第763話

 向かい合う中、最初に動きを見せたのはシストイだった。

 シストイにしてみれば、そもそも純粋な戦闘技量で自分がレイに勝てないというのは、闘技場の控え室での戦いで既に悟っている。

 にも関わらず最初に動きを見せたのは、やはりムーラとレイを戦わせるよりは自分が戦った方がまだ勝利の可能性があるという判断からだろう。

 ただし、敵は以前と違ってレイだけではない。

 その従魔でもある、グリフォンのセトも存在している。

 だからこそ、シストイは無理を承知でレイへと攻撃を仕掛け……同時に、セトに対しても針を飛ばす。

 短剣のように場所を取らず、それでいて攻撃の危険度は高い。

 ……もっとも、針自体は鋭利に尖った先端を持ってはいるが、そこまで強力な武器という訳ではない。

 いや、寧ろ純粋に武器としての威力で考えれば、かなり低い方だろう。

 ただし、視覚的な面では十分過ぎる程の凶悪さを持つ。

 事実、セトもムーラへと進もうとした足を一瞬止められたのだから。

 だが……


「セト、悪いがお前はソブルを見張っていてくれ。奴が逃げ出そうとしたら、その阻止を頼む!」

「グルゥ?」


 自分目掛けて振り下ろされる長剣の一撃をデスサイズで弾きながら、セトへと叫ぶレイ。

 そんなレイに、いいの? と喉を鳴らしつつ視線を向けるセトだったが、レイは構わないと叫ぶ。


「ここでソブルを逃がした方が、後々厄介になる。それに、この二人相手なら俺だけでどうにでもなる!」

「グルルルゥ」


 分かった、と返事をしたセトは、そのまま数歩の助走の後で木を蹴って、三角飛びの要領でソブルの背後へと回り込む。

 丁度レイとセトでシストイ、ムーラ、ソブルの三人を前後から挟む込むような形となる。

 この状況は、シストイやムーラにとってもそうだったが、何よりソブルにとって痛かった。

 出来ればここから抜けだし、シストイとムーラに足止めをして貰っているうちに林から出て、何とかフリツィオーネ軍の目を潜り抜け、帝都へと戻ることが出来れば最善と考えていたのだ。

 だが背後にセトのような存在がおり、更にはそのセトは自分が逃げ出さないようにじっと見張っている。

 この状況でここを抜け出そうとしても、間違いなく捕らえられる。

 こうなってしまっては、確率は非常に低いがシストイとムーラがレイに勝つことに賭けるしかなかった。


(どうみても負けると分かっている賭けは、ブラッタが好きだったが……はたして、俺に賭けの才能はあるか?)


 そんな才能はないだろうと判断しつつも、ソブルは戦いの行く末を見守る。

 事実、ソブルの視線の先で行われている戦いは、どう見てもシストイやムーラの方が圧倒的に不利だった。

 ムーラが援護のために何本もの短剣を投擲するが、その全てがレイの振るうデスサイズによって弾かれる。

 しかもただ弾くだけではなく、シストイの長剣と斬り合いながらも時々シストイの方へと弾くのだから、手の打ちようがない。

 ソブルは援護しようにもろくな武器を持ってはいないし、そもそも身体を動かすのが得意ではない。

 そして何より、じっとその円らな瞳で自分を見据えているセトがいる以上、ただ黙って見ているしか出来ない。


「しゅっ!」


 鋭い呼気と共に間合いを詰め、レイの胴体を狙って横薙ぎに振るわれる長剣。

 自分の胴体へと向かってきた長剣に、レイは特に気にした様子も見せずに前に出る。

 ギィンッ、という金属音が周囲に響く。

 その音がしたのは、レイの持っているデスサイズの柄と長剣の刃がぶつかった音。


「ぐぅっ!」


 その一瞬の交差で悲鳴を上げたのは、レイではなくシストイ。

 不意の激痛に左の脇腹を押さえつつ、後方へと跳躍して一旦間合いを広げようとするも……


「させると思うか?」


 その行動を予測していたレイが、デスサイズを振るおうとし……その動きを止め、援護のためにムーラから飛んできた短剣を弾く。

 ……そう、右手一本で握られたデスサイズが。

 文字通りの意味で片手でムーラをあしらいつつ、左手はドラゴンローブの中へとしまわれていた。

 次に出てきた時、左手には鏃が数個、握られている。

 レイの持つマジックアイテム、ネブラの瞳により作り出された鏃。

 つい先程、シストイが左脇腹を押さえた原因も、この鏃だった。

 シストイの振るった長剣を片手で握ったデスサイズで受け止めつつ、片手を懐に入れてネブラの瞳を起動して鏃を作り出す。

 言葉にすれば簡単だが、シストイ程の腕利きと……更にはムーラの援護がある中でそれをやるのは、極めて高度な技術を要する。


「痛っ!」


 再びの激痛に声を上げるシストイ。

 本来であればレイの放つ鏃は、皮を破り、肉を裂き、骨にまで衝撃を与える程の威力を持つ。

 それを食らっても痛いというだけで済んでいる辺り、シストイ自身の肉体が鍛えられていることや、着ている鎧のおかげだろう。


(鬱陶しいな。一体何本持ってるんだ?)


 本来であれば一撃で決めたいところなのだが、それを妨害するようにムーラから何本もの短剣が飛んでくる。

 幾ら投げてもまるで底なしだとでも言いたげに、潤沢に投擲される短剣。

 勿論本当に無限に持っている訳でもないだろうが、それでも自分に向かって飛ばされてくる短剣は邪魔以外の何ものでもなかった。

 だが、すぐに考えを改める。

 自分が何故反乱軍に協力をするのかを。

 相手を捕らえるのではなく、殺す。命を奪う為の戦いを行っている今であれば、丁度いいだろうと。


「お前達にはこれまで散々手こずらされてきたんだ。……そう簡単に死ぬなよ? 俺と戦って、生きていれば捕虜にはしてやるからな」


 レイの口から出た言葉に何を感じたのか、シストイの表情が緊張したものに変わった。

 かといって、前後に挟まれているこの状況でここから逃げられる筈もない。

 鎮魂の鐘に所属している刺客としては、今すぐここから逃げるべきだと判断している。 

 だがそれが出来ない以上は、何とかレイを相手に生き残るしかない。

 一瞬横へと視線を向けるが、そこには木々が生えている。

 現状で動きようがないソブルをこの場に残し、ムーラと共に逃げ出せるか? というのも一瞬考えるが、あっても獣道程度の場所でグリフォンから逃げられるとも思えない。


「ムーラ」

「ええ。やるしかないわね」


 ムーラの方も、シストイ程に勘が鋭いという訳ではないが、それでも今のレイが何かをしようとしているというのは理解出来た。

 そうである以上、とにかく今は生き延びることを考え、意識を切り替える。


「どうやら準備は出来たみたいだな。じゃあ……行くぞ」


 その言葉と共に、覇王の鎧を発動。

 可視化出来る程濃密に圧縮された魔力が、ムーラとシストイ……そしてソブルの目に映る。

 駄目だ。

 今のレイの姿を見た、その一瞬で自分達に勝ち目がないというのを悟る。

 いや、元々勝ち目がなかったのは事実であり、生き残る術を見つけるのが大前提だという以上、最後まで諦める訳にはいかないと、ムーラとシストイは武器を構える。

 デスサイズを構えたまま、一歩踏み出すレイ。

 たった一歩。だが、それだけで後衛のムーラはともかく、シストイまでもが後退る。


(危険だ。この男は危険過ぎる。俺達にどうにか出来るような相手ではなかった)


 シストイの脳裏で、本能とも言うべき存在がこれまでに感じたことがない程の危険さを示す。

 逃げたい、逃げるべき、消えたい。この場から姿を消したい。

 そんな思いが何度も脳裏を過ぎるが、それでも意地を通してその場に立つ。

 今ここで自分が逃げれば、間違いなくムーラは死ぬ。

 いや、それ以前に自分がこの場から逃げ出すことすら難しいというのは理解していた為だ。

 それでも、レイが近づいてくるのに立ったままでいられたというのは、シストイにしろ、ムーラにしろ、鎮魂の鐘という裏の世界の組織でも最高峰の組織に属し、その中でも腕利きとして知られているだけの実力を持っていたからこそだろう。

 事実、少し離れた場所にいたソブルは、レイから感じるプレッシャーに全く身動きが出来なくなっていたのだから。

 寧ろ、地面に膝から崩れ落ちていないだけでも頑張っている方だろう。

 そんな三人を見ながら、レイは自分の身体へと纏わり付いている魔力へと視線を向ける。


「……やっぱりこうなるか。一応手加減はするけど、出来れば死なないでくれよ」


 覇王の鎧を使いこなす練習をする為にという言葉は口にせず、地面を蹴ってシストイへと近づく。

 一瞬……そう、本当にほんの一瞬で自分の懐まで踏み込まれたシストイは、何が起きたのか分からないまま。勘に促されて長剣を振るう。

 ギィンッ、という金属音。

 だがその金属音は、先程シストイがデスサイズを受け止めた時とは違う結果をもたらす。


「ぐおっ!」


 呻くシストイは、反射的に視線を空中へと向ける。

 視線の先では、長剣がクルクルと回転しながら空を飛んでいた。……それを握っている自分の右手と共に。


「シストイッ!」


 右手の肘から先を失ったシストイを目にし、ムーラが悲鳴を上げながらも短剣を何本も投擲する。

 今日何本も投げてきた短剣の中でも、間違いなく最高の速度を出しながらレイへと向かう短剣。

 だが短剣の標的にされたレイは、全く気にした様子もなく再び足を踏み出す。

 レイの頭部や喉、心臓、手足といった場所を狙って放たれた短剣が命中する寸前、可視化した魔力である覇王の鎧に触れた瞬間に弾かれ、あらぬ方向へと飛んでいく。


「なっ!?」


 信じられないと声を漏らすムーラをそのままに、レイはシストイに向かってデスサイズを振り上げ……


「止めてぇっ!」


 ムーラの声が響く中、振り下ろされたデスサイズが、シストイの左肩を切断し、その勢いのまま左足の膝から先も切断する。

 更にデスサイズの刃が地面に当たる寸前に腕力だけで強引に軌道を変え、真横へと一閃。残っていた右足も膝から切断され、シストイはそのまま地面へと崩れ落ちる。

 一瞬……まさに一瞬でシストイは既に斬り飛ばされていた右肘から先端以外にも四肢の全てを失ってしまう。

 地面に崩れ落ち、手足から派手に血を流しているシストイ。

 このままにしておけば、そう時間が掛からずに命の炎が消えるだろうというのは容易に想像が出来る。

 そんなシストイの首へとデスサイズの刃を向け、レイはムーラへと向かって口を開く。


「このままだとこいつはそう遠くないうちに死ぬのは間違いない。お前が抗えば、より死に近づくだろうな。……さて、改めて聞こうか。お前には今三つの選択肢がある」


 レイの言葉に、ムーラがビクリと身体を震わせる。

 シストイが心配なのは事実だが、今レイの話を聞き逃せば絶対に後悔すると判断した為だ。


「一つ目。このまま俺と戦い続ける。ただ、これはお勧めしない。最大の戦力であるシストイがこの有様だし、どうあがいてもお前に勝ち目はない。結果的に死体が二つになるだけだ」


 最悪な選択肢。

 当然ムーラはそれを選ぶつもりはない。


「二つ目。シストイをここに置いて自分はここから逃げ出す。……当然俺に逃がすつもりはないが、何らかの奥の手でもあれば逃げ切れるかもしれないな。ただし、お前を追わなければいけない以上、シストイが死ぬのは変わらない」


 次善の策だろうその選択肢も、ムーラにとっては選べるものではない。

 最初の選択肢と同じく、シストイが死ぬというのは変わらないのだから。


「そして、三つ目。俺に降伏すること。当然相応の枷は付けさせて貰うが、シストイの治療はすると約束しよう。……さて、どうする?」

「その言葉は信じてもいいの?」

「ああ」


 不安そうに問い掛けるムーラの言葉に、レイはミスティリングからポーションを取り出す。

 それも、その辺で売っているような安物のポーションではない。


「お、俺に構うな。お前だけでも、逃げろ!」


 四肢を失った状態で、激痛に苛まれながらも叫ぶシストイ。

 だが、その言葉はムーラにとっては逆効果でしかない。

 地面に転がり、四肢のあった場所から血を流している相棒。

 子供の頃から共に生きてきた相手を見捨てることは、ムーラには出来ない。

 それが例え組織を裏切るということに繋がるとしても、だ。

 つい先程までは組織に恩を返すために戦うと決意していたのが、シストイの命と組織を比べるとあっさりと前者に軍配が上がる。

 ムーラにとってシストイは、それだけ大事な存在だった。


「……分かったわ」


 数秒も掛からずに決断し、手に持っていた短剣を地面へと落とす。

 そんなムーラの様子を見ながら、レイもまた覇王の鎧を解除する。


「シストイの傷が治ったらこっちを裏切る……なんて真似をしないように手を打たせて貰うが、構わないな?」

「何をする気? いえ、今の私達が何を出来る訳でもなし……好きにしなさい」


 そう告げ、自分を見据えてくるムーラを前にレイはデスサイズを手にして近づいて行く。


『炎よ、汝は種なり。宿主が我との契約を破りし時はその命を用いて美しき炎華を咲き誇らせよ』


 呪文と共に、デスサイズの石突きの先端へと生まれる、種の如き小さな炎。

 その炎をそっとムーラの頭部へと触れさせ……


『戒めの種』


 呪文が発動し、炎の種はムーラの頭部へと吸い込まれるように消えていった。


「俺や反乱軍のヴィヘラやメルクリオを裏切るようなことをすれば、その瞬間にお前は死ぬ。そういう戒めだ」


 そう告げ、持っていたポーションをムーラへと手渡す。

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