第749話
夜、皓々と光る大きな月が地上を照らす中で、反乱軍の陣地では多くの者が既に眠りに就いていた。
酒を出す店や娼婦がいるにしても、日付が変わる頃には既に見張りや何か用事がある者以外のほぼ全員が眠っているのは当然だろう。
明かりの為に燃やす木々にしても無限にある訳ではないし、明かりのマジックアイテムに関してもそれなりに高価ではある。
何よりここが反乱軍の陣地である以上、翌日には再び厳しい訓練が行われるのは規定事項なのだから、夜遅くまで起きていて寝不足の状態で訓練を受けたいと思う者はいないだろう。
それでも、レイとセトが現在陣地にいないということもあり、多少は訓練の厳しさは以前よりもマシになっている……訳ではない。
そもそもここ最近はレイが訓練しているのは遊撃部隊の者達が中心になっていたし、反乱軍にはレイ以外にも厳しい訓練を行う者が多い。
その筆頭が、元第2皇女派のグルガスト。
戦闘狂であるだけに、訓練は非常に厳しい。骨折や打撲といった怪我をする者が出るのは当たり前であり、下手をすれば死人が出てもおかしくないのではないかと思われる程に。
他にもテオレームが訓練をすることもあるし、副官のシアンスが……そしてヴィヘラといった面々や、反乱軍に参加している貴族達同士で模擬戦のようなものを行う時もある。
特に冒険者や傭兵は即戦力であることを求められている者達である以上、より実践的な訓練を行う。
だからこそ、見張りや用事のある者以外は夜はなるべく早く寝て、明日に備えるのだが……
そんな静まり返っている闇の中、陣地の中で動き回っている者達がいた。
一人や二人ではない。十人を超える数の人数が、明かりとして用意された篝火から身を潜めるようにして移動する。
「全く、何だってこんなに月が出てるのかしら。もう少し雲で隠れてくれればいいのに」
「そう言うな。確かに見張りの兵士に見つかる危険性は高まるが、人形が闇の中で転んだりしないのはこっちにとってもありがたい」
「……本当なら、もっと時間を掛けて人形の数を増やして、質も高める筈だったのに。全く、深紅はいてもいなくてもこっちに迷惑を掛けてくれるわね」
忌々しげに呟くムーラは、チラリと自分の後をついてきている者達へと視線を向けて呟く。
視線の先にいるのは、ムーラお得意の洗脳で意識を奪われた人形達。
本来であれば、意識を誘導してある程度の自己判断を持たせるのが最良の選択なのだ。だが、それをやるにはある程度時間を掛ける必要があり、今はその時間が最大の敵だった。
それ故に自意識の類をほぼ完全に消し去り、自分の言葉通りに操る人形として調整されている。
自意識がなく命じられたこと以外は自己の判断で行動出来ない為、下手をすれば地面にある石に躓いて転ぶ可能性すらもあったのは、自分の命令に従順に従うように強引に調整した弊害だ。
ここまで急いだのは、ムーラが口にしたように今この陣地内に深紅の姿がなかったと判明した為。
更に本来前線に出てこないムーラが今回ここにいるのも、人形達に詳しく指示を出す為だ。
協力者の男から深紅はいないかもしれないという話は聞いていたが、ようやくそれが確定したのだ。その情報を聞いた以上、ソブルの奪取という行動を起こさない訳にはいかなかった。
深紅一人と普通の兵士百人。そのどちらかが守っている中で標的のソブルを救出しろと言われれば、ムーラにしろシストイにしろ、何の躊躇もなく後者を選ぶだろう。
深紅というのは、それ程の存在だと刃を交え……一方的に敗れて命からがら逃げ延びたからこそ理解している為だ。
「止まれ、見えてきた」
先頭を進んでいたシストイが鋭く告げ、それを聞いたムーラは足を止めつつ人形にも止まるよう指示を出す。
これがきちんと自意識のある人形であれば、ムーラが何を言わずとも自分で止まってくれるのだが。
そんな人形達に若干苛立ちの視線を向け、シストイへと向かって尋ねる。
「それで、どう? こっちに気が付いた様子はある? この月明かりだし、下手をすれば見つかるかもしれないのだけど」
「問題ない。油断しきっている」
「……確かにだらけきっているわね」
シストイの隣からテントが幾つも存在している方へと視線を向けたムーラは、そこで二人の兵士が話しているのを見て取る。
風に乗って微かに聞こえてくる声の中には笑い声までもが混じっており、どう見ても真面目に見張りに取り組んでいるようには見えない。
だが、それも無理はないだろう。討伐軍を二回連続で圧倒的な強さを発揮して撃退しているのだから。
更には、反乱軍の陣地に敵が近づいてきているという情報もない以上、どうしても緊張感を持って見張りをするのは難しい。
捕らえてから暫くの間はいつ捕虜を取り戻しに来るかと緊張感を持って見張りをしていたのだが、その緊張感にも慣れが生じる。
そうすると、どうしてもだれてしまうのはしょうがなかった。
「そう怒るな。俺達にしてみれば、寧ろ望むところだろう? こっちが有利になるんだから、感謝はしても怒る必要はない」
「それは分かるけど……それでも舐められているみたいで気にくわないのよ」
「……なら深紅と戦いたいとでも言うのか?」
「それは嫌」
一瞬の躊躇もなく言葉を返すムーラに、シストイは思わず苦笑を浮かべる。
「なら文句を言うのはなしだ。それよりもこっちはこっちでやるべきことを……っ!? 下がれ!」
突然鋭く、しかし小声で叫ぶシストイに、反射的に後方へと跳躍するムーラ。
一瞬遅れて人形もムーラの後に続いて跳躍するが、その中の数人は地上からいきなり生えてきた何かに貫かれ、足を地面に縫い付けられる。
「何!?」
「あはははは。まさか本当に来るとは思わなかったよ。暇だったから僕としては大歓迎なんだけどね」
どこからともなく聞こえてくる声。
その声の出所を探し……
「ここだよ」
地面の下から声が聞こえてくることに気が付き、ムーラは再び跳躍してその場を離れる。
同時に地面から伸びる尖った何か。
「触手!?」
間近で見たからこそ理解出来たのは、白く何らかの粘液に包まれてヌラヌラとしており、先端が尖っている触手。
生々しい外見であり、見ただけでムーラも生理的な嫌悪感を抱く。
「ふふふ。あ・た・り。けどそれが分かったからって、地面からの攻撃をどうにか出来るとは思わないけどね。ほら、行くよ? その妙な人達を操っているのはあんたなんでしょ? こういう時は指揮官を潰すってのが常道だしね」
地面から響いてくる言葉に、内心で舌打ちをするムーラ。
何故この場で最も強いシストイではなく自分が狙われているのかを理解したからだ。
事実、人形達に指示を出しているのはムーラであり、シストイの命令を人形達は殆ど聞かない。
本来であれば、以前に闘技場の控え室でレイを襲った時のようにシストイの命令に従うように出来たのだが……この辺はやはり急造だからこそだろう。
そんな様子を見ていたシストイは、一瞬だけソブルが捕らえられているだろうテントの方へと視線を向ける。
今はまだそれ程大きな音を立てていないし、ある程度の距離もある。だが、先程まで談笑していた見張りが自分達のいる方を見ているのは理解出来るし、何より雲がない為に月明かりが煌々と地上を照らしているのが不味い。
現状を一瞬で把握したシストイはムーラに向かって鋭く叫ぶ。
「ムーラ、こいつの相手は俺がする。お前は人形を率いて標的を確保してこい」
「分かったわ」
シストイの言葉に、一瞬の躊躇いもなく頷くムーラ。
常に前線に出ていたシストイだけに、その判断力は自分よりも上だと理解していた。
「魔獣兵よ。気をつけて」
ムーラはそれだけを言い残すと、シストイをその場に残して人形達を引き連れてソブルの捕らえられたテントのある方へと向かっていく。
「ありゃ、僕達の正体も知られてるのか。かなり機密の高い存在だと思ってたんだけど」
「春の戦争であれだけ露出しておいて、秘密も何もないだろう。……正直、反乱軍に与しているとは思わなかったが」
魔獣兵という存在は、当然今の言葉にあったように機密性の高い存在なのは間違いない。
春の戦争で明らかになったとしても、そう簡単に詳細を知ることは出来ないだろう。
だが……シストイやムーラが所属する組織はベスティア帝国の裏でも最高峰の実力を持つ鎮魂の鐘。
当然ある程度の情報を探り出すのは難しくなかった。
「ふーん、なるほど。だからさっきの女より、個人としての戦いになれてそうな君がここに残ったんだ。……けどね!」
地面の下から響いてくる言葉の途中で、再び生えてくる触手。
先端は非常に鋭利に尖っており、生半可な防具では防ぐことも難しいだろう。
それでも、魔獣兵は自分の放った攻撃に相手を貫通した触感がないのを知り、地面の中で舌打ちする。
(まさかこっちの攻撃をこうまで回避するなんてね。正直、地面に潜ってる僕に敵う相手なんていない……)
一瞬脳裏をレイの姿が過ぎり、すぐに考え直す。
(殆どいないとばかり思ってたんだけど……大体、どうやってこっちの攻撃を回避しているんだろ? 別に何らかの規則性がある訳じゃないし。まぐれ? まさか。となると、後は数で押し切ってしまう方がいいか。本当なら、あっちの大勢引き連れた方をどうにかしたかったんだけど、こいつを残しておくのは絶対に危険そうだし)
考えが纏まると同時に、再び地面からシストイ目掛けて突き出される十本を超える触手。
前後左右、そして地面。
五ヶ所の同時攻撃だけに、これで決まった! そう思った魔獣兵だったが、次の瞬間には地中で激痛に身をよじる。
「あああああああっ、痛い痛い痛い! くそっ、よくもやってくれたね!」
何が起きたのかというのは、地上から聞こえてくる音で大体分かった。周囲から一斉に襲い掛かった幾つもの触手を、シストイは唯一空いていた上に跳躍して回避したのだ。
地中から攻撃をしている以上、攻撃出来る範囲は決まっている。
だからこそ、先程の攻撃も五ヶ所……上を空けていたのだから。
そうして空中に逃れたシストイは自分のすぐ近くにあった触手を長剣で切断し、魔獣兵は触手を切断された痛みに呻くことになった。
「どうした? 今の俺の実力は以前より相当下がっているんだけどな。なのに手も足も出ないというのは……魔獣兵の強さは所詮噂か」
明らかな挑発。
だが触手を切断された魔獣兵は、その痛みもあって冷静に判断することが出来なかった。
元々魔獣兵というのは元犯罪者だった者が多く、忍耐力に欠けているところがある。
それが如実に表に出た形だろう。
「よくも、よくも、よくもぉっ! 本当は生かして捕らえようかとも思ったけど、もう許さないからな!」
その叫びと共に、再び地面から突き出る触手。
ただし先程までとは、その数が違う。
先程までの数本、多くても十本程度だった触手が、今は数十本にまで増えているのだ。
(下手をすれば、百を超えていないか?)
触手の先端を回避しつつ、内心で呟くシストイ。
さすがにこれだけの数の触手を相手にすると、反撃を行える隙がない。
いや、回避に専念しているとしても、これだけの数の触手を回避し続ける自分自身を称賛すべきか。
回避しながらそんな風に考えている通り、シストイは見た目程には追い詰められていなかった。
自分に向かってくる触手の数は確かに脅威だが、地面という場所に潜みながら攻撃している為か、どこか単調なのだ。
(戦闘経験が少ない?)
戦闘能力自体は高くても、それを使いこなせていない。
一連の攻撃にそんな印象を感じつつ、自分に向かってくる触手を斬り飛ばす。
(いや、考えてみれば当然か。そもそも、魔獣兵が実戦で使われたのが春の戦争だ。それから大きな戦争の類がなかったとなれば、魔獣兵にしても戦闘経験自体はそれ程多くない。多少は個人でどこかに派遣されていたりもしたかもしれないが……とても十分な戦闘経験を積んでいるとは言えない筈。なら!)
自分の知っている魔獣兵の情報を思い出しながら、向こうの戦闘経験の少なさに付け込むことにしたシストイは、自分の胴体へと向かってくる触手を回避……しきれずに脇腹を貫かれる。
「ぐわあああああっ!」
シストイの口から上がる悲鳴。
それを地面越しに聞いたのだろう。一瞬触手の動きが止まる。
(どうなる!?)
追撃が放たれないように祈りつつ、悲鳴を上げ、地面の上を転げ回るシストイ。
激しく揺れる視界の中、地面に異常を感じたらすぐに次の行動に移れるようにする。
もしも本当に追撃が放たれたら、何とか回避しなければならない。
そう、思っていたのだが……
(来たっ!)
ボコりと地面が盛り上がり、そこから人間とモグラが融合したような顔が姿を現す。
獣人のように綺麗に人間と獣の要素が合わさっているのではなく、どこか違和感のある顔。
その顔が地面の上でのたうち回っているシストイの姿を見つけ……
「ふんっ、僕の……けきょっ!」
最後まで言わせず、シストイが投擲した長剣の刃が頭部を砕く。
魔獣兵は、そのまま何を言うでもなく地面へと倒れ込み……この戦いは呆気なく勝負がつく。
「残念だったな。本当に致命的な一撃を受ければ、ああも暴れたりは出来ないんだよ。……お前を地中から引き出すには十分だったみたいだが」
シストイは脇腹の傷がそれ程深くないというのを確認してポーションを振り掛け、既に戦闘音が聞こえてきているテントの方へと足を踏み出すのだった。
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