第760話
時は少し戻る。
フリツィオーネ軍の後方がシュルスの騎兵隊と、前方の白薔薇騎士団がブラッタ率いる待ち伏せ部隊と刃を交え始めた時、レイはセトに跨がって街道沿いの林の方へと向かっていた。
狙いは勿論、この林に潜んでいる伏兵部隊を叩くこと。
レイ自身としては、出来れば待ち伏せ部隊と戦いたかった。
そこには意識を操られている……あるいは奪われているロドスがいるのだから、エルクに対する恩義や友情含めてそのままにして置く訳にはいかなかった。
しかし、フリツィオーネからの要請でレイに割り当てられたのは、林に潜む伏兵の撃破。
勿論林の中に潜んでいる相手と有効に戦うには、個人としての戦闘力が高い自分やセトの方が有利に戦える為だというのは分かっていた。
それでもレイなら、無理を言えばロドスのいる待ち伏せ部隊の方へと攻撃を仕掛けることも出来ただろう。
それをしなかったのは、自分の立場がフリツィオーネを含めた第1皇女派……今ではフリツィオーネ軍となったこの軍隊の護衛だというのを理解していた為だ。
もしも自分の我が儘で独自に行動し、その結果フリツィオーネ軍が……そしてフリツィオーネそのものが被害を受けてしまえば、自分にこの役目を要請してきたテオレームや……そして恐らくはその技量を信じて推薦したヴィヘラの面子をこれ以上ない程に潰してしまう。
「それに……こっちはこっちでやるべきことがあるしな」
「グルゥ?」
自分の背の上で呟いたレイへと、首を向けて喉を鳴らすセト。
どうしたの? と言いたげなセトに、レイは何でもないとセトの首を撫でてやる。
「それよりもセト、俺達の役目は分かっているな?」
「グルゥッ!」
勿論! と喉を鳴らすセトに、レイは一応念の為と口を開く。
「よし、俺達の役目は林の中に潜んでいる伏兵を片付けることだ。偵察に来た時にセトが見つけたように、林の中に潜んでいる奴等は風景に溶け込むようにしている。見逃すことはないように……いや、セトには言うまでもないか」
「グルルルルゥ!」
そもそも、レイよりも先に林の中に潜んでいる伏兵部隊を見つけたのはセトだ。
そうである以上、確かにレイが言うまでもないのだろう。
(というか……何だかセト、以前よりも感覚が鋭くなってるような?)
疑問に思うレイだったが、その理由として考えられるのは多くはない。
(数日、帝都の外で一匹だけで暮らしていたからか? 獲物を自分だけで見つける為に自然と感覚が研ぎ澄まされた、とか。……うん、セトがグリフォンであるのを考えると、普通に有り得るな)
そんな風に考えつつ、隠れている敵を見つけ出して各個撃破していくよりも、さっさと纏めて倒してしまった方がいいと判断する。
「森の中に隠れていたのが不運だったな。幸い今は秋で、空気も乾燥している。これなら一網打尽にするのは楽だろう」
「グルルルゥ?」
いいの? と喉を鳴らすセトに頷き、デスサイズを手に呪文を口にする。
『炎よ、汝のあるべき姿の1つである破壊をその身で示せ、汝は全てを燃やし尽くし、消し去り、消滅させるもの。大いなる破壊をもたらし、それを持って即ち新たなる再生への贄と化せ』
呪文の詠唱と共に、デスサイズの刃の部分に炎球が作り出される。
その数は一つ。ただし、その炎に込められた熱量はレイの魔力により非常に高くなっていた。
『灼熱の業火!』
呪文の完成と共にデスサイズが振るわれる。
その軌跡に沿うように放たれた炎球は、真っ直ぐにセトとレイの眼下にある林へと向かって行き……
「……うん? 何だ?」
炎球が林へと到着してから数秒。それでも全く何も起きないのを不思議に思い首を傾げるレイ。
本来であれば、今頃は圧縮された炎が爆発的に広がっていた筈なのに何も起きない。
「グルゥ?」
セトもまた、レイと同様に首を傾げる。
そのまま更に十秒程空中で待機していたレイだったが、それでも何も起きないのに本格的に疑問を覚えると、そのまま地上へと向かって降りて行く。
そうして林の木々の近くまで降りてきた、その時。
「っ!? セト!」
「グルゥッ!」
レイの言葉だけで何かを察知したセトは、すぐに翼を羽ばたかせて高い場所へと向かって飛んでいく。
そしてセトが移動した一瞬後、つい今までセトがいた場所を何かが貫いていく。
地上から飛んできた何かがどこから飛んできたのかと視線を向けると、そこにいたのは見覚えのある人物。
……いや、見覚えがあるどころではない。つい先程まで顔を合わせていたロドスの姿。
ただし、様相は一変していた。
顔、身体を問わずに大きな火傷を負っている。
だが異様だったのは、火傷の跡が見て分かる程に急速に回復していっているのだ。
否、それは既に回復というよりは復元と呼ぶべき光景。
「これは……どうなっている? あの火傷はさっきの俺の魔法で負ったものだろうけど……にしては、回復速度が早すぎる。何らかのマジックアイテムを使っているのは間違いないと思うんだが」
セトの背の上で地上を見下ろしつつ考えるレイ。
「グルルルゥ!」
だが、セトの鳴き声で我に返る。
考えるよりも、まずは行動をするべきだという意思の込められた鳴き声によって。
しかし既にその時、ロドスの姿は視界の中から消えていた。
「そうだな、確かに。折角ロドスがこっちに来てくれたんだから、その幸運を活かさない手はないか。セト、頼む」
「グルルルルゥッ!」
レイの言葉に高く鳴き声を上げ、そのまま林へと向かって降下していくセト。
当然林の中で待機していた伏兵達にしても魔法を使われたのだから、上空にいるセトとレイの存在には気が付いていた。
「くそっ、ここまでやっても隠れるのは不可能なのかっ! 厄介なグリフォンめ!」
伏兵部隊を率いる隊長が忌々しげに吐き捨てる。
実際、ここまでやれば敵に見つかることはないだろうという判断をしての行動だったのだが、それをこうもあっさりと見破られて面白い筈もない。
見破ったのがランクAモンスターのグリフォンであるというのは、何の慰めにもならなかった。
「隊長、どうしますか? 逃げるのなら今すぐにでも……」
「馬鹿野郎っ! 空を飛ぶ相手からそう簡単に逃げ切れると思っているのか? まず無理だ。今の俺達に出来ることは、このまま隠れて深紅に見つからないように祈っているか……」
斬っ!
隊長がそこまで話した丁度その時、上空から降り注いだ飛ぶ斬撃……飛斬が林の枝を切断しながら伏兵のうちの一人の腕を切断する。
「え? これ……俺の、腕……うわあああああああっ!」
一瞬何が起きたのか分からなかった男だったが、本来であればそこにあった自分の腕がなくなっていると知った瞬間、激痛が襲ってきた。
その痛みを我慢出来ずに悲鳴を上げた兵士だったが、隊長はそんな部下を見て舌打ちをする。
現在自分達は隠れているのだ。
ただでさえいつ見つかるか分からないのに、わざわざ自分から声を上げてどうするのか。
咄嗟に手に持っていた長剣で部下の首を切断して黙らせ、その場から跳躍して茂みに身を潜めた隊長と入れ替わるように、巨大な質量の何かが空中から降ってくる。
それが何であるのかは、考えるまでもなく理解していた。
この場で最も恐ろしい存在。人間を超えた五感を持ち、空を飛ぶことが出来る存在。
(くそっ、さっきのロドスとかいう奴は何をしている!?)
内心で叫びつつも、隊長の視線は上から落下してきたレイとセトの一人と一匹から片時も離れていなかった。
今は向こうが落ちてくる寸前に茂みの中へと身を潜めることに成功したが、このままではいずれ遠くないうちに見つかるのは確実だ。
それを逃れるのであれば、何とか相手の注意を逸らすしかないのだが、それが出来る者はこの場にはいない。
いや、正確にはいるが、それは自分だけだった。
(絶対にごめんだ。あんな異名持ちの化け物とやり合って勝てる訳がない。恐らく他の奴等もさっさと逃げ出している筈。だとすれば、何とかこの場を誤魔化して……)
必死に頭の中で現状の打開策を考える男。
だが、すぐ近くにセトという存在がおり、その五感の鋭さすらも知識として存在していたにも関わらず自分だけは見つからないと考えていたのは、やはりいきなりレイとセトが地上に降りてきたことにより混乱していたのだろう。
「グルゥ」
「ああ、分かってるよ。……さて、そこに隠れている奴。そろそろ出てきてくれると嬉しいんだけどな」
呟き、レイがデスサイズの先端を向けたのは、間違いなく男が隠れている茂みだった。
(っ!?)
息を呑み、ようやく自分の存在に気が付かれていたことを悟った男だったが、それでいて何が出来る訳でもない。
ここで迂闊に逃げ出せば、それこそ背後から先程の飛ぶ斬撃であっさり斬られるというのは理解していたし、かといってこのまま素直に出て行くのも論外。
仮にもこの場を任された自分が緊張で足が動かず、何らかの奇跡が起きるのを期待して茂みに隠れたままというのを選ぶしかない。
そう思った、その時。
ガサガサと、何かが林の中を掻き分けながら真っ直ぐに突き進んでくる音。
その何かが男の隠れていた場所とは正反対の位置から姿を現すと、持っていた長剣を片手に突き出しながら、更に速度を上げる。
長剣による突きを得意としている相手はレイにも覚えがあった。
元々その人物を探して林の中まで降りてきたのだから、寧ろ望むところと長剣の突きをデスサイズで受け止める。
ギィンッ、という甲高い金属音が周囲に響き渡り、レイが小さく驚きの表情を浮かべ、口を開く。
「なるほど、魔剣か。確かに錬金術が盛んな帝都だ。第1皇子ともあれば、魔剣を用意するくらいはそう難しくないか。……それにしても、この短期間で随分と腕を上げたな?」
「……」
話し掛けるレイだったが、ロドスは言葉を発さず、ただ無表情な視線をレイへと向ける。
既に火傷の跡は完璧に消えているのに気が付いたレイは、もしかしてこの治癒能力が原因なのか? とも考える。あるいは、自分の炎を無効化した何かかもしれないが、と。
ともあれ、デスサイズを構えたままレイはチラリと自分の近くにいるセトへと向かって声を掛ける。
「セト、ロドスは俺に任せてくれ。お前はこの林の中にいる伏兵を頼む」
「グルゥ?」
大丈夫? と喉を鳴らして尋ねてくるセトに、レイは問題ないと頷く。
(セトにロドスを任せるって手段もあるんだけど、セトとロドスは相性的に最悪だからな)
戦闘の相性ではなく性格的な相性で、と。
セトとロドスの相性の悪さは、やはり初対面が悪かったのだろう。
自分の母親がレイに興味を示したのが気にくわなかったロドスが、レイの従魔という扱いになっているセトに対してもどこか喧嘩腰で接した影響が現状だった。
セトにしても、自分の大好きなレイに対して攻撃的だったロドスに懐かず、すぐに人に懐くセトにしては珍しくロドスを露骨に嫌っている。
「ま、こっちは任せておけ。それに向こうも俺をご指名のようだしな。それより、そっちは任せるぞ」
「グルゥ!」
セトが短く鳴き……タイミングを見計らったかのように、一人と一匹は同時に行動を開始する。
まずセトが行ったのは、地を蹴って近くにある茂みの方へと突っ込んで行ったこと。
そこに誰かがいるのは、既に嗅覚や聴覚といったもので確認済みだった為だ。
通り抜け様に振るわれた前足の一撃は、この伏兵部隊を率いていた隊長に気が付く暇すらも与えずに頭部を砕く。
隊長を最初の一人とし、セトは林の中を走り回っては茂みや木の後ろ、木の上、岩の陰、といった場所に隠れ潜んでいる伏兵を見つけ出しては、前足の一撃、クチバシの一撃、後ろ足の一撃で命を絶っていく。
林の中を一切速度を緩めず、縫うように移動しながら淡々と相手の命を奪っていくその様は、まさにランクAモンスターの本領発揮といったところか。
猫科特有のしなやかな身のこなしは、本来はフリツィオーネ軍の不意を突いて命を奪う筈だった兵士達の命を逆に狩っていく。
更には林の中で周囲から見られる心配がない為、光学迷彩、衝撃の魔眼、サイズ変更といった一見して見つけられにくいスキルを使用しているのだから。伏兵部隊にしてみれば堪ったものではないだろう。
「グルルルルルゥッ!」
久しぶりにレイと一緒にいられるということで、セトのテンションは非常に高くなっており、より攻撃性、凶暴性が高まっていた。
何とか逃げようとする者もいたが、幾ら鍛えられた兵士だとしても、普通の人間が身体能力でグリフォンに敵う筈もない。
逃げ出そうとした兵士は林から出ることも出来ず、次々と狩られていく。
次々と林の中で上がる悲鳴や怒号だったが、それも一人、また一人と少なくなっていく。
そして……
「うっ、うわあああああああっ! 来るな、来るな、来るなぁああああああっ!」
悲鳴と共に叫びながら逃げ出そうとした、この林の中に隠れていた最後の一人。
その兵士もまた自分がこの林の中で生きている伏兵部隊の最後の一人だというのに気が付くよりも前に、背後から襲ってきた前足の一撃により頭部を砕かれ、命の炎が消え去るのだった。
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