご無事だったようで何よりです」

「こっちも色々と小さな問題は幾つかあったんだけど……なるほど、補給を絶ちに来たか。確かに純粋な戦力で負けている以上は、その選択は当然なんだろうな」


 納得するように頷くレイ。

 目の前にいるドルノスを始めとした数人は、確かにレイも反乱軍の陣地で何度か見たことがある面子だ。

 レイが合流した当初に、訓練をつけた事のある顔も混じっている。

 そういう者に限って、レイの姿を見つけた途端にもう大丈夫だと安堵の息を吐く。

 レイがどれだけの実力を持っているのか、その身を以て理解している為だ。

 そんな視線を感じつつ、一瞬だけ眉を顰めたレイはアンジェラの方へと向けて口を開く。


「どうやら、あれだけしつこく行われてきた嫌がらせのような攻撃は、この件をこっちに……いや、待て。そもそも補給物資を絶つ、つまり兵糧攻めにするのなら、多少このフリツィオーネ軍の進軍速度を緩めたところで意味はない、よな?」

「そうね。向こうに到着するのが遅れるのは事実だけど、それでもまさか片道数日程度の距離を数ヶ月、数年掛けて移動する訳じゃないし……となると、狙いは兵糧攻めではない?」


 周囲にアンジェラの疑問を抱いた声が響き渡るのだった。

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