第750話

 背後から聞こえてくる戦いの音を聞きつつ、ムーラは声すら漏らさずに自分の後をついてくる人形達を率いて真っ直ぐに目標のテントへと向かって行く。

 いつもとは逆。自分が最前線に立つことになるとは思っていなかったムーラだったが、それでも行動に躊躇いは存在しない。

 確かに普段はバックアップが自分の役目であったが、だからといって今までずっと前線に立たなかったという訳ではないのだから。

 これまでの戦いは、より前線に向いているシストイがいたからこそ、前線を任せていたのだ。

 だから……


「と、止まれ! 何者だお前達!」

「向こうで起きている騒ぎは一体何だ!」


 そんな風に、混乱しながら手に持っている槍の穂先を向けてくる兵士が相手になる筈もない。


「ふっ!」


 突き出されている穂先を回避し、あっさりと間合いの内側に入り込む。

 このテントの警備を任されている以上、兵士達も相応に腕の立つ者ではあったのだろう。

 だが、反乱軍の陣地の奥深くで周囲にはテントがなく隔離されているような状況、時刻は皆が眠っているだろう夜、そして今まで何も異常が起きなかったという油断。

 それらの要素が絡み合い、完全に後手に回っていた。

 ムーラの短剣が、槍を持った二人の兵士の首筋を斬り裂く。

 まるで霧のように噴き出す血は、柔らかく降り注ぐ月光の下ではとても美しく、そして血に濡れたムーラは艶めかしかった。

 だが、本人は全くそれを気にした様子もなく人形へと視線を向ける。


「そっちの七人はこのテントの中にいる兵士達を始末しなさい。ただし、くれぐれも標的を殺しはしないように。行って」


 短い命令であったが、思考能力を持たない人形達にはそれで十分だった。

 ムーラの命令に従い、それぞれ自分の武器をもったまま幾つものテントが集まっている一画へと突入していく。

 表で起きた物音や叫びを聞きつけて起き出そうとした兵士達もいたのだが、その兵士達が戦闘の準備を整える前に人形達はそれぞれの武器を手にテントの中へと突入し、兵士達を仕留めていった。

 中には人形の攻撃をどうにか凌いで外に脱出した兵士もいたが、結局は他の人形の手に掛かる。

 人形達の持っている武器は、長剣、棍棒、槍といった風に様々だったが、テントの中であってもそれなりに器用に武器を振り回している辺り、身体に染みついている動きなのだろう。


(商人とかじゃなくて、兵士や冒険者を人形にしたのは正解だったわね)


 融通は利かないが、純粋な戦闘力に限って言えば相当の戦力。

 そう判断し、この場に残っている三人の人形達へと声を掛ける。


「残りの貴方達は私と一緒に来なさい。私に対して敵意を持って攻撃を仕掛けてくるような相手がいたら、殺しても構わないわ」


 ムーラの命令に、無言を返す人形達。

 それは、命令を聞いていないという訳ではない。ただ話せないだけだ。

 これもまた、人形としての調整を急がなければならなかったが故のもの。

 テントの方から戦いの音が聞こえてくるのを耳にしつつ、ムーラは先へと進む。

 協力者である兵士の男から聞いた通りの場所に目的のテントはあり、そこに今回の目標でもあるソブルの姿がある筈だ。


(上手い具合に混乱してくれてるわね。けど、ここに配置されてるのは精鋭だって話だから、少し急いだ方がいい。幾ら周囲に他の兵士達がいないからって、これだけ騒ぎが大きくなれば遠からず応援の兵士がやって来るでしょうし)


 周囲のテントで起きている騒ぎの中、自分達に向かってくる兵士の姿がないのを確認しながらムーラは進む。

 やがて幾つものテントがある場所を通り過ぎると、ある程度の広さのある場所の真ん中に一つだけテントが建っている場所へと出る。

 ようやく目的の場所へと到着したのは良かったが、テントの前にいる兵士が槍の切っ先を自分達の方へと向けているのを見ると、小さく舌打ちする。

 最初にムーラが倒した兵士と違い、全く混乱している様子はない。

 それどころか、自分達の前にいるムーラこそがこの騒動の原因だと理解しているのか、今にも斬り掛かってきそうな目つきで睨んでいた。

 それを実行しないのは、やはり自分達の役目が後ろにあるテントの中にいる人物を守ることだと理解してるからだろう。

 防御側である自分達が先に攻撃を仕掛けるというのは、この場合は有り得ない選択肢だった。

 今出来るのは、少しでも時間を稼いで応援を待つこと。

 これだけの騒ぎになっている以上、間違いなく既に周囲の者達はこの騒動に気が付いている筈。

 なら、それ程しないうちに応援の兵士がやって来る。

 なら、今やるべきは……と、兵士の一人が口を開く。


「お前達の襲撃は既に失敗した。今投降するのなら、安全を保証しよう」

「行きなさい」


 兵士の言葉にムーラが示した反応は、たった一言。

 その短い命令で、三人の人形達は自分の武器を手に地を走る。

 ムーラにしても、向こうの狙いが時間稼ぎだというのは理解していた。だからこそ、そんな時間稼ぎに付き合うつもりはないと、人形達へ命令を下したのだ。

 地を蹴り、相手の兵士へと向かって突っ込んで行く人形達。

 その速度は、とてもではないが普通の人間のものではない。

 これこそが、感性を犠牲にしてまで行われた洗脳と強化の効果。

 もっとも時間がなかった為に自意識とでも呼ぶべきものは既に存在していないが。


『……』


 無言で間合いを詰めてくる人形達に向かい、兵士は十分に引き寄せ……


「はぁっ!」

「食らえっ!」


 タイミングを合わせ、同時に槍を突き出す。

 同時に兵士二人が手に感じたのは、ザクリとした槍の穂先が肉を貫く感触。

 兵士をやっているからには人間を相手にした戦いも相応に積んできてはいるのだが、それでもこの感触はなれない。

 片方の兵士が、一瞬そんな考えが脳裏を過ぎる。

 確かにそれは普通であれば問題はなかった。槍の穂先は根元まで相手の胴体に埋まっていたのだから。

 だが……同時に、それは決定的なミスと言ってもよかった。

 テントのある場所に襲撃を仕掛けているのに、何故相手は防具を装備していなかったのか。

 音を鳴らすのを危惧するのであれば、モンスターの革を使ったレザーアーマーもあるというのに。

 それに気が付かなかった兵士は、自らの槍の穂先で腹を貫通されたにも関わらず、長剣を振り上げている相手を目にしても何が起きているのか分からなかった。


「へ?」


 その言葉が兵士の最期の言葉となり、次の瞬間には胴体を槍に貫かれたまま前に進んできた人形が振り下ろした長剣に頭部を断ち割られる。


「ばっ! な!?」


 もう片方の男は今の光景を目にして、咄嗟にその場を跳躍する。

 同時に振るわれ、たった今男がいた場所の地面へと長剣を振り下ろしたのは、自分が槍の穂先を突き刺した相手ではなく、相棒を殺した相手でもない。

 そう、ムーラが従えていた人形は全部で三人。

 兵士の数が二人である以上、手の出しようがない相手だった。


「くそっ!」


 自分が最も得意としている槍は相手の胴体に突き刺さったまま。それに比べて、相手は無傷が一人に、胴体を貫かれているにも関わらず全く痛みを見せない男が二人。そして……


「あれ?」


 残りもう一人の女はどこにいった?

 そう思った瞬間、何か風のようなものが自分の横を通り過ぎ、同時に喉に感じる熱い何か。

 気が付いた時に兵士が見たのは、自分の首筋から吹き出ている血。

 月明かりの下の血飛沫を見て、綺麗だと思った次の瞬間には兵士の意識は闇に飲まれ、短い生を終える。


「……さて、行くわよ。ここまで来たら、もう成功したも同然でしょうね。普通なら標的を別の場所に移される心配をするところだけど、今回は完全に奇襲の形だったから、それも気にしなくていいし。行きなさい。ただし、襲ってこない相手には攻撃しては駄目よ」


 もしもまだテントの中に敵の兵士が隠れていれば、と念の為に指示をするムーラだったが、テントの中に入っていった人形が何かに反応することはなく、静かなまま。

 どうやら中には敵がいないらしいと安堵し、そのままテントの中へと入っていく。

 そうして視界に入ってきたのは、捕虜であるにも関わらずテントの中にベッドが用意されており、そのベッドの上に腰を掛けているソブルと、テントの中に立ち尽くしている三人の人形達の姿。


「貴方がソブル……でいいのかしら?」


 普段であれば初対面の相手には猫を被るムーラだったが、今はそんな余裕はない。

 シストイが残って後ろで足止めをしているし、深紅の姿が現在陣地にないとしてもいつ戻ってくるか分からない。この騒ぎに反乱軍の上層部が気が付かない筈がなく、すぐにでも増援を送ってくるだろうし、何よりここから脱出した後はソブルを帝都まで連れて行かなくてはならない。

 それらのことを考えると、ムーラは猫を被るような余裕はなかった。

 ソブルにしても、相手の態度に関しては特に気にはしない。

 あっさりとムーラの態度を受け入れ、頷きを返す。


「ああ、俺がソブルだ。で、お前はどこの手の者だ?」


 自分を手に入れたい勢力は、それこそ幾らでも考えられるとして尋ねたソブル。

 もしもムーラがソブルを邪魔だと思っている勢力の手の者であれば命の危機だというのに、全く恐れた様子がない。

 そんなソブルの態度に好ましいものを感じたムーラは、口元に笑みを浮かべつつ肩を竦める。


「さてね。残念ながら私達は所詮組織の手。頭じゃないから、どこからの依頼かなんて分からないわよ。けど、生かして帝都まで連れてこいって依頼なんだから、少なくても貴方に敵意を持っている人じゃないのは確かでしょうね」

「……そうか」


 ムーラの言葉にあっさりと頷くと、それ以上は聞いても無駄だろうと判断したのだろう。そのままベッドから立ち上がる。

 これには寧ろ、ムーラの方が驚いた。

 普通であれば、誰とも知らぬ相手が助けに来た――見方を変えれば攫いに来た――というのに、全く躊躇せずに従うとは思わなかった為だ。

 幾つか説得の言葉を考えてもいたし、最悪人形達に拘束させて連れて行くことも考えていたムーラにしてみれば、拍子抜けといった感じだ。

 それでもすぐに気を取り直し、テントの外へと出る。

 今は早くシストイと合流しなければ……と思った為だったのだが、テントの外に出たムーラを待っていたのは血に濡れた長剣を手に持っているシストイの姿。


「……あら、随分と早かったのね」


 一瞬驚くが、それでもすぐにそう声を掛けることが出来たのは、やはりシストイとの付き合いの長さ故か。


「ああ。それより早くこの陣地を脱出するとしよう。あの協力者が用意してくれた馬の場所は覚えているな?」

「勿論よ。私達の生命線なんだから。……貴方達はもう暫くこの周辺で暴れてなさい。そして死にそうになったら周辺にいる反乱軍の者達を道連れにして死ぬのよ」

『……』


 人形達は自らの主であるムーラの、非道としかいえない命令にも異議を唱えることなく頷きを返す。

 元々ムーラの言葉には絶対的に従うように調整されており、自我というものが消されているのだから無理もないのだが。


「さて、じゃあ行きましょうか。分かってると思うけど、妙な真似はしないでね? 一応生きて連れてくるように言われてはいるけど、生きてればいいのなら手足は切断しても構わないんだし」


 それは、自分達に従えという命令。

 だが、ソブルは嫌な顔一つせずに頷きを返す。


「分かった。どのみち俺も帝都には戻る必要があったんだ。折角それを手伝ってくれるというのに、わざわざ妨害するような真似はしない」

「……そ、そう。お偉いさんって割りには随分と聞き分けがいいのね。助かるわ。そっちが素直なら、こっちも相応の態度を取らせて貰うから安心して私達に身を任せて頂戴」


 ムーラとしても、相手がここまで素直に自分の言葉に従うとは思っていなかったのだろう。多少戸惑った様子で呟くが、自分の言葉に従うのなら好都合とばかりに頷く。


「話は決まったな。では行くぞ」


 シストイの言葉と共に、一行は走り出す。

 テントに軟禁されていたソブルは多少の運動不足でもあったが、このくらいの距離を走る程度であれば問題はない。

 戦闘力としては期待出来るが、言われたことしか出来ずに臨機応変に行動出来ない人形達は、囮として先程のテントのある場所で暴れている。

 いずれは自分達の行動にも目を向けられるだろうが、その前にこの陣地を出てしまえば問題はない。

 そう判断し、三人は陣地の中を素早く走る。

 ソブルが閉じ込められていた場所は警戒の為に周囲には何もない場所だった。

 それでも周辺に騒ぎが広まってはいるが、それもテントの近くに限っての話となる。

 つまり、こうして先程の現場から離れれば離れる程に喧噪は低くなっていく。

 実際、既に遠くから何かを怒鳴っている声が聞こえてはくるが、それ以外だと秋の夜長を示すかのような虫の音くらいしか聞こえてこない。

 そのまま走ること数分。やがて協力者の男との約束の場所に到着する。

 周辺に協力者の男の姿はないが、それでもきちんと馬は繋がれ、簡単な食料や武器を纏めた荷物も置いてある。


(約束は守ったようね。まぁ、向こうにしても臨時収入を得られるんだし、私達が捕まったら自分にも手が伸びてくるかもしれないんだから、無理もないけど)


 内心で呟き、ムーラは自分が連れているソブル、念の為に背後を警戒しているシストイと共に馬へと近寄っていくのだった。

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