第762話
フリツィオーネ軍を待ち伏せしていた部隊は、その全てが敗走。……あるいは文字通りの意味で消滅した。
フリツィオーネ軍の背後から襲い掛かった騎兵隊は被害を受けたものの、傷が浅いうちに撤退に成功。
待ち伏せしていたブラッタ率いる部隊は多くの損害を受けたものの、それでも致命的な傷を受ける前に撤退することに成功。
街道沿いの林の伏兵部隊は、林の中を縦横無尽に走り回ったセトにより全滅。
待ち伏せ部隊の一員ではあったが、レイの姿を見て暴走したシュヴィンデル伯爵とその一派は、レイの魔法により文字通り燃やし尽くされ、炭と化した。
「……結果だけを見ればこちらの大勝利と言ってもいいのだけれど」
呟くアンジェラは、戦場跡で死体の処理を行っている兵士達と、それを馬車の中から悲しげに見つめているフリツィオーネの姿を見て、憂鬱そうに呟く。
元々が平和を愛し、争いを嫌うフリツィオーネだ。
例え敵であったとしても、やはり死というのは悲しみしかもたらさないのだろう。
「けど、メルクリオ達と合流する目的で軍を興したんだから、当然戦いになるのは知っていた筈だろ? この結果を見ることになるってのも、分かっていた筈だと思うが」
「それはそうよ。全てを理解した上での行動なのだから。それでもこうして実際に人の死を見るというのは、フリツィオーネ殿下にとって何より堪えるの。お優しい方だから」
アンジェラの言葉に、周囲の白薔薇騎士団の者達も同意するように頷く。
……ただし、白薔薇騎士団の騎士達がレイを見る目には一種の畏敬に近いものが宿っていた。
それは反レイ派と言うべき騎士達も同様であり、少し前までレイに向けていた嫌悪……とまではいかないが、好意的ではなかった視線は既にない。
それも当然だろう。敵部隊を纏めて焼き尽くすという、魔法をその目で見たのだから。
自分達の到底及ぶ存在ではなく、不興を買えば待っているのは死だけであると認識せざるを得なかった。
これまで自分達がレイに向かって取ってきた態度を考えると、背筋が寒くなるとしか表現出来ないような、そんな思い。
……そんな思いを抱かれるのはあくまでもレイだけであり、レイと共にいるセトは相変わらず愛されているというのは、レイにとって幸運だったのか、不幸だったのか。
(いや、幸運だろうな。セトは人懐っこいから、人に嫌われるようなことになれば悲しむだろうし)
アンジェラの隣で戦場の後片付けをしている兵士達を共に眺めつつ、レイはセトの身体を撫でてやる。
手に返ってくるのは、滑らかなシルクの如き感触。
いつまででも撫でていたいと思わせる、そんな手触りに目を細めつつ、隣のアンジェラに尋ねる。
「今日はここで野営という形になるのか?」
「ええ、そうでしょうね。まさか死体をこのままにしておく訳にもいかないでしょうし、形見の品は出来るだけ保存しておきたいとフリツィオーネ殿下も仰ってるから」
「……死体の処理を考えれば、しょうがないか」
帝都からこの軍勢で二時間程度の場所にあるここで、死体をそのままにしておくというのはベスティア帝国の皇族として絶対に許容出来ないことなのだろう。
(まぁ、今は秋だし、もう少しすれば冬になる。その辺を考えれば疫病の心配とかはしなくてもいいんだろうけど……それも絶対って訳じゃないし、アンデッドになるかもしれないと考えれば、確かにきちんと後処理をしておくのは必要だろうな)
死体を集めている兵士達だが、死体そのものの数がそれ程多くないのは幸運だったと言えるだろう。
もっとも、カバジード、シュルスの兵力を減らすのに失敗したと考えれば、決して幸運だったとは言えないだろうが。
「死体の数はそれ程多くはないけど、死体の処理をしてからまた進軍するとなると士気的な問題がね。いくら精鋭揃いだとしても、人間である以上精神的な疲れはあるだろうし」
憂鬱そうに呟くアンジェラにしても、これまで幾度となく人の死というのは見てきたし、自らの手で与えても来た。
それでも、やはり人の死というのは慣れるものではない。
人の死を受け入れられず、『私が……私が殺した!』という風にはならないが、決して心地よいものでないのは事実なのだから。
「死体を片付けるって意味なら、どこかに纏めて貰って俺が焼くってのもあるんだけどな」
「それだとレイ一人に負担を掛けることになるでしょうし、どのみち今日これ以上進むのは不可能なんだから、皆でその処理をやる方が心を落ち着けるという意味でもいいという判断なんでしょう」
「……まぁ、どのみちここで野営をするのなら、それはそれで構わないけど。俺は少し見回りに行ってくるよ。幾らさっきの部隊を退けたとしても、まだ他にこっちを探っている連中がいないとも限らないし」
自分がここにいては周囲にいる者達が緊張するだろうと考えて告げるレイに、アンジェラもその思いを理解したのだろう。
申し訳なさそうな視線を向け、頷く。
「ええ、お願い。フリツィオーネ殿下には私から話を通しておくわ」
「悪いな。……セト」
「グルルルルゥッ!」
レイの呼びかけに答えたセトは小さくしゃがみ、その背に飛び乗ったレイは、セトと共に一気に空へと駆け上がって行く。
地上で死体の片付けをしていた者達は、そんなセトに一瞬見惚れながらも、すぐにまた死体の後片付けへと戻る。
そんな兵士達を見ながら、アンジェラはフリツィオーネにレイの件を伝えるべく馬車へと向かう。
「……駄目だな。完全に街道の近くで野営をするつもりのようだ」
陣地から少し離れた場所で、シストイが今見てきた光景を仲間と同行者に報告する。
その報告にムーラは面倒臭そうな表情を浮かべ、どうするべきかと考える。
反乱軍の陣地からソブルという標的を見つけ出し、助け出し、最低限の休憩だけでここまでやってきた。
馬が潰れないようにしてここまで来たのだが、折角後少しで帝都へと到着するという時に自分達の進行方向で戦いが起こっていたのは完全に計算外だった。
「他の人達と協力して、向こうに渡る……というのも手ではあるけど」
チラリとムーラの視線が、この場にいる自分達以外の者……商人、旅人、冒険者といった者達へと向けられる。
ここが帝都へと向かう街道である以上、当然この場で足止めを受けているのはムーラ達だけではない。
其処此処にいる集団が、この場で時間を潰したり、近くにいる者達と情報交換をしたりしている。
そのような者達と共に行動をすれば、もしかすれば上手い具合に帝都に辿り着けるかもしれない。そう暗に告げるムーラだったが、近くで2人の話を聞いていたソブルがそれを却下する。
「いや、それは止めておいた方がいいだろう。向こうに残っているのが第1皇女派である以上、私の顔が知られていると思った方がいい。……正直、待ち伏せしていた軍が勝っていれば、その辺の心配は全くいらなかったんだけどな。あるいは、もう少し早くここに到着していれば、撤退する前に合流できただろう」
「それは言ってもしょうがないでしょ。ここまで来るのも馬を潰さないようにギリギリだったんだから、あれ以上急いでいれば結局馬を潰して、余計に時間が掛かったわよ?」
ムーラの言葉は事実であり、それ以上何を言うでもなくソブルは黙り……
「っ!?」
そんなムーラとソブルの様子を見ていたシストイが、不意に表情を厳しくする。
シストイの変化に気が付いたのは当然ながら相棒のムーラが先で、その数秒後にソブルが気が付く。
「……どうしたの? 何かあった?」
「分からない。ただ、今一瞬物凄く嫌な予感が身体の中を駆け抜けたような気がする。出来るなら、今すぐにここを去った方がいい」
「そうは言っても……どこに行くのよ? ここから街道を通って第1皇女派の方向に向かうのは色んな意味で却下だし、そうなれば残る手段は戻るか、それとも……」
チラリとムーラの視線が向けられたのは、街道の脇に生えている林。
街道沿いである以上はモンスターや盗賊の類は心配しなくてもいいだろうが、それにしたって絶対ではない。
また、それ以外にも熊や猪を始めとした凶暴な野生生物が生息している場所でもある。
もっとも、基本的にそのような野生動物は林の奥の方に住んでおり、街道付近まで出てくることは滅多にないのだが。
それでも絶対とは言えない以上、注意するに越したことはない。
「そうだ。今すぐに林の中に入るぞ。急げ!」
シストイの切羽詰まった声に、ムーラもこれ以上ここにいるのは本格的に危険だと判断したのだろう。馬から必要最小限の荷物だけを急いで下ろす。
そんな様子を見ていたソブルだったが、相手が鎮魂の鐘の者だと理解している以上、それに従う以外の道はない。
下手に逆らってここで置いていかれたりすれば、間違いなく今より酷い状況になるのは明らかな為だ。
「急げ、来たぞっ!」
鋭く言葉を発するシストイ。
反射的に街道へと視線を向けるムーラとソブルだが、そこにいるのは街道を通れるようになるのを待っている者達だけだ。
だが……その一瞬の躊躇いこそが、最悪の展開へと至る道筋だった。
「グルルルルルルルゥッ!」
周囲へと響き渡るその雄叫びは、地上ではなく上空から聞こえてきたもの。
この場にいる殆どの者がその雄叫びに動きを止め、極少数の者だけが声の聞こえてきた方、上空へと視線を向ける。
そんな中、三人だけがそれらとは別の行動を取っていた。
即ち、林の中へと駆け出すという行為を。
何故なら、三人共が知っていたからだ。聞こえてきた声がどのような存在の声であり、同時にその存在を従魔としている人物のことを。
「何だってこんな……運が悪いとかじゃないわよ!」
叫ぶムーラだったが、それは余裕があるからこその叫びではない。
叫んでもいなければ、背後から迫ってくる存在の恐怖に耐えられなかったからだ。
そんなムーラに、シストイが叫ぶ。
「ムーラ!」
叫ぶという行為は、後ろから追ってくる存在に自分達の居場所を教えるということでもある。
いつものシストイであればその辺は当然弁えており、相手に見つかるような真似はしなかっただろう。
だが今回は、相手が悪かったとしか言いようがない。
既に恐怖の象徴と表現してもいいようなレイとセトが、後ろから追ってきているのだから。
追いつかれれば死ぬ。そうである以上、決して追いつかれる訳にはいかない。
そんな思いで逃げる三人だったが、幾ら人間として高い技量を持っているとしても、所詮は人間。グリフォンであるセトと、それに乗っているレイから逃げられる筈がなかった。
更には、逃げる方向を制限するかのように、飛ぶ斬撃まで放たれ……
「さて、追いかけっこはここまでだ」
ふと気が付けば、三人の目の前にはセトに跨がったレイの姿があった。
「なるほど。誰が逃げたのかと思ったら、随分と珍しい組み合わせだな。鎮魂の鐘の二人に、捕虜になっている筈のソブルか」
「グルルゥ?」
どうするの? と首を傾げて聞いてくるセトに、レイは迷う。
(ソブルに関してはもう一度捕らえてしまえばそれでいい。けど残り二人をどうするかだな。鎮魂の鐘とかいう裏の組織の奴等なんだから、色々と情報は持っているのは間違いない。けどその裏の組織の人物だけに、生かしておけば何をするか分からない。つまり……)
手の中でデスサイズをクルリと一回転させ、自らの殺意を表に出す。
「お前達二人が生きていると、色々と面倒なことになる。……一応言っておくが、このまま大人しく捕まるのなら命の保証はしよう。けど、それを聞けないようなら、悪いけどお前達の命はここで消えることになるかもしれない。……どうする?」
レイの言葉に、シストイとムーラはお互いに視線を合わせる。
確かにここで大人しく降伏すれば、命の保証はされるのだろうと。
だが、その代わりに待っている運命は決して愉快な代物ではない。
間違っても、穏やかな老後の生活……という訳でないのは、すぐに分かった。
それに組織には色々と言いたいこともあるが、自分達をここまで雇ってくれたのも間違いなく組織だ。
そうである以上、ここで組織を売るような真似は出来ない。
(まさか、私が組織に義理立てをするなんてね。けど、最後くらいは悪くないかしら)
一度決めると、妙に心の中が晴れ渡っていく。
そんな感覚を覚えながら、ムーラは恐らく最後になるだろう相棒の名前を呼ぶ。
「シストイ!」
「分かった」
短い言葉のやり取り。
だが、お互いずっとコンビを組んできた以上はその短いやり取りだけで十分。
前に出るシストイを援護するかのように後方へと跳躍し、セトに乗ったレイと正面から向かい合う。
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